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銀の王女と異邦の旅人 ⑯

 レノラたちとの激闘を繰り広げた、その日の夜。

 アルネットは自室でそわそわと過ごしていた。

 負けた方が勝った方の言うことをきく。そういう条件の勝負だった。

 そして、アルネットは負けてしまった。


 ――今夜、部屋の鍵を開けておいてください。それだけですわ。


 勝者であるレノラの要求は、本当にそれだけだった。

 その意味を計りかねて、アルネットは部屋の中をうろうろしていた。


 部屋中に張り巡らされた紐に、洗濯物が掛かっている。

 何となく寮の共同の乾燥室を使用することに抵抗を感じているアルネットは、洗濯物は自室で干すことにしていた。火の精霊法を調節すれば難なく乾燥させることができる。

 そうした洗濯物をすり抜けながら、アルネットはうろうろしていた。


(……はっ。『鍵を開けておけ』ということは……)


 レノラはここに来るつもりなのでは。

 誰かを部屋に呼んだことなんて無いから、気付くのが遅れた。

 まずい。とアルネットは思った。洗濯物を片付けなくては。


 洗濯してあるとはいえ、普段使っている下着を他人に見られるのは嫌だ。それが嫌だから自室で干しているのに、ましてあのレノラに……!

 急いで洗濯物を取り込み始めると、そのタイミングを狙い澄ましたかのようにドアがノックされる。


(何てこと! もう来た!)


 アルネットは焦り、ぶら下がっているシーツを強く引っ張った。

 シーツは紐ごと外れ、アルネットはつんのめって洗濯物の上にぼふっと倒れる。

 その振動のためか、この春に寮の前庭からこっそり移植し、最近になってようやく花軸を伸ばし始めたタンポポの鉢が棚から落下した。

 鉢はうつ伏せに転んだアルネットの鼻先の床に衝突し、がしゃっ! と景気の良い音を立てて割れた。


「きゅっ」


 アルネットの喉の奥から、変な悲鳴が漏れた。

 危なかった。ものすごく下らない理由で生命を落とし、レノラをその第一発見者にしてしまうところだった……。


 ほっとしたのもつかの間、ドアが勢いよく押し開けられる。

 そうだ。鍵を掛けていないのだった。


「どうされましたの!? 今の音は……!」

「あっ」


 ばんとドアを開いた姿勢のレノラと、床に這いつくばったアルネットの視線が合った。

 しかも、訪れたのはレノラだけではなかった。

 レノラの背後には、パンテロとクルネイユ、見覚えのある気がする栗色の髪の少女。

 それに、何故かエリィの姿もあった。


 その全員に、この部屋の惨状を見られた。


「……えーと、王女殿下。これは」


 気まずい空気が充満する中、レノラが何か言おうとする。

 他の者はレノラの言葉を待っていた。エリィは戸惑ってきょときょと周囲を見回している。だが、レノラの横から顔を突き出したクルネイユが「うわ、王女の部屋ちょーきたねーです」と空気を読まない発言をしたために、全ては台無しとなった。


 アルネットは床に散乱した洗濯物に顔を埋めた。

 あぁ……消え去りたい。



     ◆◇◆



 皆で洗濯物を片付けた。

 あまりにも量が多いので、下着類をシーツに包んで部屋の隅に追いやった。

 ほのかに石鹸の香りが漂う部屋の床に、一同は車座に座った。

 何となく息苦しい空気の中、栗色の髪の少女が間を持たせようしてか、言葉を発する。


「あのあの、王女様って洗濯しないと思ってました……」

「わたしは洗濯してます! 汚くないっ!」


 赤面しつつ、きっと睨みつけて反論すると、栗色の髪の少女は「ひっ」と息を呑んでパンテロの背中に隠れた。


「その、汚いんじゃなくて、一度袖を通した着物は捨てちゃうんじゃないかって……」


 消え入りそうな声で弁明する。

 そういう風に思われてたのか。ちゃんと洗濯してるのに!

〈学びの塔〉では、王女だって洗濯をする。というか何でそんなに怯えるんだ。

 羞恥に震えるアルネットに、レノラが言う。


「洗い物の事情はさておき、仲間を紹介いたしますわ。まず……こっちの一見すると霧深い森に住んでそうな美人がパンテロ。こう見えて中身はガサツなんですけれど、頼りにしている友人ですわ」

「なんか、部分的に気に障る紹介だけど……まぁ良い。パンテロだ」


 膝を立て、はしたない座り方をしているその少女は、ぶっきらぼうに名乗った。

 勝負の際はレノラに変装して、光の剣閃を駆使してアルネットの術を受け流し、終盤まで食い下がって見せた少女だ。

 優れた光法術の使い手……という印象だったが、改めて近くでその姿を見ると、なるほどレノラの紹介通り、とんでもない美人だった。


「じろじろ見んじゃねえよ。言っとくけど王女サマがコーリーの退学に関わってないって信じたワケじゃないぜ……でも、アンタが最後に従者を庇おうとしたのを見た。だから保留だ。今はレノラの顔を立ててここにいる」


