表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
79/210

影迷街のティト ⑤

「――ふぁーふぁーふぁー♪」

「……う、うぅ」


 どうにも寝苦しい……目を覚ますと、案の定、トゥールキルデが歌のような何かを口ずさんでいた。

 寝ぼけ眼を擦りつつ、周囲をうかがう。


 いつもの場所、川辺の葦原に隠された橋の下の家。すでに夜は白み始めていた。

 ティトは出来るだけ早朝のうちに、炊事を済ませてしまうよう心掛けていた。

 日中や夜間に焚き火を焚くと、大人に見つかり易くなる。

 朝に作った食事を一日かけて食べるのだ。そうすれば昼と夜は焚き火を大きくしなくて済む。


 普段なら、ティトがその日の食事の準備をし出してから、のそのそと起き出してくるのが常なのに、今日は珍しくトゥールキルデが早起きだ。


 ――こんな日は、トゥールキルデが「仕事」をしに行く日。



     ◆◇◆



 ティトは、何度か同行を申し入れたが、トゥールキルデが首を縦に振ったことは今のところない。

 後をつけても、たちまち感付かれて撒かれてしまう。

 買い物に付き添うのは構わないが、「仕事」に付いてくるのは駄目だという。

 理由を聞けば、


「おっさんが『誰にも言うな、オレたちだけの秘密だ』っていうから」


 などと、あっけらかんと言うものだから、ティトはまたも不安になった。

 何も知らないのを良いことに、金銭以外のものを搾取されているのでは。


「……おまえ、もしかして、やらしいことをして男を喜ばせて、お金稼いでるんじゃないよね?」

「やらしい……人が喜ぶこと? それってなに? すごく知りたい」


 きらきらした目を向けてくるトゥールキルデを前に、ティトは真っ青になった。

 言ってはいけないことを言ってしまった。


「……忘れて! 聞かなかったことにして! 中途半端に知識を仕入れて『変態が喜ぶ』って知ってしまったら、トゥールキルデは嬉々として身を投じてしまいそう! 不幸になっちゃう!」

「へんたいが喜ぶことに身を投じては、いけない……不幸になるから」


 忘れたりはしないし、不幸にはなりたくないので心に留めておこうかな。


 そうトゥールキルデが言ったので、ティトは胸を撫で下ろした。

 お金も歌も文字も知らない。知らない尽くしの子だったが、物覚えが異常に良く、一度覚えたことは、教えたティト以上に上手くやる。

 音痴だけは治らなかったが。


 しかし、あまり身体を動かすことをともなわない「学び」――読み書き算数などには、ちっとも興味を示さない……それがトゥールキルデだった。



     ◆◇◆



 トゥールキルデが早起きをしたある日、またあの犬が橋の下の家にやって来た。

 前にベーコンの欠片を貰ったことを覚えていて、その記憶を頼りに、飢えを満たすためにティトたちの住処を訪れてみたのだろう。


 この犬を受け入れ、飼い慣らすつもりがないのなら、情けをかけるのは返って酷というものだ。

 ティトは犬を追い払おうとした。


「あっちに行って! おまえにあげられる物は無いんだから!」


 犬は唸りながらそこを動こうとしない。

 もしかして、飢えのあまり自分を襲おうとしているのかと、ティトは思った。


 しかし、唸る犬の視線はティトではなく、ガラクタ箱にずっと注がれていた。

 その箱は、普段使っている取っ手の無いフライパンや、刃先の欠けた包丁をしまっているもので、上に板を乗せるとテーブルの代わりにもなる、重宝していた木箱だった。


 今、その箱の上には木のヘアブラシが置かれている。

 トゥールキルデが、しまい忘れたのだ。

 犬はヘアブラシを激しく警戒し、唸っているように思えた。


 何か変な匂いでもしているのかな、とヘアブラシを手に取って嗅いでみるも、特に何も感じなかった……強いて言えば、古くなった油のような香りがしたが、それはそれ。川の水で身体を清めているような二人だから、仕方ない。


 わん! と、犬は一声高く吠えた。

 やっぱり、手にしているヘアブラシに注意を払っている……。


「……おまえ、トゥールキルデの匂いが分かるの?」


 試しに訊ねてみると、犬は肯定するかのように、もう一度吠えた。


 これは……使えるかもしれない。

 勘の鋭いトゥールキルデに対して尾行は通用しない。しかし犬の嗅覚による追跡なら、いくらあの子だって、匂いという痕跡を消し去ることは出来ない……はず。

 この犬は何故かトゥールキルデを嫌っていて、ティトにはベーコンを貰えることを期待している。


「……この匂いを追いかけること、できる? トゥールキルデ……あたいの友達なんだけど、物知らずだから悪い奴に利用されてるかもしれない。もっと酷いことをされてるかもしれない……守ったげないと」

「ぐるる……」


「もし、お前があの子を見つけてくれたら、ごはんをあげる」

「………………」


 犬は、しばしヘアブラシを警戒していた様子だったが、やがて唸るのを止めてトコトコと何処かへと歩き出した。

 今すぐに餌にありつけないと分かって、ティトに付き纏うのを諦めたのか。

 所詮、犬は犬。言葉で心を通わせることなど出来はしないのだった。


 落胆し肩を落としたティトだったが、犬は立ち止まり、振り返った。


『ついて来ないのか』


 その眼差しが、そう語りかけているように思えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