大公妃ルイーズ
いつからか、世界に色がなくなった。すべてが面倒で、仕方がなかった。
「子どもを捨ててくるなんて、あれでも母親かしら」
「そもそも、亡国の王となったからといって夫を捨てるのが不実なのだ」
「年に一度の里帰りすら、まともに行っていないという話ではないか」
「アルベルト殿下もおかわいそうに」
うるさいうるさいうるさい。
サランジェ王と結婚したのも離婚したのも、大公と再婚したのも、息子を置いていったのも、すべて父の――ひいては父を操っている、宰相の指示だ。私自身の意思など、介在すらしていないのに。
サランジェ王が列国を攻め滅ぼさんとした時も、必死に止めた。けれど、耳を貸してすらくれなかった。懸念したとおり、シルフェリアが盟主となった連合軍の前にサランジェ軍は大敗し、王はダルトワ塔に幽閉された。直後、父の命令で私は王と離婚し、シルフェリアの王都ヴァルトシュタインに連れ戻された。まだ四つだった、アルベルトを連れて。
それから半年もたたないうちに、属国ファルネーゼの大公妃になるべく、ヴァルトシュタインを去ることになった。
「お父様! どうしてアルベルトを置いていかなければいけないのですか!」
「王女殿下。ファルネーゼは古くはサランジェの領地。良くも悪くも、サランジェの影響が大きゅうございます」
父に聞いたのに、なぜか宰相が答えた。父の傀儡っぷりは相変わらずらしい。
「おかあさま!」
涙を浮かべて縋るアルベルトと別れてまでファルネーゼの大公妃となったのに、ファルネーゼの人々は離婚歴のある大公妃に冷たかった。年に一度の帰省も、妊娠時期が重なってかなわないことが多かった。
数年が経ち、父が亡くなり、兄が跡を継いだ。兄は、宰相の操り人形でいるようなタマではない。王太子だった時から宰相と熾烈な争いを繰り広げていた。もっとも、その勢力には大人と赤子ほどの開きがあったけれど。
宰相としても、兄以外の王族を王位継承者にしたかっただろう。そう、操りやすそうな人間を。だが、ほとんど臣籍降下してしまっているため、肝心な王族がほとんどいない。これも兄の策略なのかもしれない。
兄が即位して更に数年後、甥と名門レルヒェンフェルト家の令嬢が婚約した。今まで中立を保っていた家門も、一気に兄の派閥に集まりだしたらしい。
その更に数年後、アルベルトがある伯爵令嬢と婚約することが決まった。そのお披露目のパーティーに呼ばれ、夫と共にシルフェリアを訪れた。
滞在中、義姉――王妃のお茶会に参加した。お茶会といっても、参加者は義姉と私と母だけだ。
私は母が苦手だ。あの人の瞳には、人のあたたかさというものがない。だからこそ、あんなに美しいあの人を、後宮に仕える女たちの誰もが、心の底から恐れている。
そういうわけで母と会いたくはなかった。二人でお茶会などもってのほかだ。だが、久しぶりに再会したのにお互いの存在を無視していてはまた陰口を叩かれるだろう。
そこらへんの事情を汲んでくれた義姉により、三人でお茶をすることになったのだ。だが、どうしても外せない用があり、義姉が数分間席を外した。
「二人で話すのは随分と久しぶりだこと。そうは思わなくて、ルイーズ」
「そうですね、お母様」
長らく兄や姉、私の存在を無視し続けてきたくせによく言う。そしてその無視は、現在進行形で続いているくせに。
母に、親としての情を見たことは全くない。父も似たようなものだが、母よりはマシだった。兄や姉に至っては、昔から可愛がってくれている。……ファルネーゼにアルベルトを連れて行けるよう、最後まで頑張ってくれたのも兄だった。
それなら『母親』がそういう生き物なのか。それも違う。義姉は甥を大切にしているし、それ以前に私も子どもたちのことが愛しい。シルフェリアに置いていくことになったアルベルトも、現夫との間に生まれた子どもたちも。夫との仲は冷え切り、周りの者は冷たい。心の拠り所となるのは、子どもたちだけだから。
「お前の預かり知らぬところでアルベルトの婚約が決まったね」
嘲るように、母の毒々しい唇が弧を描いた。
「私の時と同じだ」
「……」
義姉は、国王派の名門侯爵家の娘だ。そしてこの婚姻は、宰相の邪魔を受けながらも兄が強引に纏めたもの。
アルベルトの婚約者となった伯爵令嬢の実家は、歴史が浅い新興貴族。おまけに体が弱いときているので、反対の声も大きかったらしい。それでも王家は、強引にこの話を纏めた。
――私の時と同じだ
違う。私と母は違う。私はあんな、冷血な女ではない。
だが、母の言葉が落とした痼は、お披露目のパーティーの後に更に強まった。
自信なさげに俯いて、アルベルトが微笑みかけても、話を盛り上げようとしてもぎこちない笑みでろくな返答もしない。あんな小娘が、私の息子の婚約者?
おまけに、病弱なことを口実にほとんど社交の場にも出てこないという。
そんな未来の嫁にイライラしていた、ある日のこと。夫の母が死に、葬式が催され、母国シルフェリアからの使者の一人が私に接触してきた。
「大公妃さま。こちら、お納めくださいませ」
「鳩琴……?」
「はい、大公妃さまに安寧が訪れますよう」
安寧が訪れるどころか、その鳩琴によって陰鬱な気持ちが深まった。……ただその一方で、鳩琴を手放せなくなったのも、事実だった。
おどおど、びくびくして王族の伴侶に相応しいとはいえない少女。あんな小娘との婚姻を許すなど、それこそあの母と同じなのではないか。結婚後に様々な面倒事が持ち込まれて、難儀するに決まっている。
そういえば、あの鳩琴をもらってからだ。全てが面倒に感じるようになったのは。……以前は、アルベルトが彼女を好いているなら仕方ないと、そう思っていたのに。
「ねえ、エリザベートさん。エリザベートさんは、今年で学院を卒業するわよね」
「は、はい……」
「卒業したら、直ぐにアルベルトと結婚するのよね?」
「はい……。アルベルト様からは、そのように……」
「そう。ねえ、ご存知? ファルネーゼにも、アルベルトに憧れてる令嬢はいるのよ?」
「えっ……」
「夫の姪なんですけどね。華やかで、気立ての良い娘よ。私、アルベルトにはずっと申し訳なく思っていたの。仕方なかったとはいえ、シルフェリアに置き去りにしてしまったんですもの。でも、彼女と結婚すれば、これからはずっと一緒に居られると思うのよね」
「……」
「どう思うかしら、エリザベートさん?」




