スノーホワイト 1
なななななな何故それを……。内心大慌てしていると、ベーレンドルフ卿がにっこり笑った。
「やっぱり。君、前世の記憶があるだろう」
「……。ベーレンドルフ卿もそうなのですね?」
「クリストハルトでいいよ。メレンドルフ家をどうするか悩んでたら、オストログラキーが逮捕されたって知ってなんかおかしいって思ってたんだ。君みたいな異分子がいたからなんだな」
ピョートル・オストログラキー。原作でメレンドルフ伯爵家を陥れた、隣国の商人である。
「異分子はあなたもでしょう。これまでの視線の訳は、そういうことだったのですね?」
「え、何? もしかして惚れられてるとでも思ってた?」
ふざけた調子の声にイラっと来た。今までの紳士ぶりは全部演技らしい。
「まさか。まあ、想いを寄せられても困ってしまいますが」
「心配無用だよ、シャルロッテ嬢。オレには可愛い可愛い婚約者がいるからさ」
「たしかファインハルス伯のお嬢さんでしたわね」
「その様子だと、『スノーホワイト』については知らないみたいだね?」
「スノーホワイト?」
なんだ、それ。
「『貧乏伯爵令嬢』の作家が脚本を務めた、RPGゲームだよ」
クリストハルトの話をまとめると、『女神スノーホワイトの戦士たち〜seven deadly sins〜』、通称『スノーホワイト』は七人の小人である主人公が『七つの大罪』を駆逐していくゲームらしい。
「『貧乏伯爵令嬢』に出てきたシルフェリアとか、アヴェルチェヴァとかが舞台なんだ。あと、『貧乏伯爵令嬢』には出てこないけどグランヴィルだとかカザンも。かくいうオレも、登場人物の一人だし」
「……わたしは出てきますの?」
「いや? 『スノーホワイト』の舞台は数十年後だからね」
『シャルロッテ』は獄中死する。もうその時は、この世にはいないのだろう。
「さっき、登場人物の一人だっておっしゃってましたよね。もしかして主人公ですの? それとも『七つの大罪』に憑かれた人間とか……」
「いや、どっちも違う。ところでシャルロッテ嬢、今憑かれたって言ったよね? そして『七つの大罪』が存在するという話にも疑問を持たなかった。『七つの大罪』は建国王によって祓われたはずなのに」
ぎゃっ! しまったっ!
「『スノーホワイト』のプレイヤーだったオレなら、『七つの大罪』は祓われたんじゃなくて『七つの器』に封印され、王宮の地下で厳重に保管されていた『七つの器』が先々代国王の御世に起きた内乱の最中になくなったってことも知ってるけどね」
げっ! 殿下が『最重要機密』って言ってたあれこれをベラベラ!
「だが、『スノーホワイト』をプレイしていないシャルロッテ嬢がそれを知っているはずはない。このオレがいくら調べても『建国記』に書かれていること以上のことは出てこなかった。ということは、『七つの大罪』に関する事柄は国家機密ってことだ。そして、未来の王妃であるシャルロッテ嬢がそのことについて知らされていてもおかしくはない」
にっこり笑うクリストハルトこそ悪魔に見える……。
「……殿下に許可を取らないと、『七つの大罪』についてお話はできません」
「は? 『スノーホワイト』についてはどう説明するわけ?」
「『貧乏伯爵令嬢』は信じてくれましたから、『スノーホワイト』についても特に問題はないと思いますわ」
「え、マジで? ま、いっか。じゃあ殿下に時間を作ってもらうように言ってよ」
「簡単に言わないでください」
殿下は次期国王として多忙な方なのだから。
「でも大事なことですし、お願いはしてみます。王宮に来ていただくか、ベーレンドルフ家のお屋敷に伺うか、どちらがいいでしょうか」
「あ、どっちもダメ。オレん家、中立派だし。王太子殿下やその婚約者と学外で接触してるのがバレたら父上に殺されちゃう」
