諸人の上に、夜の帳が下りるように ②
フォスファーと協力できない以上、薬草園に行くしかない。
わたしには、それしか選択肢が残されていない。
こうなったら問題は、薬草園でどう立ち回るかだ。
薬草園は無人か。
ドミナだけが居るか。ベルガだけが居るか……二人とも居るか。
わたしは考える。
……二人とも居たら退却する。勝ち目が全くない。ベルガがわたしを捕まえようと距離を詰めてくる間に、ドミナの攻撃準備が整ってしまう。
……無人だったら、考える。二人がどこかに隠れて見張っているかも知れない。隠れてどちらかが出て来るか、入って行くのを待つ。
……ドミナだけなら、やはり考える。ベルガは近くに居そうか、居るならば退却、居なければドミナを倒せそうな状況かを観察する……観察して、ダメそうなら尾行してティトが監禁されている場所を明らかにしたい。
……ベルガだけだった場合、やはりドミナが近くに居るか確かめる必要があるが、片足の無いドミナはそんなに速く動けない。「騎士詠法」という技は恐ろしいが、いくらなんでも遠方から短時間で火の粉は飛ばせない。
◆◇◆
ドミナの術は、かなり接近しなければ視認できない微小な火の粉を撒き散らし、任意に着火して爆裂の連鎖を起こすというもの。
たぶん、最大で放ったら、一発で人間くらい死なせられる威力がある。
しかもドミナは術の制御にも長けていて強弱を調整できる。「気絶させるくらい」と思えば、その通りに術の威力を調整してくる。
ただ……弱点がある。
まず、自動追尾ではない。ドミナが「着火する」と決めた時にだけ、火の粉は爆発する。着火されない時には、火の粉はただ漂っている。
そして、火の粉をばら撒くためには、ドミナ自身が歩き回らなければならない。
一度撒かれた火の粉は長時間、長距離に渡って維持するが「火の粉を撒かれる」のは、ドミナの周辺でしか行われない。
黒いヤモリが巣食っていた屋敷で起こった事がそうだった。
ドミナは、歩いて来た廊下に火の粉をばら撒いていた。
ドミナの術は速いが、それは事前の準備あってのもの。
攻略法はここにある。
ドミナが眠ったりして意識を失っている時や、大きな傷を負ったりして術への集中を途切れらせた時……あるいは、火の粉を発見しやすい夜闇。
そんな時になら、ドミナを倒せる可能性がある……独りでも。
薬草園に居るのがベルガだけの場合――ここに狙いを定め、勝負を仕掛ける。
やっつけて、ドミナを守る壁を崩す。
わたしは、ティトのがらくた箱の中から、刃先の欠けたナイフを取り出す。
(やっつける……)
ここに来てわたしは「やっつける」という言葉の意味について考え、逡巡した。
ドミナやベルガをやっつけるということは、結果的にどういうことになるなのだろう。
生命に別状が無いくらいに痛めつけて、ティトを酷い目に遭わせたという事に改心を促すことか? わたしの力でそれが出来るのか?
それとも……。
◆◇◆
夕方、火の粉を視認しやすいと判断した時刻――暗さを見計らって、わたしは薬草園を目指す。
鉢植えの小路を抜けて、鉄柵を開け薬草園に至るというのが、いつも通る道。
わたしは、また少し考える。
ドミナにせよベルガにせよ、必ずしも薬草園の最奥、魔樹の前で待ち構えているとは限らない。
入口である鉄柵の前で、わたしが姿を現すのを待っていることも有り得る。
道を変えるか……それとも、塀から家屋の屋根に飛び移って、高所から様子を探るか……後者を選択する。
〈精霊法〉は自分の限界を無視して使い続けると、やがて気力が尽きて、足腰すら立たなくなるので、出来るだけドミナとの決戦まで温存して置きたかったが……。
発見されてしまったら、元も子もない。
近くの家の屋根に上り、身を伏せて灯りが点くのを待つ。
向こうもわたしの襲撃を警戒しているし、明かりが無いとドミナの術はより目立ってしまうから、必ず灯りを点すはず。
今、わたしの周囲には火の粉は漂っていない。ドミナは術を展開していない。
「………………」
灯りが二つだったら撤退。見つかった時点で勝ち目が無い。
灯りが一つだったら、その周辺に居るのが一人か二人か見極める。
ドミナ一人だったら様子を見る。彼女にはベルガが付き添っている。近くにいる可能性は非常に高い。
ベルガ一人だったら倒す。倒してティトの居場所を聞く。しかし彼がドミナの傍を離れることは殆ど無いので、近くにドミナがいる可能性がある。
「んー……」
改めて考えると手立てが無い――もう全ての道が塞がっている気がしてきた。
フォスファーがわたしに協力してくれていたら、少なくともティトの居場所を探る苦労は無かった。こちらの動きを知られず、先に攻撃を仕掛けることはできた。
なのに、フォスファーがわたしを信頼しないあまりに、こんな危機を迎えている。
「……ばか犬」
◆◇◆
屋根の上でむかむかとしている内に、薬草園の入口付近に火が灯った。
数は――ひとつ。どっちだ。それとも二人ともいるのか。
わたしは伏せたまま、両腕を使って屋根の縁までにじり寄り、薬草園の様子をもっと探ろうとした。
その時、灯りの近くにいる誰かが、大きな声でわたしを呼んだ。
「キル公! 出て来てくれよ! ティトのこと、嘘吐いたのは悪いと思ってる! でも、ティトは無事だ、傷一つ付けちゃいねえ!」
「………………」
「証拠がいるのか? ……証拠は無え! けどティトは何ともねえ、本当だ! 出て来て話をしようぜ。ティトが来る前だってよお、オレらは上手くやってきたじゃねえか!」
「………………」
今この時、わたしが考えていることは、わたしを宥めすかして、おびき出そうとしているベルガの言葉ではなく「ドミナは近くに居るのか?」ということだった。
すでにかなり接近している。日が沈みつつあり、辺りはかなり暗くなっているが、自分の周囲に火の粉は見受けられない。
ドミナは居ない、ベルガだけ――?
だが、まだこの自分に都合の良い状況を素直に受け入れられない。
使えそうな物はないかと、服のポケットを探ると、何枚かの銀貨に指が触れた。
とても価値のある物だと、ティトが口酸っぱく教えてくれた物だ。今こそ、その価値を発揮してもらう。
……ポケットから銀貨を一枚取り出し、放り投げた。
ベルガの背後を目掛けて。
――チャリン。
ベルガはその音に気付き、背後を振り返り、周囲を見回した。
わたしは屋根の縁で低く伏せ、見つからないように息を殺した。
もし、ドミナがここにいるのなら――銀貨が落ちた音を聞いた時点で、術を展開し始める。わたしの仕業だと気付かないドミナではない。
「………………」
周囲に火の粉は見えない……ドミナは薬草園にはいない。
なら、ここは切り抜けられる。
わたしは立ち上がり、屋根の縁を蹴り、塀を蹴って、ストンと路地に降り立った。
ベルガがこちらに振り向く。
「……キル公」
「やっつけるから。おっさんも、ドミナも」
距離は、近くもなく遠くもない。
夕闇が迫っているので、たぶん互いに表情は見えていない。
わたしは始動鍵の詠唱をしようとする。ベルガはそれを察知して突進してくる。
思いも寄らなかった――と言えば、嘘になる。
刃先の欠けたナイフを手に取った時、ちょっとは想像していた。
この先は、死闘だった。




