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銀の王女と異邦の旅人 ⑭

 クルネイユは、戦いが開始された女子寮の前庭に留まっていた。

 パンテロとレノラは長い石段のを下りて、本校舎の敷地へと戦いの場を移し、観客たちもそれを追って行った。

 クルネイユの前には、王女の謎めいた従者、エリィの姿があった。


「王女のこと、追いかけねーんですか?」

「アルがここ動くなって、いったから……」

「そーですか。あたしの役目は、あんたを釘付けにして、姉御たちの邪魔をさせないことなんで、そうしてくれてれば楽です。ぜひとも」


 ずっとそうしてて下さいです、と言いつつクルネイユは、エリィと校庭に続く石段の間にさりげなく立ち、進路を塞いだ。

 エリィはじっと自分の足元を見つめたあと、意を決したようにクルネイユに尋ねた。


「……どうして、アルにいじわるするの? アルは良い子なのに」

「はぁ?」


 クルネイユは、気の抜けたような声で聞き返した。

 王女が良い子? こいつは何を言ってるんだ。この戦いは報復であり制裁だ。

 怒りに火が付いたクルネイユは、思いつくままにまくしたてた。


「いじわるされてんのはこっちです! 王女が来てから何ヶ月も玉葱食ってねーです。みんな怯えながら廊下を歩いてるです。コーリーのあねごなんか、悪いことしてねーのに学院にいられなくなったです!」

「で、でもアルはがんばってて……ぽぽ、たんぽぽを、ねえさまの花をたいせつに、」

「こないだ来たばっかりの新入りが、知った風なこと言うな! です!」


 しどろもどろに王女の弁護をはじめたエリィを、強い口調で切って捨てる。

 言いきったクルネイユは、鼻からふんっ、と息を吐き出した。

 やりこめられたエリィが、また自分のつま先に視線を落とす――しかし、


「エリィ、アルのとこに行く」


 すぐに顔を上げると、言った。

 それまでとは打って変わって、瞳に強い光が宿っていた。

 クルネイユは両手を広げて、石段を背にする。


「行かせねーです」

「行く。エリィは、アルを独りにしないの」


 二人は睨み合った。

 クルネイユの後ろ――本校舎へ続く石段の下方から、背中を揺さぶるような衝撃とともに、湧き起こった歓声が伝わってくる。

 戦いは続いている。レノラとパンテロは善戦しているようだ。


 その一瞬の間隙を縫って、エリィが走り出そうとする。

 クルネイユの横をすり抜け、王女のもとへ駆けつけるつもりだ。


「行かせねーって言ってるです! 《屍櫃(からひつ)(ふち)より這い出でよ、白き(むくろ)》!」

「っ!」


 詠唱を開始すると同時、エリィが急停止した。

 始動鍵を感知している。そうだろうとは思っていたが、やはりこいつも精霊法の使い手。

 問題はその実力だが、王女や、レノラ、パンテロらと同等ということはあるまい。

 ならば、先手必勝。


「《(くら)双眸(そうぼう)を見よ、受けよ冷冽(れいれつ)なる抱擁》!」


 発動。

 二人を隔てた間の空気が急速に冷却され、きらめく氷霧を作り出す。


 クルネイユの得意は氷法術。小範囲の空間や物を急速冷凍する術だ。

 エリィを直接冷凍すると大怪我をさせてしまうし、広い場所で使用すれば簡単に回避されてしまう。対人では使い所が難しい術だが、この石段のように狭い通路を防衛するのには最適の術だ。

 氷法術で起こされる冷却は、氷精霊の本来の性質である「停滞」の副次的な効果として表れるもの。術の発動は一瞬で終わるが、効果はある程度その場に留まり続ける。


 腕や脚がむき出しの体操着では、この氷霧の壁を超えることは出来ない。

 心配なのはエリィが霧を吹き散らすことのできる、風法術士である可能性だが――。


「《ふぁいあぼーる》!」


 霧の向こうからエリィの始動鍵が響く。

 直後、氷霧を引き裂いて、赤熱した火球がクルネイユの足元に飛来した。



 ぼじゅっ! じゅぅ……。



 火球は石畳を溶かし、オレンジ色の溶岩のくぼみを作った。


「………………」


 クルネイユは、無言で石畳がくぼんだまま冷えて固まって行く様子を見つめた。

 冷や汗が背筋を伝っていく。


 ――これ、これ……あぶ……。


「あ、あぶな……当たったら死ぬじゃねーですか!」

「《ふぁいあぼーる》!」

「ひぃっ!?」


 頭を抱えてしゃがみこむと、頭上を火球が越えていく。

 後方で、ぼしゅ、という音が聞こえる。


(なんです? 術の制御ができていないです?)


