貴族から見た『彼と彼女』
「やっぱり、この辺りに下に行ける入口はないか」
「みたいッスねぇ。隊長の方はなにか発見はあったッスか?」
いつもと同じ、焚火を囲んでの会議が進む。
俺とテッサ、アシュリーとヴィレッタ、そして……新人と彼――トール。
探索に出ていたそれぞれの報告が終わり、互いに意見を交わし合っている。
服を汚してしまったと言うトールは、いつもの白くて襟の目立つシャツではなくて、ちょっと柄のついた服に着替えていた。
「ん~、やっぱり引っ越しは早いか?」
「どうでしょう? そもそも入口が本当にあるかどうかも不明なら、好き勝手に行動しちゃって構わないと思いますよぉ?」
拠点で一人留守番していたためか、いつもに比べて不機嫌に見えるアオイがそう提案する。
「今は広範囲の探索も兼ねて、行動圏を広げる事が大事だと思うわ。君達が見つけた他のスキル・ホルダー……って、アタシ達は呼称しているけど、その痕跡が見つかる可能性はあるし、あるいは生き残りと接触できるかもしれないわ」
「ん。なるほど」
アシュリーの奴も、やはり今は大人しくしておくのが妥当だと判断したのだろう。
すっかりいつものペースに戻ってトールと話している。
……忌々しいとは思う。
だが、その切り替えの早さは見習うべきだと思った。
一方ヴィレッタは、会議そのものよりもトールから色んな事を学習することに興味を示している。
珍しくトールの横に座ったと思ったら、今日の食事――肉と野草のソテーを食べるのに、歪なスプーンではなく『ハシ』という二本の棒の持ち方と使い方をトールから教わりながら、ちょっとずつ食べている。
ひょっとして、アオイが不機嫌なのはこれだろうか?
いつもならトールの左か右のどちらかにいるのだが、今日はヴィレッタとクラウが隣を占領している。
アオイが今座っているのは、クラウのそのまた隣だ。
「アオイ、草履の出来はどう?」
ただ、微妙に漏れているその不機嫌さも、トールが話しかける間には薄れる。
「はい、問題ありません♪ ……いや、贅沢言えば、次に作る時はもうちょっと厚くした方が良かったかなぁと思いますぅ」
「……ちょっと痛い?」
「いえ、小石が刺さったりすることは無いんですけど……まぁ、でも地面の形にすぐ曲がっちゃうので」
今アオイが履いているのは、先日トールが頑張って編んでいたサンダルだ。
細長くて硬い植物を使って足形のフレームを組む。この時、縦方向にもいくつか形を整えるためのフレームを用意し、今度はそこに同じ植物のツタを編み込む。
と、いう非常に地味で面倒な作業を頑張っていたのがトールだ。
ヴィレッタも確か手伝っていたな。
「歩きづらい?」
「はい……普段履きにはいいんですけど、獣罠の確認やお引っ越しのようにちょっと長い間歩く時は、一応今まで通りの履き物を使おうと思っていますぅ」
アオイの報告に、トールが顔をしかめる。
かなり重要な問題だと感じたのだろう。
「足の負担軽減はかなり大事だと俺は思う。……クラウ」
隣で黙々と野草を食べているクラウが、肩を僅かに跳ねさせる。
「あ、あぁ。なんだい、リーダー君?」
話を聞くと、帰り道でトールが怪我をしてしまったらしい。服が汚れたのもその所為だとか。
例の『自己再生』が発動したために傷一つなく帰還したが、クラウはそれを気まずく思っているのか……あるいは、なにかやらかしたのか。
このリーダーの悪い所は、仮に何かあったとしても恐らく抱え込むだろう事だ。
(とはいえ、アオイが動かないと言う事は、そこまで緊急性は低いのか?)
