姿なき人狼 ⑰
やり遂げたと、コーリーは思った。
司法部の役人は、新しい人狼説に反論することが出来なかった。
逆に彼らが主張する、エリックによる毒殺という説の不備が浮き彫りになった。
ここに結論は覆った。
エリック・ラグウェルの捜索から、見えない魔物――人狼の捜索へと、捜査方針は大きく転換するだろう。やり遂げた。
成功の興奮と鼻血の応急処置の影響で、ふすーぷすー、と我知らず鼻息を荒くするコーリーを前に、役人は肩を落として項垂れた。
彼らとて、真剣に失踪事件の調査に取り組んできたのだ。この結果は受け入れ難いものであっただろう。
それでも、冷静に事態を受け止めようとする姿勢は立派だ。
勝者の余裕から、寛容に役人の態度を評価していたコーリーは、続く役人の言葉に凍りつくことになった。
「信じがたく、受け入れがたい。王都に魔物が入り込んでいるなど……。だが、反論の余地が無い以上、改めて検証せねばならん。最優先でだ」
「は、はいっ。ありがとうございます!」
ここまでは良かった。
「……して、どうやって『見えない魔物』を捕捉する? 真打ちとばかりに遅れて登場し、ここまでの芝居を打ったのだから当然、用意しているのだろう。見えない魔物、人狼を見つけて討伐するための作戦を」
はい……作戦?
コーリーは、フォコンドの方を振り向いた。
フォコンドは目を閉じて腕組みしている。自らやるべきことは為した、あとは成り行きに任せる……といった体だ。
コーリーは、会議室の正面、アイオンとダリル主任に向き直った。
アイオンは優しげな笑みを浮かべ、キミの信じたようにやりなさいと言うように頷いて見せた。ダリル主任はもはやニヤニヤ笑いではなく、厳しい眼差しだった。
コーリーは、司法部の役人に視線を戻した。
彼は、コーリーの言葉をずっと待っていた。
「えっと、作戦? ……ですか?」
「そうだ。君が推定した能力を鑑みれば、抗しがたい強力な魔物だ。見えない気付かれないとなれば、通常の捜索方法では捕捉は出来まい。特別な作戦が必要だろう」
「作戦……」
どうしよう。そんなものは用意してこなかった。
エリック犯人説を覆し、人狼の存在を認めさせ、捜査方針を転換させる……。
そこがコーリーにとってのゴールだった。その後は大人たちが考えてくれるものと、勝手に信じ込んでいた。
今更ながら考えてみれば当然だ。
大人を対等にやり込めて、自分たちの案を通すのだから、そこから先の道筋も付けて来なければならなかった。都合の良い所で手放して甘えることなど許されなかった。
詰めが甘かった……どうしよう、どうすれば。
◆◇◆
「――非常事態。王都の全ての道路を封鎖して」
背中に汗を流し始めたコーリーの横で、座っていたアトラファが声を発した。
役人の、冒険者たちの視線がアトラファに集まった。コーリーの視線も。
アトラファは、ゆっくりとフードを下ろした。
灰色の髪と、濁った金色の双眸、×印の瞳が露わになる。
「道路を封鎖した上で、住民の外出――特に夜間外出を禁止。並行して狼の足跡の分布図を逐次更新。足跡を外部に漏らさないように包囲網を狭める――」
「待て、待ちなさい」
つらつらと話すアトラファを、司法部の役人が両手を上げて押しとどめる。
アトラファは眉をひそめて役人を見た。
「そっちが作戦を話せと言った」
「そうだが、実現可能な作戦かどうかは考える必要がある。全ての道路の通行を規制するのは不可能だ。王都守備隊に加え、冒険者を動員しても人手が足りない!」
それに交通規制を行えば、王都の経済は麻痺する。
外出禁止も同様。事件解決までの期間、無期限に商店などに営業を止めさせたらどうなるか。当然の懸念だった。
アトラファは引き下がらなかった。
「『人狼』は人家のドアを破れないことが分かってる。細い路地には戸板を固定しておくだけで良い。外出禁止も長期にはならない。包囲網を狭めれば、包囲の外側の規制は解除して良い。要は、唯一の痕跡である足跡を、一ヶ所に追い詰めることが大事」
人狼は見張りが立っている場所を通り抜けられないし、ドアくらいの厚みの板で区切られた「立ち入り禁止区域」に入れない。
その習性を利用し、追い詰める。
どうしても交通を止められない大道やそれに準じる道に見張りを動員し、細い路地は全面交通規制を施す。
それでも住民の混乱や不満は避けられないだろうが――。