今現在、シルフェリアの貴族は『国王派』と『宰相派』の二つの派閥が争っている。事は、先々代国王の御世に起きた内乱に発する。王子たちが後継者の地位をめぐって争ったのだ。病床にあった王に諍いを止める術はなく、国は千々に乱れた。その争いを制したのが先代国王――というより、その背後にいた現宰相・ルッツ公爵(当時は伯爵)。
新興貴族に過ぎなかったルッツ公爵は宰相の地位と公爵位を手にし、先代国王を意のままに操り国政を牛耳った。続いて王太子殿下も傀儡にしようとしたが、陛下は黙って操り人形になるようなお方ではない。独自の派閥を形成し、宰相に抵抗してきた。当初こそ大人と子供のようなものだったらしいが、『宰相派』を切り崩したり、『中立派』を取り込んだりして今ではほぼ五分らしい。
『中立派』は国王と宰相の争いに傍観を決め込んでいる一派だ。レルヒェンフェルトも、そのなかのうちのひとつだった。抑、レルヒェンフェルトは権力には興味を示さず領地の統治に専念する一族だ。そんなレルヒェンフェルトの当主であるお父様が殿下と娘の婚約を承諾したのは、娘可愛さなどといった甘っちょろい理由ではない。最近の宰相が目に余るからだ。
たとえ国王が傀儡であろうとも、現にシルフェリアは平和に治まっているからいいのではないか。そう考えていたお父様は、両親の訃報と、その裏に隠された真実に愕然とした。訴えようにも、証拠はない。お父様は両親の仇を取るために、そして国政を是正するために国王に与することを承諾したのだ。
殿下との婚約のほかには、精強なレルヒェンフェルト兵を率いて国王派の軍部を預かる存在になったことが挙げられるかな。シルフェリアは各地の諸侯が所有する軍のほか、国王直属の十三の師団が存在する。お父様が団長を務める『第一師団』はその筆頭というわけ。本当は軍を統括する『大元帥』もいるんだけど、現在は空席らしい。
「……。生徒会に入るのはお許しいただけたのですね? それに、バルシュミーデ卿とは親しいと聞きましたが」
アーデルハイト・フォン・バルシュミーデ公爵夫人――ゲレオンの母は陛下の妹君だ(ルイーズ殿下が次女で、アーデルハイト夫人が長女)。バルシュミーデ家は公爵と王女アーデルハイトの結婚をきっかけに国王派(当時は王太子派)に属している。
「生徒会に入ることは名誉なことだからな。ゲレオンと親しくしているのはシャウムブルク公爵の意向だ。現に、中立派の他の家がハイデマリー嬢と親しくしている」
中立派の基本理念は『風見鶏』。中立派の中核を担うベーレンドルフ家嫡男のクリストハルトが国王派と、他の家が宰相派と親しくしておくことでどっちに転んでも大丈夫なようにしておくのだ。
「だから、学外で会うのは困る。さすがにシャウムブルク公爵の怒りを買うのはまずいからな」
「では、殿下とお会いしているときに使っている東屋はどうですか? 生徒会室の近くにあるのですが、人目に付きにくいところですよ」
「えっ、それって逢引現場じゃないのか?」
「厭らしい言葉を使わないでください」
◇
「すみません、待たせましたか?」
殿下の承諾をいただき、クリストハルトには生徒会室で会う約束をした。東屋はダメらしい。理由は教えてもらえなかった。いわく、「人目を忍ぶには生徒会室で十分」とのこと。まあ生徒会室には、役員でも活動日以外近づかないしね。
「いや、オレも今来たところだ。……王太子殿下、わざわざ足を運んでくださり感謝の念に堪えません」
「楽にしろ。シャルから色々聞いているし、抑お前の控えめな態度は最初から嘘くさかった」
一 刀 両 断。クリストハルトの笑顔がひきつった。
