銀の王女と異邦の旅人 ③
実のところ、エリィのための服を調達するあては、あった。
アルネットは寝室の扉を開けると、すばやく左右を窺った。
サーリアの姿は……無い。
廊下に出て、不自然にならない程度に精一杯の速さで歩き出す。
目的地は使用人の控え室だった。本来、王女が足を運ぶ所ではないが、服を調達するのに一番「足が付かない」のはそこだと判断した。
日常的に世話をしてくれる侍女たちは駄目だ。
彼女らは、料理人や従僕よりも家柄も教養も高い者たちだが、直属の上司がサーリアなのだ。彼女らに服の調達を頼めば、サーリアの耳に届いてしまう。
相手が下位の使用人でも危険は否めないが、サーリアに知れる前にエリィを王宮の外に逃がしてしまえば問題ない。その点で侍女たちよりマシだった。
廊下の角を曲がる際、立っている衛士が胸に手を当ててアルネットに敬礼する。
軽く会釈を返しながら、思う。
(エリィは、本当にどこから入って来たんだろう?)
◆◇◆
アルネットは使用人の控え室の前までやって来た。
扉をそっと開いたつもりが、顔を覗かせるや一気に注目を集めてしまう。
「姫さま!?」
出入り口近くのテーブルで朝食を摂っていた使用人が、匙を取り落として叫んだ。
「姫さま?」「姫さまだ……」「なんでここに?」
驚きが、入り口から奥へと伝播していく。
王女であるアルネットがここを訪れる機会など、まず無い。
いつだか新年の催しがあったとき、使用人たちへの慰労という事で、幼いアルネットが自らこの部屋で使用人たちに菓子を配ったことがある。大変に好評だったという。
ここを訪れるのは、それ以来だった。
使用人たちは、朝食の最中のようだった。
メニューは、蕎麦の実を炊いた粥か。それにソーセージと卵。
アルネットは空腹を覚えた。いつもなら、今頃は自分も侍女が持ってくる朝食にあり付いている時間だった。なのに、今日は自ら彼女らを遠ざけてしまったのだ。
アルネットはお腹を鳴らしたりしなかった。王女として。
「皆さん、お食事中に申し訳ありません……あ、そこの。そこのあなた、ちょっと」
目につく使用人たちの中で、最も小柄な女の使用人を呼びつける。
まだ十代に見える、その女の使用人は「えっ私なの?」と言いたげに周囲を見回した後、ざわつく人並みの中を、とぼとぼとアルネットに向かって歩き始めた。
うぅっ、なんだか本当に申し訳ない……。
「あのぅ、姫さま。私がなにか……」
「ここではなんですから、向こうへ行きましょう」
若い女の使用人の手を引っ張り、控え室を後にする。
人目に付かない王宮の一角で、アルネットは立ち止った。
女の使用人は震え上がっていた。自分はどんな粗相をしてしまったのか、とでも考えているのだろう。
……本当にごめんなさい。あなたは何も悪くないの。
「あの……服を貸して欲しいのです」
「はい?」
当然、女の使用人は訝しげに聞き返してきた。
うん。ここまで想定済みだ。
アルネットは、事前に用意していた無理やりな屁理屈を展開した。
「学校の課題なの。どうしても使用人の服が必要なの。あなたにダメと言われたら、わたし落第になってしまうかも。だから……お願い!」
「はぁ……」
いかにも得心がいってない表情で、女の使用人は返事をした。
しかし王女の頼みを断れるはずもなく、「お待ちください」と言って服を取りに行く。
使用人の服はお仕着せなので、王宮のどこかの区画に洗濯したり干したりする場所があるはずだった。
アルネットはそこに足を運んだことはないし、場所も知らなかったが。
女の使用人が戻ってくるのを、アルネットはやきもきしながら待った。
早くしないとエリィが見つかってしまうかも。いや、エリィが裸のまま寝室を飛び出す可能性すらあり得る……。
「お待たせしました、姫さま……」
