第一話 里見市に向けて
雲に隠れていた太陽が顔を出し、日差しが頬を照らす。
ついこの間まで肌寒かったのになぁ、などと思いながら少女はバス乗り場へと向かっていた。
桜色の髪にポニーテール、赤色のセーターにジーパンの恰好の赤い目をした少女、茅間花は疲弊していた。都心ターミナルで道に迷い予定ならとっくに着いているはずだったが、持ち前の方向音痴を存分に発揮し、予定していた時刻を大幅に過ぎていた。
茅間の方向音痴は今に始まったことではない。勿論、それを見越しての時間配分だったがどうやら見直しが必要のようだ。計三人の駅員に道を聞き、ようやくバス停が見えるところまで来た。既に結構な人数が並んでいるようだ。
歩きながら、近くに生えていた花壇を見て茅間は肩を落とす。神は不公平だ、少しくらいこの方向音痴を誰かに分け与えても良かったのではないか。ステータスが偏りすぎだ。
と、負の感情を心の中で唱えていたらバスがこちらに向かってくるのが見えた。
茅間は小走りでバス停へと向かう。扉が開くと中から白髪の男女が降りてきた。バスガイドと運転手だろうか、近年では無人バスが導入されているので運転手もバスガイドもいない場合がほとんどだが、珍しい。
列は進み、茅間は二人の前まで来た。
「おはようございます」
「おはようございます」
快く返事をしてくれた男性はとても背が高かった。年齢は三十代前半といったところで、ワイシャツにジーンズに黒色のブーツの格好をしていた。
「…………」
女性の方は返事がなかったが、こちらを見てにっこりと笑った。雪のように白い肌に腰まで伸びたキレイな白髪、長袖の白色ワンピースの格好だ。年齢は恐らく二十代前半。身長は私と同じくらい、それにしても全身真っ白だ。
「お荷物はこちらでお預かり致します」
茅間は白髪の男性に荷物を渡しバスに入る。ほとんどの席は埋まっていたが、まだ何席か空いている席はあった。急いできて疲れたため近くの席、向かって右側の運転席とは反対側の前から二列目、窓側の席に崩れるように腰を下ろす。一列目には荷物が置いてあったため座れなかった、外にいる二人の物だろう。
茅間は顔とおへそを真上に向け、どこぞの大企業の社長のように偉そうにのけ反った姿勢で座っている。とそこに、
「すみません、隣いいですか?」
落ち着いたのも束の間、右前方から声が飛んでくる。
「あっはい 大丈夫です」
茅間は反射的に答えたが少し疑問が出てきた。締めていたシートベルトを外し、頭を上げ後ろの座席を眺めた。まだ席には空きがあるしわざわざ私がいる隣に座らなくてもいいじゃない、と茅間は頭に?を浮かべる。
「ありがとうございます」
まあいいか、空席を見落としただけだろう。
少女は静かに腰掛ける。肩にかかる程度の茶髪、歳は私より三つ四つ下といったところか。服装は赤いパーカーでショートパンツの恰好をしている。
発車ギリギリで来るなんて、自分と同じで道に迷ったのだろうか? 茅間は自分と同じ境遇かもしれない彼女に親しみを感じた。
「皆様、おはようございます。本日はご乗車下さり誠にありがとうございます。このバスは九時三十分発、里見駅行きでございます。」出発時刻になったのか白髪の男性がアナウンスを始める。「シートベルトの着用をお願い致します。———では出発致します」
バスが走り出した。改めて時間に間に合い、バスに乗れたことに安心しながら茅間は窓を見る。見慣れているはずなのに、離れていくターミナルがいつもとは違う景色に見えた。
「紹介が遅れました。私は今回バスガイドを務めさせて頂くジュアンと申します。普段は里見市の市長をしております。よろしくお願い致します」
白髪の男性が自己紹介をする。
やっぱりバスガイドだったのか、市長は大変だなぁ…… ご苦労様です。
