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幽霊船 ⑩

「――クルネイユは確保した。ここまでは順調だけど……『夢』ってどうやったら覚めると思う?」


 アトラファは、不意にそんなことを皆に問いかけてくる。

 不意に……ではなく、クルネイユを夢から覚ます話をしていたのではあったが、隔たる問題が多過ぎて、そこを考える時間が無かった。


「? いんあ、あんおああししえうえすっ……?」


 拘束されているクルネイユは、何も知らない。

 けど仕方がない。魔物の能力の核となっている彼女を起こさなければ、全員が魔物の餌食となってしまうのだから。

 夢から覚めるにはどうしたら良いのか。その意見を集める。


 まずアトラファ。

「……わたし寝付きがあまり良くないから」……だろうと思ってた。


 次に、タミア。

「あのあの、怖い夢みた時にとか、起きちゃいます」……可愛い。


 最後に、アリエス医師。

「おしっこしたくなった時ですねっ」……発言を慎んでほしい。



     ◆◇◆



「コーリーは?」

「え」

「コーリーは、夢から覚めるとき、どんな感じの時なの?」

「うっ……」


 そもそも、普段はぐっすり朝まで寝れる性質なのだけれど、強いて言えば……尿意を催した時に自然と目が覚める……。

 それを告白するのは恥ずかしかったが――、


「分かりましたっ! おしっこですね。せんせぇと一緒ですっ!」


 空気を読まない頭のおかしいアリエス医師が、看破してかつ暴露してしまった。

 タミアは口をつぐんだ。

 暴れていたクルネイユが大人しくなり、じっとこちらを見る。

 アトラファは首だけ回してコーリーを見て「なるほど」と無表情で言った。


「やめてよ!」


 コーリーは顔に血が上るのを感じた。

 羞恥で赤くなっている。いやまぁ……言ってしまえばどうという事ではなのだが……アリエス医師が直接的な単語を言うから。

 しかも、アトラファが「なるほど、おしっこか」と真剣に考え込んでいるのが、コーリーにとってはめちゃくちゃ嫌だった。

 しかし、アトラファは何かを閃いたのか、不意に顔を上げた。


「……全部乗せでやろう」

「は?」

「怖くて恥ずかしい思いをさせて、クルネイユを起こそう」

「……正気?」

「わたしは正気だと思うし、全員が生命を失わずにこの船から脱出できる方法を常に考えている……だから、」


 クルネイユの人としての尊厳はこの際、無視する……そう言い切った。

 こそこそと顔を突き合わせて話し合う皆を、かやの外のクルネイユが真っ青な面持ちで見ていた。



     ◆◇◆



 アトラファは、例の加熱処理されていない湖水を詰めた水筒を、器用に片手でキュポっと開け、こぽこぽと蓋を兼ねたコップに注いだ。

 それを、口から布を取り外されたクルネイユの目の前に差し出す。


「飲んで。水だから」

「え、()です……」


 泣きそうなクルネイユが当然の反応をする。

 アトラファは困ったような表情で、コップを手にこちらを振り返った。

「だれかやって」と言いたいのだろうが……、タミアはダメそうだ。クルネイユを救いたいという理性と、目の前で起こっている虐待を止めたいという感情の狭間で、壊れそうになってる。

 それなら自分がやるしか……と、しぶしぶ前に進み出ようとしたコーリーよりも速く、意気揚々と名乗り出た人物がいた。


「はいはい! はーいっ! せんせぇがやりますっ! お水をクルネイユちゃんに飲ませるだけの簡単な作業ですよねっ! ……限界が訪れるまで」

「なんで、そんなに嬉しそうに」


「大好きなんです! 人が痛そうにしたり苦しそうにしてるのが! それが美味しくて医者やってるまであります! クルネイユちゃんは王女殿下の次くらいにせんせぇ好みです! ……それにこれ、夢か幻なんでしょう? やりたい放題ですっ!」


 コーリーとタミアは「うわぁ」と思った。

 アトラファは何を考えているか分からないが、アリエス医師にコップを渡した。

 可哀想なクルネイユは全力で叫んだ。


()ーですっ! 絶対飲まないから!」

「じゃあ、鼻を塞ぎますねっ」

「んっ、むぐぅ」


 クルネイユがきゅっと口を閉じると、アリエス医師はすかさず鼻を摘まむ。

 行動が鮮やか過ぎる。


 呼吸が出来なくなり、空気を求めて口を開いてしまったクルネイユの唇に、アリエス医師はコップを押し付けて水を流し込む。

 必死に抵抗するクルネイユだったが、やがて諦めたように瞼を閉じ、喉を鳴らして「んっ、んっ、んっ」と水を飲み干した。

 咳き込むその顔を下から覗き込み、アリエス医師は言った。


「……どぉです? クルネイユちゃん」

「けほっ、どうって……」

「おしっこしたくなりましたっ?」

「な、なるわけねーです!」

「やったぁ! おかわりですねっ。せんせぇ幸せですっ」


 ……狂気の沙汰。

 魔物を倒すためとはいえ……コーリーは無言のタミアの背中を押して、そっと一〇二号室を出た。これ以上タミアをこの場に居させるのは酷だ。

 何故か一緒に退室してきたアトラファが、タミアに言う。


「一〇一号室の、わたしとコーリーの荷物まとめておいて。一〇二号室のは、わたしがやっとくから」

「……クルちゃんはっ!」

「このくらいしないと魔物って倒せないの。今回は楽ちんな方。死んじゃった子もいるから……わたしはクルネイユがおしっこ漏らしたとしても笑わない」

「ウチだって笑わない!」


 タミアが吠える。

 それを冷ややかに見つつ、「だったらそれで良いでしょ」と言い捨て、アトラファは一〇二号室に戻っていく。

 ぱたんと扉が閉じた後も、タミアはふーふーと、興奮が冷めやらぬ様子だった。



     ◆◇◆



 ――なになになに。

 コーリーはた頭を抱えた。どうしてクルネイユのおしっこで、こんなに人間関係が複雑になっちゃってるんだ。

 自分以外、全員頭おかしくなってるんだろうか? とコーリーは思った。


「ど、どうするタミア?」

「戻ります! クルちゃんがどうなっちゃうのか、この目で見届けます!」


 ……いや違う。問題はプティウルス号の船内が、クルネイユの夢を反映した幻になっていることで、船内から出られないからクルネイユを無理矢理に起こそうとしている。

 それが現状。アリエス医師は「ここが夢」ということを良いことに、自らの変態性を顕わにしている。あの人なんなんだ。

 タミアは、クルネイユを心配するあまり冷静さを失っている。


 アトラファは何を考えているのか分からない……いや、たぶん最小の犠牲で全員が助かる手段を考えている。いやいや、おそらく結論に到達している。

 タミアと口論になった時、「手持ちの情報で魔物を倒せる」と言った。

 ……どうやって。


 ――この魔物は。

 捕らえた……というか、うっかり入って来た獲物を核として幻を作る。

 幻は、核の夢を参照する――核が知らない事を幻として出力できない。

 物理的な攻撃力を持たない。ただし、一度呑み込んだ獲物は逃がさない。

 これらの能力が発動している時、核となった獲物は眠っている。

 核が目覚めた時、能力は解除される……。


「……そうか」


 コーリーは理解した。

 まだ解明できないことはあるが、アトラファが「手持ちの情報だけで倒せる」と言った理由は完全に理解できた。


 クルネイユに、おしっこを漏らさせなければいけない理由も。


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