「生まれてきて良かった」 ①
――イスカルデ歴一六年 初夏。
当時十五歳のアーベルティナは、アイオリア州の荒野を旅していた。
それはコーリーが「アトラファ」と出会うより、およそ十七年前の出来事――。
◆◇◆
この時、わたしと侍従のサーリアとその他お付きの者たちは、魔物に追われていた。
荒野に砂を蹴立てて走るのは、わたしとサーリアが乗る馬車と、その周囲をかためる四名の騎兵たち。
執拗に追い縋って来るのは、馬車の箱くらいはある大きさの、ハサミが二つある甲殻類。全身が真っ黒で、金色の模様が脈打つように光を迸らせている。
球を繋ぎ合わせたような尾を振り上げ、両のハサミをがちがち言わせながら、わたしたちとの距離を詰めてくる。
「サーリア、見て! カニよ! カニって砂漠にもいるのねえ……横に歩くものだと思ってたけど、真っ直ぐ追いかけて来るわ!」
「ティナさま、あれはカニではなく蠍です! 扉を閉めて頭を引っ込めて!」
「やーよ! 座ってるとお尻が痛いんだもの。あっ、……ほら見て!」
「見ませんっ!」
力ずくで馬車に引っぱり込もうとするサーリアに抵抗しつつ、アーベルティナ――ティナは、護衛の騎兵ちが陣形を変えるのを見ていた。
通常、前後左右に一名ずつなのが、馬車の後方に二名、左右に一名ずつという形に編成された。
淀みないシフトの変更に、思わずティナは感心した。
後方に再配置された騎兵が、精霊法の始動鍵を詠唱し始める。
「――《火精霊の理により、炎熱の壁よ、敵を阻め》!」
ゴウッ――という熱風と共に、後方に炎の壁が現れる。
おぉすごい、と思ったのも束の間、次の瞬間にはサソリの魔物が、無傷のまま炎の壁を突破してくる。
法術騎兵は再度、始動鍵の詠唱を試みるが……サソリの魔物もそれを黙って待っているわけではない。
蛇の鎌首のように持ち上げられた尾の先端が、ぷくっと膨らむ。
その先端は、精霊法を使おうとしている騎兵へと向いている。
並走している一騎が、法術騎兵の腕を掴んで、自分の馬上へと引き寄せる。
「狙われてるぞっ! 何か撃つ気だ! こっちに移れ!」
「待ってくれ、馬が……!」
「諦めろ!」
法術騎兵が救けられるのと同時、サソリの尾から水鉄砲かの如く液体が射出された。
サソリは尾を振りかざし、薙ぎ払うように液体を噴射する。
直前まで法術騎兵が乗っていた馬の後ろ足に、その液体が掛かると、馬は悲痛な悲鳴を上げて転倒した。
まだ生きていて鳴き続ける馬の上に、黒いサソリの魔物が鋏を振り上げて襲い掛かる。
その最期の光景を目に焼き付け、遠ざかり、やがて聞こえなくなっていく悲鳴を耳にこびりつかせながら、ティナら一行は難を逃れた――。
◆◇◆
「――見なきゃ良かったわサーリア。……グロかった」
「だから言ったでしょうに」
サーリアはこちらを振り向きもせずに応えた。
彼女はお姉さん――と呼ぶには、ちょっと歳が離れている私の侍従。
過去に結婚しているのか、していないのかを詮索したことは無いが、今は私の側に仕えてくれている貴重な存在。
時に歯に衣を着せぬもの言いをするところがあって、そこが気に入っている。
――ここは、アイオリア中部の村。
宿泊施設など無い場所だったけれど、村長さんが気を利かせて、自身の邸宅を休憩所として明け渡してくれた。
わたしとサーリアは、馬車で寝泊まりするのでも良かったけど、随行してくれている騎兵の皆さんが休める場所を提供してくれたのは有難い……特に愛馬を失った法術騎兵の人には、心を休める時間をあげたい。
わたしは、護衛してくれている騎兵たちの顔と名前を把握していない。
何故かというと、彼らは長年わたしに仕えてくれていた忠臣でも何でもないからだ。
この各州を巡る旅に出ると決まった時、急遽に編成された兵たち。
サーリアもそう。
わたしの身の周りの世話をする女性が必要であろう、と遣わされたのがサーリアだった。
道中の話し相手は彼女だけだったため、サーリアの顔だけは覚えた。
護衛たちにはたまに労いの言葉を掛けるのみで、会話の機会はなかった。
どうして、わたしがこんな苛酷な旅をしているのかといえば……それを言っては悪いが、イスカルデ陛下が御世継ぎを残さなかったためだ。
二年前、手勢を連れたイスカルデ陛下はスカヴィンズ州の北西、境界山脈に入山し、そのまま消息を絶った。その後、続々とイスカルデ陛下の部下が王宮を去った。
そしたらもう大変。イスカルデ女王は身罷れたことにし、すぐにでも次の女王を立てなければ……。
