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今と明日があるだけ

 アトラファは宿のベッドにぼふっと倒れ込み、枕に顔をうずめた。


 コーリーの買い物に連れ回されて、疲れていた。

 あの子は購入する物を予算などを基に事前に絞り込まず、現物を見てから、それが良い、やっぱりあっちも良い、と悩むので、買い物にすごく時間が掛かる。

 途中で投げ出したくなったけれど、最後まで付き合った。


 アトラファは、コーリーのことは大事にしようと決めていた。

 弱っちいあの子が「途中」で死んだりしないように守ろうと決めていた――。



     ◇◆◇



 ――母がいて、父がいて、妹がいた。

 その全員の顔を、わたしは知らなかった。


 物心ついた時、わたしは広い庭と、棘のある生け垣と、白く高い塀のある屋敷に一人で住んでいた。

 屋敷には数人の女たちが通ってきては、わたしの身の周りの世話をした。

 身の周りの世話とはいっても、毎日の代わり映えのしない食事を用意してくれる他は、基本、わたしは捨て置かれた。

 世話をしてくれる女たちは、わたしの眼が怖い、気持ちが悪いと言って遠ざかった。


 わたしは、庭の高い樹に登り、飛び降りるという遊びを好んだ。

 飛び降りること自体は楽しくも何ともなかった。


 けれど高い樹から飛び降りて怪我をした時。その時ばかりは、いつもはわたしを捨て置いていた女たちが慌て、かいがいしく世話をして、ちやほやしてくれたのだ。

 部屋に花を活けてくれたり、怪我をしたところに包帯を巻いてくれたり、着替えを手伝ってくれたり、ベッドに寝かし付け、手ずから粥を食べさせてくれたり……。


 それは夢のような、心地良い時間だった。


 そんな暮らしをしていたある日、わたしは妹の存在を知った。

 女たちが話しているのを聞いたのだ。


 わたしの妹だというその子は、玉葱と間違えて料理された、スイセンという毒の草の根を食べて、寝込んでいるという。

 妹。わたしと血の繋がった子。その子に会いたいと思った。


 わたしは妹に会う準備をした。

 弱って寝込んでいる子に会う時は、花を持って行かなくてはならない。


 わたしは花を探した。でも屋敷の庭は大きな樹が生えている他は、雑草が生い茂っているだけで、わたしが寝込んでいる時に女たちが活けてくれるような、大輪の花は無かった。


 わたしは仕方なく、雑草の中から黄色い花を集めた。

 この花は雑草だけれど、大きくて鮮やかで綺麗だと思っていた。放っておくと綿毛になって飛んで行ってしまう。


 その前に摘み取り、萎れる前に妹へ渡さなければ。

 わたしは屋敷を抜け出し、妹のもとへ向かった。



     ◇◆◇



 屋敷の外に出たわたしは、そこに広がる世界に愕然とした。

 なんて……なんて、たくさんの人!


