女王陛下の物語
「堂々と皆の前に立って、式の言葉を述べなさい」
「はい。お母さま」
これが、わたしとアルネットとの間で交わされた、直近の会話。
◆◇◆
ハーナル州で行われる、飛空船建造の記念式典にあたり、アルネットは女王であるわたしの名代として事に当たることとなった。
本来はわたしが赴いて然るべきなのだろうが、昨今、王都ナザルスケトルの周辺での魔物の襲撃が頻発しており、民も官も混乱していた。
追い打ちをかけるように、初夏の頃には魔物が城壁内に侵入し、兵を含む民間人数名が食い殺されるという惨事が発生。
更には魔物を城壁内に持ち込まれ、内側から壁が破られるという、史上まれに見る大惨事も発生。
正直、わたしは自分が有能でないことを自認しており、これらの事態にてんてこ舞いで、アルネットに適切な励ましの言葉を掛けてやる余裕が無かった。
でもおそらく娘のアルネットは、わたしが有能かつ冷徹な統治者――みたいな認識でいるらしく、その視線が時として痛い。
長年の腹心であったサーリア。
彼女は今、わたしの下を離れアルネットの侍従長となっている。
サーリアなら、わたしが周囲からすれば意外とぽんこつであるという事を分かってくれているはずなのだが……気が利きすぎるせいか、わたしの不出来っぷりを娘に隠してくれている。
……娘に距離を感じさせている。違う、サーリアではなくわたしのせい。
◆◇◆
ふと、夫の事を思う。
彼は各地の遺跡を調査するため、常にあちこち旅をしており、王都ナザルスケトルに滞留していることはまれ。
最後に帰って来たのは、アルネットが「宝石の蕾の儀」に挑戦した時だったか。
あの時ばかりは父親の役目を果たしてくれたと思えたが……当のアルネットが目覚める前に、また何処かへと旅立ってしまったのだった。
ただ、あまり心配はしていない。
本人はヒョロヒョロで、髭ばかり立派に生やして……旅先でも冒険者を雇って、自分はのほほんと書き物でもしているのであろう。
昔は「境界山脈の頂に至った」と言っていて、身体もがっしりしていた。
そして、その言葉を嘘だとは微塵も思っていない。
わたしの夫は、本当に境界山脈に登ったのだと信じている――。
◆◇◆
――わたしは、アーベルティナ・アナロスタン。
この王都ナザルスケトルを統べる女王。
元は四王家、スカヴィンズに連なる家の、何の取り得もない小娘だったはずが、何の因果か女王の地位に就いてしまった。
子供も二人産んでしまった――そう言っては子供に悪い、生まれて来てくれた。
たぶんアルネットが感じている通り、あまり良い親子関係は築けていないという気はしているけど。
わたしには子供が二人いる。どちらも女の子。
長女の名前はトゥールキルデ。
次女の名前はアルネット。
長女とはもう話せない。亡くなってしまったから。
わたしは執務机の引き出しを開け、中から両手に収まるくらいの、小さな木箱を取り出した。
白い紐で封をされた箱には、上の娘の遺髪が収められている。
初めて開けた時以来、二度と開けたためしは無いが、確かにこの中に入っている。
この箱自体を目にする度、きつく胸が痛むので、こうして手に取ることは本当に滅多に無いことだった。
それでも今、手にしたのはアルネットのため。
「喜びの野から、祈ってあげてほしい……アルネットの初の公務……飛空船のお披露目。上手く行くように」
ね、お姉ちゃん。
アルネットが小さい頃、お腹を壊した時、タンポポを摘んでくれたでしょう。
優しい子だったね、トゥールキルデ。
でもその時、わたし、わたしは……こう言ったんだよね。
――『毎日、お風呂に入りなさい』って。
あの時の貴女のぽかんとした顔、今でも覚えているし、一生忘れることはない。
どうすれば良かったかなんて、分かり切っている。
駆け寄って、抱き締めてあげれば良かった。
でも、できなかった……しなかったのだ。
わたしは、トゥールキルデの遺髪を収めた小箱を引き出しの中に戻した。
封を解くことはしなかった。
こんな気持ちで娘と対面したら、夫に怒られる気がしたから。
◆◇◆
これはわたしの後悔の――いいえ……上の娘の、始まりの物語。




