幽霊船 ⑧
美味しい要素が一つもなく、衛生面でも不安が満載の食事会――ではなく作戦会議を終え、コーリーたちは再び魔物の体内へと戻り、クルネイユを救出する方針で意見を一致した。
いざ、甲板から船内へと続く扉を潜ろうとした時、アトラファが何か言い出した。
曰く、入る順番を決めたいと。
コーリーを先頭に踏み入ろうとしていた皆は、一様に足を止めて振り返る。コーリーの手はすでに扉の取っ手に掛かっていた。
「……どうしてです?」
「嫌な予感がする。コーリーが最初に入ったらコーリーだけ呑み込まれて、わたしたちは閉め出される気がする」
コーリーが最初に船内に入ったら、直後に扉が閉まって自分たちは入れなくなるのではないか、とアトラファは言うのだ。
そう思う根拠はある、と続ける。
「タミアたちに話してなかったけど、昨日――記憶の上では昨日、コーリーが風法術を撃ちまくって扉を内側から壊せないか試した」
「や、あれはアトラファがやってみてって言ったからであって」
「でも貫けなかった。この魔物は『幻の内側から外に出ようとする者を絶対に逃がさない』能力を持っている……でも幻の内容はどうも曖昧で、んー、」
「捕らえた獲物を核として、核の夢を参考にして幻影を作り出している、でしょ」
説明を引き継ぐと、アトラファはうんと頷き、続ける。
なぜ、コーリーが最初に入ってはいけないのか。
「この魔物は――幻を現実っぽく、なんて言うんだろう……そう、核が見ている夢をそのまま見せている。だから幻に粗があって、のめり込めないというか」
「船に乗務員や乗客がいなくて幽霊船みたいだったり、内陸の湖からの出港なのに、夕食に新鮮な海の幸が並んだりとか」
「……あと一等客室。幻にしてもちゃんとして欲しかった」
お風呂が常設でなかった恨みは深いらしい。
過去のクルネイユが一等客室を体験していたら、再現できていたのかも知れないが。
しかし反面、この魔物には自分の身を守る知恵がある。
「この魔物は、さっきわたしたちが倒したヘビトンボの魔物を撃退するために、罠に嵌めていたわたしたちを解放して対処に当たらせた。たぶんこの魔物自身は強力な……いや、即効性のある攻撃能力を持たないから」
「えっと……」
魔物は、人間の食べ物の流通のことは分からない。
生の貝を夏に内陸に輸送したら腐っちゃう、という事が分からない。
分からないが、捕らえた核の夢にそれが出て来たら、幻として出力するしかない。
けれど、本能として自分の身を守るすべは知っている。
「コーリーが最初に入ったら、この魔物は扉を閉じてわたしたち三人を閉め出す。学習してる気がする。攻撃力を持ってるコーリーだけを閉じ込めたいって」
「それって逆に言えば、外からは壊せるってこと?」
「どうかな。壊せるのかな。でもクルネイユが……いや駄目だ」
船内に突入して、クルネイユを起こそう! そう決めたのに。
今になって、うじうじ悩み出したアトラファだった……でもいつだってそうして決めて来たコーリーは決断を下す。悩んでどうせ決めるのなら、コーリーの方が経験は上。
内部に突入を決行! ……と主張する。
為せば成るとか、行けばどうにかなると考えているのではなく、直前に話し合った結論「低いリスクを取る」というアトラファの直感を信じる。
その後のうじうじは、信じない! ……と主張する。
というか、コーリーは自分自身が外側から船を壊せる自信が無いので、船内に戻る案があるなら、そちらを強く推し進めたいのだった。
……アトラファは試してないから実感が無いだろうけど、この船めちゃくちゃ堅いんだよ。
少なくとも幻影の範囲内、船の中からはかすり傷一つつかない。外側も同じ硬度だったら、もう何をやってもクルネイユを救出することは不可能。
ただ、ヘビトンボの魔物は外から攻撃しようとしていた。
あの魔物自体が、船の防御を突破できる破壊的能力を持っていたのか……。
それとも、外からは普通に風法術での攻撃も効くのか。
当のアトラファは慎重だった。なかなか答えを出せないでいた。
◆◇◆
[みんなで手を繋いで、いっせーので飛び込んだら良いんじゃない?]
