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銀の王女と異邦の旅人 ⑩

 明け方近く、ポツポツと雨が降り始めた。

 雨粒は樹木の葉に弾かれ、地面に黒い点となって染みこんでいった。

 雨は次第に強まり、サアサアと女子寮の屋根を叩いた。


 長く勤めている教師は「南風も吹いていないのに、おかしな雨が降るものだ」と首をひねったが、大抵の者は気に留めなかった。



    ◆◇◆



 その日の放課後、レノラは談話室を訪れた。

 コーリー・トマソンの退学処分を取り消し、彼女を〈学びの塔〉に連れ戻す。

 その道筋は、おぼろげながら見えていた。その具体的な計画を練り行動を起こす前に、協力を取り付けておきたい友人がいた。

 外が雨降りのせいか、談話室は普段に比べて利用者が多いようだった。


「あっ、レノラ先輩」

「ん、……どもです」


 入口からすぐの長机に着いていた二年生の二人が、レノラに気付いて挨拶をしてきた。

 明るい栗色の髪の少女、タミア。

 いつもタミアと一緒にいる、ちびで癖のある黒髪の少女、クルネイユ。


 特にタミアは、退学になる直前にコーリーが部屋で匿った少女、その人だった。


「ごきげんよう。タミアにクルネイユ。歓談中のところすまないのだけれど、パンテロの居場所を知っていて? 彼女に相談したいことがあるの」

「パンテロ先輩なら、えっと……クルちゃん、知ってる?」

「……姉御はたぶん、夕食です。寮監に雑用を言いつけられてましたから、あたしらは関わり合いにならないよう、ここで息を潜めてたんです。そろそろ仕事も終わった時分ですから、夕食を食べに行ってると思うです」


 クルネイユは、開いている本から顔を上げることもなく、長い黒髪をくるくると指先でいじりながら言った。

 タミアは、実家に宛てる手紙を書いていたようだ。

 レノラからクルネイユに視線を移して、眉尻を上げる。


「えっ、クルちゃん、ウチそれ知らない……先輩、カイユ先生に仕事を言いつけられてたんなら、手伝いに行ったのに」

「そう言いやがると思ったから教えなかったです。めんどくせーですし」


 我関せずとページをめくるクルネイユ。ふくれるタミア。

 自分の発言で二人に(いさか)いをもたらしたのは申し訳なかったが、この二人に関してはいつものことだ。大事には至るまい。

 今は頼りになる友人――パンテロを探すのが先決だ。


「夕食ということは食堂ですわね。行ってみます」


 そういえば、自分も夕食がまだだったことに気が付く。

 上手くパンテロをつかまえられたら、食事がてら話そう。

 レノラは二人に礼を言い、談話室を後にした。


 ――のだが、なぜかタミアとクルネイユが、ちょこちょこ後をついて来た。


「ウチらも、夕食まだなんですよねー」

「今朝方、ダナン湖の初物の(ます)が出回ったらしいんで。今日の夕飯は期待ですよレノラの姉御。何ですかねぇ、ムニエルにフライ……」

「いえ、わたくし、パンテロに内密の……。んー……まぁ、良いですわ」


 三人は連れ立って食堂へ向かった。



     ◆◇◆



 食堂に入ると、パンテロの後ろ姿を見つけた。

 短く金髪は特徴的なので、すぐに分かった。


「ごきげんよう、パンテロ」

「ん? よぉレノラ。タミアにクルネイユも、今から飯か?」


 トレイを片手に、もう片方の手でトングをかちかちさせているパンテロは、レノラやコーリーと同じ三年生。淡い金髪に、若草のような鮮やかな緑の瞳、薄い桜色の唇。

 飛び級でまだ幼さの残るアルネット王女を別とすれば、同学年の中でも飛び抜けて端麗な容姿の女子生徒だった。男子寮にはパンテロに憧れる者も少なくないという。


「カイユ先生につかまって、クソみてぇな用事を言いつけられちまってよぉ。雨漏りの点検とか学生の仕事じゃねえだろ……あの寮監、怠けすぎじゃねぇか?」


 ただし、口を開けばこの有り様なので、浮いた話の一つも聞いたことは無い。

 せっかくの美しい髪も、肩の辺りで短く揃えてしまっている。なぜ伸ばさないのかと尋ねれば「手入れが面倒だから」とのことであった。

 後輩の面倒見は良いので、同郷のタミアとクルネイユが懐いていた。


「あっ、あっ……パンテロ先輩、聞いてください。クルちゃんったら」

「タミア、ちくったらゆるさねーです」

「タミアとクルネイユは、仲良しですわねぇ」


 おしゃべりをしながら、レノラもトレイを取って三人とともに並ぶ。

 食堂の壁に掲げられた黒板を見ると、今日の夕食のメニューは二種類。

 鱒のムニエルと、鱒と野菜のマリネ・玉葱抜き。


 どっちかというと、ムニエルを食べたい気分だった。

 夕食だし、あっさりした物よりお腹に貯まる食べ応えのある方を食べたい。

 しかし、前に並んでいるクルネイユが悲鳴を上げた。


「なんてこと! 信じらんねーです! ムニエルが品切れだなんて!」

「ウチらがパンテロ先輩のお手伝いしてたら、もっと早く食堂に来れたのに。クルちゃんが正直に言ってたら……」


 う、うるせーです、と弁明するクルネイユの横から覗き込むと、なるほど、残念ながらムニエルの方は無くなってしまっていた。

〈学びの塔〉の学食は、街の食堂のように注文を受けてから作るのではない。寮生のスケジュールは大体同じなので、食事の時間も皆同じ。それでは混雑時に対応できない。冷めても問題ない料理を作り置きするか、ある程度下準備した料理を食べる直前に火を通して、学生たちに供する。


