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儚き花の守り手

 ユーニスを送った後の帰り道、ククルが言った。

 中天の刻をいくらか過ぎた、一番暑い時間のことだった。


「実を言うとさ、コーリー。あんたをうちのパーティーに強く誘ってたの、あたしなんだ」

「……そうだったんですか」


 それは、ククルが居ない時にフォコンドからこっそり聞いていた。

 ついでに、彼女が自分を求める理由が分からず、戸惑っていた。どう見てもククルは自分やアトラファに対して攻撃的だった。たまに優しい時もあったけど。


 アトラファはすたすたとマイペースにだいぶ先を歩いていて、ククルは両手を頭の後ろに組んで数歩先を歩いている。コーリーが最後尾だった。


「前にさ、アトラファがうちのパーティに居たって話したじゃない?」

「はい」

「うちのパーティ、法術士がいないし、女はあたし一人だったからさ、アトラファが入ってくれた時、すっごく嬉しかったんだ」


 そう話すククルの顔は、もちろん見えなかった。

 だいぶ前を歩いているアトラファにもその声は聞こえなかっただろうし、ククル自身が声量を抑えているように思えた。


「先輩風吹かしてさ、あいつに尊敬されようと思って。あいつ今よりチビでさ、当たり前だけど。そう……うんと可愛がろうと思ってた」


 でも……、とククルは言葉を濁らせる。

 その後の顛末は知っている。ククル自身が話してくれたことだ。

 アトラファは勝手な行動を繰り返し、結局、フォコンドが離脱を勧告した。


「そん時、本当はあいつを引き留めようと思ったんだ。『リーダーに謝ろう。そしたらきっと許してくれる。あたしが一緒に謝ってあげるから』ってさ」


 コーリーは追い付いて、ククルの横に並んだ。

 ククルは足を止めて、アトラファの背中を遠く見つめていた。

 それは、いつもの攻撃的な眼差しではなく――、


「そしたらあいつ、『もういい』って言ったんだ。『フォコンドたちはもういい、わたしが必要としてる人じゃなかった』ってさ」

「………………」


「あたしはカッとなった。『じゃあ好きにしろ。今に自分が間違ってることを思い知る。その時になっても助けてなんかやらない』って、あいつに酷いことを……」

「ククルさん……」


 あいつとあたしが放った言葉、今でもはっきり覚えてる。

 その後、たまに顔を合わせても話もしなかった。せいぜいあたしが悪態を吐いて、あいつが無視するくらいだった。コーリー、あんたがこれまで見てきたみたいに……。


 そう語るククルの眼差しは、まるで風に飛ばされたリボンが谷底へ舞い落ちていくのを見送るみたいな――もう取り返せない、惜しいけど諦めるしかない。そんな何かを見つめる眼差しだった。


 アトラファはソロの冒険者として実績を積み、ランクでククルを追い越してしまった。

 他人との関係を育もうとしないアトラファ。

 生命を投げ出すことを厭わないアトラファ。間違っていると今でも思う。

 でも、生命を賭けて何かをやり遂げた者に、お前は間違ってるなんて言えやしない。


「――それである日、あんたのパーティー申請の要項を見た」


 ククルはコーリーの方に向き直った。

 法術士で、アトラファと同じ年頃の女の子。精霊がやり直しの機会を授けてくれたのかと思った。

 今度こそ失敗しない。アトラファみたいに、分かり合えないまま喧嘩別れしたりはしない。今度こそ……。


「……まさか、アトラファのやつと組んでるとは思ってなかったけどさ」

「す、すみません」


「謝ることじゃないよ。あたしが馬鹿だったんだよ。あんたとアトラファは別の人間なのに、それをやり直す、なんてさ……ごめんね、コーリー」

「そんな、悪いのは私の方です! いつまでも返事を先延ばしにして、結局は断って。あの時は、本当にすみませんでした!」


 思わず恐縮して頭を下げるコーリーだった。

 かつて、ククルとアトラファの間にそんなことがあって、それを理由としてコーリーは目に留められ勧誘された。思えば数奇な縁だ。先にククルたちと出会っていたら、きっと別の運命を歩んでいただろう。


 けど、アトラファと出会ったこと、共に冒険すると決めたことに後悔は無い。

 頭を上げたコーリーの表情を、ククルは真剣な眼差しで見ていた。


「コーリー。あたしたちを頼って。あいつは絶対に他人に助けを求めないからさ……あんたは、あいつに出来ないことをして」

「はい」


「いつだって、あいつの手を取ってあいつの先を歩いて。あいつはどんな崖でも飛び越えちゃうだろうけど、いつか必ず躓くことがある……その時、コーリー、あんたがあいつの側にいてやって」

