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レノラ、始動する

 ――がちゃり。


 ドアノブが回る音がして、レノラは我に返り、便箋を制服のポケットに入れた。

 入口を見やると、寮監のカイユ教師が入って来るところだった。その後ろに二人ほど人影も見えていた。


「さぁ、ここがエリィ君の部屋ですよぉー……。ん?」


 最初に入室したカイユ教師が、室内にいたレノラを見咎めて、眉をひそめた。

 レノラはその後ろにいる二人を確認した。

 前に居るのは……知らない顔だが、その後ろにいるのは王女アルネットだ。ということは、前に居る彼女が、噂されている王女の従者か。

 カイユが、レノラに対して言う。


「君は……あー、レノラ・ラプタミエ君? ここで何を?」

「あぁ、いえ、何でもないんですのよ。コーリー……この部屋の前の住人の私物を片しておこうと思って。友達ですので」


 レノラは、床に置いてあった木箱を指差す。

 歩み寄ったカイユは、その木箱を覗き込むと言った。


「んーと……空、みたいですけどぉ」

「ですわね。思ったより私物は多くなかったみたいですわ」

「そーう? レノラ君、ごくろうさま……じゃあ、王女殿下にエリィ君、次に寮の案内を」

「あぁ、それなら」


 レノラは咄嗟に声を出した。王女とその従者を引き連れて、部屋を出ようとするカイユを引き留めたのだった。

 思いがけず、ここに王女がいる。話をするチャンス。


「良ければ、わたくしが案内いたしますわ」

「えぇー……しかし、」

「面倒くさがりのカイユ先生が珍しい。いつもなら寮生に何でも仕事をお言いつけくださるのに」

「でも、そのーう……エリィ君は、王女殿下の従者で」

「同じ寮生のわたくしが適任ですわ。先生、お忙しいでしょう? 案内は是非わたくしに」


 そこまで言うと、カイユは折れたようだった。

 くれぐれも王女のご機嫌を損ねないようにねぇ、とレノラの耳元で囁く。


「もちろん。分かっていますわ」


 分かった上で、王女のご機嫌を損ねないとは、約束出来ませんけれど。

 内心でそう付け加えつつ、カイユの背中を押して部屋から追い出した。

 しきりにこちらを気にしながら去って行くカイユを笑顔で見送り、レノラは王女とその従者の方に向き直った。


「……というわけで、ご案内を仰せつかったレノラ・ラプタミエと申します。エリィさんでしたわね。初めまして……王女殿下、ごきげんよう。先日以来ですわね」

「エリィは、エリィ・リュ、ルキノといいます!」


 王女の侍女見習いだというその子は、元気よく応えた。

 真っ直ぐな黒髪に、チーズを溶かしたような肌。溌剌として可愛い子に思える。

 その後ろに立っているアルネット王女は、元気が無いようだった。

 自信に満ちて尊大な、いつもの王女ではない。

 アルネットは、のろのろとレノラの顔を見上げた。


「……先日? わらわは、覚えがない」

「講堂の前で……わたくしがご無礼を致した時の話ですわ。覚えてらっしゃらない?」

「あぁ、ベーンブルのラプタミエ家のレノラ。そなたか……」


 レノラのつま先に、すとんと視線を落としたアルネットは、ぼそぼそと呟いた。

 やはり元気が――というより、魂が抜けているような面持ちだ。

 レノラは少しの間、アルネットの様子を観察した。


(王女殿下……他人の顔を覚えませんわね。『みんな同じ玉葱くらいに見えているのだろう』とは、わたくしがコーリーに言った言葉ですけれど)


 なぜだろう。次期女王の地位にある者が。

 知覚に異常があるとは思えない。王女は成績優秀だし、今もレノラと話したことはしっかり覚えていた。では性格の問題……?

 たとえば性格が傲慢だからか。傲慢で人のことなど顧みないから、必要なしとして、他人の顔を覚えないのか。

 そうなのだろうか――。


 不意に、くいくいと袖を引かれて我に返る。


「あんないは? エリィね、いろんなとこ見たい」

「そうでしたわね。行きましょう、エリィさん……王女殿下も」


 レノラの先導のもと、アルネットとエリィが歩きはじめる。

 エリィははしゃいでいて、アルネットは無言だった。



     ◆◇◆



 二階と三階は生徒たちの住居なので、必然、案内は一階がメインになった。


「ここは学習室ですわ。試験前になると皆ここに来ますの。自室で集中できない時は、ここで勉強すると良いですわ」

「ふむふむ!」


 エリィが熱心に説明を聞いていたが、アルネットは黙っていた。

 レノラは、女子寮の案内をしながら、頭の隅では別のことを考えていた。


 ――なぜ、コーリーは退学になったのだろう?


