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銀の王女と異邦の旅人 ⑮

 ――勝つための策を練った。勝つための準備をした。


 年下の子をいたぶるようで心が痛んだが、徹底的にアルネット王女を挑発して、自分に有利な条件で勝負に臨んだ。


 王女と寮生一同の確執は、もはや自然に解消するようなものではなかった。

 問題の本質は「〈学びの塔〉が王家の威光をかさに着て専横している」ことだとレノラは考えている。

 しかも、王女自身はその事実を知らないと思われる。うすうすは感づいているかも知れないが、王女の判断を鈍らせ、真相への接近を妨げる要素がある。


 それは、寮生たちの反感と抵抗だ。

 寮生たちは皆こう思っている。度重なる退学の告知からの、退学を無かったことにする代わりの服従の要求、食堂メニューの改変、ついにコーリーが退学勧告の第一犠牲者になったこと――これらは全部、王女が望んだことである、と。


 王女哨戒委員が発足したのも、その過程での出来事だ。

 破壊と暴虐の王女を許さない、負けるもんか。

 皆、そう思っている。レノラもそう思っていた。ある日、アルネット王女の動揺を目にするまでは。ほんのちょっぴりだけ垣間見た、彼女の本音を知るまでは。


 ――それから考え、行き着いた。


 王女は知らない。自らの威光が勝手に利用され寮生が苦しめられていることを。だから自分に対する寮生の抵抗を「嫌がらせ」と捉えて「正当防衛」を繰り返している。

 寮生一同という集団は「王女め、ゆるさん」という意見で一致している。その中に少数の穏健派が居ようとも全体の姿勢は変わらない。

 王女も自分に非は無いと考えているし、自分自身の圧倒的武力を背景にしているから、寮生に謝罪することは絶対ない。


 王女という強烈な個と、全寮生という巨大な群。その二つが歩み寄ることは、この先有り得ない。

 話し合いで和解できる段階を、両者はとっくに通り過ぎてしまった。もう互いに歩み寄ることは出来ない。


 両者の隔絶を取り払うには、衆目の下でケンカするしかなかった。

 互いが納得した条件で殴り合う。負けた方が勝った方の言うことを聞く。見届け人は寮生全員。簡潔明快な条件でのケンカ。

 王女が勝てば今までと変わりない。王女を頂点とした体制を不服に思いつつ、レジスタンス的な組織、王女哨戒委員が抵抗を続けるだろう。


 レノラたちが勝てば、変えられる。

 女子寮で王女を廃そうというのではない。〈学びの塔〉の仕組みは、王女に仇なす者を排除する。

 王女を廃そうとすれば、こちらが学び舎を追われる。つまり、王女とケンカをすれば勝とうが負けようが退学になるおそれがある。パンテロたちには話さなかったが。


 ただ――抜け道はあった。レノラは抜け道の存在にも感づいていた。

〈学びの塔〉は王女に直接関わることはしないが、その意思を曲解しつつ尊重している。

 それを絶対……とまではいかなくても、かなり優先度の高い事項としていると思われる。


 ならば、王女を味方に引き込むしかない。

 そのための絶対条件は――。


 ――本気のケンカで、本当のアルネット王女をさらけ出す。

 王女に精霊法で勝つのは至難だ。逆に、だからこそ、精霊法の勝負「変則早撃ち」で挑んだ。

 

 そのために策を練ったが、同じ策は二度と通用するまい。

 だから、この一回で勝たねばならなかった。

 そして、今まさに策は功を奏し、勝利を手にしようとしていた……はずだった。



     ◆◇◆



「――《ふぁいあぼーる》!」


 何者かの始動鍵が響き渡ったのは、その時だった。

 はっとそちらを振り向くと、女子寮から続く石段の下に立ち、こちらを見据えているのは、アルネット王女の従者、エリィだった。

 彼女の足止めは、後輩のクルネイユに一任していたのだが……。


(クルネイユ……しくじりましたわね)