「抑、私はお前の話を信じたわけではない。シャルの『前世の記憶』を利用して、お前が何か良からぬことを企んでいる可能性も存在しているからな」
殿下、モード『王太子』。一人称が『私』だし口調が固い。
「あの、殿下。『七つの大罪』についてご存じなのですから、『スノーホワイト』というゲームが存在したのは事実なのだと思います。わたしも、『貧乏伯爵令嬢』の作家がゲームの脚本を手掛けたという話は、聞いたことがありますし」
これでは話が進まないので何とかとりなすと、殿下はため息をついて席に着いた。
「……シャルがこう言っていることだし、話は一応聞く。お前が要求している、『七つの大罪』についての情報も現在再封印された二つについては教えよう」
クリストハルトが気を悪くしていないだろうかと、ちらっと見ると肩をすくめいていた。
「心配しなくてもいいよ、シャルロッテ嬢。オレも人生がかかってるから、こんなことでへそを曲げたりしない」
「人生、ですか。それはやっぱりあのことが関係しているのでしょうか?」
「それもあるけどね。前に、オレは主人公でも、悪魔に憑かれた存在でもないって言ったよね。『ベーレンドルフ侯爵』は、悪魔に憑かれたベーレンドルフ侯爵夫人――マルティナ・フォン・ベーレンドルフによって殺されるんだ」
『悪魔』に憑かれたのはマルティナ嬢のほうだったのか。彼女にはほとんど会ったことはないが、若草色の髪の美しい少女だったことを覚えている。
「被害者だったのですか」
「同時に加害者でもある。『マルティナ』をそこまで追い詰めたのは『ベーレンドルフ侯爵』だ」
色に溺れた、無能な遊び人。『マルティナ』という妻がいながら愛人たちを屋敷に連れ込み、ファインハルス家の財産で贅沢三昧。彼女と幼い時に交わした約束も忘れ、妻を顧みることもなかった最低野郎。結婚生活に疲弊しきった『マルティナ』は『魔女』に唆されたこともあり夫を毒殺する。
「……『魔女』とは?」
「『スノーホワイト』のラスボスだ。……『魔女』は各国の中枢に関わりがある。殿下に聞きたいのは、『七つの大罪』のことだけじゃない。怪しい行動をしている人間がいないかも、聞きたかったんです」
「中枢の人間だからと言って、すべての行動を把握しているわけではない。ラーヴェンスベルク公は普段は領地にこもってらっしゃるし、王太后とは殆ど関わりがない。宰相派の人間は、一挙一動が怪しく見えてくる」
まあ、たしかにね。
「『強欲の悪魔』が隣国の商人、ピョートル・オストログラキー。『怠惰の悪魔』が我が叔母、ルイーズ。お前の話だと、ほかの五体もわかっているようだが」
「えっ、殿下の叔母君のルイーズって……。ファルネーゼ大公妃のルイーズ殿下のことですよね?」
「もちろんだ」
クリストハルトがあばば、と慌てだした。
「『スノーホワイト』で『怠惰の悪魔』に取り憑かれていたのはアーネスト・ロスチャイルド。闇社会の覇王です」
「ロスチャイルド……?」
「グランヴィルの地主の息子です。彼は婚約者に素直になることができず――傷つけ続け、遂に逃げられてしまうのです。家にも勘当され、悪魔に憑かれてしまう。……殿下、これはオレの推測に過ぎませんが、聞いていただけますか」
「ああ」
「ロスチャイルド家について調べたところ、勘当されるはずのアーネスト・ロスチャイルドが家督を継いでいました。そして、逃げたはずの婚約者と結婚している。夫婦仲はこれ以上ないほど円満で、おしどり夫婦として有名だそうです。特にアーネストの尽くしぶりは、地元住民の話の種だとか。もしかしたら……」
「アーネスト、もしくはその周囲に『スノーホワイト』の記憶があり、『怠惰の悪魔』を回避した。その代りに叔母上が憑かれた。そういうことか」




