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姿なき人狼 ⑫

 ルーナの仇を討つ。エリックの無罪を証明する……どうやって?

 ユーニスが、エリックの声を聴いているのに。


「アトラファは、他に犯人がいると思ってるの? 理由があってそう思うの?」

「ん。理由はわたしがエリック犯人説を否定したいから」

「……それだけ?」

「それだけじゃない。どうしても気になる……犬の足跡。見えない犬」


 例の足跡。〈しまふくろう亭〉の周りを気味悪いくらい執拗に嗅ぎ回っていた。

 昨日、アトラファは冒険者ギルドで犬を探す依頼が無いか確認した。その返答は、この二週間以内では無いということだったらしい。


「王都には、野良猫はいても野良犬はいない」


 王都では、人間に対して殺傷能力を有する管理されていない獣は、早々に捕獲され処分されてしまう。可哀想だが、王都は城壁に囲まれているので、外敵の侵入には強固な守りを持つが、ひとたび侵入されると人間の逃げ場が無くなってしまうためだ。


 まして、この「見えない犬」は足跡を見るにかなりの大きさだ。

 この大きいはずの犬を誰も見ていない。足跡のことも誰も気にせず、冒険者ギルドに依頼も寄せられていない……言われてみれば、確かに気になるけれども。


「ルーナの……ことや、失踪事件には関係ないと思うけど」

「それも」


 言って、アトラファはコーリーの鼻先に指を突きつけた。

 たじろいで仰け反った鼻腔を、芳しいカカオの香りがくすぐった。カカオを使った焼き菓子は、最近のアトラファのお気に入りのおやつだった。朝食代わりにつまんだのかも知れない。


「誰も足跡の正体を追求しない。わたしもコーリーもそうだった。気にしてもすぐに忘れて別のことが気に掛かってしまう。他の人は端から気にしてないのかも。ミオリみたいに」


 確かに、あの時のミオリはずいぶん呑気だった。

 王都で長年暮らしているミオリにとって、大きな野良犬がうろついているというのは非常事態のはずだ。あの時はそこまで考えず、ミオリのおっとりした性格のせいだろうと流してしまっていた。その後もあまり気に留めなかった。


「例えば、柵に囲まれた牧場で羊が何頭も消えたとする。周囲には狼の足跡……羊飼いはこう考えるはず。『羊は狼に攫われて喰われた』」

「う、うん、まぁ、そう考えると思うけど……」

「今、城壁に囲まれた王都で同じことが起こっている。人が消えて、犬の――狼の足跡。それなのに誰も気にしない。これは、どうして?」


 いや……だって牧場の柵と、城壁は違うから。

 城壁があるんだから、狼は入って来れないんだ。いや……いや、違う。

 狼は入って来る。その例を知っている――そう、雨を呼ぶ魔物。

 黒い蝸牛の魔物は人知れず王都に侵入した。魔物が王都に入り込むことはある。

 アトラファは続ける。


「もう一つ。ルーナの遺体には致命傷となった傷が見受けられなかった。それを理由に、毒を使った殺害と見なされ、調査がされているらしい……できたらルーナの遺体はわたしが調べたかったけど」


 遺体と聞いて、コーリーは改めて「そうか、アトラファはルーナに会ったのだな」と思った。死んだ後のルーナに……。

 話を聞く限り、ルーナは綺麗なまま死んだのだ。刺されたり殴られたりはしなかった。血を流すこともなく――では、なぜ死んだんだ。


 考えるだけで心が痛い。でも、泣くのを止めて、アトラファと共に真相を追及することに決めた。考えることを止めるわけにはいかない。

 アトラファは、更に続ける。


「エリックが殺人犯であるなら、失踪後十日余りの間、もしくはずっと以前から毒を用意していなければならない……失踪後、つまり疑いを掛けられた後に目立つ行動をしていれば、すでに捕まっている。以前から殺害の準備をしていたとすれば、なぜ直前に『失踪』という不可解な行動を取ったのか」


