銀の王女と異邦の旅人 ⑬
レノラたちとアルネット王女が、戦う!
その情報は、一夜にして女子寮を駆け巡った。
――コーリーがああなったのに、レノラが何もしないのはおかしいと思ってた。
――パンテロが味方するんだって!
――でもさ、それだけで王女に勝てんの?
――勝算あるみたいだよ。レノラが考えなしに動くわけないじゃん。
――とにかく、レノラ頑張れ! 勝てーっ!
女子寮に「王女派」という派閥は存在しない。
完全なる反王女派か、潜在的に反王女の中立派だけだ。
皆が、レノラ・ラプタミエの勝利を願い、応援していた。
善良なるコーリーを退学に追いやった破壊と暴虐の王女アルネット。友情のため起ち上がったレノラ。そういう構図だった。
誰も本当のアルネット王女を知らなかった。
侍女エリィと――おそらく、挑戦者であるレノラを除いては、誰も。
◆◇◆
――アルネットは、中天の刻を告げる五分前に、女子寮の前庭にやって来た。
今日はいつもの制服ではなく、体操着だ。
来なくて良いと言ったのに、傍らには同じく体操着姿のエリィがいた。
昨日のことが尾を引いているのか、その表情は晴れない。
一方で、対戦者のレノラたち三人も、すでに戦場へ姿を現していた。
こちらも一様に体操着だ。
淡い金色で、短髪のがパンテロ。
他の二人より大分ちびっこくて、黒髪なのがクルネイユ。
そして大将のレノラは、赤金髪を頭の両側でお団子に結って――、
お団子に――。
(……ん?)
アルネットは眉をひそめた。
レノラの髪型が、昨日と違っている気がする。
お団子が無くなっている。
いや、別に髪型が変わっているからといって、どうということは無いが……。
街の南から、中天の刻を告げる鐘の音が聞こえて来る。
試合開始の時刻だ。
観客の寮生たちがわっと歓声を上げる。
安息日だというのに、全員いるんじゃないのかというくらいの人数だ。
皆がレノラに声援を送っている。
勝負のルールは「変則早撃ち」。
そもそも「早撃ち」は精霊法を覚えたての子がやる遊びで、単純に素早く始動鍵を唱えて、遠くの的に先に当てた方が勝ちというものだ。
「変則早撃ち」は、的が動かない無機物から、術者同士へと変更される。
つまり対戦相手が的になるということだ。
これは相当に危険な行為で、下手をすれば大怪我や死亡事故すらあり得る。
双方が術の制御に長けた、熟練の精霊使いでなければ成り立たない勝負。
もちろん〈学びの塔〉では禁止されているが……。
「ルールを確認する!」
アルネットは声を張り上げた。
レノラが、控えめな声で返答する。
「どうぞ」
「互いのチームの大将が攻撃不能になる――わらわか、レノラかだ――または大将が負けを宣言する。これが決着の条件じゃ。そして負けた方は、勝った方の言うことを一つ聞く……これで良いか!」
「ええ、それで良いですわ」
了承するレノラの様子が、どこかおかしい気がする。
昨日に見せたような老獪さというか余裕というか……それが無い気がする。勝負直前になって余裕を失った?
いや……どうでもいい。蹴散らすのみ。
傍に立っているエリィが、アルネットとレノラを見比べては、何か言いたげに口をぱくぱくさせていた。
「案ずることは無い、エリィ。そなたは何もしなくてもいい」
わたしが、守るから。
ぱしん、と胸の前で両手を合わせる。
レノラたちが警戒して構える。
まだ距離があるから大丈夫、と思っているのだろうか。
女子寮にはびこる謂われの無い悪評、悪意。ずっと戦ってきた。
アルネットは、始動鍵を口にする。
「――《曙光の剣具して参れ、光の王》」
アルネット・アイオリア・アナロスタン。当代に並ぶ者なき、最強の精霊法使い。これまで独りで戦ってきた。己の誇りを守るために。
アルネットの銀色の髪が、青白く発光し始める。
レノラたちも、見物の寮生たちも息を呑んだ。
数多の精霊が来臨し、幼い王女に祝福を賜っているかのような光景だった。
「《輝くもの、瞬くもの、駆けゆくものよ》」
アルネットは、今日も独りで戦う。
ちっぽけな自身の誇りのためではなく。
ただ一人の友達、エリィ・ルキノの幸せを守るために。
「《汝の名は『焔』!」
アルネットは、虚空より光の大剣を抜き放った。
◆◇◆
始動鍵を唱えると同時、肩にかかる自分の髪が、青白く発光するのが見て取れた。完全に制御しきれていない証拠だ。
気力のロスが、身体の発光という無駄な効果となって現れているのだ。
火と光の直列起動。
その気になれば、この一撃で〈学びの塔〉を焦土に変えることもできる。
しかし、敵とはいえレノラたちを灰塵に帰するわけにもいかないので、ロスを無視して威力の調整だけに集中する。
決着の条件は、大将の降参か攻撃不能。
