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銀の王女と異邦の旅人 ⑰

 自己紹介を終えたレノラたちは、お茶の入った水筒に、ビスケットの缶、ジャムの瓶を続々と取り出した。これだけの量の食べ物を、どこに隠し持っていたのか。


「淑女のたしなみですわ」


 とレノラは言ったが。淑女のたしなみとは一体……。

 当初の予定ではもっと豪勢なお菓子を奮発するはずだったのが、かつらのための想定外の出費で、急遽、缶入りビスケットに変更になったのだそうだ。


 皆にならい、半分に割ったビスケットを木苺ジャムの瓶に直接つけて食べる。

 行儀の悪い食べ方だと思ったが、口に入れてみると、その美味しさに目を見張った。

 甘酸っぱさの後に、芳醇な果実の香りが鼻を抜ける。


「あのあの……そのジャム、ウチが作ったんです。えへ」


 アルネットの表情の変化に敏感に反応し、タミアが言った。

 何でも、学院の敷地内に木苺が群生している穴場があるそうだ。

 穴場を教えてくれたのも、ジャムの作り方を教えてくれたのもコーリー・トマソンらしい。そのコーリーとの約束で、穴場の場所は誰にも明かせないとも。


「場所が明らかになったら最後、おやつに飢えている寮生たちに乱獲され、木苺の群生地は消滅の憂き目を見るであろう、というのがコーリー先輩の警告なんです……」


 と、タミアは申し訳なさそうに言った。

 単に場所を独り占めしたいだけではないのか。と問うと、アルネットの対角に座っているパンテロが口を開く。


「寮生の食に対する執念、甘く見ないほうがいいぜ……玉葱の件、忘れたのかよ」

「玉葱? なんでわたしが小さい頃、お腹を壊したことを知ってるの?」

「……本当に知らないのか王女サマ。あんたは、コーリーの退学に関わっていないのか?」

「……? ……??」


 アルネットは混乱した。

 確かに玉葱は大嫌いな食べ物だが……パンテロの言う「玉葱の件」が何のことなのか分からない。それがコーリーの退学に関してアルネットが潔白であることに、どう結び付くのかも分からない。

 そのことについて詳しく聞こうと、息を吸い込んだ時には、パンテロは目を伏せてビスケットを齧っていた。「アタシに聞くんじゃねえぜ」と言いたげだった。


 視線をさまよわせると、パンテロの隣に座るレノラと目が合う。

 レノラが何か言おうとした時――、


「カップが一つ足らねーです!」

「あっ、本当だ。足りない」

「う?」


 クルネイユ、タミア、無心にさくさくビスケットを齧っていたエリィが、口々に声を上げた。

 甘いジャムとビスケット。そろそろ喉が渇いてきたのでお茶でも一口、という頃合いでの出来事だった。

 クルネイユがやおら、左右にいるタミアとエリィの腕を取って立ち上がる。


「じゃ取ってくるです」

「ちょ、引っ張らないでクルちゃん」

「ふぇ、エリィまだ食べてるのに!」


 エリィが不満げな声を漏らし、口にビスケットを押し込む。

 タミアは慣れた様子でクルネイユについていく。

 クルネイユが「あんたの部屋、ここの正面なんだからすぐです」と言えば、タミアは「あっ、そうだね、エリィちゃんの部屋は向かいだもんね」と追従し、エリィは「にもつ全然ないよ? カップもないよ?」と返す。

 その三人の背中に、レノラが声を掛ける。


「三人とも、寮監に見つからないように」


 クルネイユを先頭とした三人は、それぞれ「はーい」「は、はいっ!」「あい」と息の合ってない返事をしてきた。

 エリィには、新しい友達が出来つつあるのかも知れない。

 少し寂しく思ったが、それはけっして悪いことではないだろう。アルネットの侍女であることだけがエリィの人生ではない。エリィの思うように友達を作っても良いのだ。

 バタン。ドアが閉まる――。


「――ちょうど良くうるさいのが席を外しましたわね。苦労を掛けますけれど、お守りはタミアに任せましょうか」

「……だな。今のうちに話しておきたいことがある――」


 途端に、レノラとパンテロの眼光がアルネットを射抜いた。

 部屋の空気が一変したようだった。

 なにこれ怖い……和解の席、じゃなかったの?


