本当の戦士なら ④
「――ネエちゃんの具合、どうなった?」
見覚えのある顔の子に、そう聞かれた。
〈影迷街〉の内でも街道に近い、比較的に安全な地域だったから、ティトはフォスファーだけを連れて歩いていた。
トゥールキルデは眠そうだったので、橋の下の家に置いてきた。
寝つきが悪いのか、大体いつも寝不足気味で、放っておくと昼近くまで寝ている。最初の頃は「怠け者だから、そんななのだ」と決めつけていたが、最近は少し違うのではないかと思い始めていた。
本人は眠ろうとしている様なのだけれど――すぐに眠りに就くことが出来ずに、明け方近くまで「眠ろう、眠ろう」と努力して、疲れ果ててようやく眠る――そんなことを繰り返している様子だった。
それに気付いたので、ティトはトゥールキルデを無理に起こすのを止めたのだった。
だから、今日も心ゆくまで寝させてあげようと思い、フォスファーに護衛を任せて買い物に出た。
そこで出会ったのが、この子だった。
◆◇◆
知り合い――という程の関わりは無いが、今、目の前に立っている子の顔は覚えていた。
ドミナたちに関わり、仕事に同行させてもらったあの日、魔物が潜む屋敷の奥に囚われていた子供の一人だった。
あの時、四人の子供を救出し、怪我が酷くて年長だった少女を、ドミナが保護したのだ。
その少女は、他の子供に「ネエちゃん」と呼ばれていた。
でも……あの子は治療されて、自由な人生を歩んでいるはず。
ドミナは「助けるが、導くことはしない」というようなことを言っていた……新たな道を見つけるのも、自身を売った親の元に帰るのも……自由だと。
なので、ティトは言った。
「……『ネエちゃん』って人、良くなったんだったら、自分でどっかに行ったんじゃない? 親のとこに帰ったとか」
心からそう思ったわけではない。
ティト自身、絶対に両親の所には帰れない。どんなに故郷が懐かしく、恋い焦がれていたとしても――帰れない。
そんなティトの心の内を映すように、子供は即座に否定した。
「そんなハズない! ネエちゃんは親に売られたんだ! だから帰ってくる所は、オイラたちのとこしかないハズなのに……オマエらに連れてかれてから、ネエちゃん帰って来ないんだ!」
「………………」
もし――もし、トゥールキルデがここに居たのなら、何か別の案を出したかも知れない。ティトにあと少し、考えられる時間が与えられていたなら、この選択は選ばなかった。
きっと怒って子供を追い払った。またはトゥールキルデに相談して、二人と一匹で事に当たった。または――、
けれど、そうしなかった。
「わ、分かった……『ネエちゃん』って人がどうなったのか、聞いてみるから」
「聞いてみるって、ダレにだよ!」
「あの日、あたいたちの他に大人が二人いたでしょ。あの人たちに、聞くから……」
結局、フォスファーだけを連れて、薬草園に向かうことに決めた。
思い返せば、腑に落ちないことがいくつもあった。それを抱えたまま。
ティトはたぶん、同じ世代の他の子供たちに比べると、人生経験が豊富で、故に賢い判断を下せる子供だった。
それを自覚していて、トゥールキルデに頼むことを選ばなかった。
――それ故に、間違った。
◆◇◆
フォスファーを連れて薬草園に赴くと、いつものようにドミナがテーブルに着き、書物を広げている。
ベルガの姿は見当たらないが、彼がドミナの傍を離れることは無いので、おそらく薬草園の植物に水を与えるなどの用事で、一時的に席を離れているのだろう。
ドミナは、書物の文面から目を離さぬまま、言った。
「今日はどうしたんだ。トゥールキルデが一緒でないとは珍しい」
「ちょっと尋ねたい、大事な話が合って」
「うん、話しなさい」
「……その前に、本を読むの止めて。大事な話って言ったでしょ」
そう話すと、ドミナは数瞬の間を置いた後、ゆっくりと本を閉じた。
肩を動かさず、首から上だけを動かしてこちらに振り向くドミナの姿に、ティトは微かに恐怖を覚えた。
あんなに――あんなに、信頼していたはずなのに。
どうして今、猛禽に狙われているような緊張を感じるのだろう。
陽光がドミナの背を照らし、逆光で表情が見えない。けど――、
「前に、黒いヤモリの魔物から守った女の子、どうなったの?」
「そんなことか? ……もちろん、治療した後に解放したさ。言ったろう、私は人を助けても、彼らのその後の人生にまでは、責任を持たな――」
「嘘。一緒に捕まってた子が言ってた。『ネエちゃん、帰って来ない』って」
あんなに信頼していたはずなのに、いくつか腑に落ちないことがあった。
まず、生業でもないのに奴隷の救出や、魔物の討伐を行っていて――それにも関わらず、植物の魔物を保護して育てていること。
これはまぁ「魔物の研究をしている」という名目があり、植物の魔物が根を張り移動できないから安全だ、という説明で納得できないことは無い。
けど――、トゥールキルデ。
あの子と、ドミナ、ベルガの関係には、どうしても違和感を拭えなかった。
なぜって……ティトが出会った時のトゥールキルデは何も知らなかった。
お金も、字も、歌も、犬という動物がいることも。
ドミナとベルガのことは、頼りになる大人だと――そう信じたいと思う。
でもそしたら、どうしてトゥールキルデは何も知らなかったのだ?
大人が愛をもって子供に接するとしたら、お金の意味や使い道を教えたはずだ。
文字を、歌を教えたはずだ。犬という身近な動物が何なのかを。
なぜ、頼りになる大人である彼女らは、トゥールキルデに教えなかったのか?
信じたいと、そう願っているけれど――何故。
緊張するティトを前に、猛禽のような女は口を開く。
「――ティト、お前は賢いな。トゥールキルデがお前を連れて来た日から……こんなことになるのではないかと懸念していた」
ドミナは静かに言った。
閉じてテーブルの上に置いた本の表紙を、擦りながら。
「お前はトゥールキルデに色々な事を教えてくれたのだな。文字や歌は……覚えが悪いようだが……動物のことや……他者を愛するすべを」
「質問に答えてない! 『ネエちゃん』って子をどうしたの!?」
「もの知らずだったトゥールキルデは、まだ扱いやすかったのだが。今日はトゥールキルデは一緒に来ていないのだったな、よし……ベルガ、頼む」
ドミナが深く息を吐いた瞬間、背後からぬっと影が差すのを察した。
今更になって、自分があまりに危険な領域に踏み入っていたのを理解した。
ティトは叫ぶ。それが最後に出来る事だった。
「フォスファー、逃げて!」
彼の逃走が成功したかを、この時のティトは見届けることが出来なかった。
栗色の毛並みが走り去るのは見た。けれど、その無事を確認することは叶わず、ティトのの口元を、熊のような大きな手が覆った。
ティトは意識を失う。
直前、耳元で「おお、かわいそうに」という声が聞こえた。