こちらの攻撃を防がせて、敵方の大将レノラを気力切れに追い込む。
天を衝く光の大剣。
アルネットは、それをレノラたち三人の中心へ叩き込んだ。
三人は事前に打ち合わせていたように、ぱっと散開した。
返す刀で大将レノラの背中を狙うも、これも躱される。
やや距離が空きすぎた。これ以上射程を伸ばせば、威力の調整がおろそかになり、大怪我をさせる恐れがある。手加減せざるを得ない。
「……回避成功! あとは作戦遂行!」
「了解!」
「まかせるです!」
三人がそれぞれの方向に散って行く。
そういえば、試合時間と範囲の取り決めは無かった。
ジ、ジジ……と大気を焦がす音と共に、光の大剣が消失する。
もって数秒か。一、二度振るえば制御が乱れて剣の形を保てなくなる……。
かつて魔王を討伐したというイスカルデ双角女王は、如何なる技を以ってしてか、魔物を撃滅せしめる強力な術を長時間維持できたという。
まだ、その域には達していない……。
初撃で人数を減らせなかったのは痛かった。
まして、まだ相手に精霊法を使わせていない。
消耗戦は避けたいが……幸いにして、全滅ではなく敵方の大将を討ち取れば勝ち、というルール。
アルネットは、三人の内、レノラの後を追った。
大将を倒せば決着。レノラを狙う以外の選択肢は無い。
エリィには「ここを動くな、戦闘になりそうだったら降参せよ」と言いつけて、レノラの追跡を開始する。
レノラと――パンテロだったか、二人の背中が石段を駆け下り、本校舎の校庭へ向かうのが見えた。クルネイユとやらは何処へ行ったか分からない。
「《曙光の剣具して参れ》――」
口の中で小さく始動鍵を唱える。
背後で膨れ上がる気配に気付いたのか、石段の下でレノラがこちらを振り返った。パンテロはこちらを気にしつつも、更に距離を取る。
レノラは、その場で迎え撃つ覚悟を決めたようだ。
両足を開いて重心を低くし、腰だめに何かを構えるような奇妙な姿勢を取る。
そして、レノラが始動鍵を詠唱する。
「《心鍛えて魂と成し、魂打ちて刃と成す》――」
属性が読めない。光か、風か……。
少しばかり興味を覚えたが、今は真剣勝負のさなか。
アルネットも、自身の詠唱を完成させる。
「――《汝の名は『焔』》!」
「《斬り払え、光の利剣》!」
腰だめに構えたレノラの右手が、翻る。
驚くべきことに、右手から放たれた剣閃は、アルネットの光の大剣を迎撃した。
観客たちがまたも歓声を上げる。
(なんと……意外とすごい)
アルネットは感心した。
威力を抑えているとはいえ、こうも易々と防御されるとは思わなかった。
更に横薙ぎの一撃を加えると、レノラはこれも防御する。
「ぐっ、くうぅ……!」
アルネットと同様の「数秒、光の剣を維持する」という術のようだ。威力も射程も段違いだが。こっちは手加減しているが、向こうは本気の守りだ。
遠くからパンテロが銀色の光弾を放って来たが、アルネットはこれを無視した。
光弾は、アルネットに届く前に勢いを弱め、消失した。
観客がざわつき、アルネットは笑いもせず、それを一瞥する。
◆◇◆
精霊法の戦いは、徒党を組んで手数を増やせば有利になるわけではない。その理由はここにある。
術の効果を定める要素は二つある。
「支配域」と「制御力」だ。
支配域とは、術者がある空間の精霊を支配下に置ける、その空間の大きさの限界。制御力とは、術者が支配域の精霊を自在に制御できる、その精度の限界。
今、この一帯の精霊は、圧倒的な割合でアルネットが支配下に置いている。
アルネットより格下の術者が遠距離から狙撃したとしても、術の威力は距離に応じて減衰するのだ。
レノラたちが初撃を回避した後、距離を取ったのは悪手だった。
術者として格上のアルネットの攻撃は遠くからでも十分な威力で届くが、レノラたちの攻撃は遠くからでは届かない。
危険を冒して接近し、支配域が相殺される近距離で戦うしかないのだった。
もっとも、肉薄したとしても、アルネットの術の展開の方がずっと速い。
結局のところ、アルネットに戦いを挑んだ時点で、レノラたちの敗北は決定していたのだ。あとは……削り取る作業のみ。
「《曙光の剣具して参れ、光の王》」
三度目の詠唱。
これで決まらなくても構わない。四度目、五度目……。
そなたは、どこまで耐えられる? レノラよ。
パンテロとやらは、遠くに逃げて、消極的で無意味な牽制攻撃をするばかり。
アルネットは、一段二段とゆっくり石段を下りて行く。
――勝ちだ。
アルネットは光の大剣を携え、冷や汗を浮かべてこちらを見上げるレノラを睥睨した。
ただ、少しばかり気にかかる。
(レノラ・ラプタミエは、こんな顔だったかな? 何か……違うような)




