漂流してるけど
「――今、私たち漂流してます。この現状を認識してもらった上で、みんなには建設的な意見を出してもらえたらな、って思います」
広大なるダナン湖の湖上、東西南北どこを見渡しても陸地など見えず。
四方八方、水平線に囲まれ、頼みとする足場は四人がやっと乗れる氷塊の上……そのような状況で、努めて冷静を装ってコーリーは言った。
「意見がある人は挙手して」
「はいです」
さっそく手を挙げたのは。クルネイユ。真面目な顔つき。
コーリーは「はいっ」と指名した。
クルネイユは自分の提案を述べる。
「アザラシを捕まえて、岸まで引っ張ってもらえば……」
「はい次!」
生命が危ぶまれている状況で、荒唐無稽な案に耳を傾けている暇はない。クルネイユの案は即時に却下する。
次に手を挙げたのはタミア。
彼女の意見は消極的な案だった。
「……ウチ思うんですけど、このまま救助を待つっていうのは?」
「ここが湖のどの辺りか分かれば……。他の船が通る辺りって分かってるなら、それも有りなんだけどなぁ」
出来れば採用したい案ではあるが、現在地が分からない以上、そうもいかない。
乗っていたプティウルス号自体が魔物であったということは、既定の航路を進んでいなかった可能性がある。だとすると他の船の航路とも重なっていない……見つけてもらえない、救難を伝えられないことも十分に考えられる。
◆◇◆
「状況を把握するという点で、意見を言ってもいい?」
ここで、満を持してアトラファの発言。
冒険者として頼りになるパートナーであっただけに、傾聴に値するとコーリーは期待する。
「岸が見えていないとしてもここは湖のど真ん中じゃない。わたしたち東側にいる。ダナン湖は広くて深くて測り知れないけど、高い視点から見たら、わたしたちはたぶん東の岸辺にかなり近い地点にいる」
「……何でそう思うの?」
アトラファがこういうことを口にし始めた時、コーリーはそう問い返すことにしていた。経験上、それが解決に向かう近道だったから。
それに、アトラファは説明するのが好きなので、そう言えば自身が考えていることを皆に分かるように伝えてくれる。
アトラファは、クルネイユをちらっと見た。
「わたしたちアザラシを見た。あれは現実だった」
「あの凄惨な魔物による捕食現場のことです?」
「思い出しちゃいました……」
アトラファは構わずに続けた。
あれが現実だったということは、あの時点で自分たちを乗せた魔物の船は、アザラシが寄り付くような岩場、湖岸すれすれをを航行していたということ。
でもヘビトンボの魔物に襲撃されたので、沖に逃げた。
程なくしてコーリーらは、クルネイユを覚醒させ、幻惑の能力を解いた……。
「だから岸が見えないってだけで、そんなに陸から離れてないと思える」
「ウチは『岸が見えない』ってだけで絶望なんですけど……」
タミアは嘆いているが、コーリーにはアトラファの言わんとしていることが何となく分かった。どっちを向いても水平線しか見えなくて、食糧が無くて救助も期待できない状況で……でもおそらく東には陸地がある。
ヘビトンボの魔物の襲撃から、クルネイユを起こすまでに、そんなに時間を費やしていない。岸は見えないが水平線の向こうに隠れているだけで、意外に近いという可能性は高い。でも水平線までの距離ってどれくらいあるのだろう……。
◆◇◆
大地は球を成しているらしい、というのは〈学びの塔〉の授業で習っているので知っていた。標高が高い物は遠くにあっても良く見え、逆に標高が低い物は同じ距離にあっても見えないのがその証拠である、と。
球だとすれば……。コーリーは自身が得意とする計算問題で、現在地と水平線との距離を測ってみようと試みる。
求めたいのは現在地と水平線までの距離だから……今、氷塊の上に立っている自分の目線の高さが、水面から八……いや九尺くらい。
球――いっそのこと半分に割って、円の中心にいっこ点をこさえて、それらで三角形を作る。
私の目線の高さ・水平線・大地の中心点……。
これで三角形ができ……出来ないなぁ。
大地の中心までの距離が分からない。もしかして高学年の授業で習うのかも知れないが、コーリーが習った段階では「世界は球っぽい」くらいまでしか教わってない。
球としての世界の直径はどれくらい? 半径を知りたいけど分からない。
計算の前提となる数値が足りない。
……うーむ。
悩んでいると、アトラファが貴重な助言をくれる。
「大地の半径は、二百万尺前後」
「にひゃくまん! 根拠は?」
「聞きかじり。でもそれで計算してみて」
いまひとつ釈然としないながらも、暫定的に与えられた数値を当てはめて計算してみる。
仮にではあるが、大地の中心点までの距離をアトラファの言うとおりに二百万尺として……求めるのは、私の目線から水平線までの距離。
めちゃくちゃ細長い三角形が出来たのは分かったが、うん……分からない。紙とペンが今すぐに欲しい。
でもイメージ通りだとすれば、水平線までの距離は意外と短いのではないか?