「いきなり扉が閉じて、誰かの腕が切断されるかも」
「まだそんなこと言う……」
船内――つまり幻の中に再突入するのは決定として、慎重を期したいとアトラファは言う。不安な要素は今の内に削ぎ落としておきたいと。
アトラファは、アリエス医師に視線を向ける。
「気になることを解消したい。せんせぇはどうして、不自然な状況で提供された生牡蠣をいきなり食べ始めたの? タミアも」
「えっえと、ウチは皆が食べ始めてたから……!」
「せんせぇは『あっ、大好物の牡蠣だ、うれしいなぁっ』って思ったので」
せんせぇはアホの人なのか……と、アトラファが他の人には聞こえない声で呟くのを察したが、コーリーは知らないふりをした。
アトラファは追いかけるように質問する。
「あと、せんせぇが腰に短めの戦鎚を隠し持ってるの、どうして?」
「あのあの、戦鎚って殴るやつですか?」
「うーむ……外科医が持っていて良い道具だと思えないので、ここはきちんと話を聞いておきたいです」
口々に問い詰められると、アリエス医師はたじたじとなった。
「筋力トレーニングと護身用を兼ねて――、」
「それ、昨日も聞いたけど本当に本当?」
「本当ですともっ! 美容にも良いんです、こうして腰に引っ掛ける感じで身体全体で振ると、ウエストが引き締まるのですっ」
「じゃあ、それをつっかえ棒にして皆で扉を潜ろう」
アトラファが提案すると、アリエス医師は「え」と声を漏らした。
やがて、しくしくと泣きながら、扉の開閉部にゴトリと戦鎚を噛ませて閉まらないように工作をした。大事な物だったのだろうか……サイズ調整までしてあるし。
タミアが一生懸命に慰める。
「あのあの、壊れるとは限らないのでは」
「いや、今壊れないとしても、この件が解決したら湖の藻屑だから、もう壊れたと一緒。壊れてないうちに名前を付けたげよう。せんせぇ、どんな名前にする?」
アトラファが最悪に心無いことを言い、
「あぁ、あぁ……まだ生命あるものを一回も殴ってないのにっ!」
アリエス医師はといえば「ん?」と首を傾げたくなるようなことを口走る。
ん? 誰か殴りたかったの? ……にわかに湧いた同情の念は、速やかに消え去って行った。
◆◇◆
つっかえ棒にした無銘の戦鎚を飛び越えて、船内に侵入を果たす。
懸念があったため、コーリーが最後尾となる。
「んしょっ、と……ほら、やっぱりアトラファの考え過ぎ……、」
全員が船内への突入した瞬間、コーリーの背後から、メリメリという不穏な音が聞こえてくる。
振り返ると、扉がひとりでに閉まろうとしていた。
戦鎚の鉄製の柄が、凄まじい力を掛けられ折れ曲がり始めている。
ぎょっとしてそれに注視している間に、たわめられ続けた戦鎚の柄は限界に達し、ばつん、という金属音とは違う音を立てて二つに割れた。
その片割れ、先端部の重い方がぎゅんぎゅんと回転して、こちらへと――タミアの方へと飛んで来る。
コーリーは見えているけど反応できない。アトラファはびくりと左の肩を震わせたが――そうだ、動かせないんだ。
身を竦ませるタミアの眼前で、アリエス医師がそれをキャッチする。
そして扉は完全に閉まった。「閉じ込めること」に関しては凄まじく強力な能力だ。
「半分だけ戻って来ましたっ」
「ウチ、今死にかけましたよね……?」
頭部をかち割られかけた、タミアが慄く。
全員で船内に再突入することは叶った。とはいえ……、
「扉が閉まったってことは私たち、また幻の中に閉じ込められたってことだよね? ……こうなったらもう力技では外に出られない、っていう」
「ん。順調に攻略してる。この魔物がどんな動物が元になった魔物なのかは、分からずじまいだけど」
たぶん今、一〇二号室には幻の――と言うよりかは、本人の夢の中の自分であるクルネイユがいる。
そのクルネイユを叩き起こせば、コーリーたちも幻から解放される。
◆◇◆
……でも、夢から覚めるってどうすればいいのだろう。
自分の夢ならともかく、クルネイユの夢なのに。