常時、足跡の動向を観察し、一カ所に追い詰めることで包囲の外側の規制は順時に解除していく。経済への打撃は最小限になる。
それが、アトラファの作戦だった。
「最終的に南市街の一画に追い詰める。〈しまふくろう亭〉で人狼を迎え撃つ」
「えっ」
コーリーは思わず声を漏らした。
たぶん、ミオリさんは何も了解してないはずなんだけど……。
しかし、周囲には納得の空気が流れ始めた。
「それなら……」
「ここまでの事態となれば、王宮の承認を得なければならないのでは」
「一日は要するかと……」
「馬鹿な、間に合わん。冒険者はすぐに動員する。王都守備隊は承認を得次第だ」
「はっ。すぐに手配を――」
あれよあれよと、役人たちが動き始める。
同時に、ダリル主任が冒険者たちに向かって声を張り上げる。
「聞いての通り、冒険者は三隊に分かれる。見張り隊、足跡分布図の作成隊、そして――アトラファ!」
「……ん?」
「お前が『人狼』を迎え撃つつもりなンだろう。そうだろう……お前、勝てンのか」
「勝てる。対峙さえすれば」
アトラファは、気負いもなく言ってのけた。
ダリル主任は、そうかと小さく呟き、アトラファとコーリーを見た。
「アトラファ、コーリー。お前らが第三隊、迎撃隊だ……健闘を祈る」
「ん」
「は、はい」
その後、フォコンドに第一、第二隊の総指揮権が任ぜられた。
これより、フォコンド隊によって人狼の包囲作戦が実行されることになる。
「……名付けて『大封鎖作戦』というところか」
フォコンドさんって。
何かと自分で名前を付けるのが好きなんだな、とコーリーは思った。
人狼といい、今回の作戦名といい……。
会議室を出る際、ククルが声を掛けて来た。
「あたし、こんな風になると思って、あんたたちに『致命的な欠陥』を伝えたんじゃない。生命を賭けて欲しかったんじゃないんだよ。だから、あたしもあんたたちと一緒に――」
「だめ。人数が多いと、人狼は〈しまふくろう亭〉に寄りつかないかも知れない。だから絶対にだめ。わたしとコーリーだけでやる」
アトラファが拒絶した。
コーリーも、アトラファに賛成した。
ククルの申し出は有難かったが、大切なのは人狼を倒すこと。それだけだった。
◆◇◆
こうして「大封鎖作戦」は発動した。
しかし、第三班――コーリーたちの活動は、最初でつまづいた。
コーリーが懸念していた、ミオリの作戦への了解だったが――。
「――駄目よ。ぜーったいに駄目っ!」
ミオリに強硬に固辞されてしまった。
案の定、アトラファはミオリの了解を得ていなかった。
〈しまふくろう亭〉を決戦の場とする、ということに難色を示されたのではなかった。
初め、ミオリは戸惑いながらも作戦の内容を聞き〈しまふくろう亭〉を最後の戦場として提供しようとしていた。兄さんなら――現在はこの地を離れている店主のマシェルなら、きっとそうするはずだからと言って。
だが、事態が収束するまで、別の場所に避難するように、とアトラファが告げるとミオリは途端に態度を変えた。
「……なんで?」
「当たり前でしょう! 兄さんがいない今、私が〈しまふくろう亭〉の店主代行なのよ。その私が、アトラファちゃんとコーリーちゃんを置いて――お客さんを残して逃げられるわけないでしょう!」
ミオリの言いたいことは、コーリーには理解できた。
でも、人狼はこれまで基本的に「犠牲者が一人になった時」に襲っていると窺える。ルーナを襲った時にも、ユーニスは二階で寝台を整えていたという。
人狼を迎え撃つならば、人数は少ない方が良いに決まっているのだ。
そう訴えたがミオリが納得することは無かった。それはミオリの誇りだった。
アトラファが溜め息を吐いて、妥協案を提示した。
「仕方ない。わたしが一階ホールに詰める。コーリーとミオリは二階に待機して。何かが起きるまで、絶対に下りて来ないで」
「何かって……?」
「例えば、万一、わたしが人狼に負けて死んだりとか」
何でもないことのように続けるアトラファを、コーリーとミオリは見つめた。
アトラファは、きょとんとこちらを見つめ返していた。
◆◇◆
――作戦開始から四日。
一見、作戦は順調に思えていた。何事も起きなかったからだ。
足跡の分布図の作成も進められ、それに合わせて包囲網は狭められていた。
王都全域に敷かれていた包囲網も、狭まるにつれて人員に余裕が出てくる。
