アトラファと人狼
ルーナ。あの子ともっと話がしたかった。
あの子は、楽園の扉の鍵を手にしている子だったに違いない。
なぜならコーリーが言っていた。
あの子は愛されていた。そうじゃなきゃおかしい、と。
コーリーは、どうしてもっと早く教えてくれなかったのだろう。
ルーナのこと。あの子が、愛されるべき子だということを。
教えてくれさえすれば、むざむざとルーナを死なせはしなかった。
ずっと側にいて守り抜いて、わたしはルーナに教えてもらっていたはずだった。
――誰かに愛されるすべを。楽園の扉の鍵を手にする方法を。
悔やんでも詮ないこと。そうは思っても悔やみ切れない。
もしあの時――最初に足跡を見つけた時、その正体を追っていたら。〈しまふくろう亭〉で再び足跡に遭遇した時、ルーナの家でアリの巣が踏み壊された時……。
気付きさえすれば。いや、初めからもっと真剣にこの失踪事件の調査に取り組んで、いくつもの違和感を見逃さずにいれば。
あの子と話をすることは、もう永遠に叶わなくなってしまった。
だから、せめて知りたいと思った。
愛されるべき子、ルーナ。あの子は本当に愛されていたのか?
確かめる方法はあった。
エリック・ラグウェル。ルーナの実父。最初の失踪者で、連続失踪事件に関わっていると疑われている男。ルーナを殺害したと目されている男。
まずは、彼が本当に罪を犯したのかどうかを明らかにする必要がある。
わたしは、失踪事件の調査協力という依頼を受けた時点で、このエリック・ラグウェルという男は見つかるまいと思っていた。
しかし、ルーナが殺害された現場で、叔母のユーニスという女性が、エリックの声を聞いたという。確かにその声を聞いたと。
ここで、わたしは三つの仮説を立てた。
一つ目。わたしの予想が間違っていて、やはりエリックがルーナを殺した。
二つ目。ユーニスが嘘の証言をしていて、ルーナの殺害に関わっていた。
三つ目。……まったく別の殺人者が存在している。
わたしは三つ目の仮説を追究することにした。
なぜなら、わたしはルーナが愛されていたことを証明したかった。
愛されていた子が、肉親に殺されたりするはずがない。だから、ルーナは別の誰かに殺されたに違いないのだった。
もうあの子と話すことは叶わない。
でもせめて――ルーナが楽園の扉の鍵を手にしていた子だと証明できたなら。
それは、今後のわたし自身のための、大きな助けになるはずだった。
これからもずっと、楽園の鍵を探し続ける、わたしの道しるべに――。
◆◇◆
――エリック犯人説を覆すための障害は、たった一つと言って良かった。
ユーニスの証言だ。
『ルーナ。今帰ったよ……』
間違いなくエリックの声であったという。この証言には信憑性があると感じた。
現場にいたのはルーナの他には、ユーニスと殺人者だけだった。むろん、ユーニス本人が殺人者である可能性もあった。
しかし、ユーニスが犯人であるにせよ、ないにせよ、エリックの声を聴いたと嘘を吐くメリットが、ユーニスには無かった。
嘘を吐いて得る益が見当たらない。ならば、本当のことを言っている。
さらに、ルーナの遺体の様子。
遺体には致命的な外傷が見受けられなかった。できれば詳しく調べたかった。
もしもあの時点で、コーリーが「ルーナは愛されるべき子だった」と教えてくれていれば、わたしは役人とククルを打ちのめして昏倒させてでも、自らの手でルーナの遺体を検分していただろう。
……仕方がない。伝聞ではあるが、役人たちの行動を鑑みるに、実際ルーナの遺体に致命傷は見当たらず、毒殺と断定し得る反応も見つけられなかったのだ。
外傷を残さない謎の殺害方法は、保留とした。
何にしても、そのような遺体を作るのは、犯人がエリックにしろユーニスにしろ困難を極め、しかも益が無い。
殺人者はエリックの声をそっくり真似た。こっちの方が大事だ。娘のルーナでさえ騙されるほどに、そっくりだったのだ。エリックとユーニスがどちらも犯人でないとするなら、声真似が可能な犯人像を作り、それが実在するか検証しなければならない。
わたしは割とすぐに「魔物の仕業では」と思いを巡らせた。
人の声を真似る魔物、というのを聞いたことは無かった。
ただ、魔物が街や人の幻を見せたり、古い伝承で魔物自身が人語を解するという例は聞き及んでいた。そんな魔物が過去にいたのなら、現在、人真似をする魔物がいてもおかしくない。
それに、犬の足跡。なぜ誰も気にしていない――?