緊急性が低いのか、あるいはトールがあの時の様に自らの犠牲が必要だと思っているのか。
やはり、下の人間にこうもハラハラさせるという点だけは、トールはあまりにリーダーらしくない。
「錬金術で、こう言う素材作れる?」
そう言ってトールが差すのは、自分の履き物の底だ。
「あぁ、ゴムか。……そういう木があれば、としか」
「モノさえあれば加工は容易い?」
「まぁ、靴程度なら大丈夫だ」
クラウの回答に満足したのか、トールは自分の器に残った鹿肉を平らげ、フライパンにまだ残っているソテーを器に盛る。
「それじゃあ、明日は俺とクラウでちょっとそこら辺に目当ての木があるかどうか探索するから、残る面子で少しずつ荷物をまとめておいてくれないか?」
「海に行くッスか?」
そういえば、海を楽しみにしていたにしてはテッサも少々元気がない。
「あぁ、本格的に引っ越そう。魚用の罠の類は向こうでも使えるだろうし、奥の方から徐々に回収。獣罠も少しずつ減らして……海への道中で仕掛け直そう。理想としては、林の辺りから一日で行ける範囲だ」
「それなら、長距離の移動に慣れてるアタシに任せてちょうだい。道中君達が作ったシェルターを寝床にすれば、二日で目ぼしい所に仕掛けて戻って来れるわ」
「採用。幸い、肉は結構ある。必要なだけ食糧を持っていってくれ」
むしろアシュリーの方が少し気分が高揚しているように見える。
まぁ自分達の世界では、綺麗な海などどこにも無かったから仕方ない。
「その……リーダー君、大丈夫なのか?」
「? 何が?」
「なにがって……その、怪我の事だ」
「いや再生するし、再生したし。……いいんじゃないか?」
「……すまない、アイツが。本当にすまない」
アイツ?
「まぁまぁ。とりあえず行動予定は決まったんですし、あとは自由に動きましょうよぉ♪ 私も少しトールさんとちょっとお話したい事ありましたし……今日は解散ということでぇ♪」
あ、おい、ちょっと待ってくれ。僕もトールと少し話をしたいのだが――
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
なんとなく声をかけるタイミングを失い、こっそり二人の後をこっそりついて行く事になった。
そもそも具体的に、トールと何かについて話したい事があったわけじゃない。
ただ他愛も無い話をしたかった。
彼について、探り――というほどでもなかったが、ただ……もっと深く知りたいとは思った。
以前の様に、利用しようという気持ちはない……と、思う。思いたい。いや――
(彼とアオイの二人が後ろ盾になってくれるのならば心強いとは思うのは確か、か)
おそらく、そういう物は鳴りを潜めているだけであって、そういう汚い所はきっかけ一つで浮かび上がってくるのだろう。
だから、逆に思う。
彼はどうなのだろうと。
トールという男が、汚い所を見せるとしたらどういうときなのだろうか。
追いつめられた時か、気を緩めた時か、動揺した時か空腹の時か……
(人の汚い所をみたいなど……高潔な貴族には程遠いな)
もっとも自分が嫌っていた、粗探しばかり行う貴族とやっている事が変わらない事に気がつく。
足を止めようかとも思うが、その意識と裏腹に自分の足は物音を消すように動いていた。
しばらく歩いた先は、拠点からそこそこ離れた場所。湖のほとり――いや、川の下流側と言うべきか。
確か、魚籠の仕掛け場所の辺りだったか。
一応の光源として枯れ草に火を移して来ていた二人は、それで簡単な焚き木を焚いて適当に腰を下ろす。
「トールさん、まずは私から」
最初に口を開いたのは、やはり呼び出したアオイだった。
「申し訳ありませんでした。私の見極めが甘かったです」
その表情はいつもの笑っている顔ではなかった。
あの時、トールを斬った時のような冷たい顔でもなかった。
小さい焚火という頼りない光源に照らされた彼女の顔は、心から何かを悔やんでいるような、ひどく沈痛な面持ちだった。
そして、トールに向かって深く頭を下げていた。
「話ってやっぱそれか」
トールは、小さく苦笑してアオイに向き合う。
「大丈夫、アイツと二人で話したいって言ったのは俺だし、特に問題はない。一番確認したかった事も確認できたし。……とりあえず顔を上げてくれ。謝られるのは筋違いだ」
対してトールも、口調こそ軽いが真面目に受け答える。
(やはり、クラウの事か?)
