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本当の戦士なら ⑤

 ――毎日、お風呂に入りなさい。

   毎日、髪を梳かしなさい。そして、人に優しくしなさい――。



 その言葉を道標に、わたしは冒険へと旅立った。

「そうすれば、誰かが貴女を好きになってくれる」という、その言葉を信じて。


 毎日、お風呂に入る。髪を梳かす――これらを理解すること自体は難しくなかった。ただ、あまり現実的ではないと、暮らしていて割とすぐに気付いた。

 髪を梳かすのはともかくとして、毎日、身体を清められる程たっぷりの湯や水を用意するのは、不可能だった。


 そんな時は、お祈りをした。

「精霊よ、今日は身体を清められませんでした。どうかお許し下さい」と。

 そして、何よりも難問だったのが、人に優しくするということだった。

 優しいとはどういうことなのか。


 何をすれば、わたしは「優しい」と証明されるのか。

 どうすれば、わたしは――……。



     ◆◇◆



「――ぱちっ」


 良い夢から悪い夢へと転じる気配を感じて、わたしはそこから逃げるように、無理矢理に目を覚ました。


 地面に横たわっているわたしは、寝起きの眼を擦りもせず、ぼーっと橋の裏を見上げた後、身を起こした。

 後ろ頭と背中にくっついた枯れ草はそのまま、「ふあぁ」と大きな欠伸と背伸びをし、周囲を見回す。

 太陽はすでに、中天より西の方にずれている。


 焚き火の火は消えていて、煙の一筋も上がってはいない。火の気が無くなってから、ずいぶん時間が経っているようだ。


 ティトはいない。ばか犬……フォスファーも。


「………………」


 くうぅ……と、お腹が鳴る。

 空腹と共に、不意に寂しさを覚えた。


 この橋の下で、ティトとフォスファーと共に過ごした日々が、それこそが夢だったかのような錯覚にとらわれる。

 そんなはずはない。だって、ここには二人と一匹の生活の証がある。


 焚き火の跡。

 調味料の瓶、刃の欠けたナイフ、ヘアブラシなどを詰め込んだ木箱。

 わたしが見つけた、わたしの居場所……。


 ティトは何処かへ出かけたのだろう。フォスファーはそれについて行ったのだ。

 あのばか犬が、ティトを差し置いて、わたしと一緒に留守番などするはずが無いので、間違いない。むしろティト一人で〈影迷街〉を歩かせるより、フォスファーが一緒の方が安心だ。


 ふたりは、その内に帰ってくるだろう。

 それよりも、今は空腹を解消することが先決だ。



     ◆◇◆



 わたしは枯れ草や乾いた木の枝を集め、新たに焚き火を熾した。


 ティトが何時もやっているのを見ていたし、気が向けば手伝ったりもしていたので、その気になれば、自力で火を点すくらいは出来るのだった。

 刃先の欠けたナイフでベーコンを切り分け、生木の枝を削って尖らせた串に刺して、焚き火の炎で炙る。これもティトがやっていた。


 わたしの分と、ティトの分。

 ついでだから、ばか犬の分も焼いておいてやろう。


「………………」


 無心で火を眺めていると、ベーコンの脂が焚き火に落ちて、ぱちっという音と共に、微かな火の粉を上げた。


 火の粉――それを見て、わたしはドミナを思い浮かべる。

 とてつもなく強い――術の強さ自体は自分が上だと思えるが、もし戦ったら、たぶん負ける。


 わたしは自分が無敵で自由だと思っていた。

 しかし、うっかりドミナと出会ってしまい、目を付けられてからは、距離を置きつつ敵対しないように心掛けていた。


 ……同時に、ドミナはすでに何かに負けている可哀想な女だ、とも感じていた。

「高貴なお方の病を治療するため」と彼女は言うが、希望を目にしている者が〈影迷街〉なんかに流れ着くわけがないことくらい、わたしにだって分かる。


 ここは「どうしようもなく困ってる人」が寄り集まる場所だからだ。


 それなのに、取り返しの付かない何かを取り戻そうと、必死で無駄な足掻きを続けている女――誰よりも強くて、可哀想な女。

 わたしは、あの様にはなりたくないと思っていた。

 かといって、救ってやろうというには、ドミナはわたしより強すぎた。


 ティトをあの女に引き合わせざるを得なかったことは、不本意だった。

 ばか犬のせいだけれど、その後もティトが薬草園に行こうと言うから……。


「………………」


 ティトとフォスファーが帰ってきたら、気持ちを話して、ドミナとはもっと距離を置こうかな。

 いっそ、王都から離れてしまうのもいい。

 ばか犬もついてくるだろうから、二人と一匹の旅。


 どこに行こうかな。暖かい所が良いな。

 街道を南に進めば、ベーンブル州という暖かい地に着くというから、そこを目指すのもいいだろうな。


 でも、ティトが故郷に帰りたいと言ったらどうしよう。

 フォスファーはティトと一緒に行くだろうから……わたしも。

 ティトの両親に会った時、わたしは何と名乗れば良いだろう。「友達だ」と言っても、ティトは嫌な顔をしないだろうか。


「………………」


 焚き火を見つめ、ぼーっと思考を巡らせている内、ベーコンが焦げ始めていた。

 わたしは慌てて、ベーコンが刺さった串を焚き火から遠ざける。


 ……この日、ティトは橋の下の家に帰って来なかった。フォスファーも。

 わたしは二人と一匹分のベーコンを、一人で食べて眠った。



     ◆◇◆



 眠ろうとする時、わたしはタンポポの花のことだけを考える。

 タンポポ――かつて暮らしていた場所に咲き乱れていた花のことだけを。


 葉の形や、その葉が地面に平べったく広がっている様子、花軸が伸びて、小さな黄色い花をいくつも咲かせて、やがて綿毛になって――。


 ――そうしている内に、わたしは夢へと落ちて行く。


 周囲で物音がしたり、夢が悪夢へと転じたりしようとする時、わたしは飛び起きる。そしてまた、タンポポのことを考えて、眠ろうと試みる。

 それを繰り返して、ようやく眠りに就く。



     ◆◇◆



 翌日。

 この日に限って、早朝に目覚めた。

 まだ、ティトとフォスファーは帰らない。

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