 術への集中が――制御が乱れる。

 制御を手放してしまったら、王女に大怪我を負わせる恐れがある。それは最悪だった。この勝負の結果、更なる深い遺恨を遺すわけには絶対にいかない。


 レノラは咄嗟に右の掌中の銀光を握りつぶし、直後にそれが悪手であったことを悟った。

 右手の法術は、エリィの術の迎撃に使用するべきだった。そうしていれば、連続詠唱による奇襲は失敗しても、仕切り直しで再度王女を狙うことが出来た。


 不利に陥っても、まだ勝ちを拾う可能性があったのに――。

 エリィの精霊法を防ぐ術がない。



 ――負けた。



 時がゆっくりと流れていく。

 レノラは、石段のたもとに立ち、こちらを睨みつけるエリィの顔を、自分でも驚くほど落ち着いた心持ちで見ていた。


(エリィさん……あんな顔も出来たんですわね)


 いつもにこにこ。元気に挨拶して、今日も良いことが自分を待っている。

 人の悪意を知らない天真爛漫な女の子、エリィ・ルキノ。


 そのエリィは今、敵を見る目でレノラを睨んでいた。

 大切なアルネットを傷付ける者は許さない、そんな目で。

 敗因は――エリィを侮ったこと。エリィとアルネット王女の絆を。

 アルネット王女に侍っているだけの女の子だと思っていた。脅威にはならないと。念のためにクルネイユを抑えに回したが、それで十分ではなかった。


 そう――そうだ。クルネイユはどうなった? まさか怪我を……。

 不意に湧き出たレノラの懸念を裏付けるように、エリィが生成した火球は、徐々に大きさと回転速度を増し、人体を致命的に損壊せしめる状態へと成長した。


(あれを……わたくしに撃つ気ですの?)


 レノラの脊髄を、ぞくりと冷たいものが走った。


 なんだあれは。術を制御できていない? いや、制御しようともしていない……。

 あれに当たれば、死ぬ。だが……避けられない。

 避けられなければ……死、……クルネイユは? なぜここにいない? まさか。

 あの火球を、クルネイユにも撃ったのか。

 クルネイユを勝負に駆り出したのは、誰? わたくしが……。


(落ち着いて。冷静に、冷静に説得すれば――)


 自分に言い聞かせるが、エリィの火球は今にも放たれる寸前だった。

 待って、話を聞いて。撃たないで。それが当たったら死んでしまう。クルネイユは――貴女と対峙した、黒髪の背の小さい子はどうしたんですの?


 もどかしい。思考の速度に対して、あまりにも身体の反応は遅かった。

 レノラが言うべきことを口にするよりも早く――、火球が――、


「エリィ、止めなさい! 人を傷つけては駄目っ!」


 悲鳴に近しい、アルネット王女の叫びが聞こえた。

 それと同時に、お腹の辺りに衝撃。レノラは仰向けに倒れた。

 背中が地面に着くと同時、視界に青空が広がる。低く雲が流れる夏空が。


「……っ!」


 息が詰まる。撃たれたのか。

 いや……痛みはほとんど無い。せいぜい倒れて背中を打った痛みくらいだ。


 いったい何が……エリィはどうしたのか、と石段の方を見やると、煤と土埃にまみれたクルネイユが、決死の形相でエリィに組み付いているところだった。

 エリィの火球の術は失敗し、消失していた。クルネイユも無事だった。


 だとすれば、お腹に当たった衝撃は……?

