コーリーとアトラファ ⑥
「……ぱちっ」
今朝も明けの鐘が鳴る直前に目を覚ます。
コーリーはしばらくの間、ぼんやりと天井を眺めてから、ごそごそと毛布から這い出した。それを待っていたかのように、ナザルスケトルの街に明けの鐘が鳴り響いた。
一階に下りると、すでに〈しまふくろう亭〉の兄妹が忙しく動き回っていた。
「オゥ、起きたか。早ェな」
「おはようコーリーちゃん! 良く眠れた? 寒くなかった?」
「おはようございます……とても良く眠れました」
一番良い部屋というだけあって、ミオリが用意してくれた二階の奥の客室は、すきま風も無く実に快適だった。
アルネット王女の襲撃以来、久しぶりに心ゆくまで睡眠を享受できた気がした。
宿の裏手に回って、水瓶の蓋を取り昨日の残り水で顔を洗うと、頭がスッキリと冴えてくる。街も朝もやが晴れ青空がのぞく。良い天気になりそうだった。
店内に戻るとマシェルは厨房で料理を、ミオリは台拭きの布を絞って全てのテーブルを拭き清めている。コーリーは手持ち無沙汰に、階段の下辺りに立ちすくんだ。
「あの、私も何かしましょうか。水汲みとか」
そう申し出てみたが、ミオリに笑って辞退されてしまう。
「いいのよ。コーリーちゃんはお客さまなんだから。あぁ、でもお腹が空いたでしょう……ごめんなさいね。朝はいつもこの時間なのかしら。なら朝食も早めに用意しないといけないわね」
「すみません。気を遣わせてしまって」
「お前の方こそ気にするな。ミオリの言う通りだぜ。お前はウチの居候じゃなくて、客なんだからな……ほらよ、朝めしだ。待たせたな。適当な席に座って食え」
マシェルが朝食を運んで来てくれる。コーリーは手近なテーブルの椅子を引き、目の前に皿が並べられるのを眺めた。
木のボウルに盛りつけられた、生野菜と半熟卵のサラダ。
塩漬けのベリーを使ったドレッシングの小鉢が隣に置かれる。
甘い香りを立ち上らせる、燕麦と蕎麦の実のミルク粥。砕いたクルミが振り掛けられている。
コーリーはごくりと喉を鳴らし、木の匙を手に取った。
「いただきます!」
まずはサラダにドレッシングを振りかけ、頬張る。
新鮮な野菜を噛みくだく小気味よい音。次いで爽やかなベリーの酸味と香草のほろ苦い風味が口いっぱいに広がる。さっぱりとしているだけでなく、半熟卵の濃厚なコクが舌を楽しませる。コーリーはその味に目を見開いた。
続いて、ミルク粥をいただく。
ふうふうと息を吹きかけ冷ましてから口に含んだ瞬間、ミルクの豊かな甘い香りが口腔から鼻腔へと抜けて行く。蕎麦の実をきちんと蒸してから煮ているため、皮が柔らかくぷちぷちと弾ける。そこに香ばしく炒られたクルミの食感が加わる。
ああ見えて腕は良い、とミオリに評されていたマシェルの料理だが、昨日といいい今朝といい、身内の贔屓目ではなかった。
これは本当に素晴らしい。コーリーは朝食を堪能した。
食事を終えると、ちょうどミオリが水汲みを終えてきたところだった。
「朝食、どうだった?」
「すっごく美味しかったです!」
「でしょう! あれで愛想があれば、もっとお客さんが来るのに……」
瞳を輝かせて即答すると、ミオリは嬉しそうに手を打った。
コーリーちゃんもそう思うでしょう、と振られたが、その通りですねとも、そんなことありませんよとも言えなかったので、そこは曖昧に笑って誤魔化した。
この後は、冒険者ギルドで認識票を受け取り最初の依頼を受けるつもりだ。
美味しいご飯のためにも稼がなければいけない。
◇◆◇
冒険者ギルドのロビーを訪れると、今日も気弱そうでかつ人畜無害そうなアイオンが三番窓口に座っていた。
「やあ、来たね」
「マシェルさんが、アイオンさんみたいだったらなぁ……」
「ん? 何だい?」
「いえ、何でもありません」
