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雌鹿の魔物 ①

 ――魔物と呼ばれる生き物が存在する。

 種として存在しているのではなく、野に生きる獣が、ある日突然――あるいは徐々に魔物と化すといわれる。


 何故、そのような生き物が存在するのか?


 創世の伝説を紐解けば、かつて世界に光・火・風・氷・土の五柱の精霊たちと、彼ら全てと等しい力を持つ一柱の闇精霊が居たという。世界を呑み込もうとする闇精霊に、光火風氷の四精霊は立ち向かい、恐れをなした土精霊は闇の軍門に下った。


 戦いの末、闇におもねった土精霊は滅ぼされた。世界を呑もうとした闇精霊は滅ぼされることは遂になかったが、永久に封印されることとなった。代償として、光火風氷の四精霊も長い眠りについた。

 我々が扱う「精霊法」に土の属性が無いのは、土精霊が滅びたためである。


 魔物が存在するのは、四精霊の封印の綻びから、闇精霊が干渉しているためである。

 闇の干渉を受けた獣が魔物と化す。そして魔物と化した獣は長く生きない。急速に闇精霊に呑まれ、物質としての肉体を維持出来なくなるからだ。しかし魔物はその短い生命の全てを破壊と殺戮に費やす。生命ある限り際限なく食べ、際限なく強くなる。


 群れを作らず、子孫を残さず、ただ世界に仇なすための生命。

 故に、我々は魔物と戦わねばならない――。



    ◆◇◆



 冒険者ギルド職員、アイオン・ベルナルにとって、この日は厄日だった。


 午前中はずっと受付業務のはずだったが、主任に「外回りに行って来い。商工ギルドに未払いの依頼料を催促しろ」とお達しを受け、やむを得ず外回りに出向くことになった。本来は後輩のリーフが担当だったはずなのだが、「あいつにはまだ無理だ。お前が行け」の一言で、無情にもその件はアイオンの管轄となったのだ。


 商工ギルドへ赴き、先方の担当者に平身低頭で事情を説明し、依頼料の振り込みをお願いする。先方の担当者は「依頼料が法外だ」だの、「こちらの要求を満たしていない」だの、勝手なことを言って来る。

アイオンは「契約書を読めよ、このバカヤロウ!」と思いつつ頭を下げる。


 契約書を引き合いにするのは、抜いてはならない伝家の宝刀だった。

 冒険者は買い手優位の商売である。依頼人が黒と言えば黒、白と言えば白だ。


 無論、契約は絶対だ。契約を反故にすることは許されない。

 だが、伝家の宝刀を抜けばその時は何とかなっても、その依頼者は「次」に冒険者ギルドを利用しない。そしてギルドに加入していないモグリの冒険者を頼り、結果、痛い目を見ることになる。

 依頼者とギルド員である冒険者、両方を守るのがギルド職員である彼の仕事だった。


 何度も頭を下げ、先方に納得してもらえたのは昼前だった。

 さすがに空腹を覚え、行きつけの〈火吹き蜥蜴亭〉に立ち寄る。ギルドの同僚に教えてもらった店だ。料理の値段はそこそこ張るものの味は良く、内装は品良く清掃も行き届いており、従業員の対応は明朗で丁寧だ。


 店内は賑わっていた。しかし中天の刻には早いせいか、空席が少ないながらも見受けられる。アイオンはそんな空いたテーブルの一つに案内された。

 テーブルに据えられているメニュー表に目を通し、元の位置に戻すのを見計らったように、ウェイトレスが注文を取りに来る。


「いらっしゃいませ! ご注文はお決まりですか?」

「今日のおすすめランチを。それからココアを」

「承りましたぁ! お飲み物は、お食事の前にされますか? ご一緒にされますか? それとも後にお持ちしますか?」


「一緒で。あぁ、すみません、やっぱり前でお願いします」

「承りましたぁ! 確認いたします。ご注文は、おすすめランチと――」


 注文を確認し、ウェイトレスが去っていく。

 アイオンは精神が擦り減る仕事をした後は、甘い飲み物を飲むことに決めていた。


 ココアは特に良い。そして近場でココアを提供する店は〈火吹き蜥蜴亭〉だけで、それゆえアイオンはこの店の常連となったのだった。

 ココアの原料となるカカオはベーンブル州の一部の地域でしか栽培されておらず、粉末にしたカカオから油脂を分離するのに大変な手間がかかるため、ココアは贅沢な飲み物といえる。それでも、あのカカオの苦味と甘みは何にも代えがたい。