(トゥールキルデ姉さま……)


 アルネットは、タンポポのお守りをポケットの上から押さえた。



     ◆◇◆



「『王女哨戒委員』が何かはご存じでして?」

「し、知らない……」

「では、寮内で『王女警報』という言葉を聞いたことは?」

「それは……あるような、気がする……」

「では次に――」


 レノラの尋問――尋問といって良いだろう――にアルネットは問われるまま、答えられる限りのことを答えていた。

 パンテロは腕を組んでそれに聞き入っている。


 エリィ。早く帰ってきて。

 頭の中がぐるぐるし始めた頃、レノラが言った。


「この辺りで満足ですかパンテロ。王女殿下は」

「分かった、納得したよ。王女サマは知らない……アタシらと同じように」


 レノラとパンテロがよく分からないやり取りをし、アルネットはますます混乱する。

 わたしが、知らない? パンテロと同じように、何を?

 いや――彼女らの行動原理は一つだ。


 コーリー・トマソン。


 不可解な退学処分。その直後にエリィが来た。

 急速に頭が冴える。

 そうだ。わたしは知らない。知らなかったから苦しんだ。


「わたしは知らない……コーリー・トマソンが退学になった理由……いいえ、理由はわたしだった。皆がそう思っていた。でもわたしは違う……コーリーの退学を望んでいなかった。では『誰か』が……理由を捏造した?」

「さすが王女殿下。話が早いですわ」


 でも、それでは不十分なのです、とレノラが続けた。

〈学びの塔〉の仕組み。異様なほどにアルネット王女を優遇する仕組み。

王女本人が表明していない希望も叶える。基本方針は「王女の敵の排除」。潜在的な敵も排除。二歩三歩先の未来を考慮しない。とにかく排除。その結果、別の敵が発生したらそれも排除――。


 アルネットはこの日この時、自身が何ゆえに女子寮で蛇蝎の如く嫌われ、怖れられていたのかを知った。

自分に不敬を働いたため、退学の勧告を受けた生徒が複数名いることを初めて知った。その生徒らが、退学を免れるため絶対服従を誓う念書を書くことを強制されたことも。


 アルネットが入寮する以前、食堂のクリームシチューには玉葱が入っていて、その後入れられなくなったことも。

 寮生からの嫌がらせが増え始めたのも、その頃だった――。


「そうそう。『王女哨戒委員』というのは、その嫌がらせグループのことですわ。何を隠そうパンテロと、タミア、クルネイユもその一員なのですわ」

「なっ!」


 アルネットは激昂しかけ、パンテロは「今それを言うか」と恨みがましい視線をレノラに送った。

 レノラは、怒らないで最後まで聞いて下さいまし、と宥める。


「……寮生は全ての元凶が王女殿下だと思っていました。いえ、今でも思っています。だから王女殿下に対して自衛の手段を取ったのですわ。逆らえば退学。なら遠巻きに監視と牽制をするしかない。その手段が『王女哨戒委員』です」

「わたしは誰も退学になんかしない! やろうと思ったって出来ない!」


「はい、知ってますわ。でも退学勧告は『王女の名において』為されてきました」

「違う、わたしじゃない! 本当に……!」

「ええ。だから今はもう知ってるのです。王女殿下ではない『誰か』が」


〈学びの塔〉の極端な仕組みを利用して、アルネットを窮地に陥れようとしている。

 レノラはそうした仕組みがあるのではないか、という疑念をごく最近抱いたという。

 では、その「誰か」は、仕組みの存在をもっと前から知っている者。

 知った上で、利用できる立場にいる者。


「その誰かは、寮監のカイユ・ラトラウル先生ですわ。まず間違いなく」


 パンテロがまじかよと呻いた。


 あの、いま一つやる気の感じられない教師。信じ難かったが、アルネットはエリィが編入する際の騒動を思い出した。

 偽のアルネットの推薦状。サーリアがそれを見抜き、ティオ教師は異常に焦っていた。結局はアルネットが自身の心の誘惑に負け、推薦状が本物であると認めてしまったのだが。

 実は不正入学――ということを、当のエリィは知らないが、アルネットは知っている。


「あ、う。エリィは、その、ふせい」

「どうせ無理矢理に編入したんだろ? コーリーが退学になったすぐ後に入った王女のお付きの編入生なんて、まともなもんじゃねえって、皆思ってたよ」


 パンテロの言葉に、アルネットは肩をびくつかせた。


「え、エリィは……」

「エリィがどんな経緯で編入したかはこの際どうだっていい。アタシらは正義の味方じゃねえ。コーリーを復学させるためには、エリィの『王女の侍女』って肩書が有効になるかもしれねえし」