 そして、やはりレノラの紹介通り、口を開けばガサツだった。

 おまけに信じてないとか。保留とか。

 別に信じて下さいとはお願いしてないのだけど。いや良い……許そう。

 レノラが紹介を続ける。


「えぇと……で、パンテロの後ろに隠れてるのがタミアですわ。ご覧のように気が小さいのが玉に傷ですけれど、気配りができる良い子ですわ。時々、空回りもしますけれど」

「あっあっ、……タミア、です」


 栗色の髪の少女――タミアは、パンテロの肩から半分だけ顔を覗かせ、こちらの様子を窺うような上目づかいで自己紹介した。確かに気が小さいようだ。

 空回りというのは、先ほどの無礼な発言のことだろうか。


 まぁ……許そう。

 自分は今、敗者としてここに居るのだから。


「それから最後に、そこの黒髪でちびっこいのがクルネイユ……クルネイユ? 何やってるんですの?」


 ちびのクルネイユは、何故かエリィと険悪になっていた。隣同士に座っているくせに、額を突き合わせては「しゃー!」「がるるる!」と互いに威嚇し合っている。

 クルネイユは勝負においてエリィの抑えに回っていた少女だ。そのクルネイユはともかくとして、こんな様子のエリィはアルネットも見たことが無い。


 この二人の間に何が……勝負の時に何かが起こったのだろうか。

 目を丸くするアルネットの代わりに、レノラが二人に尋ねる。


「クルネイユ? エリィさんも……何なんですの? 二人してそんなに仲悪そうに……せっかくの王女との和解の席なんですのよ?」


 これ、和解の席だったのか。


 クルネイユが、びしっとエリィの鼻先に指を突き付けた。

 エリィが「今だ!」とばかりに指先に食らい付こうとするが、クルネイユはそれを見抜いていたかのように素早く手を引っ込める。かちんと歯を噛み合わせたエリィを「ふん」と一瞥すると、クルネイユは他の一同に訴える。


「こいつ、頭おかしいです! 他人の痛みを考えられねーやつです!」

「それは、クルちゃんも大概じゃないかと……」

「タミア、うるせー! ……だってこいつ、当たったら死ぬような火球を平気で撃ってくるです! こっちは怪我しないように気を遣ってやってたのに、自分が勝ったみたいなツラしてくるです!」

「……エリィのほうがつよいもん」

「このっ……あたしが本気になったら、おめーなんか一瞬でカチンコチンです!」


 あぁ……。

 アルネットは、クルネイユの性格を理解した。


 クルネイユは、負けず嫌いで歯に衣を着せない。

 だが勝負を思い返せば、クルネイユの言葉には理があった。

 あの時、エリィは明らかに殺傷力のある精霊法を使用しようとしていた。威力を抑えようともしていなかったように思える。あれが放たれていたらレノラはここには居ない。良くて入院か、最悪は棺の中か……。

 そのレノラがこちらを見ている。目配せしている。

 アルネットを見てからエリィに視線を移し、またこちらを見た。


 ――わたくしが言うより、王女殿下が言う方がエリィさんには効きますわ。


 レノラの思考が読めてしまうことに戸惑いを覚えつつ、エリィに注意をする。

 あの時のエリィの行動は、確かにこの上なく危険だった。


「聞いてエリィ……クルネイユが正しいわ。人を傷付けては駄目。怪我をさせたり、その、殺してしまうような威力の術を、人に向けて撃ってはいけないの」

「……ケガしても、アルが治してくれるもん」

「え?」


 アルネットは、ぱちくりと眼を瞬かせた。

 わたしが怪我を治す? なんで、どうやって?

 クルネイユ、パンテロ、タミア……それにレノラの視線が集まってくる。

 全員の眼が「医術の心得でもあるの?」と訊いていた。


 ありません、出来ません。アルネットは両手を顔の横に挙げてぶんぶんと頭を振った。

 何故、エリィは「アルネットが怪我を治せる」と思っていたのか……。


「だってアルは、回復魔法ができるでしょ?」

「かいふく……まほう?」


 なにそれ。

 エリィは時折おかしなことを、それが常識であるかのように口にすることがある。

 どらごんとか、ごぶりんとか、こんびにとか……。

 今回の「かいふくまほう」もその一つだろう。でも、この誤解は解いておかないと、本人のためにも周囲のためにもならない。


「エリィ。『かいふくまほう』って何?」

「回復魔法は……魔法で傷を……えっと、こっちでは……せいれい法で傷を治したり、病気や毒をけしたりするやつ。アルできるでしょ、とくいでしょ?」



     ◆◇◆



 エリィが何を言っているのか、全く分からなかった。


「エリィ……精霊法で怪我や病気は治せないの。毒だってそう。そんなことができたら、お医者様はいらないでしょう? 何でそう思ってたのかは分からないけど……うん、精霊法で怪我が治せたら素敵だと思うけど……でも無理なの。そんな術は無いの」