ジュアンの言葉の後、前の座席からひょこっと白い頭が飛び出す。白髪の女性は乗客を少し見渡し、お辞儀してから席に着いた。
(自己紹介しないの? ……でも短い間だけだし別にいいのか)
「里見駅には一時間半ほどで到着します。その前に、今向かっている里見市について手短に説明させていただきます」
ジュアンの言葉を聞き、茅間は何故自分がここにいるのかを思い出す。
ちょうど二日前。
大学受験を無事終え、高校の卒業式を控えていた茅間は何枚ものチラシとにらめっこをしていた。これから一人暮らしをするにあたってのアパートを探していからだ。そのチラシの多くは大学から送られたものだ。わざわざ学生のためにアパートの紹介をしてくれるのはありがたい、ありがたいけど……家賃が高い。
家賃十万……、こんなところに誰が住むんだ? 学生が住むわけないでしょ、とそんなことを考えながらチラシをめくっていると気になるものを発見した。
『学生限定 家賃二万五千円‼ 里見駅西口から!』
と書かれたチラシ。家賃二万五千? の文字に、茅間は眼が釘付けになっていた。
里見駅西口、大学がある東口側ではないが問題はなさそうだ。
思い立ったが吉日、茅間の座右の銘だ。早速そのチラシに書いてあった番号に電話し、後日不動産に行く約束を取り付けた。そして今日がその不動産に行く日というわけだ。
里見市については何も知らない、何も調べようとしなかった。
茅間は自分の興味のないことには、とことん無頓着な人間だった。まぁ着くまで暇だしせっかくだから話を聞いてみるか、と茅間はジュアンの言葉に意識を向ける。
「里見市は海に面した地方都市で、温暖な気候で自然豊かな場所です。街並みは里見駅を境に大きく異なります。東側には大学やショッピングモールなどの娯楽施設が多く点在しており、都市化が進んでいます。西側は南欧風の建物が多く、その先には住宅街が広がっています。東口の大学に通う学生や社会人がこちらで暮らしています。最近では観光地として注目を浴びており、今日まで多くの人々が里見市に訪れています。市長として喜ばしい限りです。海のすぐそばに位置しているので新鮮な魚介類が味わえますよ、ぜひご堪能下さい。それと———」
「あの、聞いてもいいですか?」
茅間が里見市に興味が湧いてきた最中、ジュアンの声がある声に遮られた。
「……はい!?」
突然の出来事に数テンポ返事が遅れる。当然だ、見ず知らずの他人に話しかけられた経験なんてほとんどない。茅間は声の主である隣の少女へと視線を向ける。相手もこちらを見つめていた。少女は申し訳なさそうに、
「すみません。あの、ちょっといいですか?」
「あ、はい。大丈夫です」
「えっと、里見市に着くのが楽しみですか? 凄く楽しそうにしていましたけど、それとも他に何か理由があるんですか?」
少女はおとなしそうな見かけによらず、ぐいぐい聞いてくる。
「……そうですね、里見市に着くのは楽しみですよ。それに、私バスに乗るのが好きなんだと思います、何で好きなのかはわかりませんけど。何となく」
こんな曖昧な答えで良かったのか? でも他に理由らしい理由が無いのだからしょうがない。
「なるほど、ありがとうございます。こんなくだらない質問に答えていただいて」
どういうわけか茅間の答えに納得したらしく、少女は何度もお辞儀をした。
「いえいえ、そんなことないですよ! 話し相手が出来てよかったですし、……私からも聞いてもいいですか?」
「はい、何でしょう?」
「バスに遅れてきたのって、道に迷ったからですか?」
「……はい。お恥ずかしい話、途中でバス停の場所がわからなくなってしまいまして」
「やっぱり! 私も今日道に迷っちゃったんですよ、方向音痴なもので」
人の不幸に何を喜んでいるんだ私は…… と話しながら自己嫌悪が襲ってきたが、それ以上に予想が的中したことと、やっぱり同じ境遇だったことに歓喜した。