◆◇◆
故郷のスカヴィンズ州が、他州に比べて貧しいのは知っていた。
でも、自分は貴族の家に生まれて幸運だったなぁ……毎日お菓子食べて、ごろごろして生きて行けたら良いなぁ……と、思ってたら、この状況。
まさか、自分が次期女王の候補に奉られるだなんて……。
でも、女王候補はわたしだけではない。
ベーンブル州とアイオリア州から一人ずつ推薦されている。
先代の――もう先代と呼んでしまっても良いだろう――イスカルデ陛下はハーナル州のご出身であらせられたから、この度の新女王選出には、ハーナルからの立候補は無し。
そういう制度らしい。
女王は己の出身の州から婿をとってはならないし、世継ぎである女子に恵まれなかった場合、今回のように各州から女王候補が推薦され、投票権を持っている有力貴族らによって次の女王が決まる。
一州に権力が集中するのは好まれないので、前女王の出身地とは別の三州から、それぞれ候補者が推薦される。
何の因果か、スカヴィンズからの候補がわたしになってしまった。
「権力の集中を避ける」とは言いつつ、各州には国力とも称するべき力関係が歴然と存在していて、我がスカヴィンズ州は四州の中でも弱小だった。
だから、わたしが次の女王になることは絶対に有りえない。
会ったことはないけど、ベーンブルかアイオリアの子が女王になるだろう。
そもそも、わたしは女王になりたいわけではない。
日々、ぐうたらして過ごしたいだけだ。
でも、つまらない伝統――間違えた、受け継がれてきた儀礼として――女王候補たちは各地を巡り「自分はこんなに素晴らしい人です、是非とも自分に票を下さい」という下らない巡礼の旅を課せられることになる。
そのために護衛の兵や、サーリアのような側仕えが集められ、旅に同行させられる。
そして魔物に追いかけられて、馬は生命を落とす。
……他の候補者の子たちも、こんな旅をしているんだろうか?
ベーンブルもアイオリアも力のある州だから、わたしよりは、やりがいというものを感じているのかも知れない。
「今すぐ帰りたいなぁ……スカヴィンズに」
「………………」
傍でサーリアが聞いていることを知りつつ、固い寝台に寝そべり、わたしはぼやいた。
弱音を吐く時は、サーリアは何も言ってくれない。
結局、彼女も仕事か、あるいは何かのしがらみで旅に同行するはめになっている一人に過ぎず、わたしの友達ではなかった。
◆◇◆
――その時、邸宅の外から喧騒が聞き取れた。
複数人が騒いでいる……悲鳴も。
わたしは不安になって、寝台から身を起こした。
「様子を見てまいります」
サーリアが部屋を出て行ってしまう。一緒に居て欲しかったのに。
わたしは寝間着の上に外套を羽織って、彼女の後を追いかけた。
不安のあまり、外套の合わせをぎゅっと引き絞りつつ、猫背になってそろそろと周囲を見回す……サーリア、居ない。
村長の邸宅といっても貧しい村のこと、二階建ての小屋くらいの簡素な造りだったので、サーリアを見つけられないまま、外に出てしまった。
――バンッ!
大きな音がして、わたしはびくっと身を竦ませた。
大気を通して、衝撃みたいなものが皮膚に伝わって来た。
誰かが銃を撃った、と思った。
「サーリア……サーリア、どこ?」
一人でいるのが怖かったわたしは、愚かにも喧騒の方へ――騒ぎが大きい方へと足を進ませた。そこで見た光景は――。
◆◇◆
「――弾をくれっ!」
「あと四発しか……」
「いいから全部くれっ……お姫さま付きの法術士はっ!?」
「もう詠唱してる! でも間に合わ、あ、あっ……」
昼間に遭遇したサソリの魔物が、村を蹂躪している様子だった。
馬一頭を喰らったのに飽き足らず、わたしたちを追い掛けて来たのだ。
必死に食い止めようとしている、村人と私の護衛たち。
ほら、旅になんて出なければ……。
そんな暗いわたしの想いに引き寄せられたのか。
サソリの魔物は両の鋏を振るって、周囲の人々を薙ぎ払った。
その複眼が見据えているは――他でもないわたしだった。
「え」
バリケードを破って、サソリの魔物がこちらに突撃してくる。
その後方、人々が口を開けてこっちを見ている……その中にサーリアもいた。
サソリの尾の先端が、ぷくっと膨らんでいる。獲物を目の前にして歓喜の如くハサミを振り上げている。
わたし、あの馬みたいに、ぐちょぐちょに溶かされて食べられて死ぬんだ……。
◆◇◆
あぁ死んだかな、嫌な死に方だったな、と思った。
けれど――、
一つの影が、視界の外から飛び出し、何かを閃かせた。