 王女に刃向って退学の勧告を受けた生徒は何人かいた。カイユ先生も含めて。

 その全員が、実際には退学になることなく戻って来た。

 救済措置があるのだ。

「王女には逆らわない」、そんな内容の念書を書くと、退学を免れることが出来る。王女哨戒委員の子たちの間では、その状況に置かれることを茶化して「殉職」というそうだ。殉職した生徒は、念書の内容通り委員を辞任して一般の生徒に戻る。


 コーリーには救済の機会が無かった。

 勧告を受けた全ての生徒の中で、コーリーだけが本当に退学に処された。

 なぜ? 他の生徒との違いは? 平民だったから?

 いや、もっと何か別の……。


「こちらは談話室。おしゃべりをして親睦を深めるための部屋ですけれど、それだけではありませんわ。王宮の図書室とは比べものになりませんでしょうけど、本棚がいくつかありますの。入口のリストに日付と名前を記入すれば、本の持ち出しもできますわ……ただし、返却期限の超過や無断持ち出しが発覚すると、反省文二十枚ですので、利用にはお気をつけて」


「……ぶるぶる」

「……エリィが怯えておる。この子は真に受けるから、あまり脅さぬように」

「いえ、脅しではなく本当に反省文ですのよ? ……返却期限については図書係の子と仲良くなっておけば事前に忠告して貰えますが、無断での持ち出しは裁判無しでの即刻有罪となりますので、くれぐれもご注意を」


 談話室には幾人か生徒がいて、レノラは新入りのエリィを紹介した方が良いのではないかと思ったが、それは叶わなかった。

 アルネットが「早く次へ行かぬか」と急かしたからだった。

 次は乾燥室が近いが、その前に食堂と洗濯場の説明をするのが良いだろう。


「では、次は食堂へ」


 食堂の利用時間について話しながら、レノラはまた考える。


 ――コーリーの件が他の子と決定的に違ったのは……そうだ。


 レノラは、はっと後ろを振り返りエリィを見た。


「んう?」

「……いえ、なんでもありませんわ」


 エリィだ。

 コーリーが居なくなった後、すぐにこの子が編入してきた。


 この子のために部屋を空けるが如く、コーリーは〈学びの塔〉から弾き出された。

 一連の流れを見ると、王女がそれを指示したのではないかと思える。

 しかし、王女はコーリーの退学を知らなかった。

 それが示すことは――?


「ここが洗濯場ですわ。〈学びの塔〉では、私物の衣類は自分で洗濯しないといけないのです。慣れると何てことないのですけど……冬場は、控え目に言って地獄ですわね。あと、洗濯用の水場は二ヶ所あるのですけど……あっち、食堂の西側の水場は上級生用なので、使うと目を付けられますわ。ご注意を」


「……ぶるぶる」

「だから、脅すなと」

「ですから脅しでなく本当なのですわ。洗った洗濯物は、さっき通り過ぎた乾燥室で干しますの。クリップには持ち主の名前を、下着の上にハンカチなどを掛けてスペースの節約をするのがマナーですわ」


 これで案内はほとんど終わった。

 もっと王女が何か言ってくるかと思っていたが、終始元気がなく、たまに口を開けばエリィを気遣うセリフばかりだった。



     ◆◇◆



 レノラは、ずっと考えていた。

〈学びの塔〉では、王女に敵対する者は粛清される。

 王女が玉葱が嫌いならば、食堂のメニューから玉葱が消える。

 王女が孤立し、友達が欲しいと願えば、同じ年頃の侍女が同学年に編入される。


 少なくとも粛清について、王女は知らなかった。

 ならば他のことについても知らないのでは?