 衝動的に姿を消したなら、その後に毒を調達するのは難しい。城壁の中で身を潜めながら準備するのも、城壁外で毒を入手して再侵入を果たすのも、極めて困難といえる。

 逆に計画的に毒を用意していたのなら、ルーナ殺害前後の行動に疑問が生じる。


「エリックには安定した収入があった。何かわけがあってルーナ殺害を計画したとしても、自分自身の生活を守らずに姿を消す理由が分からない……痕跡も残らない即死毒。そんな毒があるなら『娘は急病で死んだ』とでも言えばいいのに、そうしなかった」


 そしてルーナの死後、エリックは再びわけも無く姿を消したということになる。


「ルーナを、その……殺して、自分も死ぬつもりだったとかは?」

「可能性は無くはない。でも、死ぬ方法はいくらでもあるのに、わざわざ証拠が残らない毒を苦労して用意するのはおかしい……ルーナを殺した『そいつ』は、自分は死ぬつもりなんかなくて、生き続けるつもりなんだ」


 だから、エリック犯人説を否定する。そうアトラファは言った。

 衝動的であるにせよ計画的であるにせよ、ルーナの死――遺体の状況で以って、エリックによる殺害は否定され得る。


 衝動的であれば、そもそも不可能に近い。

 計画的であれば、ルーナ殺害前後の行動に合理性が無い。計画的とはいえない。

 では――?


「叔母のユーニスが嘘の証言をしている可能性もある。ルーナの死の現場に居合わせたのはユーニスと『そいつ』だけ。エリックの声が聞こえたというのは、ユーニスがそう言っているに過ぎない」


 それは、ユーニス真犯人説。

 感情的には否定したい。ユーニスとルーナは叔母と姪という関係ながら、まるで実の親子のように見えた。ユーニスはルーナを心配していた。


 だが印象で語ることは無意味だ。

 ユーニスが嘘の証言をする理由。それがあるとしたら……自分、または夫が真犯人である場合だ。

 動機は? 財産とか? いや、これだと動機が何であれ――おかしい。えっと、


「ん、ユーニスやその夫が犯人である可能性は限りなく低い。ユーニスが姪のルーナを実は殺したいと思ってたかどうかは知る由がない。でも、ユーニスがルーナの殺害に関わっていたとすると、遺体に外傷が無いのはおかしい」


「……ごめん。分からない」

「エリック犯人説の否定と同じ。元々、失踪事件で疑われているエリックに罪を押し付けるのに、わざわざ希少な毒を用意してルーナを殺すのがおかしい。自宅にはエリックの私物をはじめとした、本人の痕跡がある凶器がいくらでもあるのに、なんでわざわざ入手経路を調べられる危険がある、毒を使う?」


 アトラファは自らユーニス犯人説を否定したが、コーリーはまだ分からない。

 ユーニスが嘘の証言をしているとしたら。エリックに罪を着せようとしているとしたら。


 ……そうか。

 外傷の無い遺体を作らなければいけない必要性を、見つけられない。

 エリックにユーニス。どちらかが犯人だとしても、ルーナの遺体に傷が無かった理由を説明する材料が無い。つまり――、


「ええと……、ユーニスさんは嘘を言っていない?」

「たぶん」


 頼りない返事だったが、ユーニスが嘘の証言をしていないと仮定すれば……。

 アトラファは暫定的ではあるが、結論に達した。


「ということは、ユーニスは本当に聞いたんだ。エリックの声を。『ルーナ、今帰ったよ』……エリックの声でそう言った奴。ルーナに扉を開けさせた奴」

「待って。待ってよ……うん、エリックさんじゃない。ユーニスさんでもない。なら、」

「――『そいつ』は数日おきに人を狩っていた。エリックから始まって、四人」


 四人。それはエリックを含めた失踪者の数だ。ルーナを入れれば五人。

 エリック・ラグウェルも後の三人の失踪者も……ルーナも、皆、そいつに。


「でも、『そいつ』は狩りをしくじった。ルーナを殺すことは出来ても、それまでの獲物みたいに攫って喰うことは出来なかった。二階にいたユーニスに気が付かなかったのか。それとも別の理由からか……」



