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姿なき人狼 ②

 この曰く有りげな依頼を、アトラファは華麗にスルーした。

 一瞬だけ依頼書に目を止めたが、その後は一瞥もくれずに「南市街のカラスの巣の撤去。報酬は銀貨八枚」という別の依頼書を掲示板から引っぺがし、受付窓口へと向かう。

 カラスの巣の撤去で銀貨八枚というのは、破格の報酬で美味しい依頼だったが、コーリーはあの奇妙な依頼のことが気に掛かった。


「……あの変な依頼、気にならないの?」

「ん。だって、誰も困ってないし」


 これだ。アトラファはいつもの調子だった。


(……たぶん、かなり困ってると思うよ。その失踪者の家族とかは……)


 アトラファには人の心の機微を察知出来ないという欠点がある、と思っている。善良な少女であるとも思う。困っている人がいれば、アトラファは我が身を省みずにその人を助ける。

 けれど、困っている人が「困ってる」と申告しなければ、あるいは第三者から「あの人が困ってる」と教えられなければ、アトラファには分からないのだ。


 もちろん、コーリーにだって詳細は分からないのだけれど、こうして依頼書が貼り付けられていれば、「この依頼主は困っているんだろうな」という想像はつく。

 でも、アトラファには、それは思いもよらないことであるようだった。


 それは何故だろうと、コーリーは常々、疑問に思っている。

 アトラファは優秀な冒険者で精霊法使いだ。


 とても賢い子で、想像力が欠如しているとは思えない。自身が優秀すぎるあまり、平凡な者の苦悩には思い至らないのだろうか。

 それでも、アトラファがコーリーのために、なるべく安全そうな依頼を選んでくれていることは分かっていたので、何も言えなかった。


 アトラファと共に窓口へ向かう。

 空いている窓口は三番だけで、三番の担当者は若い女性の職員リーフ・ポンドだった。コーリーは冒険者になりたての頃の苦い経験から、リーフのことを「あまり頼りにしてはいけない人」と認識していた。


「おはようございます、リーフさん」

「あらぁ、おはようコーリーさん……それにアトラファさん」


 リーフに依頼書を差し出すと、ぽぽんと判子が押され、受理される。

 口調はのんびりだが、仕事はさばさばしたものだ。

 これがもう一人の職員、アイオンであったなら、「この依頼は期日まで日数が浅いけど、二人で大丈夫なのかい」などと、よくよく依頼内容を調べて忠告をくれるのだが。


「今日は、アイオンさんは……?」

「アイオン先輩は外回りですぅ。色んな冒険者の方たちのとこに、お願いに行ってるんですよぅ。あれ、見ましたぁ? 失踪事件の……」

「見ましたけど……」


 あの依頼は、アイオンが外回りで嘆願に行くほど大事なのか。

 私たちも協力すべきなんじゃないのか、とアトラファの方を見やったが、アトラファは退屈そうに爪先で床をほじくっていた。



     ◇◆◇



 ――空き家の煙突にカラスの古い巣がある。ここ一、二年放置されていたが、最近になって雛の鳴き声が聞こえる。どうやら巣の主が帰って来たらしい。ゴミ捨て場や商店の軒先が荒らされたり、通行人が怪我をする前に巣を撤去して欲しい。


 それが依頼の全容だった。


 現場を訪れてみると、そこは南の城壁に近い空き家で、城壁の高さに迫るほどの煙突がそびえていた。暖炉の煙突だろうか、雨が入らないよう傘が設置され、なるほど鳥が巣を作るには最適の環境と思えた。


