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コーリーとアトラファ ⑬

 毎日お風呂に入りなさい。

 毎日髪を梳かしなさい。

 そして、人に優しくなさい。そうすれば、いつかきっと――。



     ◇◆◇



 ――懐かしい声が聴こえて、アトラファはそちらに手を伸ばそうとした。


 そんな夢をみていた。

 気が付くとベッドの上。天井に向かって伸ばされた自分の手を、アトラファはぼんやりと眺めていた。〈しまふくろう亭〉の客室だった。


 ドアがノックされ、室外からアトラファを呼ぶ声がする。


「アトラファ起きてるー? 今日、冒険者ギルドに行く日だよー!」


 隣の客室に宿泊している、あの子の声だ。

 黒っぽい茶髪に榛色の瞳の、弱っちい冒険者の女の子、コーリー。

 アトラファは上半身を起こして、ドアに向かって返事をした。


「ん、起きてる」

「それじゃ、一階で待ってるからね。早く来なよー!」


 ぱたぱたと廊下を遠ざかって行く足音を聞きながら、アトラファはベッドから出る。

 寝間着から普段着に着替え、木製のヘアブラシで髪を梳かす。

 頭の左側に、ぴょこんと寝癖が飛び出ている気がしたが、鏡は嫌いなので置いてない。

 まぁいい。外に出る時は、フードを被れば分からない。

 濃紺のフード付きローブに袖を通し、腰に得物を差して、部屋を出た。


 階段を下りていると、階下から声が聞こえてくる。


「――あいつを何とかしろ! お前の連れだろ!」


 この宿の店主の声だった。

 続いて、それに応じるコーリーの声。


「何なんですか、マシェルさん」

「あいつ、俺が知らん間に納屋の横に風呂を作りやがったぞ! なんかウロチョロしてると思ってたら……いつの間にか見覚えの無ぇかまどがある上に、排水溝まで切ってある!」