     ◆◇◆



 もう、コーリーはアトラファが何を言いたいのか察していた。

 ルーナを殺害した者は、近しい人間ではない。

 城壁に閉ざされた王都。失踪者。犬の――狼の足跡。見えない獣。


「……この魔物は、」


 アトラファはついに言った――魔物と。


 前回の雨を呼ぶ魔物とは違う。地下に潜んで雨を降らして、人々を困らせているのではない。堂々と地上で人を狩っている。しかも気付かれずに。


「おそらくエリックが消えた日、この魔物は街に入って来た……最初の話に戻る。誰も足跡を気にしていない。エリックが犯人だとすると説明が付かないことが沢山あるのに、誰もが足跡から目を逸らしてエリックを追っている」


 コーリーは頷いた。今なら納得できる。

 ルーナの一件だけでもおかしいのに、全ての失踪事件にエリックが関わっていると見るのは――無理がある。


「初めは、王都の役人やフォコンドたちが、間抜けぞろいのせいだと思ってた」


 アトラファがさらっと暴言を吐いたが、コーリーは何も言わなかった。

 同意したのではなく、続くアトラファの言葉が心胆を寒からしめたからだ。


「でも違った。『気付かれないこと』。それがこの魔物の能力だったから」


 気付けない魔物。

 コーリーとアトラファは、そいつと戦わなくてはいけなかった。



     ◆◇◆



「『気付かれない』っていうのは、透明になれる魔物ということ?」

「ちがう。わたしもそう思ったけど、透明になれるだけだと説明できないことがある」


 誰もが足跡のことを気にせず、検証すれば不自然な部分が多い「エリック犯人説」を信じて追いかけている理由。

 そして、失踪者――おそらく魔物の犠牲となった人たちが見つからない理由。


「これらは透明なだけだと説明できない。だから『気付かれない能力』なんだ」


 魔物の存在には気付けないが、実際には失踪者が何人も出ている。

 怪しいものは居ない。なのに怪しい事件が起きる。その矛盾を無意識に解消するために、最初の失踪者であるエリック犯人説が発生したのではないか。

 また、魔物の犠牲者の遺骸が見つからないのも不自然だ。


 コーリーは、黒い蝸牛の食痕や、先日の依頼で見た猛禽の巣の様子を思い出した。食べられたのだとしても、その痕跡は残っているのが普通だ。

 透明になるのではなく、人の心に作用して「気付かれない」。これがこの魔物の能力であるとアトラファは主張する。


「……じゃあ、何でアトラファは気付いたの?」

「この『気付かれない能力』は恐ろしく広範囲かつ強力で、下手すると目の前に魔物がいても気付けない。でも完璧じゃない」


 広い王都の誰もが、この魔物に気付けなかった。

 コーリーたちが、ルーナの家に行った日。

 あの日、アトラファはアリの巣をほじくって暇つぶしをしていた。


「わたしは外で待ってた。足元を見て、やけにアリが多いなと思ったら、巣が踏み壊されてた。土はまだ湿ってて、今壊されたんだと思った……目の前なのに気付かなかった」

「あの時、そんなことしてたの」

「ん。あの時はモグラが巣の近くを通ったかして、陥没したと思ったんだ……今でも、魔物が目の前を通り過ぎたという確証は無い。そうだったのかもというだけ」


「完璧じゃないっていうのは? 目の前にいても気付けないんだとすると、それは完璧だと思うんだけど……」

「この魔物の『気付かれない能力』は、自身やその犠牲者の存在を、人の意識の外に逃がすけど、存在しているという証拠までは消せない。足跡とか、失踪した人がいるという事実とか」


