表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
77/210

影迷街のティト ③

 ある日、何処かへと向かうトゥールキルデの後をつけた。

 あいつは何も言わずに出かけた後、食べ物やお金を持ち帰ってくる。

 後を追えば、盗みの現場に出くわすことが出来るはずだ――。


 トゥールキルデは異常に勘の鋭いところがあるため、たとえ尾行したとしても簡単に気付かれて逆に待ち伏せされてしまう……そんな予感がティトにはあった。

 尾行がバレてしまったら、トゥールキルデは当然、次回からは警戒するだろう。


 そうなると、おそらくティトには追跡する手段がなくなってしまう。

 自分と同じく子供のくせに、腹が立つほどすばしこいトゥールキルデを、追いかけて捕まえることは出来なくなってしまう。


 ティトは慎重に……充分に距離を保って、小さな背中を追いかけた。


 距離が開いているため見失いそうになることは何度かあったものの、ティトは焦らず冷静に追跡を続ける。

 というのも、実のところトゥールキルデが盗みに入る場所は一ヶ所しかないと、当たりを付けていたからだった。


(……ベーコンに、オレンジ)


 この王都で最貧民街である壁外の街、〈影迷街〉において、それら「高級食材」を手に入れられるであろう場所は、一ヶ所しかないのだ。

〈影迷街〉は、似たような石積みの建物と細い路地が入り組んだ、土地勘の得難い街で迷いやすく、ならず者も多く棲んでいる。


 その街の中で、余所者――つまり一般人が安心して行き来できる道は、街道から城門へと繋がる大きな道だけだ。ベーンブルからの交易品も街道しか通らない。うっかり脇道に逸れて〈影迷街〉に迷い込むなどということは、起こり得ない。

 だから、大きな道に面した宿か商店――そこでトゥールキルデは盗みをしているに違いない。


(……止めさせないと)



     ◆◇◆



 ティトの考えた通り、トゥールキルデの小さな背中は〈影迷街〉の角をいくつか曲がった後、確実に大通りへと抜けて行く。

 そして、通りに面したある商店の前で立ち止まると、擦り切れた前掛けを身に付けた男に声をかけた。


「いつものベーコン」

「……お前また来たのか。何度も言うがベーコンはタダじゃ無えんだぜ、あれを寄越しな。銀色にぴかぴか光る平たいやつをよ……持ってるか?」


 勘定台越しに、呆れたように応じる前掛けの男は、その店の者らしい……店主なのか、雇われ人なのかは判断できなかったが。


 この時点でティトは、何か様子がおかしいな、と思い始めていた。

 盗みを働いているはずのトゥールキルデが、店員にベーコンを要求し、店員もまた彼女に何かを要求している……銀色に光る平たいもの?

