亡国の王子アルベルト 2
それが大陸中に嫌われる、サランジェ王フィリップ。突如隣国に戦争を仕掛け、シルフェリアら諸国の警告を無視して侵攻した。しかし、シルフェリアを主体とした連合軍に猛反撃に遭い、逆に王都まで攻め込まれ滅亡した。王はダルトワ塔に幽閉されているという。
俺はそんな父に瓜二つの容姿をしているらしい。漆黒の髪の毛はシルフェリアの王女である母譲りだが、冬色の瞳はサランジェ王家に独特なものだ。
――ご覧なさいよ、あの忌まわしき瞳の色を。
――よくも厚顔に、両陛下のお世話になれたものだ。
母は王命により再婚し、外国に行ってしまった。混乱を避けるため俺は連れて行ってもらえず、ひとり離宮に取り残された。
わかっていた。母にとっても、本意ではなかったのだと。その証拠に、まめに手紙を送ってくれた。
それでも、周囲の侮蔑を一身に受けた、孤独な幼子にはそれだけでは足りなかった。今ならわかる、なぜあれほどの憎悪を向けられたのか。――父フィリップの愚行は、コンスタンティン王とフィリベルト王、そして彼らの臣たちが血が滲むような苦労の果てにつくりあげた平和を、崩しかねない危険な行為だったのだ。ふたりの王を、そして王と辛苦を共にした忠臣たちを敬愛しているシルフェリア人にとっては特に、フィリップ、そして父の容姿を如実に受け継いだ俺の存在は許し難いものなのだ。
だが当時の俺にはそれがわからなかった。ただ、向けられる悪意に闇雲に怯えていた。世界でたった一人だったような心地だった。
そんな時、何の衒いもなく、眩いほどの微笑みを向けてくれる少女が現れた。
――御父上の罪業が如何程のものだったのかは、私にはわかりません。けれどそれは、御父上の罪。アルベルト様が背負わなければならないものではないはずです……!
せせら笑う貴族たちに、全身をガタガタ震わせながら反論してくれた時、恋に落ちたのだと思う。あんなに気が弱いくせに、親しい者のことになると必死になるところが、いじらしくて、愛おしくてたまらなかった。
俺にとって彼女は――リザは光そのものだった。彼女さえ俺の腕の中にいてくれるのなら、他の何も要らなかった。
「アルベルト様」
柔らかな声音で、そう呼んでくれる愛しい少女に、一生傍にいてほしいと思った。
「エリーザベト・フォン・ホーエンヴァルト伯爵令嬢を私の妻として貰い受けたい」
「……ホーエンヴァルト伯爵令嬢は体が弱い。言っている意味が分かっているのか、アルベルト」
「もちろん承知の上です、国王陛下。私はヴィルヘルムとは違います。リザが望むのなら養子を迎えたっていいし、子なし夫婦で仲良く暮らすのも悪くありません」
もともと「エスターライヒ公爵」という爵位は、俺にシルフェリア国内で居場所を作らせるために与えられたもの。必ずしも俺の子が次代の公爵になる必要はない。ラーヴェンスベルク公やヴィルヘルムの子が跡を継いだ方が、シルフェリアの民はむしろ喜ぶだろう。もちろん、リザが子を産んでくれるなら、全力で守るつもりだが。
「……アルベルト。王族との結婚は、いいことばかりではない。シャルロッテにはレルヒェンフェルトの後ろ盾がある。宰相とのことを鑑みて、レルヒェンフェルトを取り込むのは利点が多いゆえ、もともと歓迎されていた縁談だ。だが、ホーエンヴァルトはそうではない。伯爵令嬢を守り抜く覚悟はあるのか」
王者に相応しい鷲のように峻厳なまなざし。――もとより覚悟の上だ。
「もちろんです。俺のすべてをかけて、彼女を守り抜きます」
「……そうか。それなら良い」
元々、陛下の気がかりはリザの家格どうこうより、リザが王族の仲間入りをして安全にいられるのか、だったのだろう。普段はポーカーフェイスを崩さず、感情の機微が分かりにくいが、本当は誰よりも優しい方だということはわかっている。
本来ならば、陛下はリザとの縁談は何としても阻止し、陛下と宰相の争いに様子見を決め込んでいる中立派の有力者の娘との縁談を調えるべきだ。事実、そういう動きがあった。
「まあ、罪滅ぼしでしょうね」
「……罪滅ぼし?」
「ええ、陛下はルイーズのファルネーゼ行きを止められなかったこと、今でも悔やんでらっしゃるの」