 やがて霧が晴れ、お互いが明らかになると、真っ青になってうずくまっているクルネイユと、離れてそれを見下ろすエリィの姿があった。

 恐ろしいことに、エリィは自分が術の制御を誤って、クルネイユを殺しかけたことを、気にも留めていない様子だった。


「《ふぁいあぼーる》!」

「わっ、や、やめるです!」


 クルネイユが必死に飛び退いた場所に、またも火球が着弾する。

 制御を誤ったわけではなく、殺傷力のある術を人に向けることを躊躇していない。


 ――こいつ、王女よりよっぽどあぶねーやつです!


 王女ですら、他人を怪我させないよう、最低限の配慮はしていたというのに。

 クルネイユは震え上がった。


「ま、待つです。それ、当たったら死ぬって分かってるですか?」

「だいじょうぶ。しなないように当てる……《ふぁいあぼーる》!」

「うわぁっ! ……し、死ななくても手足に当たったら!」

「あとでアルに回復魔法でなおしてもらうから、だいじょうぶ」


(かいふくまほう? こいつ、何を言ってるです!?)


 人は死んだら生き返りはしない。手足が取れたらそのまま生きていくしかない。

 なのに、どうしてこんな威力の精霊法を、平気で人に向けて撃てるのか。


(い、一番貧乏くじ引いたかも知れねーです!)


 クルネイユは心の中で泣いた。



     ◆◇◆



 アルネット王女と、レノラ・パンテロ組との戦いは、まだ続いていた。


 アルネットは、ゆっくりと前進しながら光の大剣を振るう。

 レノラは後退しつつ、光の剣閃を二発、三発繰り出してそれを受ける。

 パンテロは遠距離から散発的な射撃を行うものの、強力なアルネットの支配域に阻まれ、十分な威力を発揮できていない。


 もはや、戦いの趨勢(すうせい)は明らかだった。

 光の大剣と、レノラの光の剣閃は良く似た術だったが、威力・精度・射程――すべてにおいてアルネットが上回っていた。いや、ともに数秒しか具現化できないという点だけは互角だったが……。


 戦いの行方は「レノラがあとどれくらい耐えて負けるか」というだけだった。

 はじめは盛んに声援を送っていた寮生たちも、今や黙りこくって勝負を見守っていた。

 レノラが気力切れで精霊法を使用不能になれば、大将討ち取りでアルネットの勝利だ。


(でも……)


 アルネットは、いくつかの違和感を感じ取っていた。

 まず、試合開始時点から、レノラの雰囲気が自分の思っていたものと違う気がする。

 これは……気のせいかも知れない。レノラのことは良く知らないし、知ろうともしなかった。今、印象が違うように感じたとて、それは重要な要素ではない……。

 それより、もう一つ……パンテロが、ずっと無意味な援護射撃に徹していることが気になる……どうして?


 攻撃が届いていないことは、これまでで充分に理解しているはずだ。なのに、どうして接近して来ない? もっと言えば、どうして捨て身になって大将のレノラの盾になろうとしない? 大将が攻撃不能になれば負けなのに……どうして。


 臆したのか?

 しかし、昨日に食堂で会ったパンテロは「次は自分が挑む」と挑発してくるような輩だった。そんな人物が、大将を盾にして遠距離攻撃をするような戦法を取るだろうか。

 二人は、奥の手を隠している?

 いや、奥の手を出すには遅すぎる。すでに大将のレノラが消耗しすぎている。徐々に防御が間に合わなくなりつつあるのが分かる。


 レノラの気力切れ――試合終了は間近だ。

 なのに何かがおかしい。奇妙というより、二人の戦術が合理的でないのが腑に落ちない。

 大将が前に出て盾に。助っ人が後ろから牽制。これは――。


(いいえ、考えない……もう決める!)


