幽霊船 ⑦
謎の携行食を皆で食べる。
アトラファだけは食した経験があるからなのか、もくもくと口に運んでいたが。
想像以上に美味しくない。不味い。食べるのが苦痛。
「うえぇ。美味しくない。全部食べなきゃダメ?」
「! せんせぇ、この味に覚えがあります! 子供の頃にうっかり食べた白墨がこんな味でしたっ!」
「………おぇっ………えっぐ」
口々に味の感想を述べる。
タミアは可哀想に時おりえづいている。目が死んでる。
すっとアトラファが水筒を差し出すと、タミアはごくごくと一息に飲み干した。
アトラファは再び水筒にロープを結び、船縁から投げ落とす。
とぷん、という水音が聞こえると、ロープを手繰って引き戻す。
「コーリーとせんせぇも飲んでおいて。水分補給」
食事と同様、今水を飲んでおかないと次にいつその機会が訪れるか分からない、と言うのが理由だったが。
その一連の動きを目の当たりにし、顔を真っ青にして「うぇぇ」と口の端から水を零したのは、正に水分補給を終えたばかりのタミアだった。
これまでは先輩の友人としてアトラファを立てる態度でいたのだが、度重なるフードハラスメントに堪えかねてか、ついに怒りだす。
「生水じゃないですかっ!」
「ん、汲んだばかりのダナン湖の天然水。タミアが飲んだ分は、さっき溺れかけた時ついでに汲んでおいたやつ」
「アザラシが惨殺された時に飛び散った血ィが混じってたりとか、何より魔物が泳いでた水じゃないですか! ウチ、そうと知らずに飲んじゃった!」
「だいぶ希釈されてるから平気だと思う」
「だったら、アトラファさんが率先して飲んで下さいよっ!」
ずいと突き返された水筒を受けとり、アトラファは「よゆう」と飲み干し、水筒を持ったままの右手の甲で口元をぬぐった。
ぷはっ、と息を吐きつつ「どうだ」と見つめ返されると、タミアは両手で頭を抱えてその場に蹲ってしまった。
「クルちゃん並みに厄介な人に出会うなんて、人生でもう無いと思ってたのに……っ」
ご愁傷様と言いつつ肩に手を置きたい衝動に駆られたが、止めておいた。
アトラファは有事でない限りは、基本的に大人しくて無害な怠け者なのだ。
何か事が起こった時には目覚めて厄介な動きをし始めるが、それを補って余りあるほど頼りにはなるので、意見は尊重しておいた方が良い。
……時々間違えることもあるが。
「せんせぇたち、お腹壊しませんか?」
「もしかして壊すかもしれないけど、このままだと二、三日で魔物の餌食になって全員死ぬから、それよりは低いリスクを取るべき」
「魔物はさっき、やっつけたのでは?」
◆◇◆
コーリーはアトラファと顔を見合わせ、現状、自分たちの身に起きている事態について二人に説明することにする。
元よりそのつもりではあったが、アトラファが端折って、ゲキマズ携帯食や魔物が泳いでいた湖の水を非加熱で、皆に飲食させようとするから……。
出来るだけ端的に話して二人を納得させたい。
自分がその役を担った方が良いなと思い、傍らのアトラファには「私が話すから黙ってて」と合図した。口の左右を引き結ぶ動作で。
ところがアトラファは、
「? …………?」
何してるんだこの子、みたいな面持ちでこちらの表情を覗きこんでくる。近い。
いや、今忙しいからちょっと黙ってろと言いたいんだけど――という思いを込めて、コーリーはアトラファの顔を押し退けた。「あう」とか言っていた。
うーん……いまいち伝わらない。
とにもかくにも、タミアとアリエス医師には現状を伝えた。
さっき襲ってきたやつとは別に、もう一体魔物がいて、おそらく出航した時からそいつの能力に囚われて幻を見せられていたこと。内地では取り寄せられないはずの、新鮮な海の幸が食卓に載っていたのがその証拠。
この「現実」の場に居ないクルネイユが、どうやら魔物が幻を作るための核になっていて、魔物の体内に囚われている。
船内で飲み食いした物は幻であり、甲板に出た途端に空腹を覚えたのもそのため。甲板に出られた時、クルネイユが居なかったのは、船内でコーリーたちが会話していたのは、幻のクルネイユだったから……。
「じゃあ、本当のクルちゃんは何処に!」
「船のどこか。閉まってる客室、全部開けれたら良いんだけど、一度船内に入ってしまうと、何も壊せなくなるんだよね……」
「……せんせぇたち、このまま船の中に戻ったら、クルネイユちゃんが夢みてる幻影の中に閉じ込められてしまうってことですか?」
「たぶんそう……だから打開策を検討したいと」
ここで、しばし沈黙していたアトラファが挙手した。
ちょっと黙っていて欲しいという意思は伝わっていたらしい。
タミアたち二人に説明が済んだことだし、ここでなら意見を取り入れるのが良い方に事が転がる気がする。
はいっ、と指名するとアトラファは、検討する必要なんかない、選択するだけ――そう言った。
「このまま外側から船を壊すか。それとも船内に戻って寝てるクルネイユを起こして、内側から壊すか……内側から倒すのをわたしは推したい」
「……なんで?」
「この魔物の外殻……船は壊せないかも。内側からは壊せなかった。それに壊せたとしても。船内のどこにクルネイユが囚われてるか分からない。溺れ死んでしまうかも知れない……だから内側から攻略したい」
幻のクルネイユは夢。夢は実体のクルネイユと意識で同調しているはずだから、幻のクルネイユを強引に起こせば、実体も目を覚ますはず。
直後に実体の身柄を確保して、魔物を倒す――。
「魔物を倒してからクルネイユを探す方が、安全度が高くない?」
「……んー。この魔物は物理攻撃力が高くないか、皆無なんだと思う……何でかっていうと、せっかく幻惑に嵌めていたわたしたちを解放して、急に襲撃してきたヘビトンボの魔物の迎撃に当たらせたから……」
「幻を見せる以外には、戦闘力を持ってないってこと?」
「うん。だからクルネイユを起こせば、幻から解放される」
その上で魔物を倒せば、無事に脱出できる、と。
「でもでも、そしたら船内に戻ったらウチたちは、また魔物の作った幻影に閉じ込められてしまうんですよね?」
「ん、そして一〇二号室には幻のクルネイユがいる。たぶん」
「その幻のクルちゃんを……?」
「どうにかして起こす。この魔物の能力からして、幻と実体はリンクしてるはずだから、どんな手を使っても叩き起こして、現実に引き戻す」
◆◇◆
とはいっても。コーリーたち自身は、すでに魔物の能力の効力が及ばない船外にいるわけで。すでに安全域にいるわけで。
効率を考えたら、危険な船内に戻るより船外からこの魔物を倒すこと考える方が、効率的なはず。前のアトラファならそう考えていたよね。
でも、効率よりクルネイユを救うことを優先してくれたんだ……だから、そういうとこが好きなんだ。
コーリーは腕を振り上げて、号令した。
「みんな、船内に戻ろう! クルネイユを救って魔物をぶっ飛ばす!」




