極光騎士団 ドミナ分隊 ⑤
「――着いた。あの家だが……様子がおかしい」
路地の角で足を止め、ドミナが言った。
義足の彼女に合わせ、ゆっくりした歩みだったので陽はかなり高くなっていた。
彼女が杖の先で指し示すのは、一軒の民家――ただの民家にしか見えないが、馬が二頭いる。
貧民街である〈影迷街〉の民家に、馬が二頭も。それに――、
「なんか、あの馬ども、弱ってるように見えますぜ」
「ベルガ、周囲を探れ。ただし屋内には入るな。危険が無いと分かったら、こちらに合図を送れ」
「へえ」
ベルガは事も無げに応えると、得物を両肩に担いで腰を落とし、素早く大胆に民家へと歩を進めて行く。
見張りが居るに決まっていると思ったティトは、押し殺した悲鳴を上げる。
「ばれるよ! 悪党が居たら、矢かなんかで撃たれちゃう!」
「平気だ。馬以外に見てる者はいない……そして、それがおかしいんだ」
いつベルガが、民家の窓から矢を射かけられるか、家から湧き出た悪漢どもに取り囲まれてしまうか……気が気ではないティトだった。
ベルガは慎重に――それでも武装した巨体は十分に目立っていたが、慎重に民家の周囲を一周し、こちらに向けて満面の笑みで、両腕で頭上に輪を作って、飛び跳ねて見せた。
「合図が来た……行くぞ」
ドミナが言う……あれが安全の合図なんだ。
すっごく安全そうだな、という状況は伝わるから、合図としては優秀な符丁なのかも知れない。緊張感が無くなるのが難点だったが。
◆◇◆
残された全員で、急いでベルガの下へと向かう。
ドミナの歩調に合わせなければいけないので、やきもきする。
安全だとは言うものの、もしも偵察に見落としがあって、民家の窓から悪党がこちらを弓矢で狙っていたら……。
激流の川を渡るような心持ちで、ティトが道路を渡り切ると、待っていたベルガが真っ先に口を開く。
「見張りはいねえです。大抵はゴロツキを装った連中が声を掛けてくるもんですが……馬には水も餌も与えられていやせん……少なくとも丸一日は」
馬は旅の命なのに、これはおかしいですぜ――と、ベルガは呟く。
ティトにも覚えがある。
商隊というのは、補給や買い付けのためでも、一所に長居するのを好まない。
何もしていなくても、食糧や水、路銀は減っていくからだ。
出来る限り、手早く補給を済ませて出立しようとするのが常。
しかも、旅に必要不可欠な馬に、水も飼葉もやっていないというのは……。
「何かあったな。ロクでもないことが……やれやれ。奴隷たちを解き放ち、商人どもを懲らしめる――それをティトに見せるつもりだったのだが、もう少し物騒なことになりそうだ」
ドミナは表情を険しくした。
違法な商人たちを拘束し、奴隷の中に歩ける者がいれば、自ら城門に向かわせ通報させる。その間にドミナたちは姿を眩ます――そんな計画だったらしいが。
「物騒なことって?」
「奴隷ではない、別の何かも輸送していたようだ……愚かな」
ドミナは吐き捨てると、杖をベルガに預け、右手を腰の剣の柄に添えた。
その唇から、力ある言葉が漏れ出す。
「――《猛火の種子は萌芽せよ、天に伸びゆく蔓とならん》」
チッ、という小さな擦過音と共に、ドミナの周囲に無数の火の粉が散ったかと思うと、それらは一瞬にして、幻のように掻き消えた。
ドミナは、トゥールキルデの頭にぽんと手を乗せると言った。
「お前は覚えないだろうが、見て知っておきなさい。これが〈騎士詠法〉だ」
「……わたしには、いらない」
「お前は学ぶのが嫌いだからな……それで良いんだ、トゥールキルデ」
トゥールキルデの頭を撫でるドミナに、ティトは少しばかりの違和感を覚える。
しかし、それよりも気になるのは、ドミナが唱えた言葉。
あれは、もしかして……。
(精霊法っていうやつ……?)