「はい。私はアトラファの側にいます」


 誰に言われなくても。

 お金でも生命の存続でもない、何かを追い求めるあの子を、決して見放さない。

 コーリーはククルに、そして自分に約束した。

 ククルがほんの少し微笑んで差し出した手を、コーリーは握り返した。



     ◆◇◆



 ククルと別れ〈しまふくろう亭〉に帰り着いたコーリーは、久々に特訓を再開した。コーリーは薪割りと走り込み。水汲みはアトラファの当番だった。

 そして、〈騎士詠法(アンガルド)〉を練習する。


「《賢き小さき疾き者、(かそ)けき歌の》……」


 そこまで唱えて、コーリーは始動鍵の詠唱を中断した。

 何となく、今までのままでは良くない気がした。


 色々なことを思う。アトラファのこと。ククルにフォコンド。ルーナと出会い、白露草を探して……そして、人狼との戦い。

 今までの自分では、大切なものを守れない。


「――《(さか)き小さき(はや)きもの》」


 コーリーは目を閉じ、始動鍵を初めから唱え直した。

 精霊法の始動鍵は、術の発動には本来必要の無いもの。けれど寝惚けたり酩酊したり、術者が正常でない状態での暴発を防ぐため、始動鍵を唱えなければ術は発動しないよう〈学びの塔〉では徹底的に刷り込まれる。

 一度決めた始動鍵を変更することは容易ではないが、コーリーはそれを試みた。


「《(はかな)き花の守り手よ》――」


 白露草を思い描く。

 一夜だけ咲き朝には散る、清楚で儚い、ルーナが求めたあの花を。


 今、コーリーの心に迷いや焦りは無かった。

 アトラファの足手まといになって申し訳ないという気持ちや、早くもっと強くならなければというような気持ちが、今は全く心には無かった。


「――《()りて糸の如くなれ》」


 風が集まり、細い糸のような気流を形作るのを感じる。

 その糸が触れた物が――例えばお風呂の湯船にしている樽や、かまどにくべる薪の形、それに背後の勝手口のドアに手を掛け「コーリーちゃん、ご飯よ」と口を開きかけているミオリの存在を感じる。

 勝手口が開くより一瞬前に、コーリーは立ち上がって返事をした。


「ミオリさん! 今いきます」

「コーリーちゃ……あぁ、びっくりした。気付いてたのね」


 一拍遅れてドアを開いたミオリが、驚いた顔でこちらを見ていた。

 同時に、風の糸が千々に乱れて散っていった。


 まだ、アトラファのように動き回ったり喋ったり、色んなことをこなしながら術を維持することは出来ない。すぐに集中が乱れてしまう。


 でも、これが私の〈騎士詠法〉。

 アトラファみたいに攻撃に特化しているのではなく、周囲を探る……ついでに身も守れたら良い……それくらいが私には丁度良い。そうコーリーは思った。

 アトラファに並ぶのではなく、背中合わせになれるように。



     ◆◇◆



〈しまふくろう亭〉の一階ホール、食堂に入ると、すでに水汲みを終えたアトラファが、カウンター席で一足先に夕食を摂っていた。

 食べているメニューは「赤の冷製スープ」。


「今日のスープはね、アトラファちゃんの要望で『赤の冷製スープ』なの」


 厨房からミオリが言った。

 珍しい。アトラファときたら偏食で、気に入ったものを飽きるほど食べて、その間は他の食べ物をほとんど口にしないのに。今日もお気に入りの「白の冷製スープ」を頼んでいるとばかり思っていた。

