表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/210

コーリーとアトラファ ③

 オイルランプの灯が、小さなテーブルを照らしていた。


 厚くスライスした黒パンとチーズが三切れずつ。それから素焼きのコップに一杯の水。

 それが、コーリーが金の眼の少女から受けた施しであった。


「いただきます……ありがとう」


 コーリーは礼を述べつつ、ちらりと粗末なベッドに腰掛け、髪を梳いている少女の方を窺った。

 やはり、あの金の眼が気になる。角度によって色味を変える、濁った金色。その中心に×印を刻んだかのような瞳孔。


 魔物でないことは分かったが、あんな不思議な眼をした人間は初めて見るし、聞いたことも無い。何か珍しい目の病気なのだろうか。

 少女はコーリーの視線に気付いたのか、それを避けるように俯いてしまう。


「あんまり見ないで」

「ご、ごめんなさい」


 コーリーも手元に視線を落として食事に集中する。

 会話も無く、もくもくと食べ、ごくんと飲み込む。

 何の変哲も無いパンとチーズだが、美味しい。むしろ変に凝ってないところが良い。お腹に貯まるし、栄養が疲れた身体に滲み渡って行くのが実感できる。


 それにこの水。湯冷ましとは思えない程によく冷えている。何故こんなに冷たいのかは不明だが、まるで清涼な湧き水のようだ。冷たい水が喉を滑ってゆく感触が心地良い。

 食べ始めると、他の事は考えられなくなった。パンとチーズをすっかり平らげ、水を飲み干すと、ようやく人心地着いた。


 コーリーが食べ終えるのを待って、少女が言う。


「満足した?」

「うん……あの、本当にありがとう。朝からあんまり食べてなくて」

「家出?」

「えっ」


 家出? あぁ、家出してきたのか、と聞いてるのか……。


 少女の言葉は端的というか、必要最低限の単語しか口にしないため、返答に詰まることがあった。一人で変な歌を歌っていた時はそうでもなかったくせに、人見知りなのか、どうにも言葉足らずな少女だった。

 家出か。実際には違うが、置かれている状況は確かに家出みたいなものだ。


「うん、まぁ……そんなとこ」

「家は?」

「家は……ベーンブル州の、ちょっと王都寄りの辺り。乗合馬車で五日くらいのとこ」

「お金、あるの?」

「うん。たくさんじゃないけど、余裕が全くないわけでもないかな。助けてくれた友達がいて――」


 ランプの揺らめく灯を見ながら、問われるままに色々なことを話した。

 いくら同じ年頃の少女とはいえ、初対面の相手に所持金がいくらくらいかまで話してしまったのは、少し迂闊かもしれない。

コーリーは話題を変えることにした。考えてみれば、互いに自己紹介すらしていない。まずはそこからだろう。


「あの、遅くなったけど、私はコーリーっていうの。コーリー・トマソン。あなたの」


 あなたの名前も教えてもらえる?

 そう続けようとした時、コーリーの言葉にかぶせて少女が言った。


「それは、冒険者認識票」


 ボウケンシャニンシキヒョウ?

 長い……ずいぶん変わった名前もあったものだ。

 コーリーが目をぱちくりさせていると、少女が慌てて立ち上がり、訂正する。


「ち、ちがう。名前じゃない。ずっと見てたから、それが何なのか気になってるのかと思って、その」

「いや、別に何も見てないけど……」

「そ、それ! 見てた、よね?」


 少女があたふたと指差したものは、ランプの横に無造作に置かれている、ペンダントのような何かであった。

 コーリーがじっとランプの灯を見ていたのを勘違いしたらしい。横に置かれていた物については、言われるまで気に留めていなかったのだが。


 それはペンダントというより、首からぶら下げるための鎖が付いたタグといった方が正確だが、装飾品ではないにしても美しいものだった。磨かれた銀のプレートを真鍮の枠で縁どりしており、プレートには文字が刻まれている。



『――表記の者を、冒険者として認定する。

   所属:ナザルスケトル冒険者ギルド本部。

   認識番号:氷魚の七七八 ――――――――』



 冒険者認識票。

 コーリーはそれに見入った。


「……冒険者…………」


 どくん、と心臓が大きく鼓動を打つのを感じた。

 冒険者。そう呼ばれる人々を、コーリーは知っていた。


 幼い頃は母の寝物語で、〈学びの塔〉では詩作の授業の教材で、何度も聞いた。魔物を狩る者。遺跡の探索者。貴重な自然物の発見者。知恵と勇気を友とする者たち。

 この子は、冒険者なのか……。


 そんなコーリーをよそに、少女はまだあたふたしている。


「それで、その、名前、わたしの名前は」

「アトラファ」


 そう告げると、今度は少女が目をぱちくりとさせた。


「えっ、なんで」

「ここに書いてあったから。あなた、アトラファっていうんでしょう」


 表記の者を冒険者として認定する、と書かれた上に、他の文字よりも少し大きく「アトラファ」と刻印されている。アトラファ。それが金の眼の少女の名前。

 金の眼の少女――アトラファは気が抜けたように「あ、そうか」と呟くと、すとんとベッドに腰を下ろした。


 その後も、アトラファは何か話したそうにしていた。

 しかし、本人が口下手なのと、話し相手であるコーリーが急に気もそぞろになってしまったため、この夜はお開きとなった。


(冒険者認識票……冒険者……)


