幽霊船 ③
食後、コーリーたちは各々が好きに過ごすことにした。
タミアとクルネイユは「いつの間に誰が客室の模様替えを行っているのか見届けたい」と一〇二号室に留まることを希望した。
アリエスはというと――一〇一号室に一人で戻った。
「せんせぇはちょっと……食べすぎたので、横になって休みます……ふぃー」
……自由な人だ。
アトラファの怪我に関して、頼りにして大丈夫かなこの人……と、不信を募らせるコーリーであったが、逆に考えればアリエスに聞かれずにアトラファと話す絶好の機会。
あの人は出会ったばかりだというのに、アトラファにべったりだったから、二人で込み入った話が出来なかった。
◆◇◆
――二人は後部甲板へと続く出入口へと辿り着く。
扉には、閂や錠前の類は掛かっていないと見受けられる。嵐とかの緊急時には乗客が甲板上に出ないように掛けるのだろうが、今はそうではない。
だとすれば開けようと思えば開けれるはずだが……。
アトラファは動かせる右腕で、扉を押したり引いたりしていたが、少しも動く様子は無かった。
もしかしたら、扉のように装飾された行き止まりの壁なのかな……と思えるくらい全く動かなかった。
「クルネイユが『動かねーです』と言っていたけど……実際、動かせない。クルネイユは嘘を言っていない……」
独り言を口にした後、アトラファは階段を下りてコーリーの横に立った。
今しがた自身が開けられなかった甲板へと続く扉を指差し、コーリーに言った。
「ちょっと撃ってみて、風精霊法で」
「いやいやいや……壊しちゃうじゃん! 器物破損! 犯罪!」
「ちゃんと壊れるか試したいの。わたしの術は凍らせるだけだし……今この状況が、魔物の能力に曝されてるっぽいの、コーリーも分かってるでしょ」
確かにコーリーも「船内に人が居ないのは変だな、ちょっと留守にした一〇二号室に食事が用意されてたのも変だな」とは感じている。
……たぶん魔物の能力に嵌められてるのかな、とも。
予想する魔物の能力は「船舶のような閉鎖空間に人を誘い込んで捕食する」という能力。この船――プティウルス号の船客や乗員がどうなってしまったのかは分からないが、最悪、船に巣食う魔物の餌食になってしまったのかも……とまでは想像している。
プティウルス号がナザルスケトル北港に寄港したのは確かで、コーリーたち一行も「キャンセルで空いた」という旨をギルドから伝えられて。
船に駆け込む直前に、アリエスと出会った……。
◆◇◆
「――《賢き小さき疾きもの、儚き花の守り手よ》」
「全力で撃って」
「……うっ、だから詠唱中に話し掛けられると集中が……えぇい! 《集いて繭の如くなれ、弾けて礫の如くなれ》っ!」
コーリーも成長したもので、完璧な制御で精霊法を発動できた。
いかに頑丈な木製であろうとも、撃ち砕けないはずはない威力の砲弾をコーリーは放った……はずだったが。
跳ね返され、渦巻いた烈風が襲い掛かる。床に膝を着いて目元を庇うコーリーたちを通り過ぎ、背後の通路へと呑み込まれて行く。
「うぇ!?」
「……やっぱり」
甲板へと続く扉は、傷一ついていなかった。
コーリーは考える。最近自信を付け始めている自分の風精霊法でも撃ち抜けないということは、ただの頑丈な木製扉ではない。
ではやはり魔物の「閉じ込める能力」によって強化されてるから……!
