極光騎士団 ドミナ分隊 ①
翌日、改めて「ぎんかをくれるおっさん」とやらに会いに行くというトゥールキルデに、同行する運びとなった。
前を歩く彼女に、犬のフォスファーは「ぐるるる……」と威嚇しており、トゥールキルデの背中からは、苛立ちが伝わってくる。
「あのさ。犬って、人が苛立ってるのも敏感に察するって言うよ?」
「わたしは何もしてない。その犬が勝手に突っかかって来るの!」
それはそうかも知れないけど。
確かにトゥールキルデが何かをしたから嫌われたというのでもなく、初めからフォスファーは彼女を嫌っていた。
……理由は分からないけれど。
ともあれ、トゥールキルデは仕事にティトたちが同行することを許した。しつこいので根負けしたと言い替えても良いが。
いくつもの角を曲がり、変わり映えのしない白壁に挟まれた道を、ひたすら歩き、そろそろ帰り道が覚束なくなり、ティトが不安を感じ始めた時――その光景は開けた。
◆◇◆
緑だった。植物の色。
白い漆喰に塗り固められた迷路のような〈影迷街〉の中央にあって、こんなに緑が生い茂っている場所があったとは、ティトは露ほども知らなかった。
自分たちが暮らしている川辺や、城門に続く大道のような比較的安全な場所以外で、こんなに豊かに緑が茂っている所があったのか……。
そこは自然に植物が生えているのではなく、誰かが手入れをして維持している場所のようだった。道の両脇の植物たちは、全て鉢に植えられていた。
その間を通り過ぎると、ふわっと嗅ぎ慣れない香気がティトの鼻をくすぐる。
ただの雑草ではなく、何かの薬草が集められて栽培されているのだろうか。
きょろきょろしているティトとフォスファーとは対照的に、トゥールキルデは植物になど目もくれず、真っ直ぐに歩を進め、突き当たりにある鉄柵に手をかけて押し開いた。
ぎぎぎ、と耳に優しくない軋む音がした。
◆◇◆
鉄柵の内側は、さっき通り過ぎた路以上の、緑の楽園だった。
花が咲き乱れ――というわけではなかったが、様々な植物の葉が生い茂っており、中には慎ましやかな花を綻ばせているものもある。
植物由来の甘い匂い、香辛料のような匂い、単純な青臭い匂い……そんな匂いがここには充満していた。
――薬草園。この場所に呼び名を付けるとしたら、それが相応しいだろう。
〈影迷街〉にこんな場所があったなんて。
ティトは言葉も無く感動した。
石を連ねた小路が薬草園の奥まで続いており、奥には白壁の小さな家。
その可愛らしい家の前では、身長七尺に及ぼうかという髭もじゃの大男が、じょうろで植物たちに水を注いでいる。
(なんか山賊みたいな人がいる――!?)
ティト身を竦ませるのと同時、その大男もこちらに気付いた。
肩をいからせ、ずんずんと近付いてくる。その手に持ったじょうろが、まるでティーポットのように小さく見える。
ティトは逃げたくなった。
フォスファーは警戒してティトの前に立ち塞がったが、トゥールキルデは微動だにしない。
二人と一匹の目の前まで来ると、男は大声で言った。
「キル公! おめえ、なんで昨日来なかったんでい!」
「いろいろ、あったの。あと、おっさんは声が大きいから少し静かに喋って。ティトがびっくりするから」
「色々ってなぁ、なんでい! それに、ティト……ティトぉ?」
大男は、初めてティトに気が付いたようで、睨みつけるように視線を向けた。
ティトの前にはフォスファーが立ち塞がり、大男に対して威嚇をしている。
「……ティトってのは、この犬か?」
「『ティト』はそっちの子。これは『犬』」
「フォスファーだよっ! 『犬』じゃなくてフォスファー!」
ティトが咄嗟に訂正すると、大男はしばし固まって考えたあと、ガハハと腹を抱えて笑い始めた。余程ツボに嵌ったらしく、ヒィーヒィーと息を切らした挙句、指をティトに突きつけて言った。
「飼い犬の名前は『一番星』なのに、おめえの名前は『賢い犬』なのか? ……逆じゃねえのか? はははっ!」