「えっ、マシェルさんに話してなかったんですか。アトラファ……」


「おまけに、あいつが風呂に入ってる間、変な歌が聴こえてくるぞ! なんだありゃ……呪いの歌か! どうなんだ!」

「あー、えと……歌については控えるように言っておきます」

「全部だ! 止めさせろ!」


 店主の剣幕に、コーリーは劣勢だった、

 困っているのだろうか。加勢すべきだろうか。

 新調した山刀の柄に手を当てながら状況を窺っていると、コーリーが反撃に出たようだ。


「だったら、アトラファに直接言えば良いじゃないですか。なんで私に」

「あいつは……何考えてるか分からん奴は、苦手なんだよ。俺が何か言って、泣かれたりしたら、その……面倒くせぇだろうが!」

「えぇー……、私にはポンポン何でも言うくせに……」


 会話を聞いているのに飽きて来たので、アトラファはトントンとわざとらしく足音を立てて階段を下っていった。

 強面の店主が、うぐっ、という呻きと共にこちらを見上げてくる。

 最後の一段を下りると、店主はがりがりと頭を掻きながら何か言ってきた。


「ンっ、オホン、あー、……お前、いや、お客さま、何かしたい時は俺かミオリに言え。いや、おっしゃって下さい。勝手に何かすんな。いいか? 分かったか?」

「わかった」


 そう言うと、店主はまた頭を掻いて、厨房へと去って行った。

 傍らを見ると、コーリーが驚嘆の眼差しでこちらを見ていた。


「アトラファすごい! あんな腰の低いマシェルさん、見たことない!」

「ん。そう」


 生返事をしておいた。どうでもよかった。

 コーリーと連れ立って〈しまふくろう亭〉を出た。



     ◇◆◇



 ギルド会館のロビー。

 受付カウンターで、コーリーが若い男の職員と話しているのを、アトラファは近くの柱にもたれながら待っていた。


「――そうか。パーティ申請は全部断ったんだね」

「はい。誘ってくれた皆さんには申し訳なかったんですけど」

「仕方ないよ、縁だからね。それで……」

「はいっ! これからはアトラファと二人でやっていきます!」


 元気よく名前を呼ばれ、手持ち無沙汰につま先で床をほじくっていたアトラファは、「ん」とコーリーの方を見やった。

 コーリーの背中越しに、カウンター内に座る若い男の職員と目が合った。


「キミ、アトラファ君。ちょっと」


 職員に手招きされ、カウンターへ向かう。

 コーリーの横に並ぶと、職員は一枚の紙切れをすっと差し出してきた。

 アトラファはその紙が何なのか知っていたので何も言わなかったが、隣のコーリーが職員に尋ねた。


「アイオンさん、これ何ですか?」

「ここにキミたちの名前を書いて。キミたちの活動に直接関係がある書類じゃないけど、ギルドが各パーティの編成を把握するのに必要なんだ。協力して欲しい」


 コーリーは素直に、そうなんですか、と呟く。

 職員が指し示した枠の中に、コーリーが名前を記入した。



『コーリー・トマソン』



 ランクは〈縁無し銅〉、風法術士……と、続けて書き込む。

 ペンを手渡されたアトラファは、コーリーが書いた下の欄に自分の名前を書く。



『アトラファ』



 家名は無い。その横に〈縁あり銀〉、氷法術士と書き込んだ。

 紙を返すと、男の職員はさっと目を通し「うん、よし」と頷いた。


「協力ありがとう。これでキミたちはパーティだ。今後の依頼は、基本的に個人でなくパーティで受けてもらうことになる……ギルドの信用金庫にパーティ名義の口座を開設するのをお薦めするよ。少し時間が掛かるけど、今日作っていくかい?」


 男の職員にそう言われて、コーリーがちらっとこちらを見た。

 なんだろう。何か助けを求めているような眼差しだった。

 しばしコーリーの顔を観察していると、彼女はふっと息を吐いて、職員に向き直った。


「……今日はいいです。後でアトラファと相談して決めます。今日は、これから二人で買い物があるので」

「きいてない」


 実際、買う物があるとは聞いてなかったのでそう言った。

 すると、コーリーは何故か怒りだした。


「私の短刀! こないだ壊れちゃったでしょう。新しいのを選ぶの、手伝って」

「壊したの怒ってたの? 弁償すればいい?」

「ちがうよ! 怒ってないし弁償なんてしなくていいよ!」


 明らかに機嫌が悪くなっているのに、コーリーは怒ってないと言い張った。

 コーリーに手を引かれて、アトラファはギルド会館を後にした。



     ◇◆◇



 きゃいきゃいと騒ぎながら、会館のロビーを横切って行く少女たちの背中をアイオンは見送った。もっとも、騒がしいのはコーリーの方だけだったが……。


 たった今受け取ったばかりの書類の束を、トンと机に叩いて端を揃えた。

 隣の受付カウンターで同じく二人を見送っていた、後輩のリーフがこぼす。


「……これでぇ、良かったんでしょうかぁ」

「何がだい?」

「コーリーさんにはぁ、もっと相応しい仲間がいると思うんですぅ」

「まぁ、あの二人はランクも離れているし、法術士だけのパーティというのもバランスが良くないけど」

「そういうことじゃなくてぇ」


 アイオンには、リーフが何を気掛かりとしているのか分からなかった。

 リーフは少し眉根を寄せて、言いにくそうに続ける。


「そのぅ、アトラファさんって、目がちょっと気味悪いじゃないですかぁ」

「リーフ君……」


 アイオンは、温厚な彼にしては珍しく、非難めいた表情で後輩を睨んだ。

 アトラファという少女の眼の色、瞳の形は確かに普通ではない、彼女独特のものだ。

 以前にダリル主任が話していたように、あの少女が他人と上手く付き合えないのは、不運にも生まれ持ってしまった眼の色、瞳の形が一因となっていることも想像できる。


 アイオンの中にも、「変わった子だな」という思いはあった。

 しかし、だからといって人を――まして、支えるべきギルド員を、外見によって待遇を差別することは、アイオンの信条に反した。


「リーフ君、感心しないな。人を身体の特徴で――」

「ち、ちがいますよぅ!」


 強く諌めようとすると、リーフは慌てて否定した。

 身振り手振りを交えて、わたわたと弁明を始める。


「何て言うかぁ、目つきなんですぅ……受付で話してる時の、目つきが何かこう」

「目つき?」


 アイオンは、あの少女の受付を担当したことはほとんど無い。人となりを知らない。

 あの×印を刻んだ瞳を見る時、すごく変わっているな、という感想しか持たなかった。

 リーフが「目が気味悪い」と言った時、すぐに外見への評価だと思い込んだ。

 見た目に囚われているのは僕だったな、とアイオンは少し反省した。


「見下してるというかぁ、品定めしてるというかぁ……何て言うんでしょう、あれ」

「……いやもういい、僕の早合点だった。悪かったね。でも、ギルド員のことをそんな風に悪く言うもんじゃないよ」


 アイオンは早計で叱責してしまったことを謝罪し、そのついでに軽く窘めた。

 しかし、聞いていないリーフは腕を組んで首をひねり、うんうんと唸り始める。

 あの少女の「目つき」とやらを形容する語句を探しているようだ。


 この後輩にはこういうところがある。自分の考えに没頭すると周りが見えなくなるのだ。それで何度か失敗したこともある。

 普段なら注意する所だが、今回は放っておくことにした。立て続けに何度も叱られたのでは、リーフも面白くないだろう。

 アイオンが前に向き直り、業務を再開すると、横からぽつりとつぶやきが聞こえた。


「あぁ、そうだ…………。『邪悪』?」


 邪悪な目つき。

 アイオンは、心ならずもぞっとした。それでも、後輩を叱責することは無かった。

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