生い立ち
誤字脱字あれば教えて頂けると幸いです。
読んで下さりありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。
突然だが、あなたは昔使われていた言語を勉強したことがあるだろうか。そして、昔の人々が書き記した書物を読むという行為について、あなたはどう感じるだろうか。
俺の名前はハルト=ミツニ。専門的研究校の生徒である。専門的研究校とは、そちらの時代でいう所の大学に近い教育機関であり、この学校の生徒は皆、自身のしたい研究を行う権利を有し、義務を課せられる。
一年生の間は研究校で行われている様々な研究を知る機会を与えられる。先輩達が数多くのラボを作っているので、その場の雰囲気や実際の研究活動を体験して回るのだ。
二年生になると、一つ以上のラボに所属することとなる。一年生の間に見て回ったラボの中で、気に入った所を選ぶという訳だ。その後、4~5年間の研究活動を行って卒業となる。
卒業後は一般企業に就職する事も出来るし、ラボに残って研究を続けていく事も可能だ。新しいラボを作ることも出来るらしいが、既存のラボがそれはもう多く存在するので新しくラボを設立する卒業生は少ないそうだ。
俺は、この学校の四年生で、「古代物語研究」に関するラボに所属している。今、「地味そうだな」と思った人もいるかもしれないが、そんなことは無い。
確かに、古代語を読むこと自体は難しい作業であるが、このラボの趣旨は「昔の人はどのような物語を書いていたのだろう?」という事を知る事である。だから、先輩が現代語訳をしてくれた書物を読むだけでもOKなんだ。だから、古代語を読めない人でもこのラボは楽しいと思う。例えば先日はラボの活動の一環として、古代に作られた物語を基にした映画を見た。ストーリは現代風にリメイクされたものだったから一年生達にも好評だった。
こういうのを見ていると、「何十万年前もヒトの考えることは同じなんだなあ」と感じたよ。
さて、俺がなぜ古代語に興味を持ったのか、そして俺がどうして古代語で作品を書くことになったのかを紹介したく思う。
俺には両親がいない。親戚と名乗る人物からお金は支給されていたものの、5歳くらいの時から一人暮らしを強いられていた。これを読んでくれている人の中には「どうやって生活してたの?!」と思われる方が多いと思うが、普通に生活が可能だった。お金をくれていた親戚が住む場所を提供してくれた。家事一般についてはロボットがやってくれた。俺は周囲の子供達と同じように「朝になったら起きて、昼間は学校で過ごし、夕方には家に帰ってきて、夜には寝る」という単調な生活を送ることが出来ていたのだ。
このように生活には支障がなかったものの、「話し相手がいない」という究極の問題は解決されていなかった。「ただいま~」と家に帰っても、「おかえりなさいませ、マスター。」と家事ロボットが無機質な声で返事をしてくれるのみだった。さらに、自分でいうのもなんだが、俺はクラスメイト達の中では勉強が出来る方だった。だから、学校で課される課題など数分で終わらせることが出来た。宿題を終わらせた後は長い長い自由時間が待っている。そんな訳で、俺は多くの時間を一人で過ごす必要が生まれた。
一人で出来る事、それは何といっても物語に没頭する事だろう。小説を読んで、アニメや映画を見て、ゲームをして。それはもう多くの作品と接した。今から考えると、俺は物語の主人公が多くの人と関わっているのを見ることで、自分自身も人と関わったような気になっていたのかもしれない。若しくは、物語を通じてその作者と対話している感覚を得ようとしていたのかもしれない。
物語は素晴らしい。今現在生きていない人と直接会話をすることは難しいが、過去に書かれた作品を読むことで過去に生きた人物たちの生活や思想を知ることが出来るのだ。そのことを、俺は心から素晴らしいことだと感じた。
そんな子供時代を過ごした俺は、自然と遠い過去に書かれた作品にも興味がわくようになった。自力で古代語を習得して、古代に書かれた作品を原文でも読めるようになったのだった。
このように、人と関わりたいという無意識下に潜む思いが今の俺を作ったと言えよう。
年月が経ち、俺は専門的研究校に入学した。古代語を読めるという類稀なる才能から「古代文法研究会」やら「古代語翻訳研究会」などから引っ張りだこだった。
「古代文法研究会」ではその道の第一線で活躍する研究者たちと活発に議論することが出来た。会話文は文法が乱れていることから、文法的解釈に関して意見が分かれやすかったのだ。ちなみに、俺が何気なく討論に参加したら、いつの間にか大発見として取り上げられた。あれにはびっくりした。
「古代語翻訳研究会」でも似たような感じだった。古代語の会話文にはびっくりするような省略が見られる。主語の欠落(例:今日、水族館行きました~)や子音の省略(I got a txt msg.)は現代でも見受けられるが、中には「面白おかしくて笑えるね。」を「(笑)」と省略したり、「w」としたり、「草」としたりする例もみられる。「草」については、「w」が草のイラストに見えることが由来なのではなかろうかと言われているが、真相はこれを読む読者の方が詳しいのではなかろうか。そういった見解を述べていると、これまた大発見として取り上げられた。もはやびっくりする気にもなれなかった。
だが、いづれの研究室も俺には合わないと感じた。俺は別に古代言語そのものに興味があるわけではない。古代に書かれた物語に興味があるのだ。だから、「古代物語研究会」に所属したのだった。
ある日の事、俺は先輩(研究校の「先輩」は教授も含んでいる。この先輩は年配のお爺ちゃん先生だ)から、とある討論会に参加してもらいたいと言われた。「古代物語研究会」は基本、エンターテイメント的な方面で活躍することが多いので、討論会の話が上がるのは珍しい。とはいえ、俺は何気なく「いいですよ。俺でよければ」と返してしまった。この時は、まさかこの討論会が人の歴史に大きく関わる壮大な極秘プロジェクトに関するものだとは思っていなかった。