「お待たせいたしましたぁ!」


 運ばれてきたココアを一口。

 うん、美味い。


 ささくれた心に滲み渡るように美味い。カカオの香り、ミルクに溶けた濃厚な旨み……そして絶妙な甘み。この一杯があるから頑張れる……。


 その後に運ばれてきた「今日のおすすめランチ」は、数種のキノコをふんだんに使用したオムライスだった。

 炒めた小麦粉に牛骨と野菜を惜しみなく加え、葡萄酒で煮込んだソースに、キノコが入っている。

 ソースが掛かった黄金色のオムレツに匙を突き刺すと、オムレツは贈り物のリボンのようにはらりと解け、ソースと共に飯を覆った。このオムレツの中にもキノコが入っていた。


 米はベーンブル産の上等な物。スープで炊かれた後、香り高くバターで炒められている。匙で掬い上げれば、湯気とバターの香りが鼻腔をくすぐる。もちろんキノコはたっぷり。

 使われているキノコは、昨年の秋に収穫され塩蔵したのを水で戻した物。採れたてに比べると風味は落ちるが、キノコが出回らないこの時期に、あえてキノコを客に振る舞おうという店主の心馳せだ。


「………………」


 アイオンは、キノコ類がどうにも苦手であった。

「今日のおすすめランチ」をよくよく確認してから注文するべきだったが、時すでに遅し。アイオンはゆっくりと時間を掛けてオムライスを咀嚼し、完食した。



    ◇◆◇



 冒険者ギルド本部に戻ったのは、中天の刻を過ぎた頃だった。

 事務室のドアを開けると、中は普段とは異なる不穏な空気に満ちていた。


 ごま塩頭のダリル主任が、後輩のリーフを怒鳴りつけている。それはいつもの光景だったが、いつもと違うのはその剣幕だった。

 ダリル主任がガンッ! と机を叩くと、その振動が足元まで伝わってくる。


「スミマセンじゃ済まねぇんだよ! 俺らの仕事を忘れたか! 冒険者の生活を、生命を守るのが俺らだ! 間違いなんか、あっちゃならねぇんだよ!」

「……はいぃ、すみません……」

「スミマセン、じゃねぇっつってんだろが!」


 ダリル主任が再び机を殴りつけ、リーフの肩がびくっと震えた。

 同僚たちはその様子を遠巻きに見ている。


 アイオンは落ち着いて給湯室に向かった。水瓶からポットに水を入れ、かまどに固形燃料を放り込む。あっという間に炎が立ったかまどの上にポットを置いた。


 続いてティーポットに安物の茶葉を入れ、カップを三つ用意する。その作業の間に、かまどの上のポットはシュンシュンと音を立てていた。灰をかけて炎を消す。沸騰した湯をティーポットに注ぎ、アイオンは簡素ながら三人分のお茶を作った。


 事務室に戻ると、変わらずダリル主任がリーフを怒鳴りつけていた。


「自分のしたことが分かってんのか! 少しの手違いで一人の生命が――!」

「……すみませぇん……」


 アイオンは二人の前にカップを置いた。


「まぁ、一息つきましょう。何があったんですか?」

「あぁ!? っ…………あぁ、そうだな」


 ダリル主任はギロリとアイオンを睨んだが、すぐに落ち着いてカップを口に運んだ。

お茶が熱かったのか不味かったのかは分からないが、ダリル主任は顔をしかめた。しかし何も文句は言わなかった。

 リーフはカップに手を付けず、青ざめた顔で項垂れていた。


「……まずいことになった」


 ダリル主任は、しかめ面のまま、カップに目を落として言った。

 アイオンはこんなダリル主任を見たことが無かった。しかめ面はいつものことだが、今日は覇気が無い。消沈しているようにも見えた。


「わたしが、わたしがいけないんですぅ」


 リーフがぽそぽそと事の経緯を説明し始める。


「……実は、ランク別の依頼書を貼る場所を間違えちゃってぇ……。〈銀〉向けの依頼書を、〈銅〉向けの掲示板に貼っちゃったんですぅ」

「なんだって?」


 つまりは、新人向けの掲示板に、間違って難易度が高いベテラン向けの依頼書が貼り出されていたということか。

 しかしそれだけなら大事には至らないはずだ。

 新人だとて、自身に達成不可能な依頼は選ばないし、選んだとしても窓口で職員が止める。「まずいことになった」というのは、自身のランクに見合わない危険な依頼を受注してしまった新人がいるということだ。