 真上を向くと、今度は青空を遮ってアルネット王女の顔があった。

 王女が体当たりをして自分を押し倒して、助けてくれた。


「どうしてですの……?」


 かすれた声でレノラは王女に尋ねた。

 破壊と暴虐の王女。本当はそうではないことを、レノラは知っている。本当は弱くて脆くて、周囲に噛みつかずには居られない女の子であることを。

 でもレノラを助ける理由はないはずだった。なぜならレノラはアルネット王女の敵なのだから。

 レノラのお腹の上に馬乗りになった王女は、今までに見たことのない表情で言った。


「エリィを嫌いにならないで!」

「……は?」


 思わず、間の抜けた声が出てしまった。

 エリィ? たしかにエリィのおかげで窮地に陥った。色々な意味で。

 あの火球が放たれていたら、レノラは無事では済まなかった。それにクルネイユが怪我をしていたら、一生後悔しただろう。


 でも、この危機の後に発せられた王女の第一声の意味を、レノラは計りかねた。

 先に始動鍵の詠唱をしていれば勝てたのに、どうして……。


「わたしの負けでいい! でもエリィを嫌いにならないで! エリィは誰も傷付けていないでしょう……!」


 最強の王女が敗北を宣言した。

 それは大きな事件であったはずなのに、誰も声を上げなかった。

 観戦している寮生たちも、くんづほぐれつしているエリィとクルネイユも、向こうで起き上がりつつあるパンテロも。


「わたしの負けでいいから、エリィを嫌いにならないで! 無視したり、悪口を言ったりしないで……!」

「………………」


 レノラは、自分に馬乗りになって胸ぐらを掴み、唾を飛ばして訴えるアルネット王女に、何も言わなかった。言えなかった。

 呆然とした面持ちのまま、のろのろと上半身を起こし、頭の中では「負けを認めるのですね?」「わたくしの勝ちでよろしいのですね?」、言うべきセリフを選定しようとし、全部却下した。言葉は見つからなかった。


 意識せず、右掌がアルネット王女の頬に触れた。親指で土埃を拭う。

 そして続いた言葉は……なんだろう。劇的な勝負の終幕に相応しくない、我ながらどうでもいいような、変な質問だった。


「……ご自分のこと『わらわ』って言わないんですのね」

「……っ!」


 しかし、アルネット王女の表情はその時、まさに劇的に変化したのだった。

 ダナン湖の湖面のような、青みがかった深い翠の瞳が潤んでいく。

「自身を『わらわ』と呼ばない」、ただそれだけの指摘がなぜ王女を揺さぶったのか。王女を観察してきたレノラには、少し理由が分かった気がした。

 王女の変化は瞳が潤むだけに留まらなかった。端正な顔がくしゃくしゃに歪み、大粒の涙が今にも零れ落ちそうだった。


 あっ……、これは泣く。きっと泣く。泣いてしまう……。

 レノラがそう思った瞬間、決壊した。



     ◆◇◆



「うっ、うぅ……うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁあん!」


 やっぱり泣いた。それも大音量だった。

 もう、アルネットは破壊と暴虐の王女ではなかった。

 不器用で、年上の同級生と話せなくて、自分の悪い噂を聞いて立ちすくんで、でも弱いところは見せたくなくて強がって、周囲を威嚇して――巡り合った初めての友達、エリィを守るために、一人で戦おうとした。


 ただの……ではないけれど、十一歳の女の子だった。

 でも十一歳にしては、ちょっと恥も外聞もなく泣きすぎだと思われた。

 レノラは気持ちを切り替える。すでに冷静さを取り戻していた。

 王女の後頭部と背中に手を回し、ぎゅ、と抱きしめてやった。


 別に愛おしくてやったわけではない。断じて王女の名誉のためだ。

 王女が「ふぐっ」と声を上げて、レノラを押し退けようとしたが、腕力では二歳年上のレノラに敵うはずもない。

 王女は両手をレノラの肩に当てて全力で身体を引き剥がそうとするが、レノラは王女の頭をぐっと自分の肩に抑え込んだ。涙が体操着を濡らしても気にしない。


 たぶん、感動的な光景だった。

 学び舎を追われた友のため、ほとんど勝機の無い戦いを挑んだレノラ。

 圧倒的な戦力を持ちながら、最後には従者エリィのために勝ちを捨てたアルネット。

 その二人が今、激闘の果てに抱き合い、許し合っている――。

 寮生一同は、心を奪われたはずだった。


 腕の中の王女が「むぎぎぎ」と必死に逃れようとしているが、それを許すレノラではない。よしよし泣かないで、と背中をあやしてやりつつ、耳元で囁く。


「王女殿下。淑女が涙を流す時は、もっと情け深く、ひそやかにするべきですわ」


 するとアルネット王女は、諦めたようにふっと力を抜いた。

 離れようとする力は弱まったものの、王女は顔を上げなかった。レノラの肩に顔を押し当てたまま、王女は小さな声で言った。


「うっ、ぐす……わたしの負けです。貴女の好きにしたら良い。レノラ・ラプタミエ」

「はい、そういたします……でも、決して悪いようにはいたしませんわ」


 レノラも小声で応えた。自分と王女、他の誰にも聞こえないくらいの声で。

 ここに勝敗は決した。レノラ・パンテロ・クルネイユ組が、王女とその従者を破った。きっと女子寮の誰もが期待しつつ、大方が予想しなかったであろう結末。


(なんとか、難所を潜り抜けたといったところですわね……コーリー)


 貴女を〈学びの塔〉に取り戻すまでは。最初の峠は越えた。

 ――ここからだ。

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