雨を呼ぶ魔物 ②
アトラファはまっすぐに南広場へと出て、中央広場へ続く大道に入った。
その後ろをコーリーは着いて行く。
「どこに向かってるの?」
「北広場」
……とんでもなく遠い。
コーリーは〈学びの塔〉から追放された日、北市街から南市街まで歩いた。あちこち寄り道をしたとはいえ、朝から晩までかかって歩いた。
脇目も振らず歩いたとして、三、四時間は掛かる。
本来なら辻馬車を利用するような距離だ。しかし、この天候で営業している車両は見当たらなかった。何せ、利用しようとする客の姿が無い。
辻馬車を利用出来ないとなると、歩くしかない。
この雨の中を……北広場まで……。
考えただけでもう、うんざりする。
そもそも王都の中に魔物がいるという事自体、コーリーは半信半疑だった。
アトラファが何を根拠として北広場を目指すのかは知らないが、広場に魔物がでんと居座っていたら、今頃大騒ぎでは済まなくなっているはずだ。
「北広場に、本当に雨を降らせてる魔物がいるの?」
「広場にはいない。でもたぶん、その下辺りに」
「下って……あぅ」
アトラファが急に立ち止まったので、コーリーは鼻先をアトラファの後頭部にぶつけた。
鼻をさすりながら、アトラファの肩越しに前を見ると、そこには朽ちた扉があった。
街中に一坪程の小さな空間。石積みの小屋と、その扉。
扉の前には「立ち入り禁止」と書かれた板と、鎖が張られてある。
「立ち入り禁止って書いてるけど……」
「うん」
頷くと、アトラファは平然と鎖を跨ぎ越え、朽ちた扉に蹴りを入れる。
ばきっと音を立てて扉に穴が開く。アトラファは更に二発、三発と蹴りを繰り出し、穴を拡げていった。
コーリーはその様を唖然として見ていた。
人が潜れる程に穴が広がると、アトラファは振り返って言った。
「……それじゃ、行こう」
穴の向こうには、下りの階段らしきものが見えていた。
その奥は――全く見通すことは出来なかった。
アトラファは、ローブの内ポケットから油紙で包んだ紙箱を取り出した。
その紙箱からマッチを抜き取って擦り、オイルランプに火を点ける。
ランプの灯が照らし出した先は、やはりどこまで続くとも知れぬ下り階段だった。
雨水が石の階段を伝って、奥へ奥へと流れ落ちていた。
アトラファはランプを掲げて、その階段を下って行く。
「ま、待って!」
コーリーも慌てて自分のランプに火を点し、アトラファの後を追った。
階段を下った先は、一切の光が差さぬ、真の暗闇だった。ランプの灯りが無ければ、瞼の前さえ窺うことが出来ない。
ランプをかざすと、アーチ状の天井が見え、足元には水路が流れている。
地上の水路と同様、その流れは激しい。
「ここは……」
「ここは、昔の王都」
周囲の水音が大きい上、アトラファは小さな声で喋るので、聞き取るのが大変だ。
――王都には長い歴史がある。
冒険者ギルドが誕生する以前、人間同士の戦があった時代には、王都が戦火に包まれることもあった。そうした大きな破壊がある度、王都は再建された。
その際に古い街並みの一部が、形を残したまま地中に保存されることがあったのだという。
兵士の塹壕として、物資の保管所として、貴族たちの脱出路として――。
「戦争があったのは知ってるけど、こんな場所があるなんて教わらなかった……」
「地下の旧市街を完全に把握してるのは、王家くらいだと思う」
「アトラファはなんで知ってるの?」
「前に探検したことがある。住めないかと思って……」
真っ暗だし入り組んでるし、清潔でもなさそうなので諦めた。とアトラファは続けた。
「へぇー、……そうなんだ」
生返事をしつつ、コーリーは内心呆れていた。
明るくて、入り組んでなくて清潔だったら、住むつもりだったのか。
先程、立ち入り禁止の扉を躊躇なく蹴破っていたことといい、この子、ちょっと自由過ぎじゃないだろうか。
もしかして水路の側のあの小屋にも、勝手に住み着いていたのでは……。
◇◆◇
一時間半くらい歩いただろうか。
前方を歩いていたアトラファが、不意に足を止める。
「……休憩する」
「……賛成する」