 横に座ったコーリーがそれを指摘すると、アトラファはスープを啜りながら答えた。


「前に、コーリーが美味しいと言ってたから、試してみた」

「……おいしい?」

「わりと」


 微妙な評価を下すと、アトラファはこくこくと「赤の冷製スープ」を飲んだ。


 以前に、ククルと共通の価値観の話をしたのを思い出した。

 アトラファとは会話が噛み合わないことがある。アトラファはお金に拘らないし、自分の生命すら簡単に賭けの卓に載せる。

 それでいて強烈に何かに執着している。

 何を考えているのか分からない。


 でも、コーリーと同じように悲しみ、怒り、同じもののために戦って、同じものを食べて美味しいと感じる。

 ……コーリーがアトラファのことを分からないのと同じように、きっとアトラファだってコーリーが何を考えているのか分からない。それでいい。


 ミオリが同じ夕食を運んで来てくれるのを待つ間、頬杖をついて横のアトラファを見ていた。

 と、その時――、


 ――ドン。


〈しまふくろう亭〉の入口の、直したばかりの扉が強く叩かれた。

 コーリーと、厨房のミオリがはっと身構えた。

 扉の外から声がする。


「……。ん? 扉、新しくしたのか? ……おおい、ミオリ、開けてくれ」


 しばらく留守にしていた店主、マシェルの声だった。

 晩の刻の鐘はまだ鳴っていない。マシェルが旅立ってからの日数から見ても、今日帰還しておかしくはない。

 しかし、あの恐怖の夜を体験したコーリーとミオリは、扉を開けるのには慎重だった。


「おい、開けてくれミオリ……それに、あー、コーリーとアトラファ。誰もいねぇのか? 皆で飯でも食いに行ってんのか? まいったな……」


 マシェルのような何者かは、扉の外でぼやき始めた。

 コーリーとミオリが息を潜めてその動向を見守る中、アトラファは無言で椅子から立ち、すたすたと扉に歩み寄った。

 引き留める間もなく、アトラファはあっさりと扉を開く。


 がちゃ。かららん。


「ん。おかえり」

「お、おう」


 扉の外にいたマシェルは、まさかアトラファが一番に出迎えてくれるとは思っていなかったのだろう、やや怯んでいた。


 その両手には一杯の荷物。足元にはなぜか小さな樽がいくつか。

 本物の、久しぶりの、〈しまふくろう亭〉の店主、マシェルだった。

 コーリーとミオリは、入り口に駆け寄った。


「マシェルさん、お帰りなさい!」

「お帰り、兄さん! 父さんの具合はどうだった? 母さんは……?」


 アトラファは何も言わず、食事の続きをするためにカウンター席に戻って行く、

 駆け寄ったミオリの問いに、マシェルはがしがしと頭を掻いて応える。


「……親父はピンピンしてたぜ。ミオリが見舞いに来るのを期待してたらしくてよ、俺の顔を見るなり、あからさまにガッカリしたツラしやがって……クソ親父め。おふくろはおふくろで、土産だって漬物の樽をいくつも持たせやがって」


 酢の匂いがきつ過ぎて、何台か乗合馬車に乗車拒否されたぞ、とマシェルは続けた。

 足元にある小さな樽はそれらしい。言われてみれば、強いビネガーの香りがぷんと漂ってくる。


「アトラファ! 運ぶの手伝って!」

「ん、食べ終わったら」

「駄目だよ、今すぐ!」


 スープが温くなっちゃうし、とぐずるアトラファを、コーリーはせっついた。


「手伝ってくれたら、おかわりに付け合せの漬物もつけるわ」


 ミオリが言い添えると、アトラファはのろのろと席を立った。

 マシェルは、いつの間にか少し結束が固くなっている女性陣に困惑していた。



     ◆◇◆



 ――アトラファが触れなかった、人狼に残された最後の謎がある。



 人狼は、なぜルーナだけを食べなかったのか?



 初めは、事件当時、二階にいたユーニスが下りて来たから、家にルーナしかいないと思っていた人狼は驚いて逃げ出した……そう考えていた。

 でも、最後の決戦の時、人狼はコーリーたち三人を相手にしても逃げなかった。


 ……なぜ、ルーナの時だけは逃げたのか?

 誰にも言えないけれど、コーリーには考えていることがあった。


 人狼は、分からなくなったんだ。

 ヒトの心を読み、愛する人を模倣し、扉を開けさせる魔物、人狼。

 そうして狩りをし、飢えを満たし……ヒトの心を読む度に、人の心を知る。


 エリックの心を読み、娘を思う父の心を知った。

 ルーナの心を読み、父の帰りを待つ娘の心を知った。


 その時、人狼は分からなくなったんだ。

 目の前にある、自らが生命を奪った小さな亡骸は、食べていいものなのかどうか。

 分からなくなって、人狼は逃げ出したんだ。


 そして幾日も狩りをせずに逃げ惑った。それまでは二、三日おきに狩りをしていたのに、大封鎖作戦の間は、一度も被害が出なかった。

 人間を食べなければ生きれないのに、人の心を知ったが故に、人間とは食べていいものなのか、分からなくなったんだ。


 それでも……最後には、飢えと魔物の本能に抗えず、アトラファの前に現れた。

 自らに引導を渡す者の前に――。


 ――こんな考えは誰にも言えない。口にすれば非難されるだろう。

 コーリー自身が傷付くと同時、人狼を憎む人たちを傷付けるだろう。

 だから言わない。



     ◆◇◆



「うっ……意外と重い! アトラファ、そっち持って、せーの!」

「めんどくさい……」


 コーリーとアトラファは、漬物の樽を持ち上げた。


 ――王都に日常が帰って来た。消えない傷を残しつつ。

 もう悲しいことは起こらない。きっと、きっと……。

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