 正直にいって、レノラは予想外の粘りだった。

もっと早くに決着がつくと予想していた。

 精霊法は、何も考えず全力で放つより手加減する方が気力を消耗する。


 レノラが予想外に粘ったせいで、アルネットは疲労困憊……というわけではなかったが「てこずった」程度には疲れた。自身の術の展開速度にも遅れを感じる。

 最大の術を、こうも立て続けに連発したことはなかった。

 ほとんど一対一の状況で、これほどまでに自分に食らいついたレノラに、少しだけ敬意を抱きつつ、アルネットは最後の詠唱に入る。


「《曙光の剣具して参れ、光の王》――」

「し、《心鍛えて魂と成し》――」


 対応して、迎撃のための始動鍵の詠唱を始めるレノラ。

 しかし、その足はすでにふらついている。意識が朦朧とし始めているのだ。

 つまり、これで終わりだ。アルネットは詠唱を完成させる。


「《輝くもの、瞬くもの、駆けゆくものよ。汝の名は『焔』》!」

「………………」


 レノラは――詠唱を完成させることができなかった。

 糸の切れた人形のように、すとん、とその場に腰を落とした。気力切れだ。

 完全に無防備になったレノラに、光の大剣が迫る。

 観客の寮生たちが息を呑む――。



 ――光の大剣は、レノラの頭上、一寸の所でピタリと止まった。



 ジジ、ジ……。

 アルネットは当たる直前で剣を消した。同時に、青白く発光していた髪も元の銀色に戻った。

 もうレノラは戦えない。アルネットの勝利は確定した。


「わらわの――」


 アルネット・アイオリア・アナロスタンの、勝ちじゃ!

 勝ち名乗りを上げようとした時、走り込んでくる者がいた。

 パンテロ。ずっと消極的な遠距離攻撃を繰り返していた、レノラの助っ人。


「なっ……!」


 大将が倒れたら、そこで決着のはず。

 ――卑怯者!


 罵りが喉元まで出かかる。いや、それよりも迎撃を。始動鍵を――。

 集中を乱したアルネットの目前まで迫ったパンテロは、そこで足を止めた。

 攻撃を仕掛けて来ない……そもそも、アルネットが戦闘態勢を解いた瞬間に狙い撃ちすれば、レノラとの相打ちに見せかけることもできなくは無かったのに。


 間近でパンテロの顔を見て、アルネットはあっと声を上げた。


 今まで戦っていた「レノラ」が前衛に立ち、「パンテロ」が後衛だった理由。

「パンテロ」が力を出し惜しみするように消極的だった理由。

二人が頑なに、一定の距離を保っていた理由。


「――まだ、勝負は終わってませんわ。王女殿下」


 パンテロから発せられた声は……その口調は、まぎれもなくレノラのものだった。



     ◆◇◆



 ――入れ替わっていた!?

 試合開始の時点で、本物のレノラは「パンテロ」に、パンテロは「レノラ」に。

 チームメイトがお互いに成りすましていた。


「なんのために……いえ、髪の色が、長さも……」

「髪の色はこういうことですわ」


 パンテロ――いや、レノラは自身の淡い金髪を掴み、ずるりと外してみせた。

 その下には、うなじが見えるくらいに、少年のように短く刈った赤金髪の地毛。

 今しがた討ち取ったはずの「レノラ」――パンテロの方を振り返ると、彼女もかつらを外して、地毛の淡い金髪を露わにしていた。


「……こんなの付けてなきゃ、もうちょっと戦えたぜ」


 もうしゃべるのも辛そうだ。立ち上がれもしないくせにパンテロが強がりを言う。


 ――かつら!? そんなもので……!

 驚愕するアルネットの前で、レノラは飄々と言ってのけた。


「タミアという子に奔走してもらったのですけれど……かつらって、意外と値の張るものなんですわね。二つも用意したおかげで、今期の仕送りがパアですわ。当分は奉仕活動に精を出して、お小遣いを稼がないと」

「な、なんでそこまで……髪を切ってまで!」

「もちろん勝つためですわ。パンテロの髪は元々かなり短いですから、髪を切らないとかつらを被れなかったのですわ……伸ばしていた髪を切るのは勇気がいりましたけれど」


 レノラは、にっこりと笑って言った。

 理解不能だった。


 アルネットだって散髪くらいする。毛先を整えるくらいには。もっと短くする女性だっている。パンテロのように。

 しかし、あそこまで髪を短くするのは王都では一般的ではない――つまり、わけ有りの女性だった。皮膚病を患っているとか、娼婦から足を洗ったとか、そんな女性だ。

「勇気がいる」どころではなく、人生を変えるくらいの決意が無ければ……。


 レノラが、この勝負に賭けているものとは――。

 いや、自分だって全てを賭けている。エリィのために……!


「そんな姑息な、下らない手で……!」

「ええ、下らない手です。でも、王女殿下は入れ替わりに気付かないと思っていましたわ。だって王女殿下は、わたくしの顔を憶えようとはしませんでしたから」

「そ、それは……でも、卑怯……」

「卑怯? 何度か会って話をした同級生の顔を憶えるくらい常識の範疇ですわ。普通なら試合前に気付いて指摘するでしょう……その上で、王女殿下が他人の顔を憶えないことに、どうしてわたくしたちが配慮しなくてはなりませんの? 『他人に興味を持たない』のは、貴女が選んだ貴女の責任ですわ」