「? まぁいい……ほら、出来てるよ。待たせたね。これでキミも名実ともに冒険者というワケだ」
アイオンがそう言って取り出した物。
それは細い鎖が付いた、顔が映るほどに磨かれた、小さな銅のプレート。
コーリーの冒険者認識票だった。
『――コーリー・トマソン。
表記の者を、冒険者として認定する。
所属:ナザルスケトル冒険者ギルド本部。
認識番号:風鳥の六九七 ――――――――』
コーリー・トマソン。表記の者を、冒険者として認定する……。その言葉を噛み締める。
「これが、私の冒険者認識票……私、本当に冒険者になったんですね」
「そうさ。昨日の時点で書類上の手続きは済んでいたけど、やっぱりそれを手にすると実感が湧くだろう?」
アイオンの言う通り、誇らしいような不安なような、何ともいえない不思議な気持ちがコーリーの胸の中に満ちていた。
冒険者。私、冒険者になった。
「……それじゃ、ギルド員としての心得を説明するよ。いいかい?」
「はっ、はい!」
手の中の冒険者認識票に見入っていたコーリーは、慌てて居住まいを正した。
アイオンの説明は長かった。
一つ。ギルド員は、必ずギルドを通して依頼を受けなければならない。
ギルドを通さずに直接依を受け報酬を得るのはご法度である。ギルドは認識票によってその冒険者の実力を保証しているので、勝手に実力に見合わない依頼を受けられるとギルドの信用に関わるからだ。また、ギルドは依頼を斡旋する代わりに組合費を依頼料から徴収しているため、独自に依頼を受けられてはギルドの運営が立ち行かなくなる。
一つ。ギルド員は、人間同士の諍いに首を突っ込んではならない。
冒険者は採取・魔獣討伐・遺跡探索などの依頼を受け、必要に応じて武力を行使することが出来るが、原則として不特定の人物に対し武力の行使を禁ずる。例えば脅迫・誘拐・暗殺・仇討ちや、それらへの手助けだ。人間同士の諍いの解決は冒険者ではなく官憲の領分である。ただし依頼による人物や物品の警備は例外とする。緊急避難としてやむを得なかった場合は、事例ごとに個別に検証する。
一つ。ギルド員は――――。
おおまかに纏めると、説明の内容とは大量の「べからず集」であった。
十項目あたりで、コーリーは目を回し始めた。
「気持ちは分かるけど、大切なことだから聞いてくれ。冒険者はとにかく信用が第一なんだ。犯罪はもちろん、依頼の失敗や未達成を繰り返していたら、そのうち誰も依頼を持ち込まなくなってしまう……そうならないためにも、僕らギルド職員は冒険者のランク分けや、各々のランクに見合った仕事の斡旋をしているのさ」
ちなみに今年度の本部目標は依頼達成率九割八分なんだよ、とアイオンは付け加えた。前年比三分増だそうだ。
「説明は以上だよ」
「じゃ、すぐに依頼を受けれるんですか?」
「うん。ただ……キミの場合は、先にパーティ申請した方が良いかもね」
「ぱーてぃしんせい? って何ですか?」
「一緒に仕事をする仲間を探すことだよ。一人よりも仲間がいた方が危険が減るし、効率も良くなる……ただし報酬も仲間内で分け合うことになるから、あえてパーティを作らない冒険者もいる。でもそういう人はごく少数のベテランだよ。キミは新人だから、どこかのパーティに入ってしばらく経験を積むのが良いと思うよ」
「そうなんですか……」
危険が減る、というのは報酬が減ることを差し引いても魅力的だった。
しかし同時に懸念が浮上する。
コーリーはいつか……というか出来るだけ近いうちに〈学びの塔〉に帰るつもりだ。その時になって「パーティを抜けたい」となったら、仲間は笑顔で送り出してくれるものだろうか。
「パーティって、一度入ったら中々抜けれないものですか?」