次の瞬間、サソリの尾の先端がボトリと落ちた。
「!?」
「《凍てつく星の光、吐息に触れて粒となれ》」
その影が呟いた瞬間、数えきれない程の冷たい光の粒が魔物の周囲に生まれる。
これは氷精霊法――けど、こんなに短時間で精霊が凝縮するのは見たことがない。
わたしの護衛をしていた法術騎兵は、術の展開にはかなりの時間を要していた。
尾を断たれたサソリの魔物は、がむしゃらにハサミを振り回して、突如現れた影を排除しようとした。
その影は――人影は、剣を地面と垂直に構え左腕を添え、盾代わりにして魔物の攻撃を防ごうとする。しかし、体格差が違い過ぎる……防げるわけない。
案の定、その魔物と比してあまりにも小さな人影は薙ぎ払われて、構えた剣ごと吹き飛ばされた――かに見えた。
伏して動かなくなるかと思われたその人影は、意外にもふわりと着地し、倒れることなく魔物へと向き合った。
しかし、やはり全く無事ではなかった。剣の腹に添えて一撃を受け止めた左腕を負傷したのだろう。
「ち」
人影は――その少年は、舌打ちをしてひしゃげた剣を投げ捨てる。
武器を捨てたことで負けを認めた……そんな判断をする知能がサソリの魔物にあったとは思えないが、ともかくサソリは勝ち誇ったかのようにハサミを振り上げ、少年に襲い掛かった。
振り下ろされたハサミが、地面を穿つ。
ズン、という衝激がこちらにまで響いてくる。
少年は負傷した左腕を抑えつつ、後方にステップしてその攻撃を避けた。
そして、魔物が反対のハサミを振り上げ、今度こそ少年を潰そうとした瞬間――、
「――《指に触れて針となれ》!」
少年が始動鍵を結び終えるのと同時、周囲から押し寄せる、冷たい光の嵐に魔物は包まれる……わたしは目を見開いた。
精霊法は得意ではないが、使い勝手は分かる。
基本、始動鍵を詠唱しなければならず、唱え終えた途端に効果が発動する。
詠唱中は極度の集中を要し、途中で殴られたりしたら集中が切れる。
少年は、詠唱中に魔物の攻撃を受けたにも関わらず、術を維持していた……。
氷精霊法によって全身を凍らされたサソリの魔物は、それでもハサミを振り下ろして、少年を叩き潰そうとしていた。
――危ない、逃げて!
そう叫びそうになるティナには目もくれず、少年は魔物の動きを注視しつつ、微動だにしなかった。まるで魔物の絶命を悟っているかのように。
その通りに、魔物はハサミを振り下ろすまで生命を保てず、ぐしゃりと崩れ落ちて身体はバラバラになった。
その破片一つ一つが、白い塵となって風に溶けて行く。
全てが終わった後の地面に、細長く赤黒い石が残されていた。
少年はその石を拾い上げた。
◆◇◆
「……倒せたか」
「『倒せたか……』じゃないでしょ! 状況を説明してよ!」
「? あんたの窮状に駆けつけ、すんでの所だったが魔物を排除した……倒した。もう心配ない。それより、いきなり糾弾されるのは納得いかない」
その態度に、わたしは鼻白んだ。
ん? なにこの生意気な態度。近くで見たらわたしより身長が低いくせに。
俺はあんたの生命の恩人なんだから……というのがコイツの言い分。
ぐぬぬ……。まぁその通りだけどさっ!
「わたしはアーベルティナ・スカヴィンズ! 偉いのよ、ひれ伏しなさいよ!」
「スカヴィンズ……『偉いのよ』って自分で言うのか? 見たとこ俺とあまり歳も違わなそうだけど……そうか偉いのか。何かやったのか? 先祖じゃなくてあんた自身が」
「ぐぬぬぬ……!」
この小僧、言ってくれるではないか。
「チービ!」と幼稚な罵りで反撃しなかったことを、この時の自分は己の美徳ゆえとしたが、後々思い返せば、言い返してやれば良かった。
言うだけ言っておいて、高貴なる身分のわたしを捨て置き、村人たちの救援に向かおうとする少年の背中に、わたしは声を掛けた。
「名前くらい、名乗りなさいよ!」
不敬な奴め。名乗れやしまい。あれだけ精霊法を扱えるということは、そこそこの家柄の貴族である可能性は高いが……。
わたしは四王家の一角、スカヴィンズの子女。
ぐうたらして一生を過ごすつもりで、周囲から祭り上げられた結果とはいえ、一応は次期女王候補でもある。
――どうだ、参ったか小僧め。
このわたしを前にして、名乗れるものなら名乗ってみな。非礼を謝ってひれ伏すんなら、許してあげなくもないよ……まぁ、生命の恩人だし。
少年は、非礼を詫びはしなかったが、面倒そうにこちらを振り返って名乗った。
「アルネスト。俺の名前」