「ありがとう! 恩に着ます! このお礼はいずれ必ず!」
ようやく戻って来た使用人から服を受け取る。
ねぎらいの言葉もそこそこに立ち去ろうとしたアルネットは、あることに思い至って動きを止めた。
再び使用人に向き直る。
面倒を被った哀れな使用人は、「今度は何かしら……」という表情をした。
「あの、もう一つお願いが……し、」
「『し』?」
「……いえ、何でもありません。本当にありがとう」
口にしかけた言葉を飲み込んで、アルネットはその場を後にした。
――下着もください。
裸のエリィの姿を思い出し、そう言おうとした。
でも、王女が若い女の使用人の下着を求める言い訳を、アルネットは思い付けなかった。
◇◆◇
急ぎ足で寝室へと戻る。
思ったより服の調達に時間が掛かってしまった。
扉を開こうとすると、ガチっと音が鳴った。
――開かない。
寝室に鍵は無い。寝室へ続く廊下の端には、昼夜問わず衛士が立っているため、鍵は必要なかった。
なのに扉が開かないということは……誰かが、中から扉の取っ手に棒をかませるか何かして、開かないようにしているのだ。
猛烈に嫌な予感がした。
その予感を裏付けるように、扉の向こうから問い掛けて来るのはサーリアの声。
「――どなたですか。ここはアルネット殿下の寝室です」
「わ、わたしです。アルネットです」
そう答えると、扉が小さく開いた。
寝室の中に入ると――嫌な予感が的中していることを、アルネットは思い知った。
絨毯の上に、エリィが転がっていた。
毛布ごと簀巻きにされ、ご丁寧に猿ぐつわまで噛まされている。
「むぅー! んむー!」
エリィは、憤懣やるかたない様子で唸り声を上げていた。
びったん、ばったんと床を跳ね回る姿は、活きの良い海老を思わせた。
「こ、これは……」
「このサーリア、年は取りましたが、恐れ多くもかつては陛下の侍従を務めた身。丸腰の不審者を捕らえ、無力化するごとき雑作もありません」
「どうして……サーリア、今日はわたし、一人で過ごすと――」
「ご起床の際、姫さまの挙動があまりに不自然でしたので、失礼とは承知でお部屋を調べさせて頂きました」
女王の侍従長をも務めた、サーリアの眼を欺くことなど不可能だった。
アルネットはがっくりとうな垂れた。苦労が水の泡になった瞬間だった。
「……部屋に入れないようにしたのは? 衛兵も呼ばなかったの?」
「人は呼べませんでした。王位継承の秘儀を達成されたその日の夜に、裸の少女を寝室に連れ込んだとあっては、醜聞になります。後の姫さまの治世に影響を及ぼしかねません……このサーリア、捕縛したまでは良いものの、この後どうしたものかと頭を悩ませていたところでございます」
「ちがいます! 起きたら部屋にいたの!」
本当に、今朝起きたら勝手に寝台に入り込んでいたのだ。
連れ込んでなどいないし、エリィがどこから来たのかは、こっちこそが知りたい。
「警備の兵がいるのにでございますか」
「そうよ! わたしが招いたんじゃないわ。どこから入ったのか聞いても、自分の名前しか言わないし……」
「ふむ。では、私が尋問いたします」
サーリアは、床を撥ねるエリィに近付いた。
尋問、という言葉に不安を覚えたが、存在がバレてしまった以上、アルネットにはどうすることもできなかった。
サーリアが、エリィの猿ぐつわを外す――。
直後、口が自由になったエリィが思いもよらぬ行動を取った。
「――《ふぁいあぼーる》!」
「精霊法っ!?」
アルネットは驚きで目を丸くした。
飛び退ったサーリアも「なんと」と呟いていた。
聞き覚えの無い言葉だが、エリィが口にしたのは紛れもなく精霊法の始動鍵だ。
エリィの額の前に火の粉が集まり、クルミ程度の大きさの火球が生まれる。
会話もままならないこの少女が、精霊法を?