「……登れるかな?」

「梯子を借りよう」


 ということで梯子を借り、空き家の二階の屋根に梯子を据え付け、立て付けが悪いのでロープで煙突に結び付ける。

 巣の主であるカラスの襲撃に怯えつつ、煙突の上に辿り着いたコーリーとアトラファが、その巣の中に見たものは、白と茶のまだらの羽根だった。


「……これさ、カラスの巣じゃなくない?」

「ん。なんかの猛禽(もうきん)の巣だと思う」


 巣の中では雛がぴぃぴぃと盛んに鳴いており、巣の周囲には小鳥や鼠と思しき小動物の骨の欠片が散らばっていた。

 いつかの地下市街で見た異様に綺麗な骨と違って、「普通に」汚い骨だった。


 考えてみれば、カラスが営巣するのは春だ。今は夏。

 おそらく別の鳥が、カラスの使われなくなった古巣を乗っ取って子育てをしていると思われる。

 周囲を見渡すと、近くの家の屋根の上で一羽の鳥がこちらの様子を窺っていた。


 親鳥だろうか。カラスや(たか)ほど大きくない。王都に沢山いるハトよりちょっと大きいくらい。

 ハヤブサか何か……アトラファの言った通り、猛禽の一種と思われた。ひとっ飛びすれば城壁も越えられる。そこで野鼠や小鳥などを狩っているのだろう。

 カラスとは違い、人に害は無い鳥だ。


「依頼主に説明しよう。害は無いからほっといても良いって……」

「巣を壊して、完了報告した方が早い」

「だめっ」


 アトラファが巣を地上に落とそうとするのを、コーリーは止めた。

 可哀想だから、ではない……と思う。


 ベーンブルの実家が農業を営んでおり、物心ついた時からその稼業を見てきたコーリーは、害獣害鳥の駆除という事柄に関して、あまり感傷的な思いを抱くことはない。

 しかし、上手く説明できないけれど、今この巣を壊して雛を殺すことは、糧を得るために殺すという以上に、とても罪深いことのように感じられた。


「なんで?」

「なんでって……駄目でしょう、殺したら」

「カラスだったら殺すのに?」


 アトラファがきょとんとした眼差しを向けてくる。


「だってこれは……カラスじゃないし」

「依頼人が『カラスじゃなくても巣を取ってくれ』って言ったら?」

「それは、その時は……」


 その時はたぶん、コーリーは巣を壊すだろう。

 でも今はその時ではない。だから巣を壊して雛を殺したら駄目なんだ……上手く説明できないけれど。


 説得したとは言い難いが、結局アトラファは、コーリーの主張を受け入れてくれた。パーティを組む以前のアトラファは、全然こっちの言い分を聞いてはくれなかったが、最近のアトラファは、コーリーの要望を最大限に叶えようとしてくれる。


 それが申し訳なくもあり、嬉しくもある。

 巣を壊すことなく煙突の上から地上に下り、依頼人に事情を話す。幸いにも、依頼人は「そういうことなら巣を壊さなくても良い」と言ってくれた。


 帰り際に煙突を見上げると、親鳥が巣の中に飛び込んで行くところだった。

 コーリーは、ほっと胸を撫で下ろし、その日の内にリーフに完了報告をした。



     ◆◇◆



 ……数日後。


 報酬を受け取るためにギルドを訪れたコーリーとアトラファに、リーフは困り果てた表情で言った。


「あのぅ……『カラスの巣の撤去』の報酬なんですけどぉ、依頼人が『結局、巣を撤去しなかったんだから、半額の銀貨五枚にしろ』って言ってきてるんですぅ……どうしましょう……?」


 リーフはその交渉に苦戦した挙句、結果的には押し切られてしまったようだ。

 事情を説明した時には「いいよ、いいよ」と気さくな感じの依頼人だったのに……。

 こうした事態も見越した上で、アトラファは巣を撤去すべきだ、と言っていたのだろうか。だとしたら、やっぱり巣を壊すべきだったんだろうか。

 アトラファは全く動揺を見せずに言った。


「半額でいい。いいよね?」

「あ……うん」


 コーリーは慌てて頷く。

 それまで泣きそうだったリーフは、ぱっと表情を輝かせた。


「いいの!? ごめんねごめんねぇ。今度から、こんなことは無いようにするから……ありがとう、ありがとう。これで依頼は完了だねぇ!」


 依頼書に完了の印が押され、報酬の銀貨五枚が支払われる。

 またしてもコーリーは申し訳ない気持ちになり、手続きをするアトラファに近寄って、そっと囁いた。


「その、ごめん、アトラファ。私があんなこと言ったからだよね。報酬は全部アトラファのにして良いから……」


 アトラファはまた、きょとんとした表情でコーリーを見て、「報酬は半々でしょ?」と言った。お金に拘っている様子は全く無かった。

 有難いと思う一方で、コーリーは分からなくなる。

 お金が第一でないなら、どうしてあの時アトラファは巣を壊そうとしたんだろう。そんな風に冒険者をやっているアトラファの、本当の望みは何なんだろう。


 煙突に登っただけで銀貨五枚儲かった、とアトラファが真顔で言った。

 思わずコーリーは笑って、そうだね、と応えた。



     ◇◆◇



〈しまふくろう亭〉に帰って来たのは夕方だった。

 もうすぐに晩の刻を告げる鐘が鳴るだろう。


 ――がちゃ。かららん。


 正面入り口から店の中に入ると、奥の厨房でマシェルが料理をする良い匂いが漂ってくる。近所の酒呑みたちがやって来る、混雑前のひと時だった。


 フロアではミオリが壁掛けの花瓶に花を飾り付けていた。

 いつもは使われていないか、ミオリの気が向いた時にだけ、派手すぎない質素な草花が飾られる花瓶だったが、今日の花は普段より少し豪勢だった。


「ミオリさん、ただいま戻りました……綺麗ですね、それ」

「あぁ、お帰り。コーリーちゃんにアトラファちゃん……これはね、白露草(しらつゆくさ)の花よ。夏にダナン湖の周辺にしか咲かない花で、花持ちも良くないから、他州から来た人は『見たことない』っていうことが多いわね」