 日々のメニューは一種類か二種類。寮生は好きなように一人分を取って食べる。

 出遅れたレノラたちは、人気のムニエルを取り逃した。

 考えることは皆同じで、夕食にはあっさりしたマリネより、食べ応えのあるムニエルを選んだ者が多かったようだ。寮生は皆、育ち盛りなのだ。


「まぁ、仕方がねぇじゃねえか。ガッツリしたもんが食いたかったけど、マリネだって美味いぜ。それに初物は食っとかねぇと」


 パンテロがさばさばと言ってトレイに料理を載せたので、後輩の二人もそれにならった。

 レノラも料理を取って、皆で手近なテーブルに着く。



     ◆◇◆



「……わたくし、実を言うとマリネみたいな生っぽい魚の料理が苦手なんですのよ。燻製にしてるのでしょうけど、食感が……」


 レノラは、鱒のマリネを前にぽつりとつぶやく。食べれないことは無いが。

 それを聞いた後輩二人が話題に乗ってきた。


「えっ、えっ……ベーンブルの人って、何でも食べると思ってました!」

「海の魚、生で食うって聞いてたのに……すげーって思ってたのに……レノラの姉御、幻滅(げんめつ)です」

「どうして幻滅されるのか分かりませんけれど、魚を生で食べるのは、ベーンブルでも沿岸の地域に住んでる人たちだけですわよ」

「やっぱり生で食うんじゃねーですか!」

「わたくしは内陸育ちだったので、生で食べた経験はありませんわね。コーリーも生魚は食べたことが無いと言ってましたわ。あの子の実家も王都寄りなので」

「………………」


 コーリーの名前を口にすると、後輩の二人は黙ってしまった。

 いつか切り出すつもりだったが、機会を誤ったか。

 レノラがそう思った時、それまで黙って鱒のマリネと薄切りのパンを交互に食べていたパンテロが口を開いた。


「……コーリーはさ、好き嫌いなく何でも食う奴だったからな。生の魚でも平気で食ったんじゃないか? あいつのことだから『ジャム付けたら美味い』とか言いかねないけどな」

「あら、コーリーは味音痴ではありませんでしたわ」

「そうかあ? あいつ蕎麦の粥が好きだったんだぜ。しかも甘く煮たやつ」

「蕎麦のお粥は甘く煮るものでしょう?」


 反論すると、パンテロは「これだからベーンブル人とは飯の話が出来ねぇんだ」と肩をすくめた。

 鱒の切り身ににフォークを突き刺し、口に運ぼうとする彼女に、レノラは切り出した。


「その、コーリーのことで相談があるのですけれど、」

「あぁ。いいぜ、協力する」


 皿に視線を落としながらではあったが、パンテロは用件を聞く前にあっさりと了承した。まるで、レノラがそれを話そうとするのを待っていたかのようだった。


「……二つ返事ですのね。言っておきますけれど、コーリーの私物をあなたの部屋で預かって欲しいとか、そういう軽いお話ではありませんのよ」

「分かってる。コーリーの退学取り消しのために、何かするんだろ」


 先に話を聞いてから――と言いかけたレノラを、パンテロは制した。

 俯いて皿に視線を落とし、彼女は言った。


「コーリーが退学になっちまったこと、アタシ責任を感じてんだ。あの日、アタシがクソ王女を上手く足止めできてたら……タミアに『逃げろ』なんて言わなきゃ、哨戒委員の揉め事にコーリーが巻き込まれることは、無かったのに」


 コーリーが〈学びの塔〉を追われたあの日から、パンテロも悩みを抱え続けてきたようだった。

 後輩二人は、口を挟まずに耳を傾けていた。

 あの日、コーリーのベッドの下に匿われたタミアは、沈痛な面持ちで。

 王女の足止めに失敗した片割れのクルネイユは、むっつりとした表情で。


 パンテロが続ける。


「レノラ。お前がずっと、コーリーのために何かしようとしてるのは知ってた。アタシは何をすれば良いのか分からなかった……でも、お前が助けを求めてきたら、それが何であっても助けるってことだけは決めてた」

「感謝します、パンテロ……あなたって最高ですわ。甘い蕎麦粥の味が分からないハーナル人にしておくのが、勿体ないくらいですわ」

「……それだけは一生分かりたくねぇな」


 パンテロは、目を伏せて笑った。

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