後日、王妃陛下に呼ばれお茶をしているとそんな話を聞かされた。俺の花嫁に中立派の有力者の娘を迎えるべく、水面下で交渉を図っていたのは王妃様であるため、ちょっと気まずかったが別にそのことは咎められなかった。ちなみに、一人息子のヴィルヘルムはシャルロッテを新しくできた東屋に案内しているらしい。
「あれは、仕方のないことです。どうしようもなかった」
「それで納得するような人じゃないでしょう。……ルイーズの一度目の結婚は、不幸に終わってしまった。二度目こそ、幸せな結婚をしてほしかったのね。まったく、甘いったら」
王妃様は口に出さないが、そもそも両親の結婚は宰相の差し金だ。王女との婚姻により、中立派が取り込まれるのを防いだのだ。
「甘いところがある陛下だからこそ、心酔している家臣も多いのですし、王妃様だってお慕いしているのでしょう?」
「あら、アルベルト。どこまで知っているのかしら」
「王妃様の父君、前キュヒラー侯爵は宰相派との結びつきもあった。国王派――いえ、当時は王太子でしたね――王太子派に属していたものの、不安要素があった。だからこそ、王妃様との結婚でその結びつきを強固にしようとした。縁談のまとめ方は、性急で強引なものだったと伺っています」
「ほぼ全てじゃないの。……そうよ、当時は陛下のことを恨んでいたわ。でも、あの人の不器用な優しさに触れるたびになんだか憎み切れなくなっちゃったのよね」
結果、王妃様は陛下のために粉骨砕身し、その弟のキュヒラー侯爵も今や陛下の忠臣の一人だ。あの方の本当の強みは、王家の血筋でもなんでもなく、あふれる人間的魅力。
「……あなたは私が縁談を調整していたのをお釈迦にしちゃったのを気に病んでいるのかもしれないけど、あまり気にしなくてもいいわよ。ヴィルヘルムとロッテの婚約が調いそうだし、オスカーの結婚でヴェルトハイム侯爵が後ろ盾についたしね」
「陛下もおっしゃっていましたが、ついにレルヒェンフェルトが国王派に?」
「ええ、そうよ。ようやく重い腰をあげたってことね。これで、風見鶏たちも一気にこっちになだれ込んでくるでしょうね」
「それでは、早々に片が付くのでは。あちらにもヴァイセンベルガーがいますが、こちらにはバルシュミーデとレルヒェンフェルトの二家がいます」
レルヒェンフェルト、バルシュミーデ、ヴァイセンベルガー、シャウムブルク。シルフェリアがあった地域は元々、小王国が乱立していた。それぞれ北部一帯、南部一帯、東部一帯、西部一帯を支配していた四つの王国を取り込んでシルフェリアはここまで強大になったのだ。
この四家の他にも公爵家は存在するが、影響力も財力も段違いだ。ヴァイセンベルガーは宰相に取り込まれたが、バルシュミーデは国王派。そして、「北の獅子」レルヒェンフェルトがこちらについたのなら、形勢も逆転できるのではないか。
「そう簡単なことではないのよ、アルベルト」
しかし王妃の答えは違った。
「どうして新興貴族だった宰相が、王を傀儡とするほどに成り上がれたと思う? 彼も『大器』の持ち主だということもあるけれど、やはり要はあの圧倒的な財力。また、ろくでもない方法で反撃してくるでしょうね」
「やはり、中立派の取り込み合戦を続けるべきでしょうか」
「そうねえ。それも大事だけど……。陛下はヴァイセンベルガーに楔を打ち込むおつもりみたいよ」
「ヴァイセンベルガー?」
ヴァイセンベルガー公爵は、宰相派の筆頭格だ。幼くし両親を亡くし、宰相の庇護のもと育ったらしい。まだ若いものの、その才覚はシルフェリア随一と名高い。ついでにものすごく男前なので、国王派ですら熱を上げている令嬢が多い。
「まさか、公爵夫人のことがあるからヴァイセンベルガーと事を構えるのを躊躇しておいでなのでは。さすがに賛同できませんが」
リーゼロッテ・フォン・ヴァイセンベルガー。ヴァイセンベルガー公爵の妻で―陛下の側近中の側近・アスマン卿の末娘。かつては王宮で侍女も務めていた、陛下が妹のように大切にしていた女性である。宰相の策略により、ヴァイセンベルガー公爵と結婚することになった悲運の女性だ。
「別にそれだけじゃないわよ」
「しかし、ヴァイセンベルガーがこちらにつくとは思えませんが。公爵が宰相の庇護のもと育ったというのが事実なら、まさに宰相は公爵にとって恩人。その義を捨ててまで……」
「公爵が宰相の保護下で育ったのは事実よ。でも、前公爵夫妻が死んだ事故、なんだかきな臭いらしいのよね」
「……! まさか……」