こうした情報や、微かな違和感を組み合わせ、わたしは作り上げた。
「気付かれない魔物」を。
こいつは、エリック犯人説を否定したいわたしにとって都合の良い殺人者だったが、決して妄想の産物ではない。事件の状況と乏しい証拠を組み合わせ、検証すべき可能性として浮かび上がらせた。
こいつは確かに存在するはずだ。
あとは居場所を明らかにして、倒すだけ――。
◆◇◆
「――簡単なことなんだよ。あんたたちの言う通り『見えない、気付かれない魔物』が失踪事件の本当の原因だとしたら、だよ」
ククルの言葉で、わたしは頭の中が真っ白になった。
そうか……そうだ。こいつが「気付かれない魔物」だとするなら……。
どうして、最初から思い至らなかったんだろう――それは、エリックが犯人のわけが無いと、決めつけていたからだ。
フォコンドたちも、王都の役人たちも、揃いもそろって馬鹿ばっかり。
そう思っていたのに、本当はわたしこそが――。
「……全部、考え直さないと」
考えても考えても、分からなかった。
人狼――「人真似をする狼」とフォコンドがこの魔物を名付けたとコーリーに聞いた。ヒトの天敵のような魔物だと。
まさしく、人狼はわたしの天敵だった。
コーリーに話した通り、この魔物――人狼は人の心を、記憶を読んでいるに違いなかった。そうでなければルーナを騙せなかったはずだ。他の失踪者のことも。
人の心が分かるのに、その人の愛する人に成りすますことが出来るのに、どうしてお前はその人を殺して喰えるんだ。
わたしがお前だったなら……お前が百人を食い殺す間に、わたしは百人の愛を得ていたに違いない。
……人狼め。
◆◇◆
その夜。
薪割りを終え、〈しまふくろう亭〉のミオリが作った夕食を食べていた時。
コーリーの様子がおかしかった。
「私、人狼の秘密がわかったかも知れない!」
いつになく、きらきらと燃えるような目で、そんなことを言い始めた。
いつもの弱っちいコーリーなら、自信なく申し訳なさそうな面持ちで、わたしの後をついて来ていたはずだった。
わたしは弱いコーリーのために、わたしの考える「優しさ」を発揮し、出来る限り彼女の意に添うように依頼をこなしてきた。それが非効率的なことであっても。
そもそも、わたしはコーリーに対して、冒険者としてパーティの一員として、活躍して欲しいなどとはこれっぽっちも期待していなかった。
わたしがコーリーに期待しているのは、ほんの短い言葉だった。
好きだよ。あなたを愛してる。
ただ、そう言ってもらえたら、そう言ってくれる人が傍に居たのなら、わたしは冒険者などしていない。人狼と呼ばれる魔物なんかとも関わらなかっただろう。
かつては、フォコンドやククルにその言葉を期待していた。でも彼らはわたしを拒絶した。彼らは楽園の鍵を持つ人ではなかった。
そんなことを考えているわたしに、コーリーはわたしの望まない話を続けた。
「人狼はきっと、心理的に閉ざされた場所に入れないんだよ!」
閉ざされた場所に入れない……人狼はきっとそうなんだろうとは思っていたが、心理的に入れない、というのは、今一つぴんと来なかった。
心理的に入れないという状況が、わたしには分からなかった。
わたしはいつだって、居たい時に居たい場所に、行きたい時には行きたい場所に行く。
今はコーリーの側に居たいからここに居る。
物理的に閉ざされているならともかく、そうでないなら行けない場所など無い。人間のわたしですらそうなのだから、魔物ならなおさら。
首を傾げるわたしに、コーリーは辛抱強く――たぶん辛抱強く説明した。
「アトラファだって、お風呂に入るのに厨房の通り抜けは止めたでしょ。それは怒られるからだよね。そこを通ると嫌なことがあるってわかるからだよね」
「ん、まぁ……でも、魔物がそんなこと考えるわけが――」
「人狼は人の心を読むんでしょう。だったら『この人は警戒してそう』とか『この人は気を抜いてそう』とか、そういうのも見えてるんだと思う。そうして――人の油断を誘って狩りをしてるんだよ。だから親しい人の声を真似るんだよ」
「………………」
コーリーの説は、元々のわたしの説を補強するものだった。
でもやっぱり、この時点でわたしには分からなかった。
親しい人ってどういう人? 例えば、ドアの外からコーリーの声がしたとして、人狼にコーリーの声で「開けて、アトラファ」と言われたとすれば――。
――わたしは納得した。
間違いなく、わたしは喜んでドアを開けるだろう。
人狼。なんて恐ろしいんだ。
わたしはコーリーを少し見直した。弱っちいだけの子じゃなかった。
褒め称えるとコーリーは赤くなって頭を掻いた。
「これならきっと、フォコンドも役人も納得する。たくさんの冒険者が協力してくれる。明日、コーリーの話を聞いたら」
「えへっ……。え……明日? 私の……私が、話すの?」
「ん。よろしくね、コーリー」
一転、コーリーの顔は蒼白になった。
なんだろう。赤くなったり青くなったり……体調が心配だ。
◆◇◆
翌日のこと。
ギルド会館二階、会議室。
やはり体調が思わしくないのか、コーリーは扉の前でもたもたして、何度も呼吸を整えていた。わたしは今回も「優しさ」を発揮して、コーリーを会議室に座らせて休ませようとした……が、これはどうやら失敗だった。
コーリーは転んで、床と扉に顔をぶつけて鼻血を出し、駆け寄ってきたククルに介抱する機会を奪われた上に、なんだかわたしが悪いみたいに言われてしまった。
おまけにフォコンドがこっちを睨んでいるし、ごま塩頭のダリル主任がニヤニヤと薄ら笑いをしている。特に司法部の役人たちは、敵意を持った、やっかい者を見るような目つきをこちらに向けていた。
面倒くさい……。
こういう人たちの相手をしたくないから、わたしは今回の事件もほぼ一人で何とかするつもりだった。それでも人手が多い方が良いということは分かっていたので、コーリーにだけは手伝わせた。
そうしたら、わたしの知らぬ間にコーリーは自分で考えて行動し、いつの間にかフォコンドの協力を取り付けていた。フォコンドに突きつけられた「致命的な欠陥」も一人で考えて……おそらくは正答を導き出した。
ほんの僅かな間に、コーリーは変わってしまった。
わたしの後ろをついてくるだけの子ではなくなった。
それが、わたしにとって望ましい変化なのかどうか、今は判断が付かなかった。