 そして思った。

 こんなにもたくさんの人がいるのに、どうしてわたしの側には誰も居ないのだろう……。

 屋敷の外の世界は、わたしが思っていたよりもあまりにも広く、妹がどこにいるのか、全く見当も付かなかった。


 探し疲れて、座って休もうとした時、わたしは偶然「あの人」に出会った。

 輝く銀の髪、青みがかった深い翠の瞳。とても綺麗なおとなの女の人。

「あの人」の傍らには、もう一人、年嵩の女が侍っていた。

 二人は、蒼ざめた顔でわたしを見ていた。


 何故ここにいるのですか、と年嵩の女が問うた。

 妹にこの花を届けるため、とわたしは答えた。


 年嵩の女は、ならば私が届けますと言って、わたしの手から花束を奪い取った。


「あの人」は、わたしを見つめたまま、立ち尽くしていた。

 わたしは、「あの人」に何かを尋ねたと思う。

 具体的に何を尋ねたのかは、はっきりと覚えていない。

 たぶん、「世にはこんなに人がいるのに、どうしてわたしの側には誰もいないのか」、そんなことを尋ねたのだと思う。


「あの人」は、蒼ざめた顔のままで言った。


 ――そのような汚いなりをしていては、皆に嫌われてしまいます。


 その時、生まれて初めて、わたしは自分がひどく垢じみた汚い子供であることを知った。

 そして、「あの人」は続けて言った。あの言葉を。


 ――毎日、お風呂に入りなさい。毎日、髪を梳かしなさい。


 わたしがきょとんと見上げると、「あの人」は苦しげにわたしを見返した。

 そして、少し間を置いた後、「あの人」は最後の言葉を告げた。


 ――それから、人に優しくなさい。そうすれば、いつかきっと……。


 わたしは、その言葉にじっと聞き入っていた。

 それがまずかった。わたしはどこからか駆け付けてきた男たちに取り押さえられ、そのまま元の屋敷に連れ戻された。

 結局、妹に会うことは叶わなかった。



     ◇◆◇



 その次の日から、わたしの世話をしてくれていた女たちは屋敷を訪れなくなった。

 替わりに、「あの人」の側に侍っていた年嵩の女が、毎日屋敷を訪れた。


 わたしが樹の上から飛び降りる遊びをしても、この年嵩の女は、前の女たちのようにちやほやしてくれなかった。

 かわりに、泣きながらわたしの頬を打って言った。


 ――なぜ、そのような危ないことをなさるのです。貴女さまは、望まれて、愛されてお生まれになったのですよ。


 わたしは、ちやほやしてくれないこの年嵩の女が大嫌いだった。

 それでも、わたしは年嵩の女が言う「愛」という言葉に強く惹かれた。


 愛とは。愛されるとは。

 それはきっと、怪我をしてちやほやされるよりも、ずっと甘美なもの。

 人の魂は、いつか喜びの野へ召されるという。

 そうだ。愛こそは、わたしを楽園に住まわせるもの。そんな素晴らしい何か。


 わたしは愛を切望した。



     ◇◆◇



 その思いは日に日に募り、わたしは旅に出る決意をした。

 ここが楽園でないのは、ここにわたしを愛すべき人が居ないからだ。


 ならば旅に出よう。探しに行こう。

「好き」をくれる人を。わたしに愛を注ぐ人を。楽園の扉の鍵を持つ人を。


 棘の生け垣と高い塀に囲まれた屋敷に閉じ込められてはいたけれど、わたしはいつだって自由だった。

 わたしは自らの意に精霊を従わせる術に長けていた。

 誰かに教わったことではなく、生まれつきそうだった。

 その気になれば、いつだってこの屋敷を飛び出すことが出来たのだった。


 ――毎日、髪を梳かしなさい。


 その教えを守って、わたしは木のヘアブラシだけを持って屋敷を抜け出た。

 もう二度と戻らない。



     ◇◆◇



 外の世界は本当に広く知らないことだらけだった。でもすぐに慣れた。

 わたしは自由で無敵だった。そして三つの約束を守った。


 ――毎日、お風呂に入りなさい。

 ――毎日、髪を梳かしなさい。

 ――それから、人に優しくなさい。


 初めの二つの言葉の意味はよく分かった。お風呂に入って、髪を梳かす。

 でも、最後の一つがよく分からなかった。



 ……人に優しくするって、どういうこと?