 コーリーの頭の中では、その言葉がぐるぐると渦巻いていた。


 アトラファがベッドに横になった。

 コーリーはベッドの干し草を少し分けてもらい、その上に外套を敷いて、床に簡素な寝床を作った。アトラファはベッドを勧めてくれたのだが、家主を床に寝かせるのはさすがに申し訳なかったし、ベッドは二人眠れるほど広くはなかった。


 ランプの火屋を開けて炎を吹き消すと、アトラファの小さな部屋は、たちまち暗闇に包まれた。近くの水路を水が流れて行く音だけが聴こえてくる。

 コーリーが寝床に入ってしばらくすると、上からアトラファが話し掛けてきた。


「――もし、ベーンブル行きの乗合馬車を待つなら、〈しまふくろう亭〉っていう宿に泊まるといい」

「……うん?」


 横になった途端にそれまで忘れていた疲れと眠気が襲ってきて、うとうととしていたコーリーは、思わず生返事をしてしまった。

 それにしても、どこかで聞いたような店名だ。

 しまふくろう亭、しまふくろう亭……あの怖そうなおじさんがいた店か。


「見た目は古いけど、安くて料理も美味しいから」

「そうなんだ……ありがとね、色々……」


 瞼が重い。

 今日は出来事が有り過ぎた。

「学びの塔」を追い出されて……街を歩いて……ちょっと変わった、いやすごく変わった女の子に出会って……。


「おやすみなさい……アトラファ……」


 名前を呼ぶと、ベッドの上の少女がもぞっと身じろぎする気配が感じられた。


「おやすみなさい、こ、コーリー……」


 照れたように呼び返してくる少女の声が、その日の最後の記憶だった。

 コーリーは、眠りの中へと落ちていった。



   ◇◆◇



 明けの鐘が鳴る前、コーリーは目を覚ました。


 寝惚け眼で薄暗い室内を見回すと、アトラファがベッドの上で頭まで毛布をかぶって眠っていた。毛布に包まれた小さな肩が、規則正しく上下している。


 起き上がると、身体の下に敷いていた干し草がカサカサと音を立てる。手櫛で髪を梳くと、干し草が一本、足元に落ちた。

 眠っている家主を起こさないよう、そっと家の外に出る。


 早朝の南市街の空気はひんやりとしていた。西のダナン湖から水路が引かれ、張り巡らされているせいか、街には薄くもやがかかっている。

 早起きはコーリーだけでないようで、朝もやの中に人影がちらほらと見られる。荷車から商品を下ろす丁稚、両手に桶を下げて水汲みに向かうおかみさん。

 庶民の朝は早いのだった。


 長く寮生活をしていたコーリーは、久方ぶりにこの空気を思い出すことになった。


 ――ゴォーン――ゴォーン。


 明けの鐘が鳴り響くと、鐘楼に巣くっているキジバトの群れが一斉に飛び立ち、街中に散っていく。

見上げると、白い朝もやの向こうに青空が見える。

 朝が来たのだ。


 コーリーは深呼吸をすると、家の中に戻った。

 ベッドの上では、アトラファが先程と全く同じ姿勢で眠り続けていた。


「すーぅ……すーぅ……」


 鐘の音にも煩わされることなく、安らかな寝息を立てている。

 一晩の屋根をかしてくれた、変わっているけど親切な女の子。


 何かお礼がしたいな、とコーリーは思う。値打ちのあるものなど何も持っていない自分だけれど、せめてささやかな礼の一つもしなければ、女が廃るというものだ。

 アトラファが起き出す前に、朝食の準備をしておこう。


 身一つで出来ることなど、それくらいしか思いつかなかった。コーリーは「おじゃまします……」と小声で呟きつつ、台所を覗いてみる。

 小さなかまどに、水瓶、作業台。

鍋やおたまといった調理器具は、壁に据えられた棚に置かれている。一人分の食器類が籠の中に重ねられ、埃がかぶらないよう布が掛けられている。


 普通だ。食材が見当たらないこと以外は。

 もしかすると、アトラファが昨晩振る舞ってくれたパンとチーズは、今朝の彼女の糧となるはずのものだったのかも知れない……。


 ためしに水瓶の蓋を取ってみると、その中身も空だった。

 コーリーは水瓶の横に置いてある水汲み桶を手にすると、外に出た。



     ◆◇◆



 王都には二種類の水路がある。

 上流の湖と直接繋がっていて、水質が厳しく管理され、住民の飲料水としても用いられる「主水路」と、主水路から枝分かれして街中に行きわたり、やがて城壁の外へ流れ落ちて行く「副水路」だ。アトラファの家の近くに流れているのは副水路なので、飲み水を得るためには、上流の主水路まで歩かなければならない。