だとしたら、実際に使う人を初めて目の当たりにした。
にしても、自身の周囲に一瞬だけ火の粉を撒き散らすという、ずいぶんと地味な術であるように思えたが――。
◆◇◆
扉には当然、錠が掛かっていた。
そこでベルガが力まかせに手斧を打ちつけ、蝶番を破壊する。
「せっかく昼に来た意味が無くなってしまった」
そうぼやきながら、ドミナは率先して薄暗い屋内へと足を踏み入れる。
不思議なことに、内側から鍵が掛かっていたにも関わらず、人の気配が感じられない。壊された扉の隙間から差し込む光に、舞い上がった埃が道筋を示していた。
「杖をよこせ」
振り向きもせずに命じたドミナに、ベルガは両手で杖を差し出す。
そして、ドミナは杖で床や壁を突きながら、暗い廊下を歩き始めた。
外側からは、こんな奥行きのある屋敷には見えなかったのだが。
「建物に高さがあると外から目立つ。平屋で広く作っているのだ。塀も四角くは囲っていない」
「どうしやす、ドアを片っ端から開け放って、しらみつぶしに探しやすか」
「閉じている部屋を探索する必要は無い。この事態を引き起こした『敵』に、いちいちドアを開け閉めする習慣があるとは思えない……むしろ、開いているドアを探せ」
ドミナがそう言ったそばから、一行は廊下の前方に開きかけのドアを見つけた。
薄暗い廊下の中、その部屋から漏れ出す灯りが、かえって不気味さを引き立たせていた。
近付くと、血液と思しき染みが点々と、その部屋から廊下の奥へと続いている。
「ぐるるる……!」
ここに来て、フォスファーが警戒を露わにして唸り始める。
ティトは思わす、隣を歩いていたトゥールキルデの手を握り締めた。
しんがりのベルガが周囲を見回し――、
「この部屋を先に調べる。血の跡はそれからだ」
冷静なドミナが決断を下した。
◆◇◆
そこは居間のような、くつろぐための部屋であったようだった。四人掛けのテーブルが二脚あり、それらをくっつけて大きな食卓をこしらえていた。
そして、その部屋の床には――男の死体が二人分、転がっていた。
「ひっ」
ティトは息を呑んだが、思いの外、衝撃を強くは受けなかった。
それらの死体の周囲には、血が飛び散っていなかったからだ。
「……仲間割れ、ですかねえ?」
ベルガがそう口にしたが、ドミナはそれぞれの死体の傍に跪き、検分を始める。
やがて立ち上がったドミナは、皆に振り返って言った。
「少なくとも仲間割れではない。見ろ……いや、トゥールキルデとティトは、見なくて良い……頭部や頸部に損傷はなく、腹部に穴が空いている」
見なくて良いと言われても、目に入ってしまう。
なるほど、ドミナの言う通り、頭に殴られた痕や、首に斬りつけられた痕は見受けられない。腹部の穴、というのは怖くて視線を向けられなかったが。
「人間同士で争った痕跡ではない。人ならざる者に襲われたのだ。血を啜り、肝臓だけ喰ってある……やけに偏食な奴だ、魔物にしては」
魔物……そうドミナは言った。
「まっ、魔物!?」
「まず間違いない。たぶん、こいつらは強大化する前の魔物を生きたまま運んでいた……冒険者ギルドでは『魔物討伐』は破格の報酬だ……こいつら自身は依頼を受けられないが、正規の冒険者を唆して、上前をはねようという魂胆でもあったのだろう」
予想よりも早く魔物が強大化してしまったのだろう、とドミナは続けた。
では、この死体は魔物の餌食になった犠牲者。
そして――。
「馬二頭を擁する商隊の規模に対して、この死体となった男二人だけでは少なすぎる、不釣り合いだ。もっと人員は多くいたのだろう」
「魔物に、た、食べられちゃったってこと……?」
「いや、きっと大多数は逃げたのだ。この二人が犠牲になっている間に。我先に屋敷の外へと逃げ出し、魔物が追いかけて来ないよう、外側から錠を掛けた――」
と、いうことは――、
顔色を青くしたティトの心情を肯定するように、ドミナは言う。
「私たちが到着した時、錠前は掛けられており、扉も破られてはいなかった……魔物は、まだこの屋内にいる」




