病院跡のカラオケ店
このカラオケ店は、今はもうない。
「ねえ美弥。今度の土曜日、カラオケ行かない?」
友人の早紀にカラオケを誘われた私はちょっと考えた。
カラオケに行くのはまったく構わない。ただ、問題はどこのカラオケに行くかだ。
「行ってもいいけど、弁天町のお店は嫌だな」
「どうして? あそこ部屋広いでしょ?」
「うん、そうなんだけど。なんとなくね」
「わかった。じゃあ他のところを探しとくね」
早紀からの電話を切って、私はやっぱり断った方がよかったかと考え始めた。
嫌な予感がしたのだ。
「ごめん。他のカラオケも探したんだけど、どこも空いてなくって」
集合場所でそう言って頭を下げた早紀。
なんとなくだが、こうなる気がしてた。
「うん、仕方ないよ」
わたしは早紀にそう言った。
早紀が悪いわけじゃない。たぶん、こうなる運命だった。
メンバーは早紀の他に春香。3人とも高校の同級生だから気心は知れている。
「早紀が言ってたけど、美弥はあそこのカラオケ屋、あんまり好きじゃないんだって?」
春香が不思議そうな顔で聞いてくる。
「うん、なんとなくだけどね」
「それ分かる。あそこのカラオケって、なんか変な感じがするんだよね」
春香は人より少し霊感が強いみたいで、見えはしないけど嫌な雰囲気は感じるタイプの子だ。
「それに、あのカラオケ屋って、元は病院だったって聞いたよ」
春香の言葉に早紀が「うそ!」と驚く。
「うそじゃないみたいよ。だって部屋が広いでしょ。あれ、みんな病室だったんだって」
「えーいやだあ。そんなこと言われたら、行くのが怖くなっちゃう。美弥も知ってたの?」
「あ、う、うん。知ってた」
「だからかあ。美弥が嫌がってたのは。ごめんね。あたし知らなかったからさあ」
「いいよ。言ったら気分悪いだろうなって思ったから言わなかったし。それに、もう予約もしてあるんだから今日はそこで歌おう」
「いいの?」
「うん。大丈夫。別にあそこで何か見たわけでもないし。春香だって何も見たことないでしょ?」
「うん、見たことはないね」
「だったら行こう。歌ってたら別に怖くないし」
そのカラオケ屋はビルを丸ごと店舗にしていた。
1階が入口で、2階から5階まで、各階にふたつずつ部屋があった。
エレベーターを出ると、左右に部屋が別れている。
その日は、5階の部屋で歌うことになった。
「部屋は広いよね。そう言われてみると、なんだか病室っぽい」
早紀はそう言いながら部屋を見渡す。
たしかに、元病室と言われればそんな感じがしてくる。
それから3人で好きな曲を歌った。
無意識なのかノリの良い明るい曲ばかりを選曲していた。
もちろん、何も起きたりはしない。
考えすぎか……。
「わたし、トイレに行ってくる」
そう言って、ふたりを部屋に残して、私はエレベーターのボタンを押した。
このカラオケ屋は、トイレが1階にしかない。
ようやく来たエレベーターには先客がいた。
小さな男の子だ。
最上階の5階に着いたというのに、男の子は降りようとはしなかった。
階を間違えたのか。それとも、ただエレベーターで遊んでいるだけなのか。
「お姉ちゃん……何階?」
エレベーターのボタンの前に陣取った男の子が、わたしに行き先を聞いてきた。
「1階お願いします」
「はい」
男の子はそう言ってボタンを押してくれた。
「ボクは何階なの?」
エレベーターの中は私と男の子だけ。
でも、男の子は、何も答えてくれなかった。
不思議に思った私は、男の子の横顔を見た。
生きているとは思えないほど白い肌。
ピクリとも動かない瞳は、ただ宙を見つめているように見える。
「ママと来たの?」
私の言葉に、男の子は、ゆっくりと振り返った。
「ママは……来ないよ」
そう言いながら、男の子の視線は私を見ていない。
「パパも……来ない。僕は……ずっと、ここにいるのに……」
男の子がそう言ったときに、はじめて私が気づいた。
エレベーターのボタンが……1階が……押されてない。
ゆっくりと動いていくエレベーター。
4階……3階……2階……
よく見れば、押されているのはB1のボタン。
このままだと、エレベーターは地下の階まで行ってしまう。
私は慌てて男の子を突き飛ばし、1階のボタンを押した。
エレベーターは1階で止まり、ゆっくりとドアが開いた。
私は急いでエレベーターを出た。息が乱れている。あの男の子は何だったのだ。
振り返ると、エレベーターには誰も乗っていなかった。
トイレが終わっても、私は部屋に戻る勇気がなかった。
でも、まだあのふたりが部屋にいる。
私は他の客が乗るタイミングに合わせて、エレベーターに乗った。
今度は、男の子はいなかった。
安堵した私は、ふたりが待つ部屋に戻った。
「遅い! 大きい方だろ!」
早紀が笑いながら言った。
「どうして分かるのよ」
私も誤魔化すように笑った。
すると、今度は春香がトイレに行くと言い出した。
「ここはトイレが1階にあるんだよね。面倒くさい」
さっきのことを言おうとしたが、どうしても言えなかった。声が出なかった。
春香は元気よく部屋を出ていった。残った私は仕方なく早紀と歌った。
しかし、春香はいつまでたっても帰ってこなかった。
「春香、遅くない?」
「また大きいほうだったりして」
「だとしても遅いよ」
「じゃあ、ちょっと見てくる。わたしもトイレ行きたいし」
そう言って早紀も部屋を出て行った。
しかし、早紀はすぐに帰ってきた。
「春香、トイレにいなかったよ」
「じゃあ、どこに行ったんだろ」
「外で誰かと電話してるとか?」
しかし、電話をしても捕まらない。
「やっぱりおかしいよ」
嫌な予感が広がる。
「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど。エレベーターで男の子見なかった?」
「え? 見たよ」
「どんな子?」
「ボタンを押してくれたんだけどさ。間違ったのか、地下1階のボタンを押してたんだよね。慌てて自分で押したけど」
「それ、私もそうだった……」
全身が総毛だった。背中に冷たいものが走る。
早紀の顔も真っ青になっていた。
「春香……地下に行ったとか……」
わたしたちは慌てて部屋を出た。
エレベーターに乗ったが、男の子はもういなかった。
1階まで降りて、フロントに春香のことを聞くが、誰も見てないと言う。
「でも、戻ってこないんです!」
「ここの地下には何もないですよ。トイレもありませんし」
「でも、エレベーターには地下1階のボタンがあるじゃないですか!」
「あれは、押しても行かないようになってるんです。だって、地下には元病院だった頃の、霊安室があるだけですから」
私たちの訴えに根負けしたのか、それとも何かを知っていたのか。
店長という人が、階段を使って私たちを地下の霊安室に案内してくれた。
そこには、まるで男の子のような声で「ママ……ママ……」と泣いていた春香の姿があった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
弁天町とは大阪にあります。
当時は元病院のカラオケなので、出るとよく言われてました。
私は遭遇したことはなかったですが。