 桶をぶらぶらさせながら水汲み場の側までやってくると、コーリーと同じく水汲みにやってきたのだろう女性たちが、井戸端――ならぬ川端会議に興じているところに出くわした。


「――だからあたしゃ、呆れちまったのよォ。『野ネズミのように走り去る、女の小鬼を見た! 誰も信じちゃくれねぇが、俺はたしかに見たんだ!』なーんてさ、うちのヤドロクが真剣に言うもんだからさァ。ただの呑み過ぎだってのよォ」

「すみません、おかみさん。今度お店にいらっしゃる時には、呑み過ぎないように、ちゃんと見ときますから」

「アラ、いーいのよォ。ミィちゃんは何にも気にしなくて! 悪いのは、みーんなうちのヤドロクなんだからさァ――」


 話しているのは恰幅の良い年配の女性と、二十歳を超えたくらいに見える若いお姉さんだった。話しているのはもっぱら年配の女性の方で、若いお姉さんは聞き役に徹している様子だった。

 まくしたてる年配の女性に対して、お姉さんは穏やかに微笑んだり、時折あいづちを打ったりしながら聞き入っている。


 顔立ちも髪の色も全然違うけれど、おっとりとした雰囲気が故郷のマリナ姉さんに少し似ているな、と思いながら、コーリーは二人の後ろに並んだ。

 二人はすぐにコーリーに気付き、


「アラ、おはようさん!」

「あっ、おはようございます!」

「おはよう。ごめんなさい、邪魔だったわね……お先にどうぞ」


 と、場所を譲ってくれた。

 ありがとうございます、と礼を述べてから、コーリーは水汲み場に下り立ち、澄み切った川面に桶を浸した。一度桶を軽くゆすいでから、なみなみと水を満たす。両足と腰に力を入れて持ち上げた。

ぺこりと頭を下げて、二人の横を通り過ぎる。


「……見かけない子だねェ。ミィちゃん知ってる?」

「さあ……どこかの店に新しく入った徒弟さんかしら……」


 そんな会話を背中で聞きながら、コーリーは元来た道を歩いて行った。


「ひー、重いぃ……」


 アトラファの家まで戻るころには、もう腕が抜けそうなくらい辛くなっていた。

 昨晩、彼女はお風呂に入っていたが、あの樽の湯船にお湯を張るためには、水汲みを何往復しないといけないのだろう。身体を拭くだけじゃダメなのか。

 そこまでしてアトラファをお風呂へと駆り立てるものとは一体……やっぱり変な子だ。


 家の中に入ると、なんとアトラファはまだ寝ていた。しかも、コーリーが水汲みに出かける前と寝姿が変わっていないように思える。

 ……生きてるの? コーリーは不安になり、ベッドの側に寄ってみる。


「すーぅ……すーぅ……」


 安らかな寝息が聞こえる。すこぶる健康のようだ。

 最後のひと踏ん張りで、桶の水を水瓶に移し替える。


 一仕事終えたコーリーは、水瓶の蓋の上に置いてある柄杓を手に取り、汲んできたばかりの水でごくごくと喉を潤した。

 ぷはっ、美味い。


 家主が目覚める気配が無いので、置き手紙をしたためることにする。

 少ない手荷物の中から、寮の自室より持ち出した紙束とペンを取り出す。しかしインク壺が見当たらない。置いて来てしまったか……と悔やんでから、そもそもインクを切らしていたことを思い出した。


 仕方が無いので、代わりに使える物を探す。コーリーはかまどから薪の燃えさしを拾い、その尖った先に水をつけてペンの代わりとした。少しばかり扱いにくく、文字もかすれたが、読めないことはないだろう。


 そういえば、アトラファは字が読めるんだろうか……と心配になったが、あの冒険者認識票には文字が刻印されているし、もし本人が読めなくても、代読という手もある。

コーリーは安心して手紙を書き始めた。



『――昨日は、貴女のおかげでとても助かりました。

 お礼をしたいのですが、出来ることも無いため、せめて水を汲んでおきました。

 宿と食事代は置いて行きます。

 教えてもらった〈しまふくろう亭〉に行ってみようと思います。

 落ち着いたら、改めてお礼にうかがいます――』



 うか、がい、ます、まるっと――。

 あまり長くなりすぎても良くないだろう。コーリーは手紙の出来栄えに満足した。

 蜂蜜瓶の中から銅貨五枚を……少し考えてから七枚を取り出し、手紙の上に重石替わりに置いた。


「…………じゃあね、アトラファ」


 バタン。

 眠り続ける少女を背にドアを閉じる。コーリーはその場所を後にした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