「………………」
ティトがじっとりと睨むと、大男は笑うのを止めた。
後ろ頭を掻きながら、頭を垂れてしゅんと肩を落とす。
「悪ぃ……嬢ちゃん、おめえの名前を馬鹿にするつもりじゃなかった、かわいそうに。オレはこんな奴なんだ。許してくれ……それよりキル公!」
「なんなの。おっさんはうるさい」
「おっさんと呼ぶのはいい加減にやめろ、ベルガと呼べ! 無事だったのは良い。だが……ここのことは、オレたちだけの秘密だって、ずっと言ってたじゃねえか。なんで連れて来た!」
「ティトと犬のこと? ……撒けなかった、それだけ」
トゥールキルデが悪びれもせずに言うと、大男――ベルガは「なんだとう」と再び肩をいからせた。
このままでは、トゥールキルデがぶっ飛ばされて死んでしまうかも知れない。
あたふたするティトと、睨み合うトゥールキルデと大男の向こう側で、小さな家のドアノブが、かたんと回った。
◆◇◆
「――騒がしいな。ベルガ、水やりは終わったのか……おや、」
家の中から出て来たのは、杖をついた一人の女性だった。
途端にベルガはかしこまり、トゥールキルデは口を結んだ。
かつん、かつんと杖を突きながら歩み寄るその女性は、まだ若く見えた。
低い声の調子から、老女のように思えたが、近くで目にすると三十代から四十代くらいに見える。杖を突いているのは……左足が無いからだ。
片足が無いので、硬い木の棒の義足をつけて、杖を突いて歩いている。
そして、腰の後ろには剣をぶら下げていた。
緩やかに湾曲した、柄の長い剣――。
「――トゥールキルデが、友達を連れて来たのか。いいじゃないか。ベルガ、もてなしてやりなさい」
「いや、ですが、」
「いいんだ。丁度、昼食の準備をするところだったろう。二人と一匹ぶん、多めに用意すれば良いだけのことだ……トゥールキルデの友達なら、私も仲良くしたい」
「へえ、分かりやした」
ベルガは眉尻を下げ、口をへの字に曲げて返事をした。
体格が大きい上に、感情の起伏が激しそうな男だった。怒ったり落ち込んだり。
濡らした布で両手を拭い、その巨体に不似合いなエプロンを身に付けると、ベルガはトゥールキルデに向かってにやりと笑って見せた。
「やいキル公、おめえ良い時に来たな……今日の昼飯は豪勢だぞ! うずらだ!」
「ふうん」
しかし、トゥールキルデはあまり興味を示さず、薬草園に据えられた円卓の椅子に、すとんと腰を下ろした。
お客さん宜しく、タダ飯が出来上がるまで座って待つ構えだ。
ベルガの額に、血管が浮き出ているのを見て、ティトは慌てて申し出る。
「良かったら、あたいが手伝うよ! 料理は得意じゃないけど、ちょっとは出来るから」
「嬢ちゃん……おめえの爪の垢を煎じて、キル公に飲ませてやりてえ」
「ティトでいいよ。えっと……ベルガさん」
言うと、ベルガはしばしの間きょとんとした後、大口を開けてガハハと笑った。
「『さん』なんて呼ばれたのは生まれて初めてだぜ! いや違うか。キル公にはいつも、おっさんと呼ばれてるからな!」
ティトは少し警戒心を解いた。
こんなに陽気で気が好くて、こちらが子供だからといって搾取しようとしない大人が〈影迷街〉に存在しているなんて、思いもしなかった。
料理を手伝ってもらうから着いて来てくれ、とベルガが言うので、ティトは彼の後に続いて家の台所へと向かった。
振り返ると、義足の女性が、トゥールキルデと同じ円卓に着いているのが見えた。
女性は卓の上に書物を広げ、目を通している。
トゥールキルデは、たまたま卓の上にとまったテントウムシの進路を、指で塞ぐ意地悪をして、暇をつぶしている。
二人の間に会話は無いが、気兼ねなく打ち解けている雰囲気に思えた。
◆◇◆
不意に、ティトは少し寂しさを感じた。
自分にとっては橋の下の生活が全てで、それだけが守るべきものだったが――トゥールキルデには、こんな世界もあったのだ。それが寂しかった。