「へぇ、白露草……」


 コーリーは、まじまじとその白い花を見つめた。

 白百合ほど大きくて豪奢ではないが、向こうの景色が透けて見えそうなくらいに白く、卵形の花弁が三方向に広がり、中心からはめしべと黄色いおしべ、それに霜のように透き通った微毛が無数に生えている。

 華奢で、清楚可憐な花だった。


 傍らのアトラファに「知ってる?」と視線を向けてみたが、アトラファからは「毒は無いけど美味しくもない」という色気の欠片もない答えが返って来た。食べたのか……。


 でも、どうしてミオリがその白露草を。ずっと店内にいるのに。


「頂き物なのよ。最近、良く食べに来てくれるお客さまから頂いたの。冒険者の方だと思うんだけど……明日の朝には散ってしまうし、せっかくだから飾ることにしたの」

「へぇー……」


 それって下心なんじゃないだろうか、コーリーは思った。

〈しまふくろう亭〉はこのところ、冷製スープの効果で話題を呼び、他の料理も美味いということが広まり、繁盛していた。


 しかし、コーリーはそうしたお客――男性客の中には、看板娘のミオリが目当てで通い詰めている輩も一定数いるのではないか、と睨んでいた。

 ミオリは若くて快活で美人だ。態度と人相の悪い兄がいるのがネックだが、一般人ならともかく、荒事に慣れ怖いもの知らずの冒険者なら、ミオリを放っておかないはずだった。


 なのに、当のミオリは恋愛に無頓着なのであった。


「内装がみすぼらしいって思われたのかしら。確かにうちは古いけど……でも、生花って買うと高いのよ。造花、絵でも飾って……困ったわね、二人は絵を描ける? もし描いてくれるんだったらお小遣い出すわ。定食の無料券で良ければだけど」

「うーん……。私はちょっと、絵には自信が、」


 他の何なら自信が有るのかと問われると言葉に詰まるが、ともかくコーリーには絵心が無いし、絵の具というものは高価であるとも聞く。

 アトラファだって急にそんなことを言われても困るだろう。しかし、


「困ってるの? 予算は?」

「お金はあまり掛からない方が良いわねぇ……アトラファちゃん、出来るの?」

「ん、まぁ出来ると思う」


 安請け合いしない方が良いのではないか、後でそう意見したが、その時アトラファは取り合わなかった。


 ――二日後。

 アトラファは彫刻が施された額縁に入れられた、一枚の絵画をミオリに提出した。

 それは淡い色彩で描かれた、写実的な白露草の絵で、絵の具ではなく草花を絞った汁で描いたものだという。

 使っているのが草の汁だから「これは絵だ」と分かるが、もしちゃんとした絵の具を使って描かれていたなら、きっと本物と見紛うほどの見事な出来だった。

 もちろん、ミオリは大満足した。


「……これ、本当にアトラファちゃんが描いたの?」

「ん、でも絵の具は草の汁だから、色彩はそんなに長く維持出来ないと思う」

「十分よ! 素敵だわ!」


 額縁の製作、簡易とはいえ彫刻すらアトラファが自ら施したものであった。

 一番お金が掛かったのは、額に嵌めこまれたガラス板だったらしい。

 白露草の絵は〈しまふくろう亭〉の壁を長らく飾ることになった。



     ◇◆◇



 ――がちゃ。かららん。


 中天の刻を回り、昼食目当てのお客が掃けた頃。

 一人の青年が、〈しまふくろう亭〉の扉を開き、店内に足を踏み入れた。


 遅めの昼食を摂っていたコーリーとアトラファ、フロアのテーブルを拭いていたミオリが、一斉に入口を見やる。店主のマシェルは厨房で仕込みをしている。

 青年――アイオン・ベルナルは、にこりと笑って言った。


「やあ……評判の『冷製スープ』を貰えるかな? 表に看板が出てたから……やっているんだよね?」


 そう言うアイオンは、やつれていた。

 笑顔に生気が見受けられない。夏の逃げ水か蝉の如き儚い笑顔であった。


「ど、どうしたんですか、アイオンさん……そんなにやつれて」

「あぁ、ちょっと仕事で困っていてね。いや、何でもないんだよ」


 何でもないようには見えなかった。

 アイオンにとって「困っている」というのは、うっかり漏れ出た言葉のあやだったのだろう。他意は無かったに違いない。


 しかし、その言葉にアトラファがピクリと反応する。

 アトラファは、困っている人を認識すると誰であっても助ける、という習性を持つ。

 それが何故なのかは、コーリーには分からないが……。


「……困ってるの?」


 アトラファが言う。

 ――この時から、「人狼」を巡る運命が廻り始めたのだった。

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