「ランクに見合わない依頼は受けれないはずだよ。受理した担当者は? なんでそんなことになった?」

「……受理したのもわたしなんですぅ。その子が持ってきた依頼書はぁ、本来なら普通に〈縁無し銅〉向けの依頼だったから、その時は間違いに気付かなかったんですぅ」


 話がややこしくなってきた。

 リーフは新人向けの掲示板に、誤ってベテラン向けの依頼書を貼ってしまった。


 そのベテラン向けの依頼書を、新人が持って来てしまった。

 リーフはその間違いに気付かずに受理してしまった。

 理由は、新人が持ってきた依頼書の内容が、まさしく新人向けだったから。


「結局、どういうことです?」

「〈銅〉向けの採取依頼と、〈銀〉以上向けの討伐依頼の場所が重なっちまったんだ」


 ダリル主任が補足する。


「南の森での『ホタルヤドリタケの採取』は新人向けの依頼だったが、折悪く、同じ南の森で『鹿の魔物の発生』が確認されちまった。そこで『ホタルヤドリタケの採取』は一旦取り下げるか、ランクと報酬を引き上げるか検討されていたんだが……」


 ダリル主任はそこで言葉を切って、じろりとリーフを見やった。


「すみませんっ! 本っ当にすみませぇん!」

「だから、スミセンで済む話じゃ――」

「落ち着きましょう。『ホタルヤドリタケの採取』を受けた人は? 連絡は?」

「コーリー・トマソンっていう女の子ですぅ。連絡は……まだ取れてません……」


 アイオンはざっと血の気が引くのを感じた。

 コーリー・トマソン。風法術士の女の子。黒っぽい茶髪で榛色の瞳。口調は礼儀正しいが、やけに威勢が良い。

 アイオンが冒険者登録を担当した、あの子に違いなかった。


 一人で〈縁無し銅〉の冒険者が魔物に遭遇したとすれば、生還の望みは薄い。

 冒険者は文字通り危険を冒す者だ。現場のミスや不測の事態で冒険者が生命を落とすことは、悲しいことだが起こり得る。


 そうした危険を少しでも減らす役割を担っているのがギルドだった。ギルドが提供した誤った情報が元で冒険者が生命を落とすなど、あってはならない事態だ。


「僕が登録を担当した子です。どうすれば……そうだ、城門に、」

「あぁ。今、城門に使いをやっている。まだ街を出てねぇかも知れねぇ。街を出てねぇなら門で止められる……」


 アイオンが咄嗟に思い付いたことを、ダリル主任はすでに実行していた。

 しかし数分後、それが無意味だったことを知らされる。

 バン! と事務室のドアが開き、若い職員が息せき切って駆け込んでくる。


「朝方、それらしい少女を南門の兵士が見ています! 認識票と依頼書を提示したことから、間違いないと思われます……」


 使いに出た若い職員が持ち帰った情報は、事務室に落胆をもたらした。


「朝方、か……」


 ダリル主任は椅子の背もたれに深く身体を預け、天井を仰いだ。

 城門を出たのが今朝であれば、何も知らないコーリー・トマソンは、とっくに現地に到着している頃だ。下手をすれば今まさに危機に陥っている可能性すらある。


 王都の近郊に、討伐が必要になるほど強大化した魔物が現れること自体がまれだ。そこにギルドの不手際。冒険者になったばかりの新人がそれに巻き込まれる……なんという不運だろうか。いや、不運では済ませられない。


「何か出来ることを。出来ることをしましょう」

「そうだな。それしかねぇ……『鹿の魔物の討伐』を緊急にする。報酬を引き上げ、受注人数の制限も無くす。それからギルド名義で『コーリー・トマソンの捜索』依頼を出せ」

「すぐに手配します!」

「……わ、わたしもお手伝いしますぅ!」


 ギルド事務室は慌ただしく動き始めた。

 しかし、渦中のコーリー・トマソンはおそらくすでに現地に到着してしまっている。魔物の潜む森に……。


 間に合うのか。もしかすれば、こうしている間にもあの少女は――。

 アイオンは不吉な考えを振り払い、依頼書の作成に取り掛かった。



     ◇◆◇



「……緊急! 緊急の依頼ですぅ!」


 その日、ギルド会館のロビーに、新しく二枚の依頼書が貼り出された。

 内容はランク〈銀〉以上の手練れに向けたもの。



 ――王都南の森で鹿の魔物が発生。討伐求む。報酬は銀貨三〇〇枚。

受注人数に制限無し。

 ――王都南の森でコーリー・トマソンの捜索。報酬は銀貨一五〇枚。

人物の特徴は黒っぽい茶髪に……。



 普段とは違う緊迫した空気に、ロビーにいた冒険者たちが掲示板の前に集まってくる。

 その中に、一際小柄な冒険者がいた。

 濃紺のローブを纏い、深く被ったフードで目元を隠したその冒険者は、依頼書を一読すると、身を翻して受付窓口ではなく会館の出口へと走って行った。


 フードから微かに覗く金の瞳には、×印が刻まれていた。

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