しかも制御しているように見える。
問題は、その矛先と威力だった。
エリィは、自分を縛り上げたサーリアをぎっと睨みつけている。
生じた火球は、少なく見積もって火の初級。人を殺傷できる威力だ。
「エリィ! 止めなさいっ!」
アルネットが叫ぶと、エリィはハッとした表情になり、素直に――そして暴発させることもなく、火球を消し去った。
やはり、制御している。
火球が消え去るや、サーリアが素早く歩み寄り、首筋に手刀を打ち下ろした。
「……驚きました。何者です、この娘は」
「分からないのよ……本当に」
意識を失ったエリィ。
この子が何者なのかは見当も付かない。しかし「どこから来たのか」。
それについては、エリィの精霊法を見た時、ある閃きが訪れていた。
◇◆◇
「この子、〈飛翔宮〉の転移陣から出て来たのではないかしら」
ダナン湖の湖底に沈む遺跡〈飛翔宮〉。
その周囲には大量の水があるので、通常の手段で中に入ることはできない。
そうした、閉ざされた場所へ移動するのに使われる遺物がある。
それが、「転移陣」と呼ばれるものだ。
陣の上に乗っているものを、瞬時に目的地へ運ぶことが出来る。
ただし、距離に比例して気力の消費が増えるため、どんな遠くにでも行けるというわけではない。
その上、移動先の座標の設定方法が未だに解明されていないため、有効範囲内ならば何処へでも跳べるわけでもない。
しかも入口と出口が双方向であるとは限らず、過去には発見された転移陣に入ったきり戻れなくなった調査団も居たと聞き及ぶ。
起動方法が分かっているだけであるため、複製することができず、国内に数ヶ所を数えるのみの、貴重かつ危険な遺物といえた。
王都ナザルスケトル周辺には、所在が判明しているものだけで王宮に一つ、ダナン湖底の〈飛翔宮〉内部に一つ。
この転移陣は、互いに行って戻って来ることの出来る、双方向のものだ。
ただし、起動には「血筋」と「性別」の制限がかかる。
「……有り得ないと存じます。たしかに忽然と現れたという状況は転移に似ていますが、この娘が転移陣に辿り着くには、やはり警備を掻い潜らねばなりません。まして〈飛翔宮〉の転移陣は王族でなければ……不可能かと」
「でも……」
アルネットは、儀式で見た光景を思い出していた。
〈宝石の蕾〉が開花したとき、その内側から溢れる光の中に見えた、人影のような何か。
あれは、エリィだったのでは……。
エリィは、あの時に何処かから呼び出されたのでは。
そのショックで、赤子のように言動がおぼつかないのでは……。
とにかく、とサーリアは言った。
「兵に突き出せば、『なぜ姫さまの部屋に』という事が追及されます。説明できない以上、内々に処理するしかありません」
「処理って、エリィはどうなるの」
「無体なことはいたしません。この娘は、姫さまの言う事は聞くのですよね?」
「理由は分からないけれど、そうみたい……」
この子は、目覚めた直後からアルネットに異常に懐いていた。
まるで卵から孵った雛鳥が、最初に目にしたものを親と信じ込むように。
サーリアは、口元に手を当てて何やら考え込んでいた。
「……当面は、侍女見習いとして遇することにいたしましょう。出自は、スカヴィンズ州出身の下級貴族で、私の遠縁ということに」
それは、王女の寝室に侵入した身元不明の不審人物に与えられる待遇としては、破格としか言いようのないものだった。
「そんなことをして大丈夫? わたしが言うのもなんだけれど」
「この娘は――エリィは精霊法を使いました。どこかで教育を受けたことがあるということです。生まれつき使えるというお方も、かつて王宮に居られましたが……それは極めて稀な例です。私はそのお方以外に存じ上げません」
エリィがかつて高等な教育を受けたのであれば、それが可能な家柄に生まれたということ。
調査をすれば、いずれ本当の出自は明らかになる。
『侍女見習い』とするのは、それまでの暫定的な処置だ。
遠方のスカヴィンズ州出身ということにすれば、当分の間は王都の貴族たちから身元を怪しまれることは無いだろう。
それがサーリアの提案だった。
「無論、先ほどのように殺傷力のある精霊法を人に撃つというような危険行為があれば、別の方法を考えなければなりませんが」
「い、いいえ! 大丈夫よ。わたしがいうことを聞かせます。だから、」
飼ってもいいでしょう、サーリア。
……間違えた。側に置いていてもいいでしょう。
捨て犬を拾ってきた子供の気持ちというのは、こういうものなのかも知れない……。