 だとするなら……王女本人の与り知らぬところで、誰かが権力を振るっていることになる。では〈学びの塔〉というのは――。


 もう少しで何かを掴めそうだった。細い糸のような何かを。

 寮のエントランス辺りまで歩いた時、レノラは二人を振り返って言った。


「あぁ、注意がもう一つ……お二人には関係がないと思いますけれど、談話室に奉仕活動の募集が貼り出されることがありますの。これに参加すると、ご褒美にお菓子や少額ですけどお小遣いがもらえますわ」

「おかし!? おこづかい!?」


 エリィが眼を輝かせる。

 しかし、レノラはその希望の芽を摘み取った。


「ここからが注意です。それらの募集は、実家からの仕送りが少ない子の収入源ですので、安易に参加しないことですわ。仕事を奪わないことです。その……煙たがられますから」

「……しょぼん」

「女子寮の案内は、これで大体全部ですわ」


 レノラがそう告げると、エリィはぱっと顔を上げてにこっと笑った。

 その表情からは、感謝と好意しか感じ取れなかった、

 面喰ったレノラに、エリィは言う。


「あんない、ありがとね! これからよろしく、レノラ!」

「……えぇ。こちらこそよろしく、エリィさん」


 エリィはこれから始まる寮生活を、ただ楽しみにしている様子だった。

 輝く笑顔には、不安も一片の後ろめたさも見てとれなかった。

 自分が編入する前にあった経緯を知っていれば、こんな表情は出来まい。

 ということは、このエリィという子も、コーリーの退学に直接は関わっていない。


「……もう行くぞ。エリィ」

「あっうん! じゃあね、レノラ!」


 アルネット王女に促され、エリィが駆けて行く。

 連れ立って歩いていく主従に、レノラは声を掛けた。


「最後に一つだけ。王女殿下」


 先日、講堂の前で宣戦布告とも取れる言葉を投げつけてしまっただけに、話をさせてもらえるか……。

 エリィの先を行くアルネットが、歩みを止めた。

 こちらに向き直りはしないが、いちおう話を聞く体勢ではあるようだ。

 状況を把握していないエリィが、王女とレノラの間できょときょと視線をさ迷わせる。


 あの時は戦うつもりだった。

 今もだ――しかしあの時と違うのは、戦うべき相手は、たぶん王女ではない。

 だから、聞くべきことも決まっていた。


「一つだけです。王女殿下。あなたは――コーリーの退学処分を望みましたか?」


 王女の小さな背中が、微かに震える。

 尊大で傲慢と噂される王女は、銀の髪を揺らしてレノラに向き直った。

 その顔にあるのは――激情だった。


「『望んだか』じゃと? 関係ない。わらわが望むと望むまいと……事実、コーリー・トマソンは学院を去った! そしてエリィが来た!」


 王女は笑いながら叫んだ。同時に泣いているような、歪んだ笑みだった。

 レノラは自分でも不思議なほど冷静に、この激情を受け止めていた。

 王女は……まだ十二歳だったか。自らが置かれているこの状況で、今まで平静を装っていられたのは驚嘆に値する。しかし最後の一刺しは効いた。


 アルネット王女は何も知らない、とレノラは確信する。

 その後ろで、アルネットが急に声を荒げたことに目を白黒させているエリィ。

 演技だとすれば大した女優だが――素の反応だとすれば、やはりエリィ()何も知らない。

 だとすれば――。


「――そうですか。それが事実……お引き留めして申し訳ありませんでしたわ」


 そう言うと、王女はまだ何か言いたそうに口を開きかけたが、やがて唇を噛んで自分の足元に視線を落とした。

 それ以上何も口にすることなく、王女は寮の二階に続く階段を登って行く。

 エリィも慌ててそれに着いていく。


 主従を見送った後、レノラは制服のポケットに手をやった。

 取り出してカサリと開いてみるのは、一枚の便箋。

 手紙の後半にある一連の文。玉葱騒動の下りだ。



『――決め手は学食のおばさんの一言でした。』

『……でも、偉い人らの言うことだからねぇ……』



 偉い人ら。

 アルネット王女本人か、王女の意を受けた〈学びの塔〉の首脳陣のことだと思っていた。

 しかし王女もその従者も、何も知らなかった。だとすれば他に敵がいるということになる。

 この敵とは一人では戦えない。仲間を集めなければ。

 そして何より、アルネット王女の心を開き、協力を得なければならない。


 レノラはこの日、細い糸のような道筋を見い出した。

 居なくなってしまった友達を――コーリーを取り戻す、ただ一つの道を。

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