すでにだいぶ疲れていた――ほとんど気疲れだったが――コーリーは、アトラファの口真似をして賛成の意を表明した。
アトラファは笑うでも怒るでもなく、きょとんとした表情でこちらを見て言う。
「コーリー、変になった?」
「うん、そうかも。でもアトラファに言われたくない」
二人は通路の石壁を背もたれにして座り込んだ。
じめじめとしていて嫌な感じだったが、仕方がない。
コーリーは大きなリュックの中から、アトラファはローブのポケットから、それぞれに携行食を取り出した。
コーリーがビスケットの缶を開けていると、隣から、がりぼりにちゃにちゃと形容し難い咀嚼音が聞こえてくる。
見ると、アトラファがどこかの宿屋の店主を思わせるしかめ面で、丸薬のような何かを口に放り込んでいた。
美味しくない、ということが一目で分かる。
アトラファは、更にポケットからスキットルを取り出して煽った。中身は水だろう。それを見て、コーリーは自分の失敗に気付いた。
「あっ……水……」
あれだけ、今度こそはと入念に準備したのに、あろうことか水筒を忘れていた。
あぁ……馬鹿だ。これだから『迷子の』コーリーなのだ。
すぐ近くには激しく音を立てながら流れる、古き時代の水路があるが、その水はとうてい飲用に適する水質ではない。
困り果てたコーリーの目の前に、スキットルがちゃぷんと突き出された。
「水、飲む?」
「あっ、ありがとう……ビスケット食べる?」
「うん……これ、食べる?」
「それはいらない」
アトラファが差し出した謎の携行食を、コーリーは謹んで辞退した。
二人でビスケットを食べ、スキットルを回し飲みした。
◇◆◇
コーリーは、北広場の地下に魔物がいるとする根拠について尋ねた。
アトラファは、やはりぽそぽそとした小声で話し始める。
「……五日前の明け方、天気が急に悪くなった」
「うん」
「雨雲がどこから来たのか分からない。湧き出すみたいに曇って雨が降った」
アトラファは、降り出した時点で普通の雨ではないことを察知したようだ。
コーリーには、この雨が普通のとどう違うのか、今も分からない。
「魔物の仕業だと思って王都を歩き回った。でも魔物は見つからなかったし、騒ぎも起こってなかった」
コーリーが落ち込んでいた二日間、アトラファはそんなことをしていたらしい。
どうやって魔物が北広場の下にいると突き止めたのか、コーリーは気になった。
「それでどうやって、北広場の下だって分かったの……? あっ……、そうだ、雨だ。王都の中で最初に雨が降り出した所が、魔物のいる所! そうでしょ」
ただの思い付きだったが、あながち間違いではないと思えた。
本当に魔物が雨を降らせているとすれば、降っている範囲の中心に魔物がいるはず。そして、雨は魔物に近い所から降り始めるのではないか。
しかし、アトラファは頭を振って否定する。
「観測者がわたしだけなのに、王都の各所の同じ時間帯の雨量を調べるのは、無理」
王都のどこに、雨の最初の一滴が落ちたのか。
それを調べるためには、あらかじめ王都の各所に観測員を配置して、時間ごとの正確な記録を付けなければ、不可能。
それに、アトラファが行動開始したのは雨が降った後だった。
それでは「最初に雨が降り始めた地域」を偶然見つけることも出来ない。
王都の住民に「いつごろ降り始めたか覚えているか」と聞いて回れば、あるいは、おおよその時間の見当は付いたかも知れない。
しかし、それも人手が掛かる上に、何よりアトラファの性格上、無理だった。
「ならどうやって……」
「侵入経路を探した」
騒ぎが起こっていないのだから、魔物は誰にも見付からずに王都に侵入し、発見されない場所に潜んでいる。潜んでいる場所は見つけることが出来ない。
ならば、何処から入り込んだのかを探ろう。そう考えた。
「そっちは簡単に予想が付いた」
「えっ、私、全然分からないんだけど……」
「副水路の終点。城壁の外に流れ出ていく、排水口」
王都の水の流れは、ダナン湖から主水路へ、主水路から副水路へと移ろう。
そして街中を巡り、最終的に城壁の外へと流れ落ちていく。