「いや、そんなことはないよ。気が合わないとか息が合わないとか、良くある話さ。人間関係だからね……不安なら、パーティに入る前に条件を提示して話し合えばいい」
「なら、パーティ申請しようと思います」
「そうかい。じゃあ僕が書類を作って掲示板に貼っておくよ……えーと、『コーリー・トマソン。初級風法術士で、ランクは縁無し銅』――」
「あの、申請のお返事、みたいなのはどれくらいで来るものでしょうか?」
「うーん、法術士は需要が高いから早いと思うよ。キミは縁無し銅の新人だけど、いくつかのパーティからお誘いがあるんじゃないかな。その中から吟味して選ぶといい……まぁ、出揃うまで二週間か、一ヶ月か……」
「一ヶ月!?」
それは困る。無収入で一ヶ月は暮らせない。
〈しまふくろう亭〉の兄妹がコーリーに良くしてくれているのは、コーリーがお客さんだからだ。
蜂蜜瓶の中の銅貨が無くなれば、マシェルは容赦なくコーリーを宿から追い出すだろう。ミオリは庇ってくれるかも知れないが、彼女にしても「お客のコーリーちゃん」を大事にしているのだ。
「パーティ申請はしつつも、すぐに一人で依頼を受けたいですっ!」
「そ、そうかい……問題ないよ。申請中は依頼を受けれないなんて決まりは無いからね。縁無し銅向けの依頼は、入り口寄りの掲示板に貼り出してある。良さそうなのを剥がして持って来て。いくつも剥がしちゃダメだよ。あと、顔が近いから離れて……」
ふんす。
アイオンに言われたとおり、入り口寄りの掲示板の前に来る。
掲示板には、びっしりと依頼が書かれた紙が貼り付けられており、目を通すのもひと苦労だったが、コーリーは端から順に、じっくりと読み込んでいった。
――ダナン湖北岸で鼠の魔物が発生。討伐求む。報酬は銀貨一三〇枚。
――アイオリア州西部の遺跡一階に未探索区域を発見。調査求む。報酬は銀貨四八〇枚。
――ハーナル州都ノルザまでの護衛。必要経費は依頼人持ち。報酬は銀貨二〇〇枚。
貼り出されている依頼のほとんどが、コーリーには無理そうなものばかりだった。
報酬は目玉が飛び出るほどの大金だが……これらが一般的な駆け出し冒険者向けの依頼だとするなら大変な事である。これは本当に縁無し銅向けの、つまりは初心者向けの依頼なのだろうか。何か間違ってるのではないか。
そうした無理めの依頼たちの中、ひときわコーリーの目を引くものがあった。
――王都南の森。ホタルヤドリタケの採取。生のもの一貫目、銀貨一五枚から。
ホタルヤドリタケ。それは知っている。
初夏、湿った暗い森の中に群生するキノコの一種で、「ホタルヤドリタケ」の名の通り、丸い傘の中に蛍を宿したかのように淡く緑色に発光するキノコである。
その年の天候や気温に左右されるのか、大発生する年と全く生えない年とがある。
ホタルヤドリタケは食用にすることはできないが、干したものを粉末にすると、熱冷ましの薬の原料となる。初夏の頃にたくさん集め、風邪が流行る秋口や冬までに薬にするのだ。
幼い頃、故郷の村の近くの森に大発生したことがあり、その時に姉のマリナに手を引かれ採取に行った。
暗い森の中、幻想的に光を放つ無数のホタルヤドリタケは、それは見事なものだった……。
コーリーは、その依頼書を破けないよう慎重に剥がし、受付に向かった。
三番窓口にアイオンの姿は無く、休止札が立てられていた。コーリーがじっくりと掲示板を見ていた間に席を外したようだ。
代わりに一番窓口にごま塩頭のおじさん、二番窓口に眠そうな眼をしたお姉さんがいた。
コーリーは二番窓口に並んだ。
「こんにちは」
「……あらぁ、こんにちはぁ」
お姉さんは、やはり眠そうなほやんとした声でコーリーを迎えた。
胸元の名札には、リーフ・ポンドとある。
「この依頼を受けたいんですけど」
