姿なき人狼 ⑩
ラグウェル宅の前には、人だかりが出来ていた。
王都守備隊の兵たちが、物々しく周囲を固め、野次馬たちが不用意に周辺の地面を踏み荒らして証拠を消したりしないよう、見張っている。
家の中では、現場に居合わせたというユーニスが事情聴取を受けていた。
「――兄さんの、声でした。『ルーナ、今帰ったよ』って……私は二階にいて……その声が聞こえたので、階段を下りようと向かって、」
ユーニスは、そこで声を詰まらせた。
すでに涙で濡れそぼった手拭いを目元に押し当てると、寄り添っていた旦那さんがユーニスの背中をそっと支えた。
司法部の役人は、ユーニスが落ち着くのを待って先を促す。
「……それから、どうされました?」
「ルーナの声が……『お帰りなさい、お父さん』と。ドアの開く音がして……私が一階に下りたのはその時です。ドアは少し開いていて、ルーナ……ルーナは」
「すでに倒れていたんですね?」
役人が先に言ってしまうと、ユーニスは唇を震わせながら頷き、旦那さんの胸にすがって、声を殺しながら泣き始めてしまった。
役人は、夫婦に向かって深く頭を垂れた。
「よく、お話し下さいました。お身内のことを……感謝いたします」
これで聴取はひとまず終わった。
役人は、ユーニスが夫に支えられて立ち去るまで顔を上げなかった。
夫婦がこの場からいなくなると、凄まじい形相で自分の爪先を睨んでいたその役人は、部下を呼びつけて言った。
「恐れていたことが起きてしまった。やはりエリック・ラグウェルだ。今度は王都守備隊も重い腰を上げた。冒険者ギルドも頼れ。今度は情報を開示する……いや、初めからそうすべきだった」
「早急に。毒の分析も並行して進めます」
「急がせろ。毒の特定が済んだら入手経路を探るのだ。おそらく希少な毒だ。手に入れる手段は、そう多くはないはず……」
役人は天井を見上げた。
ルーナ・ラグウェルの遺体は、生前に使っていたという、二階の自室に安置されている。今は夏の盛り。遺体が腐敗してしまう前に、彼女を死に至らしめた毒物を特定しなければならない。
ルーナの遺体には、これといった外傷が無かった。
指先や膝にすり傷が見受けられたが、それらは日常生活の中で付いた傷と判断できた。致命傷となり得る傷は無かった。当然、出血も。
ルーナに持病は無かったと聞く。信頼し帰りを心待ちにしていた父親を目の前に、突然心不全を起こしたとは考えにくい。
何より、娘が倒れたというのに、父親のエリックがその場から逃げ出したというのは大分無理がある。悪意が無いなら普通は助けを呼ぶだろう。
エリックは娘のルーナを殺した。おそらくは毒を使って。
ルーナの遺体には外傷が無い。傷が無いなら毒だ。そうに違いない。
傷が目立たないよう極細い針に塗ったか。
それとも布に染みこませて嗅がせたか。
だが……そんな毒があるのか?
声を聞いてからユーニスが駆け付けるまで数秒。わずか数秒で効果を示し、死後、遺体に一切の痕跡を残さない――毒。
「……探せ。あるはずだ。エリックは捕らえる。奴は、まだこの王都にいる」
◇◆◇
ククルたち三人は壁を背にして、聴取に立ち会っていた。
死んだ。殺された。あの子が。
ルーナ・ラグウェル。茶色の髪で活発そうな女の子。あの子が……。
冒険者を続けていれば、何度もこんな目に合う。
何かを蹴っ飛ばしたくて、ぶん殴りたくて――でも、ぶん殴るやつが見つからない。そんなことが、何度もある。
ククルが拳を握り締めている横で、『迷子の』コーリーは紙みたいな顔色で呆けていた。
昨日――そう、ほんの一日前だ。コーリーはルーナと仲良くなったんだった。
役人がククルらの方に向き直り、お別れをするか、と聞いてきた。
「……最後に会っていくかね? 今日中に病院へ移す。使われた毒を調べねばならんからな。遺体に触れることは許可しないが、一目見るだけなら……その、希望するならだが」
役人は、明らかにコーリーを気にして最後に付け加えた。
この状態のままルーナと合わせたら、遺体に取り縋ったり、下手すると吐いたりする可能性がある。そう考えての判断だろう。
「……あんた、無理しなくていいのよ」
「だい、じょうぶです……私……」
コーリーは歩き出そうとして壁を離れると、その場にぺたんと尻餅をついた。
「あれ、おかしいな」と言いながら立ち上がろうとするが、脚に力が入らないのか、コーリーは四つん這いの姿勢のまま動かなくなった。
ククルは見かねて、帰って休めと言ったが、コーリーは首を縦に振らなかった。
「平気です。お別れを、しないと……」
「あんたの分のお別れは、あたしが言っとくからさ――」
「でも、」
「――だってあんた、そんなに泣いてるじゃないの」
「え?」
コーリーは、自分が涙を流していることにすら気付いていなかった。
自分の頬に触れ、その手が涙に濡れていることを確かめると、コーリーは「ぐぅ……っ」と痛みを堪えるように呻き、その場に亀の如く蹲って嗚咽を漏らし始めた。
相棒だというのに突っ立っているだけのアトラファを軽く睨むと、ククルはコーリーが落ち着くまで背中を撫でてやった。