 そして、この能力が効きにくい人がいるという。

 それはまさしく、アトラファのことだと思ったが――。


「コーリーもそう。コーリーは足跡を見つけた」


 コーリーとアトラファの共通点。それは「魔物が王都に入り込むわけがない」という先入観を持っていないことだ。

 魔物が王都に入り込むことはあり得る。そう考えている人は少ない。

 常にそのように思っている人に対して、気付かれない能力は効きにくい。


「でも効きにくいというだけで効かないわけじゃない。気を抜くと、わたしもコーリーも足跡のことを忘れる――気にならなくなる。これが、この魔物の一番恐ろしい能力」



     ◆◇◆



「一番って……まだ能力を持ってるってことなの?」

「明らかになっている魔物の能力は、三つ」


 一つ目。今話していた『気付かれない能力』。

 二つ目。外傷を残さない『正体不明の即死攻撃』。

 三つ目。『人の声真似をする』。


「……声真似?」

「ユーニスはエリックの声を聞いた。『お帰りなさい、お父さん』というルーナの声も……つまり、ルーナは騙されてドアを開けた。この魔物はエリックの声真似をした」


 そうだ。

 ユーニスの証言が真実だとするなら、エリックの声は魔物が発したもの。

 そしてルーナは、父親が帰って来たと思ってドアを開けたんだ。

 それだけそっくりだったということだ。父と偽り、その娘を騙せるくらいに。


「でも……なんで? どうやって?」


 またしても疑問が浮上する。

 気付かれない能力。即死攻撃。この二つだけでもう手に負えない。

 三つ目だけが無駄に思える。最強の能力を併せ持っているのに、なぜやりたい放題に狩りをせず、人の声を真似て扉を開けさせるのか。

 それに、どうすれば肉親を騙せるほど上手に真似ることができるのか。


 魔物はエリックの声を真似た。エリックも犠牲者の一人と数えるなら、魔物はエリックを当時すでに知っていたはずだ。だから真似れたのか?

 それでは、最初にエリックを襲った時は誰を真似たのだ? 後に続く犠牲者を襲った時には……。

 アトラファは俯いて考え、顔を上げて言った。


「これまでの失踪者は『一人になった時、閉ざされた場所から』いなくなっている。この魔物は閉ざされた場所に入らないか、入れないんだ」

「だから、親しい人に成りすまして内側から開けさせる……?」


 それでも納得に至るとは言い難かった。

 閉ざされた場所に入ることができない。ならば閉ざされていない、人がたくさん歩いている開かれた大道で狩りをしまくればいい。そうしない理由は何か。


「……分からない。理由としては苦しいけど、習性……今はこの魔物がそう決めているからとしか言えない。この魔物は狩りの手法を遵守している。無敵の能力を持っているのに、好き勝手に力を振るわず、『気付かれないこと』に徹している」


 だとすれば何というか――用心深い。

 魔物らしくない。むしろ人間っぽい。本当に魔物なのか――。


 やはりエリック・ラグウェルこそが犯人では……。

 そんな考えが頭をもたげ、コーリーは慌てて――ぞっとしてそれを振り払った。


「どうやって、エリックさんの声真似をしたのかは?」

「この魔物は心に作用する能力を持つ。たぶん人の心を読んでいる。記憶と言い替えてもいい。そうして、その人にとって大切な誰かに成りすますことができる」

「そんなの……」


 どうしようもないのでは。

 気付かれない能力。即死攻撃。心を読む。勝てっこない。

 強すぎる。そんなの嘘でしょと鼻で笑いたくなる。でも……でも、何とかしなければ次の犠牲者が出る。

 魔物は短命だというが、それでも犠牲は出る。この魔物が死ぬまでずっと。


 犠牲――ルーナ。

 コーリーは、ぎゅっと拳を握り締めた。


「……勝てるの?」

「勝てる。やっかいなのは『気付かれない能力』だけ」

「『即死の攻撃』は? こっちの方がやっかいだと思うんだけど……」

「致命的な攻撃をしてくるのはこの魔物に限ったことじゃない。攻撃の正体が分からないのは難点だけど、対処法はある」


 ルーナの死が、全てを教えてくれたとアトラファは言う。

 違和感でしかなかった「足跡」は気付きに変わった。

 その場に居合わせたユーニスの証言により、声真似をすることが分かった。

 遺体の状態によって、何らかの即死攻撃をするということも。


「攻撃の正体が分からないから、真正面に対峙することはできない。でも、こいつは閉ざされた場所に入れない。しかも自分が入れない場所でしか狩りをしない……だったら、ルーナが襲われた時と同じ状況を作って、待ち受ければ良い」


 扉が一枚あれば、この魔物の侵入は防げる。

 魔物が親しい人の声を装って入ろうとしても、こちらはその手管を知っている。

 そして精霊法なら、扉越しに魔物を攻撃することが可能だ。


「問題は、魔物が今どこにいて、次にどこを襲うのか分からないってこと」


 探すしかない。見えない、気付けない魔獣を。

 見つけさえすれば勝てる。そうアトラファは言った。

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