「その件だけは、王女殿下は〈学びの塔〉の仕組みに乗っかったんですわね。だからややこしくなったんですわ」


 本当にレノラとパンテロは、コーリーを取り戻すことしか考えていなかった。

 正義とか何とかいうものは、二の次なのだった。


「どうして? 不正を告発すれば、コーリー・トマソンの退学は取り消しになるかも知れないのに。わたしも今なら証言するし……」

「無意味だからですわ。〈学びの塔〉は王女殿下を処分しない。逆にわたくしたちを排除するでしょう。早ければ明日にもわたくしたち、退学ですわ」

「えっ」

「やっぱりかよ」


 アルネットは目を瞬かせ、パンテロは深く溜め息を吐いた。

 レノラたちが退学に……。さっき聞いた〈学びの塔〉の仕組みに照らすなら当然だ。

 一方的な被害者であったコーリーですら「王女と敵対した罪」により退学に処せられたのだから、あれだけ派手にやったレノラたちが、処分を受けないはずがない。


「レノラ。お前さぁ、それ言ったらアタシらが協力しないと思ってたのか?」

「ええまぁ。いえ……パンテロはともかく、タミアとクルネイユは――」


 レノラが言いかけた直後、ドアが勢いよく開かれた。

 目を向けると、ドアを開いたのはクルネイユだった。その後ろにタミアとエリィもいる。



     ◇◆◇



「退学なんて、聞いてねーですっ!」

「やっぱりドアの外で聞き耳立ててましたのね、クルネイユ。カップを取りに行っただけにしては、ずいぶん帰りが遅いと思ってましたわ」

「何かむつかしい話してるから、気をつかってたです! それより退学って……!」

「安心して。退学にはなりませんわ……王女殿下が協力して下されば」


 レノラは、アルネットに視線を戻した。

 その視線はまるで勝負の時のように真剣で、アルネットは思わず居住まいを正した。


「アルネット様の、協力が必要です」


 レノラは言った。初めてアルネットの名を呼んだ。

〈学びの塔〉には「アルネット王女の意向を優遇する」という不文律がある。

 不文律であるがゆえに、どこまで有効であるのかは不明だが、コーリー・トマソンの事例を鑑みると、かなり優先度が高いようである。

 これを生徒が知らないのを良いことに、王女本人には何も知らせぬまま、その威光だけを借り受けて専横している者がいる。


「それが、寮監のカイユ先生ですわ」


 カイユ・ラトラウル教師。

 女子寮の寮監で、火と風の法術に長けた実技指導官。

 でも、彼女が黒幕である証拠は無い。


「なんで寮監が王女に嫌がらせするです?」


 クルネイユの疑問。

 なぜカイユ教師が〈学びの塔〉の方針と異なる、王女に仇なす行為をしているのかは分からない。が……消去法で、カイユ先生しかいない。

 ある生徒を退学させるべきとの承認を学長から得るのも、王女の偏食を調査して学食から玉葱を除けと指示するのも、一般生徒はもちろん、他の教師だって出来ない。


 王家の後ろ盾を持つ王女がそうしているのだ、と思われていた。

 そうでないなら、寮監のカイユ教師が学長に虚偽の報告をし、学食に無茶な指示をしている可能性が最も高い。

 動機は今のところ不明だが、女子寮の不和を引き起こすのは、寮監のカイユ教師でなければ実行は困難だ。

 そう、レノラは言いきった。


「協力していただきたいのです。カイユ先生を廃することに。〈学びの塔〉の仕組みは、教職員にも有効だと……寮監でも逆らえないと思っています」

「わたしが、協力を拒んだら……?」

「元のもくあみですわ。いえ、もっと悪くなる」


 寮の皆は今、溜飲を下げている。

 破壊と暴虐の王女が、レノラたちに下され反省した。そう思っている。

 しかし、アルネットがレノラたちに協力せず突き放したら、仕組みに則ってレノラたちは退学になるだろう。

 寮生の怒りは爆発するに違いない。その矛先は――アルネットとエリィだ。


「……全部こうなると分かってて、わたしに勝負を挑んだのね?」

「はい。だから勝ち負け以前に――いえ、勝たなくてはならなかったのですけど、アルネット様が勝負に乗ってくれることが絶対条件だったのですわ」

「……協力します。わたしとエリィのために」


 この日より、アルネット王女と従者エリィは、レノラたちと友好を深めた。

 傍目にもそのように映るよう、極力行動を共にした。

 敵同士ではなく、友達に見えるように。

 レノラたちに退学勧告が為されることは無かった。

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