 わたしは、困ってそうな人を片っ端から助けることにした。


 わたしは困っている人を求め、〈影迷街〉という、南の城門の外の街に辿り着いた。

〈影迷街〉には、子供や女、若者を拐かす、頭のおかしい連中がうろうろしていたので、人助けには事欠かなかった。


 頭のおかしい奴らをぶちのめす時、連中は決まってわたしを指差して叫ぶのだった。


 小娘、お前こそが頭がおかしい――。

 知ったことではなかった。お前らの方がおかしい。


 ……けれど、助けてあげた人たちも、わたしに感謝はすれども、好意を向けてくれる人はいなかった。

 何故だろう。人に優しくするとは、一体どういうことなのか。

 何をすれば良いのか。分からなかった。



     ◇◆◇



〈影迷街〉で暮らしていたある日、一人の男がわたしの前に立った。

 その男によって、わたしはボコボコにされた。わたしは無敵ではなかった。


 その男は自ら「先生」だか「師匠」と名乗り、わたしにつきまとった。

 「先生」は、わたしに文字の読み書き、算術、自然科学の知識――それに魔物と戦う術である騎士詠法を叩き込んだ。


 全くありがたくなかった。わたしは「先生」が大嫌いだった。

 わたしは「先生」の下から何度も逃げ出そうとし、その都度捕らえられ、折檻された。

 自由だったわたしは、この時、初めて束縛というものを味わったのだった。



     ◇◆◇



 その後、「先生」の勧めにより、わたしは冒険者になった。

 冒険者のわたしは、人気者だった。

 皆が「仲間になってくれ」とわたしを求めた。わたしは喜びでくらくらした。


 それを受けてわたしは、三つの約束に加え、自分でもう一つルールを追加した。

 一回目は必ず断る。二回目は必ず受ける。


 なぜなら、わたしは「好き」を求めていた。

 仲間になって欲しいという人たちは、わたしを好きなのではなく、わたしの力が欲しいだけなのかも……。だから、一回目は断る。

 でも一度突き放されても、もう一度わたしを求める人がいたら、その人はわたしを好きな人かも知れない。だから、二回目の勧誘は受ける。


 そうしているうちに、わたしは人気者ではなくなってしまった。

「好き」をくれる人は、楽園の扉の鍵を持つ人は、わたしの前に現れなかった。

 わたしは、冒険者でいることに飽きてきていた。


 あの忌々しい「先生」が姿を見せなくなって久しい。わたしは自由を取り戻していた。

 もう、王都に留まらなくても良いのではないか。

 ここにわたしの求めるものはない。もっと遠くへと旅立つ時が来たのではないか。

 そう、思い始めていた。



     ◇◆◇



 そんなある夜、一人の女の子がわたしの住む小屋にやって来た。

 その子は困っていた。お腹を空かせていた。


 ――人に優しくなさい。


 わたしは三つ目の約束に従って、その子を助けることにした。


「私はコーリーっていうの。コーリー・トマソン」


 その子は、コーリーといった。

 家出でもしているのか、泊まる場所も無いようだったので、わたしはその子を家に泊めた。

 以前に「先生」から聞いていた〈しまふくろう亭〉という宿のことも教えてあげた。


 明くる朝、目を覚ますと、コーリーは書置きを残して何処かへ行ってしまっていた。

 わたしはひどく落胆した。


 一日が過ぎ、冒険者ギルドへ赴いたわたしは、思いがけないものを見た。


 ――王都南の森でコーリー・トマソンの捜索。報酬は銀貨一五〇枚。

 ――人物の特徴は黒っぽい茶髪に……。


 依頼が貼り出されている掲示板。

 あの子だ。南の森で助けを待っている。また困っている。


 わたしは準備もそこそこに南の森へ急行した。コーリーの足跡は簡単に辿ることが出来た。コーリーは、目印に紐を木々の幹に結び付けていた。

 見つけ出したコーリーは、厄介なことに魔物に襲われていた。

 少し危なかったけれど、わたしは鹿の魔物を倒し、コーリーを街へ連れ帰った。



     ◇◆◇



 それからしばらくして、コーリーがまたわたしの家にやって来た。

 お礼だという、甘いお菓子の包みを持って。

 わたしは期待した。


「一緒にいたい。友達になりたいの!」


 コーリーは、わたしの期待通りの言葉を口にした。

 わたしの心は華やいだ。そう言われたのは久しぶりだった。

 王都を出て遠くへ旅立とうと思っていたところだ。

 すぐに「うん」と頷いてしまいたかった。


 けれど……わたしは自制した。コーリーの「好き」が本物かどうか確かめる必要がある。

 苦しかった。本当に惜しいと思いながら、わたしはコーリーの申し出を断った。



    ◇◆◇



 その後、思いもよらない形で、またコーリーと会った。

 その時、わたしは雨に打たれて、ちょっと死にかけていた。


〈しまふくろう亭〉に運ばれたわたしは、コーリーや宿の人たちから手厚く介抱された。

 幼い頃、屋敷で怪我をしたわたしをちやほやしてくれた女たちを、懐かしく思った。


 体調が戻ったわたしは、コーリーと共に長雨の元凶を取り除くことになった。

 正直、面倒だな、と思っていたけれど、やることにした。


 わたしは、ずっとコーリーに期待していた。

 カタツムリの魔物を倒し、街に戻った時、コーリーはやはり、期待通りの言葉をくれた。


「私たち、やっぱりパーティを組まない?」


 二回目は必ず受ける。

 自分のルールに従って、今度こそわたしはコーリーの申し出を受けた。

 これは最後の機会かもしれない。

 コーリー・トマソン。この子こそが……。



     ◇◆◇



 アトラファは、枕に顔をうずめたまま、足をバタバタさせた。

 たまらなく嬉しかった。


 コーリー・トマソン。

 あの子は、わたしに「好き」をくれる人かもしれない。愛を注ぐ人かもしれない。

 楽園の扉の鍵を持つ人かもしれない。


 だから、あの子を守る。アトラファはそう決めていた。

 懐かしい、もう遠く会えない「あの人」の言葉は、まだこの胸にある。



 ――毎日、お風呂に入りなさい。

 ――毎日、髪を梳かしなさい。

 ――それから、人に優しくなさい。


 そうすれば、いつかきっと、誰かが貴女を好きになってくれるわ――。


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