今日の事だとすれば、トールと深く関われるのは彼女しかいない。
「……斬りますか?」
トールの言葉を聞いて顔をあげたアオイが、トールにそう尋ねる。
「んや、いい。とりあえずアイツには出来るだけ付き合うつもり」
「……こういう言い方もあれですが、私の眼を欺けるほどの擬態持ちは斬っておきたいのですが」
「擬態じゃない。お前がクラウは危険じゃないって思ったのなら、それは間違いじゃないよ」
トールの良く分からない言葉に、アオイは眼をパチクリさせてしばしトールを見つめる。
そして小さく息を飲み――
「――そう言う事ですか」
「ん」
互いに、短い言葉だけをかけ合う。
恐らく、それだけで伝わったのだろう。
「どうするおつもりですか?」
「言ったとおり、出来るだけ付き合う」
「……殺されない保障はありませんよ。自己再生があると言っても」
「そん時は……そん時はそうだな。判断はアオイに任せる」
トールの口調は、どこまでも普通だ。
いつもとなんにも変わらない。
そして、その詳細は分からずとも言っている事はシンプルだった。
この男は、また命を懸けている。
「ただ、出来ればどちらも許してやってくれ」
「……文字通り、身体と生命を懸けるアナタがそう望むのでしたら」
「スマン。アイツラの状況が解決できるまでどれだけかかるか分からんけど、少しだけ堪えてくれ」
「はい」
アオイとしては、不本意な所がやはりあるのだろう。
珍しく苦虫を噛み潰した顔で、不承不承と言った様子でトールの言葉を肯定する。
「大丈夫、いい奴……とまではさすがに言えんけど、根は悪い奴じゃないよ」
「そこは、実際に話したトールさんを信じます。ただ、トールさん」
「ん?」
アオイは、言おうかどうか迷ったのか、あるいは違う理由か。
少し困ったような顔をした後、いつもの笑顔に戻る。
そして、こう言うのだ。
「もう、我慢しなくてもいいですよ?」
それを聞いたトールの表情は――見えなかった。
最初はボーっとしていたが、突然自分からは見えない方に、川の方へと顔を向けた。
そして……激しく嘔吐した。
何度も嘔吐く音と、不快な水音が響く。
アオイはそっとその横に近づくと、静かに背中をさすりだす。
吐く物も無くなったのか、ただ嘔吐く音だけが響くようになっても。
それすら終わってトールが川の水で口を洗っても。
疲れ果てたのか、そのままトールが倒れ込むように寝ても。
アオイという女は、トールを抱き支えて、膝に彼の頭を乗せて、自分の着ていたマントの様な上着をかけて――何も言わずにトールの傍にいた。
表情は見えない。
トールがどういう顔で寝ているのかも、アオイがどういう顔で膝を貸しているのかも分からない。
ただ……入れない。
入れないと、強く感じた。
(……敵わないな)
役立たずには成りたくなかった。
それはそのまま、元の場所の自分のまんまだから。
女としてしか必要とされなかった自分のまんまだから。
だから、トールと話がしたかったのかもしれない。
何を求めて、何を嫌い、何を好むのか知って……頼られたかった。これまでの様に。これまで以上に。
だが、思う。
(君には……敵わないな。トール)
戦場ではない。明確な敵がいるわけではないのに、彼自身にとっては明確なのだろうナニカのためにそこらの兵士や将よりも命を懸けているトールの姿が、なによりも眩しく感じる。
命を懸けた結果、確かな何かを得つつある彼の姿が。
今になって、分かった気がする。
自分がトールに対して、嫌な気持ちを抱いてしまうこれは――多分、妬みなんだろうと。
アオイという、確かに全幅の信頼を預けてくれる部下――いや仲間がいることに。
そして、アオイや他の人間を文字通り体で受け止めようとするその姿勢に。
(……戻ろう)
来た時同様、静かに足音を消して来た道を戻る。
この場所は、彼と彼女の場だ。
今の……あぁ、今の自分では入る事が出来ない場なのだ。