「すみません、急に騒いでしまって。あ、自己紹介がまだでしたね、私は茅間花って言います。芽生えるのめに間に花って書いて茅間花」
「私は、せんり……紫崎千里です」
「紫崎……、よろしくお願いします紫崎さん」
「こちらこそよろしくお願いします」
二人はお互いに頭を下げる。相手から話しかけられたことと、自分と同じものを見出した茅間は自然と名前を名乗ってしまった。
「紫崎さんは何しに里見まで? 観光ですか?」
「いえ、私は……知り合いに会うために来たんです。里見市に住んでいると聞いたので」
「なるほど、そうだったんですか」
「でもその人の居場所がわからなくて……」
「住所がわからないってこと?」紫崎は頷く。「なら、よかったら不動産に一緒に行かない? そこなら、知り合いの住所がわかるかもしれないし。私も丁度用事があるから」
紫崎はしばらく考える。
「……そうですね、ご一緒させてもらってもいいですか?」
「うん、大丈夫だよ!」
そして二人は少し話をした。といっても一方的に茅間がしゃべって紫崎はただ聞いていただけだったが、彼女もそれを楽しそうに聞いていた。紫崎はどうやら世間の情報に疎いらしく、去年の流行語大賞の話など、どちらかといえばあまり面白くない話だったが、 しゃべるたびに笑みを浮かべる紫崎を見て、茅間は楽しくなっていった。
「そういえば前にいる二人、外国人? なんか白髪で美男美女って感じだよね」茅間は前の座席にいる二人に聞こえないように小声で話す。
「そうですね、なんだか背が高くて少し怖い気もしますけど。———? 二人? それってどういうことです?」続けて紫崎は、「前に座っているのは一人ですよね?」
やってしまった、と思いながらすぐに茅間は答える。
「あれ? 今私二人って言ってた? ごめん一人だ、一人。なんで私二人だなんて言ったんだろう? ハハッ」
我ながら、下手くそな繕い方に嫌気がさす。
「……、言い間違えでしたか。すみません、細かいことを」
紫崎はお辞儀しながら謝る。
「ぜんぜん、全然大丈夫だよ!」
茅間は手や首と横に振りながら答える。
「皆様、このトンネルを抜けると里見市に到着いたします。もう少々お待ちください」
ジュアンの言葉と同時に、バスは長いトンネルへと入る。
「あ、もうすぐ着きますね。———そういえばさっき話していた知り合いってどんな方なんですか?」
「……私にもわからないです初めて会うので。でも、名前は聞いています」
紫崎は一呼吸おいて、
「名前はウィル・オリバーン」
「ウィル? 男の人?」
「わかりません。本当に名前くらいしか聞いてないので」
紫崎は俯いてどこか悲しい表情を見せる、まるで親を見失った幼い迷子のように。
「探すのは大変そうだね」
「はい……」
と会話をしていると、道路の先から光が近づいてくるのが見える。出口だ。白い光は物凄いスピードで目に飛び込んでくる。そしてすかさず右から青い光が差し、茅間は目を向ける。
海だ。
ここはどうやら里見市の最西端らしい。すぐ隣に海岸があり、バスはその海岸沿いに走っていた。この時期だから多くはないが、海パン一丁でサーフィンを楽しんでいる人たちはまだいた。
「茅間さん……」
紫崎が後ろを指さしながら呟く。茅間は右に向けていた体を今度は後ろに向ける。すると、多くの白い建物が目の前に飛び出してきた。白い壁にオレンジ色の瓦屋根。たしかに日本にいるとは思えない街並みだ。
あっけにとられていた茅間は視界の端に緑色の看板を捉えた。そこには『ようこそ里見駅へ』の文字が、どうやら目的地に着いたようだ。
「お待たせ致しました。里見駅に到着いたします。お忘れ物のないようお気を付けください」
バスは停車する。
「それじゃ行きましょうか、紫崎さん」
「はい」
そうして、茅間花と紫崎千里は里見の地に降り立つ。