侯爵令嬢スカーレット 3
ハイデマリー嬢の顔色が変わった。それを見逃さず、ミュラー嬢は嫌な笑みを浮かべた。
「でもそれも仕方ありませんよねぇ。だって公爵様は、舞踏会に奥様を伴ってこられませんものぉ。あれでは彼女たちが夢を見てしまうのも無理はありませんわぁ。皆様もそう思いますよねぇ?」
背後に従えていた取り巻きも、同様に嘲り笑ってきた。……彼女たちの標的はわたくしではなく、ハイデマリー嬢なのだ。
「本当ですわ。いくら、敵対する派閥の家の者だったとはいえ」
「伴うのが恥ずかしいほどの醜女なのかしら」
「いえいえ、公爵夫人は元々陛下の愛人だったという話もありますもの。お腹の子は陛下の子だとも……」
聞くに堪えない暴言に、思わず声を上げそうになった時―アーサー様が、硬い声を出した。
「王侯貴族にとって血統とは何よりも重要なものだ。それを疑うということは、何よりの侮辱。貴殿らの推測が間違っていれば、断罪は免れないが、その覚悟はあるのか」
「えっ、そんな……」
「だって……ただの噂ですわ」
しどろもどろになった令嬢たちを、アーサー様が冷たく見下ろした。
「噂、か。その噂の発信元も追及され、裁きを受けることになるだろうな」
アーサー様のように怜悧な美貌の男性から睨みつけられると、ものすごく怖い。傍で見ているだけのわたくしでさえ震えが止まらないのだから、彼女たちはどれだけ恐ろしいだろう。
「私が紳士としての対応をしているうちに去れ」
取り巻きたちは泡を食って逃げ出したが、ミュラー嬢は悔しげにこちらを見ていた。そんなミュラー嬢を、アーサー様は一層酷薄に見下ろす。
「ミュラー嬢、このことはヴィルヘルム殿下に報告させてもらう。たとえついでとはいえ、未来の王太子妃を貶めた罪はきちんと償わせる」
未来の王太子妃。ああ、アーサー様は今も、わたくしを妃にと望んでいてくださるのだ。
「未来の王太子妃……? この方は『仮』の、形式だけの婚約者ではありませんか! それを、聖女だなんだと必死こいちゃって! 笑ってしまいますわ!」
「私はすべてを擲ってでも、彼女を妃に迎える。そして、先程も言ったはずだ。私が紳士としての対応をしているうちに去れ、と」
前世でアーサー様は、本当に全てを擲ってしまった。だからこそわたくしは、この方の隣にはいられない。
青い顔のミュラー伯爵が令嬢を回収し、とりあえずその場は収まったが―顔色が悪いハイデマリー嬢が心配だった。
「あの、ハイデマリー嬢」
「あ……申し訳ありません、王太子殿下、ノーサンバランド様。我が国の者が、不快な思いを……。何かお詫びを……」
お詫びなど必要ない。ハイデマリー嬢が悪いのではない。そう言いたかったが、それでは彼女の気が済まなさそうだった。
「それでは、エスターライヒ公爵閣下とお話しされている、あの男性が誰か教えていただけますか?」
「あの方は……ヴェルトハイム侯爵ですわ。王弟妃ベアトリクス殿下の父君です」
ヴェルトハイム侯爵は元々中立派で、王弟と娘の結婚をきっかけに国王派に靡いたと聞く。
「王弟殿下とお妃様はとても仲睦まじくていらっしゃいますわね」
「お二人は恋愛結婚らしいですわ。結婚を渋る侯爵を、陛下が説得なさったとか」
侯爵は、本来は娘を他国の王妃にするつもりだったらしい。王弟殿下は先代国王が流浪の踊り子に手を付けて生まれた。『妾腹の王子』と貶める向きもあったという。名門ヴェルトハイムの血脈を守ってきたことに強い誇りを持っていた侯爵は猛反対していたが、国王の説得に遂に折れたらしい。それからは国王派の筆頭格として国王の忠臣になっているのだから、その時に感じ入ることでもあったのかもしれない。
公爵家の姉弟とはその話を最後に別れたけれど、帰るときにふたりが会話しているのを見かけた。
「姉上、今回も話さないの? 父上に頼めば、ミュラー嬢なんて謹慎させてくれるよ」
「だめよ。ミュラー嬢を謹慎させても、『次があるかもしれない』とかなんとか言って屋敷の中に閉じ込められるに決まってるわ」
「父上もそこまでするかな?」
弟の疑問を、ハイデマリー嬢は一笑に付した。
「絶対にやるわよ。現にお母様がそうじゃないの」
リーゼロッテ・フォン・ヴァイセンベルガー。旧姓アスマン。国王の側近中の側近・アスマン侯爵の末娘で、王の幼馴染―。
結婚後しばらくしてから公式の場に顔を出さなくなったと聞くが、公爵はリーゼロッテ夫人の難しい立場を案じていたのか。巷では不仲説がささやかれていたが、それにしては公爵には愛人どころか女の影すらない。公爵とリーゼロッテ夫人の結婚は宰相の国王派への嫌がらせらしいけれど、二人の関係はそこまで悪いものではないのかもしれない。
「……ヴァイセンベルガー公爵の気持ちもわからなくはないな」
帰りの馬車の中、アーサー様がぽつりとつぶやいた。
前世で、アーサー様は「外に出る必要はない」と言ってくれた。わたくしが傷ついていくのを、見ていられなかったのだと思う。だけどそれでは、わたくしもアーサー様も幸せになれなかったのだ。




