ついに王立学園に入学しました 4
ルイーズ・フォン・シュヴァルツェンベルク殿下。ファルネーゼ公国に嫁がれた今は、ルイーザ・ディ・ピアチェンツァと名乗ってらっしゃるはずだ。微妙に名前が変わっているのは言語の違いからくるのだろう。かの有名なマリー・アントワネットも、ドイツ語読みだとマリア・アントニアだったはず。
エリーザベト様によると、縁談相手はルイーズ殿下の再婚相手であるファルネーゼ大公の姪御さんらしい。
「幼い時、アルベルト様は母君を非常に恋しがっておいででした。一年に一度、ルイーズ殿下に会える日をそれは心待ちにしていらっしゃったんです。……ルイーズ殿下は大公妃として多忙な方、約束を果たせない年もありました。そんな日も、アルベルト様は夜まで母君をお待ちになっていたんです」
「たしかにファルネーゼに行けば、閣下はいつでもルイーズ殿下にお会いになれるでしょう。ですが、それではエリーザベト様はどうなるのですか」
件の縁談相手については詳しくは知らないが、元婚約者に会うなんて絶対に面白くないだろう。わたしなら絶対に嫌だ。閣下がこの縁談を受ければ、エリーザベト様はもう二度と会えなくなってもおかしくはない。
「私は、修道院へ参ろうと思っております。元々そのつもりでしたもの」
「え?」
「御存じの通り、私は体が強くありません。貴族夫人にとって最も重要な仕事は跡継ぎを産むこと。こんな体では、どこにも嫁げずに一生を終えるのだと覚悟していました。父と兄は一生家にいればいいと言ってくださいましたが、そういうわけにはいかないでしょう」
「……それは」
エリーザベト様は家族を悲しませないため、だれにも内緒で修道院について調べていたらしい。領地には教会付設の孤児院があり、そこのシスターとして勤めることも考えていた。元々華やかなことが特別好きなわけでもない。むしろ家の中で読書をしたり、刺繍をしたりする方がお好きなエリーザベト様にとって、修道院での質素な生活も苦ではないだろう。
「ですから、王妃様からアルベルト様との縁談を打診された時は本当に驚きました。アルベルト様のことはお慕いしていましたけど、私には手が届かない王子様のような人だと思っておりましたから」
閣下は正確にはもう王子ではないが、限りなく王子に近い人だろう。母親のルイーズ殿下は、国王陛下の妹君。――そして父親は、亡国サランジェの最後の王だ。
閣下は、サランジェ国王と、シルフェリア王女である王妃ルイーゼ・ドゥ・ラグランジュ(つまりルイーズ殿下はシルフェリアでは『ルイーズ』、サランジェでは『ルイーゼ』、ファルネーゼでは『ルイーザ』だというわけ)の間に世継ぎの第一王子として祝福の中生まれた。だがその幸福は、長くは続かない。父君・サランジェ王は、野心深き王だった。列国に侵攻し、返り討ちに遭ったのだ。列国の連合軍の前にサランジェは大敗し、王はダルトワ塔に幽閉され、ルイーズ殿下は王と離婚した後、閣下を連れてシルフェリアに帰った。この国の高位貴族なら、だれでも知っている話だ。
その後、ルイーズ殿下はファルネーゼ大公と再婚したが、閣下はシルフェリアに留め置かれた。ファルネーゼは良くも悪くもサランジェの影響が大きい。サランジェの残党に取り込まれることや、逆に反サランジェの人間に危害を加えられることを恐れたのだと思う。閣下は公爵位を与えられ、宮廷で何不自由なく育ったものの――父とも母とも離れ離れな生活は、どれほどさびしかったことだろう。
そんな時、柔らかな微笑みを浮かべる少女が現れた。つらい時も寂しい時も少女はそばにいてくれた。閣下が少女に――エリーザベト様に心を傾けるようになっても、何もおかしくはない。
「それほどまでに、閣下はエリーザベト様のことがお好きなのでしょう?」
閣下は両陛下の後見を受け、公爵位を賜る大貴族。体が弱い伯爵令嬢との縁談は難航を極めた。
――何もあのような成り上がりの娘を娶らなくとも
――子どもを産めるかもわからないのに
――伯爵家程度、側室で十分ではないか
閣下はこの全てを「私は必ずしも跡継ぎをもうけなければいけない身でもない。後継者が生まれなければ、領地と爵位は王家にお返しするだけだ」とねじ伏せた。王家の権力もフル活用し、エリーザベト様を蔑む者は表立ってはいなくなった。
「大体、失礼ではありませんか。閣下にはエリーザベト様というれっきとした婚約者がいらっしゃるのに、縁談を持ってくるなんて」
「私が悪いのです。アルベルト様に甘えて、社交の場にもほとんど出なかったから……。それに考えてもみてください、シャルロッテ嬢」
「え?」
いったい何を言おうとしているんだろう。
「ファルネーゼに行けば、いつでもルイーズ殿下にお会いすることができます。縁談相手は明るくて華やかな方だそうです。私よりもずっと、アルベルト様の妻に相応しい……」
「エリーザベト様……」
「私、アルベルト様のことを心から愛しています。だからこそ、私に縛り付けることなどできません」
本当はずっとそばにいてほしい。そんな囁きのような小さな声が聞こえた。苦しげに漏らした、エリーザベト様の本音。
そういえば、エリーザベト様に閣下のどこが好きなのか聞いた時、彼女は白い頬を薔薇色に染めてこう言った。
――少し色素が薄い瞳も、テノールのお声も好きです。目が合うと浮かべてくださるあたたかな微笑みも、私に触れる手つきの丁寧さも。だけど一番好きなのは、あの方の優しい心です。体調が悪くて倒れてしまった時、誰もが私を蔑む中であの方だけが私を助けてくれた。抱きかかえてもらったにも関わらず粗相をしてしまったのに、あの方は一言も私を責めなかった。「こんなこと気にしない」とおっしゃって、私を屋敷まで送ってくださったのです。あの時の私は、まるで世界中が敵であるかのような心地でした。そんな時にそばにいてくれて、どれほど嬉しかったか……。
「……エリーザベト様。閣下の縁談のお相手のこと、誰からお聞きになったんです?」
ずっと不思議だった。閣下がそんなことを不用意に話すわけあるか。エリーザベト様を不安に掻き立てるような真似などするはずがない。彼の周囲の人間だってそうだろう。だって閣下って、エリーザベト様が絡むと割と容赦ないし。
エリーザベト様は躊躇うように逡巡した後、口を開いた。
「お母君――ルイーズ殿下です」