現在の主水路や副水路は地上に剝き出しだが、過去の水路は、今コーリーたちの目の前を流れているものだ。
排水口は、王都の地下にも繋がっている。
「そこ以外に、気付かれずに入り込める場所は、ない」
城門や城壁の上には見張りの兵がいる。そこを突破しようとすれば、必ず騒ぎが起こる。
仮に気付かれずに通り抜けたとする。城門を抜けた先は天下の往来。城壁を乗り越えたとしても、そこは多くの人が住まう街中だ。破壊と殺戮の衝動に憑りつかれた魔物が、何の騒動も起こさず潜伏できる場所ではない。
そしてついに、アトラファは北市街の城壁に開いた排水口で、格子が破壊されているのを発見した。
この時、そこが侵入経路であることを確信したという。
「でもさ、増水して流れて来た物が当たって壊れたのかも……」
「そうかも知れない。でも南と東の排水口には破壊の跡がなかった。西は警備のある王宮。『魔物が街に侵入している』っていう前提なら、侵入路は北の排水口の他にない」
侵入した魔物は、北市街の地下で「何か」を食べて強大化を果たし、雨を降らす能力を得た。今も北市街の地下に居座っているかは不明だ。だがそこまで行けば、今度は足跡を追うことが可能になるだろう……。
そこまで調査を進めた段階で、アトラファは面倒くさくなって止めた。
「なんで!?」
「だって、その時は誰かが困ってるって思ってなかったし」
地下の旧市街の探索は、暗いし湿ってるし、やりたくなかった。
それについては、コーリーも実感している。今まさに。
アトラファは、誰も困ってないなら自分がやらなくても良い、その内に誰かがやるだろうと考えた。誰もやらなくても魔物は短命なので勝手に死ぬ。それが明日か、半年先かは分からないが……。
「で、家に帰ったんだけど、それからひどかった」
家に帰った時、側の水路の水嵩が深刻な状況になっていたため、ひとまず必要な物を持って、近所の軒下に一時避難したのだという。
しかし、雨による体温の低下は予想を上回っており、ちょっと死にかけていたところをコーリーと〈しまふくろう亭〉の兄妹に救われたのだそうだ。
……壮絶だ。とコーリーは思った。
何というか、女子寮の同年代の女の子たちのようにふわふわしてない。かといって地に根を下ろしているかといえば断じて違う。危なっかしい生き方だ。
なまじアトラファ本人の能力が高いだけに。
「……そろそろ、出発する」
アトラファが立ち上がり、コーリーもそれに続いた。
なんだかまた、胸の中がもやもやし始めていた。
……アトラファは、このままで良いのだろうか。
◇◆◇
探索を再開して程なく、コーリーは異様な物を発見した。
――動物の骨。
自然に死んだり天敵に食われたりした死骸のように、毛皮や肉片がこびりついたものではなく、真っ白な、標本みたいに綺麗な骨だった。
アトラファが言う。
「鼠。ドブネズミかな」
「でも、何でこんなに……」
ランプに照らされた通路の先には、これと同様の骨が点々と落ちていた。
この時に至って、コーリーはアトラファの説を完全に信じた。
ここには何かがいる。何かの生き物が変貌した、雨を呼ぶ魔物が。
――ずるり。ずる。
水路の水音に混じって、耳障りな音が聞こえた気がした。
コーリーは、その方向にランプをかざした。
何も。何も見えない――いや。
暗闇の向こうに蠢く何かを、コーリーは見つけた。何か、いる。
コーリーは手に持っていたランプをそっと足元に置いた。
しゃりんと音が聞こえ、緊張していたコーリーは、はっとしてそちらを見た。
「北市街からこっちに来てたみたい。歩かなくて良かったね、コーリー」
アトラファがショートソードを抜いた音だった。
それにならって、慌てて腰の短刀を抜く。
コーリーが気を引き締める頃には、アトラファはすでに臨戦態勢に入っていた。
「――《凍てつく星の光、吐息に触れて粒となれ》」
始動鍵の詠唱と共に、アトラファの周囲に冷気を放つ六つの光球が生まれる。
暴発することも無く、アトラファの周りに留まる。
騎士詠法。魔物と戦うための戦闘法。
「《指に触れて針となれ》!」
六つの光弾の内、一つが魔物と思しき影に向けて放たれた。