これは喜ばしいことのはずだった。しかし――。
「……何も起きない。なんで?」
アトラファは焦れていた。
何も起きないのは良いことだとコーリーは思っていたが、アトラファは即日にでも次の犠牲者が出るはずだと予想していたらしい。
人狼は、二、三日おきに狩りをしていた。そして最後の狩りを失敗した。ルーナを殺害したが食べ損なったのだ。だからお腹を空かせているはず……。
アトラファによれば、すぐに次の狩りをするはず。例え犠牲が出ても、それを起点に一気に居場所を突き止められる……そのはずだったのに。
人狼は、想像以上に用心深いのか。
人の心を読み、姿を隠す、あまりにも魔物らしくない魔物――。
捜査に協力する冒険者たちの中には、人狼の存在そのものに疑問を呈する者すら出始めていた。この捜査を打ち切り、方針を転換すべきではないかと。
彼らを繋ぎ止めていたのは、フォコンドやギルドによる統率。そして確かに存在し、包囲網の内側に追いやられている証拠――足跡だけだった。
しかし統率が崩れたら、足跡が再び包囲の外に逃れてしまったら、それで最後。
包囲網の内側で、狼の足跡は着実に増えていた。
その姿は見えないにも関わらず。
何日も眠っていないアトラファは、指先で足跡をなぞり、呪いのように呟いた。
「……どこにいる。早く来い。早くわたしを食べに来い……」
背中を丸めて、愛しいものを撫でるように地面をなぞるアトラファを、コーリーは見守ることしか出来なかった。
皆の協力を得て、ようやくここまで漕ぎ付けて。
それでもアトラファは、まだ一人で戦っているようだった。
◆◇◆
六日目の夜。〈しまふくろう亭〉一階ホール。
宿の出入り口の扉を前に、椅子に逆向きに座って、背もたれに顎をのっけて人狼を待つ。
それがここ数日のアトラファの定番の姿勢だった。まるで双角女王の銅像のように、飽きもせず、同じ姿勢で扉を睨み続ける。
その間、二階にいるコーリーとミオリは「何かあった時」のために、交代で眠りながら待機していた。
コーリーがアトラファと役割を交代することは出来なかった。
いざ人狼が訪れた時、対抗できるのはアトラファだけだったからだ。
「………………」
そうして迎えた今夜、疲れ切ったアトラファは、ついに椅子にもたれかかりながら、うつらうつらとし始めてしまった。
階段の上からその様子を見かねたミオリが、毛布を持ってホールに下りようとする。
「だめですよ、ミオリさん」
「……わかってる。一人でいなくちゃいけないんでしょう。でも辛そうで――毛布を掛けてあげるだけだから」
「でも……、」
引き留めようとしたコーリー自身も、これ以上アトラファが弱っていくのを見るのが辛かった。自分がもっと強かったら……「騎士詠法」を自在に操り、アトラファの隣で戦えたら……。
結局、引き留めることは出来ず、ミオリは毛布を手に階段を下り、アトラファへと歩み寄って行った。
手にした毛布を広げ、まどろむアトラファの肩に掛けようとした、その時――。
――ドン。
扉が叩かれ、ミオリははっとそちらに目を向けた。
◆◇◆
アトラファは。
うっすらと瞼を開いた。
「――来た」
人狼。お前の全てを信じていた。
姿も見えない、息遣いも聞こえない。そんなお前が確かに存在し、きっとわたしの前に現れるということを、信じていた。
その強さ、用心深さを信じていた――もしもお前が、あとほんの少しだけ弱く、浅はかだったのなら、わたしはお前に勝てなかっただろう。
お前が飢えに耐えかね、最強の能力を縦横無尽にふるって狩りをしたのなら、わたしはお前を止める術を持ってはいなかった。
そして、お前があとほんの少し強くても、わたしは負けていた。
もう限界だった。精神も、体力も。
だが、お前はここに来た。わたしが信じたとおりに。
人狼よ。
最も恐るべき魔獣、人喰いの宿命を背負いし者――姿なき人狼よ。
お前に出会えたことは、わたしの道しるべとなるだろう。
だが、感謝はしない。
その強さに、敬意を抱くこともない。
「《凍てつく星の光、吐息に触れて粒となれ》――」
アトラファは始動鍵を口にしながら、立ち上がる。
ただ、一つだけ約束をする。
人狼。お前をどこにも行かせはしない。
「――《指に触れて針となれ》!」
特に……ルーナの魂が向かった場所にだけは、絶対に。