 眉をひそめるティトの眼前で、


「ん、これで良い?」


 トゥールキルデは勘定台の上に、握っていた何かをジャラジャラとぶちまけた。

 ぎょっとする。銀貨だ。それも、遠目で正確な枚数は分からなかったが、五、六枚くらいはある。

 あれだけで二人分の上等なベーコンを、ふた月分は食べられる。


 前掛けの男は微かに頬を緩ませ、ひいふうみい、とこれ見よがしにトゥールキルデの眼前に銀貨を並べ、芝居がかった口調で言う。


「うぅむ。これじゃあちと足りねえなあ……」

「この前は、この数で交換してくれた」


「今日のベーコンは、この前のより上等なんだよ。あと一枚、いや二枚持ってねえのか? そしたら交換してやれるんだがなぁ……」

「……持ってない。今日はこれだけ」


 消沈し、うつむいて答えたトゥールキルデに、前掛けの男は舌打ちをした。

 しかし、一転して恩着せがましい笑顔を取り繕った男は、


「しょうがねえ、今回はこれで交換してやるよ。でも今回だけだぜ……次はもっと沢山持ってこいよ、銀色に光る平たいのを……」

「――うん!」


 男の言葉に、パッと顔を輝かせた――ような声色で応えたトゥールキルデは、台越しにベーコンの包みを受け取り、大事そうに胸に抱えて元来た道を駆け戻り始める。


 あっ、やばいこっちに来る、と思ったのは一瞬のこと。

 物陰に身を隠そうとまごついていると、あっという間にトゥールキルデは駆けて来て、ティトは容易く発見されてしまった。


「……ティト? なんでこんなところに」

「あ、えっと……あたいは、」


 何故ここにいるのかと訊かれたら、なんと答えれば良いのか。

 今まで、盗みをしているのかとは、何度もトゥールキルデに詰問してきた。

 でも、いざこうして真相の一端を垣間見ると……逆に後ろめたくなってしまう。


 トゥールキルデは彼女にとっての「収穫物」であるベーコンを掲げて、言う。


「ティト。ベーコン、橋の下の家で焼いて食べよう」

「うん、すっごく美味しそう……あたいも、お腹空いちゃった……」


 空腹なのは大体いつものことだったが、この時ばかりは、口では「空腹」と言いつつも空腹のことなんか頭からすっ飛んでいた。


 トゥールキルデは……トゥールキルデは……。

 とんでもない馬鹿だった。


 彼女が所持していた銀貨の出所が分からないという、新たな謎が発生したのはともかくとして……それは、おいおい問い詰めていくこととして――。



     ◆◇◆



 ――めちゃくちゃ、ぼったくられてるではないか。


 ベーコンひと塊に対して、銀貨を五、六枚? 払い過ぎだ。

 最初はいくらで買っていたのだろう。徐々に値段を釣り上げられ、こんな風になってしまったのではあるまいか。

 店員の「次はもっと多く持ってこい」の言葉を、疑わないあまりに。

 それに店員も味をしめ、値段を上げ、それでも疑いもしないトゥールキルデに呆れつつも、何処からか銀貨を持ってくる金づるを手放せないでいる……。


 ティトは、トゥールキルデを諭し啓蒙しようと試みた。

 いつものように橋の下で焚き火を囲みながら、尋ねてみる。


「トゥールキルデ。例えば銅貨一枚で何が買える?」

「どーか? かえる? 蛙?」


 予想を超えた最悪の返答に、ティトは膝に顔を埋めて、頭を抱えた。

 焚き火を挟んだ向かい側には、きょとんと首を傾げるトゥールキルデ。



     ◆◇◆



 ……トゥールキルデは、知らなかったのだ。商品を購入する際の相場を。


 相場は変動するものなので、商隊で雑用をさせられていたティトとて騙される可能性はあるが、いくらなんでも「これだと値段が高すぎる」という感覚くらいは持ち合わせている。

 というより、そもそも……。


「トゥールキルデ。あの店でベーコンと交換したやつ、……って」

「ん。銀色でぴかぴか光る平たいやつ。あれをいくつか持ってくと食べ物が貰えるの。小さくて持ち運びやすいから便利なの」

「………………」


 ティトは無言で天を仰いだ。


 信じ難いが「お金」を知らなかったのだ、トゥールキルデは。

 貨幣とその価値というものを。学者ではない一般人が共有している「銅貨一枚で何が買える」という普通の認識すら、彼女は持っていなかったのだ。


 お金という概念をトゥールキルデは理解していなかった……いや、法外な値段とはいえ、お金を支払って品物を受け取る、という取引を成立させていた以上、その概念の入り口に立ったのは事実ではあろう。

 しかし――、


「おサルかっ! おまえは!」

「いたっ」


 ずびし。

 ティトが制裁の手刀を振り下ろすと、トゥールキルデはぎゅっと目を瞑って両手で頭を抑えた。何故叩かれたのか分からない、という眼差しで、こちらを見つめてくる。

 深く長い溜め息を吐きつつ、ティトは説明をした。



     ◆◇◆



 ……トゥールキルデがどうして「お金」を知らなかったのかは分からない。


 ただ、初めて会った時に身に付けていた服は、薄汚れていたといえ仕立ての良さそうな物に見えた。ティト自身の服に比べてではあるが。

 ひょっとすると、トゥールキルデは「お金」なんか気にしなくても良い身分の子供だったのかも知れない……想像に過ぎないけれども。


 とにかく、ティトは教育した。

 イスカルデ女王の統治以降に作られている銀貨一枚は、同様の銅貨何枚分の価値があって……というような説明はしなかった。

 ティト自身も詳しくはないし、何より今日まで「お金」を知らなかった奴にそんなことを説明しても、理解できるはずが無い。


 とりあえず、ベーコンのことならトゥールキルデも受け入れやすいと考え、ひと塊のベーコンには、どれくらいのお金を支払うのか妥当か、ということを説いた。


「分かった? 銀貨五枚とか六枚は、払い過ぎなの。おまえが損してるの」

「ん……? あの人は『このベーコンは上等だから、ぎんかが沢山いる』と言ってたのに?」

「……こっちが分かった。次からはあたいも一緒に買い物についてくから。うん、実際にまともに買い物してみないと、お金の価値なんて分かんないよね」


 もう、あの店では買い物をさせないと心に決め、ティトは言った.

 トゥールキルデは盗みをしておらず、騙されてぼったくられていただけだった。


 ただ、所持していた高額のお金は、どこで入手したのだろう。

 トゥールキルデは「お金」の価値を知らなかったのだから、最初に銀貨を彼女に渡し、それは食べ物と交換できる物だと教えた者が居るはずだ。

 ……普通、お金というものは仕事の対価として得る。


「盗みをしてないのは分かったよ。疑ってごめん……でも、銀貨は誰から貰ったの?」

「頼みを聞いて助けてあげると、ぎんかをくれる人がいる」


 あっさりと答えたので、拍子抜けする。


 頼みを聞いて対価を受け取る。それは「仕事」というものだったが「お金」を知らなかったのだから「仕事」など知りようはずがない。

 トゥールキルデの無知を利用して、何らかの仕事をさせているやつがいる。

 そう思って憤りかけたが……いや、彼女の無知を知っているのなら、銀貨なんか渡さないのではないか?

 食物か綺麗な水の方が、トゥールキルデには分かり易かったのでは。



     ◆◇◆



 ひとまずティトは、胸の内にあるトゥールキルデへの疑念を晴らした。


『この子はお金を知らなかった』

『そんな子に仕事を与えている輩がいるらしい』


 という、二つの新たな問題を認識しつつ。

 この日、トゥールキルデは「お金」という概念に出会った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