「………………っ!」


 アルネットは反論できずに歯噛みした。

 屁理屈だ。卑怯なのには変わりない。しかし「他人に興味が無い」ということを否定することは、すなわちアルネットの弱さを認める――実は他人の目を気にして強がっていたことを――「わらわちゃん」の仮面を破棄することを意味する。


 レノラは、それすら見越して理論武装してきたのかも知れない。

 それを裏付けるように、レノラが続ける。


「先ほど、パンテロが倒れた時、その気になれば油断した貴女を撃てました。でも、それで決着がついても、王女殿下は納得しないでしょう。だから種明かしをしたのですわ」

「わらわと……一騎打ちをしようというのか」

「そうです。本来なら昨日貴女がおっしゃったとおり、一対一では勝負になりません。でもパンテロは頑張ってくれました……貴女は消耗している。今ならわたくしでも勝てる」


 試合開始前なら、アルネットはその言葉を一蹴しただろう。

 わらわに勝つじゃと? 思い上がりも甚だしい、教育してやろう! ……と。

 だが、今、いま……レノラに勝てるのか?


 まだレノラの本気を見ていない。間合いは互いに最大威力を出し切れる距離。なにより自分は消耗し、レノラは十分に余力を残している。

 アルネットは揺らいだ。ここにきて、弱い本当の自分が顔を出そうとしている。


「人の顔を見ないのはどうしてですの? 実は怖いのではありませんの? 他人の顔が……その人の表情が、嫌悪や憎悪を表しているのが。それがご自分に向けられるのが」

「………………」

「さぁ、今こそ五分五分の勝負ですわ。『早撃ち』です。より集中した方が……より強く勝利を求めた方が……勝つ!」


 レノラが、さっと腕を振る。

 なんという奴。この状況を作り出すためだけに、策を練り、入念に準備し、挑発し、芝居を打ち――髪を切ってまで。


 認めよう。他人の目が怖い。その人が自分をどう思っているのか知るのが怖い。失望されるのが怖い――サーリアに、父に、母に……エリィに。

 しかし、精霊法だけは自信の拠り所だった。

 嫌なことがあった時、頼りにしたものは精霊法だった。

 吠えて蹴散らして、嫌なもの全てを遠ざければ……そうし続けていれば、いつかきっと出会えるはず。優しいひとに――友達に。


 その精霊法の勝負で、ここまで追い詰められた……レノラ。

 わたしはまだ十一年と少ししか生きていないけれど、わたしの――わらわの人生で、そなたこそ最強の敵。

 負けるかも知れない、という思いをアルネットは無理矢理にねじ伏せた。

 これから先、どのような人生を歩むことになろうとも、そなたのことは忘れぬ。

 そなたの名を、顔を、生涯忘れはしない――レノラ・ラプタミエ!


「《我が(まぶた)に姿隠せ、火焔(かえん)の精霊》――」

「《我が左に()すもの、黄金の獅子》――」


 二人は同時に詠唱を開始した。


 初めて聞くレノラの始動鍵。属性は……光か。やや不利だ。

 しかし、パンテロとの攻防で気力を消耗したとはいえ、地力ではこちらが上回っているはず。より早く炎の檻でレノラを捕らえ、術を封殺する!


「《この眼差しに触れしもの、焼尽(しょうじん)せよ》!」

「《いざ鎖を断て、振るえ(たけ)爪牙(そうが)》!」


 ――同時!


 アルネットが具現化した炎の檻を、レノラの光の獅子が食い破る。

 しかしそこまで。光の獅子は檻を破るとともに掻き消えた。


 レノラの術は、光精霊によって生み出した獣を数秒間あやつるというもののようだ。

 互いの術は相殺された。

 アルネットは、一歩下がって次の詠唱を――しようとした。


「《我が右に座すもの、白銀の(わし)》!」


 先んじて、一歩踏み出したレノラの始動鍵が響く。

レノラは仕切り直しを考えていない。二発目が本命の一撃。


(あっ……)


 ――連続詠唱!

 アルネットが息を入れようと下がった瞬間を、レノラは突いて来た。

 息を吐かぬ連続の詠唱は、極度の集中を要する高等技術。

 たぶん、はじめから狙っていた。


 レノラの右の掌中に、銀光が溢れるのをアルネットは見た。

 読み遅れた……もう間に合わない。


 ………………。負けた。


(エリィ……)


 アルネットは敗北を悟りつつ、心の中で従者の名を呼んだ。

 レノラ。なんて……なんて強いんだろう。

 白銀の鷲の爪が、自分の意識を刈り取る瞬間を、アルネットは目を閉じて待っ――、


「――《ふぁいあぼーる》!」


 エリィの始動鍵が戦場に響き渡ったのは、その時だった。

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