何も正確な数値を求める必要はない。この際、おおよそで良い。
大地の中心から水平線まで距離が二百万尺とする。そこから直角に私の目の高さまで線が伸びている……知りたいのはこの線の長さ。
今、私の目線は水面より九尺くらい上にあるから、大地の中心から綿に向かって伸びている線の長さは、二百万足す九尺。
直角三角形が出来た。
中心から水平線に向けて引かれる線の長さ、二百万尺。
中心から私の目線に向けて引かれる線の長さ、二百万足す九尺。
……であれば、私の目から水平線までの距離は。
二百万を二乗、二百万足す九を二乗……その差が求めたい距離の二乗だから……。
「えーと……一里以上、二里はないくらいなのかな。一里半くらい」
思っていたよりも近い……水平線までの距離。
どこを見渡しても水平線しか見えない、無限に広がる水の上に、ぽつんと取り残されたかのような気分だったコーリーだが……水平線までの距離がわかった途端、がぜん生きる勇気が湧いてきた。
無論、それはあくまで水平線までの距離。陸地までの距離ではない。
けれど、アザラシの岩場があったことはたぶん本当だから、現在地がダナン湖全体から見渡してみれば、かなり東よりの陸地に近い地点にいる可能性が高いことも信憑性がある。
東に行けば助かるのだ。
そう思い至った時、コーリーははたと気付いた。
「あ、動力が無い! 東に行こうと思っても氷を動かす推進力が!」
◆◇◆
「ウチ、バタ足で皆が乗ってる氷を押しましょうか? 一里くらいだったら楽勝です」
「ありがとう。タミアの気持ちは嬉しいけど。でも……、」
全員とその荷物が乗ってる氷を押すのは、楽勝じゃないと思うし。
それに、東に行けばとは言うが、そもそも東ってどっち。
現時点では、右も左もあっちもどっちも水平線しか見えない。方角が分からない。
今回、休暇旅行のつもりだったから、魔物に遭遇することも想定していなかったし、冒険に必要な道具――方位磁石も持って来ていなかった。
「日が昇るのが東で、沈むのが西」
ぼそっと呟かれたアトラファの言葉で、コーリーは気付いた。
そうだ。太陽の位置でおおよその方角が分かる。
今は昼だけど、やがて日が沈んで行くはず。その逆方向に進んで行けば、陸地に辿り着けるかも知れない。
しかし、ここで問題が。そう推進力。
「方角が分かっても、私たちが乗ってる氷を動かせないよ」
「風法術でも?」
「う……」
コーリーは呻いた。
水面に全力の風法術を撃ち込めば、皆が乗ってる氷の塊を反動で動かすことは出来るだろう。けれど、その作業を何度も繰りかせるとは思えない。ついでに今見えている水平線の地点まで進んだとして、近くに陸地が有るとも限らない。
それに風法術を水面に撃つ場合、この状況では斜め下に撃つことになるから、反動はあまり得られないのでないか。風の砲弾は質量がほぼ無いので、水直に等しい斜め方向に撃っても無駄になってしまう。
風法術の精髄は「流体を操る」ということ。
極めた人は水の流れを操って、このような状況も打破できるのかも知れないが、今のコーリーにはどうあがいても無理だった。