「相棒を宿まで送ってやれ」と言いつけるも、アトラファは頑として聞かず、ルーナの遺体を見ると言い張った。
結局コーリーを一人で帰し、ククルはアトラファと共に、二階へと上がることになった。
◆◇◆
――ルーナが使っていた子供部屋。
小さな衣装入れの箱と、背の低い文机。机の上には人形が幾つか載っていたが、ルーナは人形遊びは好みでなかったらしく、それらは机の隅に追いやられていた。
代わりに蝉の抜け殻や、まだ青い木の実などが机の真ん中を占有している。
そして部屋の奥、窓際に据えられたベッド。
そこで、ルーナは眠っていた。
今にも目覚めて「おはよう」と言い出しそうだった。
でも、その瞼が開かれることは、もう二度とない――。
ふいにアトラファがベッドに歩み寄り、ルーナに触れようとした。
「やめろ!」
役人とその部下が慌てて止めに入り、ククルも加勢して、アトラファの襟首を掴んで部屋の外に追い出した。
静かになった部屋で、ククルはルーナにお別れをした。
コーリーの分も。
ルーナ・ラグウェル。生前親しくしていたわけでもなく、顔見知りですらなかった。冒険者生活の中で一度出会い、すれ違っただけの子。
あの子だって……コーリーだって同じはずだ。でもあんなに悲しんで……。
自分には、あの子のように我を忘れるほど嘆き悲しむことは出来なかった。
ククルは、ルーナの魂に黙祷を捧げた。
――ただ、痛ましかった。
会話することもなく、ククルはアトラファを連れてギルド会館へ向かう。
アトラファはコーリーとは対照的に、特に表情を変えることはない。
こいつは、本当に何を考えているんだろう。
たぶん、死を悼むためにルーナに会ったんじゃない。こいつは……アトラファは遺体を自分で調べたかったのだ。毒で殺されたと分かっていて、これから詳細に調査すると聞かされていたのに、わざわざ邪魔して死者を冒涜するようなことを。
◆◇◆
ギルド会館に入ると、アトラファはすぐにホールを突っ切って受付カウンターに向かった。
窓口の前に立ったアトラファは、開口一番に尋ねる。
「犬探しの依頼はなかった?」
「えぇ、犬? 急に言われてもぉ……」
「ここ十日……二週間のでいい」
受付を担当しているリーフという職員が、急な問い合わせに目を回した。
早く探して、と急かされながら依頼書のファイルをめくり、
「……二週間以内だと、無いですねぇ」
「わかった」
もう用は無しとばかりに踵を返すと、アトラファはこちらへと戻って来た。
そのままククルの横を通り過ぎ、ギルド会館の出口へと向かって行く。
「ちょっと、どこ行くのよ!」
「帰る」
「……は!?」
引き留める間もなく、アトラファは去って行った。
感情がぐるぐると渦巻く。
この怒りとも苛立ちともつかない思いを、何にぶつけたらいいんだ――。
◇◆◇
――晩の刻。
行きつけの〈火吹き蜥蜴亭〉という料理屋。宿も営んでいて夜には酒も出す店だ。
ククルは、少し酒を飲んだ。
あまり酔わない性質で、酒が好きでもなかったし、今日はルーナのことがあって、羽目を外せるような日ではなかった。
でも頭の中がぐしゃぐしゃで、少しで良いから酔いたかったのだ。
ルーナ……アトラファ……。そしてコーリー……。
酔いが回ったのか、思っていることが口をついて出た。
「あの子、あたしのこと乱暴で嫌なやつって思ってるんだろーなー……」
「あの子って?」
一緒に飲んでいたパーティの仲間が、ククルの独り言を耳にして聞き返してきた。
迷子のコーリーのことだ、と答えると、今度はリーダーのフォコンドが火酒の杯を傾けながら聞いてくる。
「ククル。お前はどうしたかったのだ」
「……どうって」
「迷子のコーリーを仲間に引き入れたかったのか。それとも……コーリーを通じて、アトラファとよりを戻したかったのか」
見透かされたとは思いもしなかった。どちらも見当違いだ。
両方とも済んだことだった。
だったら自分は……何をしたかったんだろう。
舐められたくないと思って、初対面では威圧するようなことを言った。
冒険者の先輩らしく、美味しい店でも紹介してやろうと思って〈しまふくろう亭〉に案内したら、そこは休業中の上にコーリーたちの下宿だった。
アトラファのやつと上手く行ってないことを何となく察して、知った風なことを吹き込もうとしたら、おそらく逆に反感を持たれた。
……空回りばかり。
「わかんないよ……」
「なら、今は考えずにやるべきことをやれ」
やるべきこと。それは分かり切っていた。
すでに王都守備隊は動いている。
明日には大々的に情報が開示され、冒険者に再度の大召集が掛かるだろう。
明後日には、召集に応じた冒険者に対して司法部主導で捜査の指示が為される。
状況に応じては、限定的ながら市街で武器使用が許可され、逮捕権までもが与えられるはずだ。
エリック・ラグウェルを捕らえる。兵士として訓練を受けているため、並みの冒険者以上に腕は立つだろう。その上、人を即死に至らしめる毒を持ち歩いているかも知れない危険人物。己の娘を手にかけた外道。
ククルは考えるのを止め、それ以上は飲むのもやめた。
やるべきことがあるのだから。