「……ホタルヤドリタケの採取ですねぇ。今年はずいぶん出が早くてぇ、薬師さんたちも調達に難儀してるみたいなんですよぉ……えっと、コーリーさんはぁ、縁無し銅ですかぁ……」
「無理でしょうか。あの、私、小さい頃ホタルヤドリタケを採取したことあるんです」
「……いえ、大丈夫ですよぉ。採取場所も南門から二時間くらいの所ですしぃ、新人さんのお小遣い稼ぎには最適だと思いますよぉ」
お小遣い稼ぎではない。
死活問題……というにはやや大げさだが、かなり本気でお金が欲しくて、自分に出来そうな依頼を選び抜いた結果だ。
とにかく無理でないのなら、受けるしかない。
「私、この依頼受けます!」
「……はいぃ、受理しましたぁ」
気の抜けた声とともに、依頼書にぽん、と判子が押された。
こうして、コーリーは『ホタルヤドリタケの採取』の依頼を受けた。
◆◇◆
「じゃあ、お弁当がいるわね! 兄さん、いいでしょう?」
「ちっ……別料金だからな」
〈しまふくろう亭〉に戻って今日の予定を告げると、兄妹がそれぞれに応じてきた。
ホタルヤドリタケが群生しているという南の森は、門から並足で二時間の距離。
今からすぐに出て現地に着くのは昼前。順調に群生地を見つけて、帰りは荷物があるから――。
「晩の刻の鐘が鳴る頃には戻ります」
もし上手く群生地を見つけられなくても、城門が閉まる前には帰り着けるよう、探索時間に注意して段取りをしよう。
コーリーは自室に戻り、真新しいリュックサックを背負った。少し考えて中から寝袋を引き出す。今回は日帰りなのでこれはいらない。
首尾よく群生地を見つけさえすれば、キノコ一貫目くらいすぐに集められるが、背負って歩くとなればそれなりの重量だ。少しでも身軽な方が良いと考えた。
それにナイフ、短刀。革の鞘から引き抜いてみる。
黒い錬鉄の刀身についた銀の刃が光を照り返している。
新品なので当然、刃こぼれ一つ無い。コーリーは短刀をベルトの後ろのホルダーに固定し、ナイフは左の腰に差した。
うん、私、なんだか冒険者みたいだ……。
コーリーは一人で満足した。
◆◇◆
ミオリから弁当を受け取り、見送られて南門に向う。
門の両脇に立つ番兵に、冒険者認識票と依頼書を見せ、門を通過した。
ちょうど同じく門をくぐった荷馬車の御者台から、白い口髭をたくわえたおじいさんが、コーリーに話し掛けてくる。
「お嬢ちゃん、良ければ乗って行かんかね……なに、かまわんよ。空荷じゃからのう」
聞けば、王都に牛乳を卸しに来た帰り道だという。おじいさんの言う通り、荷台には一抱えもある大きな牛乳缶がいくつも立ち並んでいた。コーリーは親切な申し出をありがたく受け、缶の隙間に腰を下ろした。
荷台から足をぶらぶらさせながら、街並みを眺めた。
南の城壁の外に広がっているもう一つの街――影迷街と呼ばれる街だ。
〈学びの塔〉にいた頃、影迷街は治安が悪い、どこそこの家人が行方不明になった、貴族でも手出しできない……などの噂を耳にしたものだが、こうして眺めている分には城壁の内側とさほど変わりない。
建物も石造りで、舗装されている地面が内側と比べてやや少ないくらいの差だ。噂ほど恐ろしい場所には見えないが……。
そんなコーリーの様子に気付いたおじいさんが教えてくれる。
「怖がらんでも、昼間に通り抜けるぶんには何事も起こらんよ、ここは」
「『昼間は』……?」
夜に訪れると何かが変わるのだろうか……。
ふと視線を感じてそちらを見やると、道の端に男が一人立っていた。
視線が合うと、男は口元だけでにへらぁっと笑った。
コーリーは何故かぞっとして、目線を自分の膝に落とし、影迷街を通り抜けるまで顔を上げなかった。
「今日は、晴れそうじゃのう」
おじいさんが呑気に言った。
やがて荷馬車は影迷街を抜け、街道を南に進んだ。