 エリィがどうしてそう思っていたのかは、本当に分からない。

 現在の人類が知る限りの精霊法で、直接的に医療に応用できそうな系統は、今思いつく限りで氷法術だろうか。病人の熱冷ましとか、怪我人の患部を冷やすとか……。


 それを聞いたエリィは――、


「回復魔法が、ない……? ゴブリンがいない、ドラゴンもいない、回復魔法もない……このせかいって、エリィが知ってるのと……」


 ぐらりと身体を傾ぎ、座ったまま、お尻の後ろの床に手をついた。

 ものすごく動揺しているのが見て取れた。

 そういえば、王宮で字を教えていた時、エリィが絵本の挿し絵の小鬼を指差して「ごぶりん!」と叫んだことがあったのを思い出した。エリィには空想と現実の区別が付いていないところがあるのかも知れない。

 庇ってあげたいけど、ここは厳しく行かないと――サーリアの苦労が偲ばれる。


「エリィ、精霊法で怪我は治せないの。ううん……たとえ治せたとしても『後で治療できるから、今は傷つけてもいい』なんて考えちゃ駄目。分かった?」

「うぅ……。わかった……ごめ、なさい」


 素直なエリィは非を認め、レノラとクルネイユにぺこりと頭を下げた。

 レノラは静かに頷いてくれたが、素直でない者もいる。


 エリィが顔を上げると、そこには「べんべろべー」と挑発するクルネイユの顔があった。

 よせばいいのに、相手をやり込めたら勝ち誇らないと気が済まないようだ。


「ううぅ……ばかっ! くるねーゆの、ばかっ!」


 口ではどうしても勝てないエリィは、ついにクルネイユに飛び掛かった。

 あっさりと押し倒されたクルネイユが「やめるです! ケダモノ!」と悪態をつく。

 取っ組み合う二人を、パンテロとタミアが溜め息をしてから引き離しにかかる。

 涼しい顔でその様子を見ていたレノラが、こちらに向き直った。


「ま、こんな方たちですわ……本題に入る前にまずはこれを」

「これは?」


 喧騒もどこ吹く風、レノラが差し出したのは、一冊の帳面だった。

 何気なくぺらりとページをめくると、人名と学年、学籍が書き連ねられている。それも、それぞれ異なった筆跡で。最後のほうに近い、新しいページにはエリィの署名もあった。ここに来る直前に書かれたものだろうか。

思わず表題を見返すと「コーリー・トマソンの退学取消しを求める署名」とある。


「よろしければ、記入をお願いしますわ」


 レノラの声が、帳面を持つアルネットの耳に染みた。

 そうか。レノラは全部このために――。

 アルネットは帳面を手にして机に向かい、自分の名と学年、学籍を表す番号を記した。

 インクが乾く前に、そのページを開いたままレノラに返す。


「……これで、ようやく全員分」


 レノラが最後の署名を見て、呟いた。



     ◆◇◆



 コーリー・トマソンの退学は、アルネットの威を借り、アルネットの与り知らぬところで為された。だから、それを失効させるための署名に名を連ねることに異は無い。

 けれど、その訴えは〈学びの塔〉に届くのか。

 署名が集まれば退学が取消しになるなど、校則のどこにも書いてないのに。


「王女の署名があるということは、結構大きいと思いますわ」

「なんで、そこまで……」


 女子寮の全員分の署名を集めたこと。勝つために髪を少年のように短く切ったこと。

 全部、コーリー・トマソンのため。

 アルネットはコーリーと話したことがあった。そうだ……あの日に追いかけた栗色の髪の少女はタミアではなかったか。そして追い詰めた先でコーリーと話し、少し面白い奴だと思った。でも何か嫌なことを言われて――。

 アルネットは不本意ではあるがレノラを認めている。強かで侮れない奴だ。

 けれどコーリー・トマソンが、レノラほどの者が、それにパンテロやクルネイユが、これほど犠牲を払って取り戻したいと願う人物だとは思えなかった。

 どうしてレノラはそこまでするのか。髪を切ってまで……。


「それは……わたくし自身のためですわ」


 レノラは言った。

 面食らってレノラの顔を見た。「コーリーのため」と言うと思っていた。


 アルネットは、エリィのために勝負を受け、勝ちを捨てた。

 エリィのためなら、自分がいかなる不利益を被ることも厭わないと今でも思っている。

 なのに、レノラは自分自身のためだと。


「コーリーの側にいると気持ちが良いのですわ。あの子は側にいる人の良い所を見つけてくれるから。間違いを犯しても、見捨てないでいてくれるから」

「コーリー・トマソンは、それほどの者なのですか……」

「ええ。わたくし、そんなコーリーの隣にいる自分が好きなのです」


 パンテロもタミアもクルネイユも。女子寮の皆も、きっとそう思っている。

 コーリーの側にいると、自分が少しだけ、強く優しくなれるのだと。

 そんな自分が好きだから、全てを賭けられるのだと。

 勝てなかったわけだ、とアルネットは思った。


 エリィを守ると心に決めた時、自分自身は勘定に入っていなかった。だからエリィを置いて行った。でも、エリィの隣にいる自分が好きだと、あの時そう思えていたら、エリィの隣に立って戦えていたはず。


 そうか……そうだったんだ。ごめんね、エリィ……。

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