◆◇◆
「……わたしの見解だと、ちょっと違う」
閉じ込める能力、という分析には一致だけど、閉じ込められている場所が違う。
そんな風にアトラファは言うのだった。
どういうことかとコーリーが問うと、アトラファは答える。
「結論から言うと、今回の魔物の能力は『認識阻害』や『幻惑』とか、そっちのタイプの能力だと思う……人狼っていたでしょ、あいつと同じ系統」
「人狼……」
忘れるはずもない。倒せたのは、偶然と皆の協力と幸運のおかげ。
最強最悪のヒトの天敵……仮にもう一度遭遇したなら……その能力を知っていてなお、勝てるかどうかは分からない。
あれと同じ系統の能力……背中に怖気が走るのを感じるコーリーだった。
アトラファは続ける。
「人狼ほど手に負えないとは感じない。今回の魔物は、人を幻惑するわりにディティールに拘らない。一言でいえば能力が雑」
「ディティール?」
「細かいところ」
アトラファはざっくりと根拠を答えた。
第一に、船内に人がいないところ。
これは魔物が幻惑系の能力を有していること考慮すれば、不自然ではない。人狼ですら「ヒトのふり」をするのに難儀していた。今回の魔物にはヒトっぽいエキストラを用意する余力が無い。だから船は無人なのだと。
◆◇◆
第二に、不可能なことが起こっているところ。
皆がちょっと留守にした隙に、気付かれずに一〇二号室の寝台を撤去して、テーブルを設置し直し、ディナーを提供して人知れず去る……不可能。
「ついでに言うなら、食べた牡蠣って生の貝でしょ?」
「うん……そう聞いたし、食べたら生だったと思う」
「今まだ夏なのにどうやって運んだの? ハーナルから新鮮なまま。……それに牡蠣のボウルに満たされた氷はどこから?」
考えれば分かることだが、この季節ハーナル州で牡蠣が旬であったとしても、プティウルス号の食卓に並ぶことは無い。新鮮なままで輸送する手段がないからだ。
だから、アトラファは食べなかったのだ。
そんな危険性があるなら、あの場で知らせて欲しかった。
でも、牡蠣以外の料理には口を付けていた。その理由を聞くと、
「生牡蠣は食べたことが無いから判別材料にならないと思った。でも他の料理の味をみて、味が無かったら……」
「味はあったよ……たぶん海の味! 私、食べたよ! 食べちゃったよ!」
「おそらく現実の食物じゃないから平気……幻惑にしても確かに味はあった」
アトラファは、魔物の能力が精神に作用する系であることを前提に、様々なことを検証していた。
コーリーもちょっと納得しかけていた。第三の根拠を聞くまでは。
◆◇◆
第三に、客室の居住性に納得がいかない。
そうアトラファは言った。淡々とした口調ではあったが、その眼差しには力強い意思が宿っており、いかにアトラファが各室に不満を抱いているのかということが、ありありと伝わってきた。
「アルネットが手配してくれたはずの一等客室の広さ、設備があまりにもショボい」
「いやでも……私たち船旅が初めてだし、ああいうものなんじゃないの?」
「コーリー……、落ち着いて考えて」
アトラファは、明日肉にされることを知らない豚を見るような目でこちらを見た。
いや、落ち着くべきはアトラファの方……見た目は落ち着いてるけれども。
思い返せば、お風呂が無いことに最初から不満を述べていた。
アトラファは続ける。
「確かにわたしたちは船旅をしたことが無い。でも一等客室が三人寝そべったらぎゅうぎゅうになる狭さって、有りえないと思ってる」
「それはアトラファの想像……」
「逆に想像して。一等客室であれだったら、二等三等……乗務員室だったら、どれだけ劣悪な環境になるの」
「うぐぅ」
口論でアトラファに勝てない。
では、どんな客室をアトラファは期待していたのか――と質問してみた。
アトラファは「……ん」と少し考え、答えた。
「……少なくとも〈しまふくろう亭〉より豪華な部屋」
――曰く、
ドアを開けて入ったら、ラウンジみたいになっていて観葉植物が置いてある。ふかふかのソファに、本棚があって退屈しのぎに読書できるようになっている。
部屋の奥にはどれだけ転がっても構わない大きなベッド。天蓋か仕切りが付いてる。ドリンクにフルーツ、軽食のサービスを受けれて、卓上で遊べる遊戯具も備えてある。
定時に開催される楽団の演奏も、無料で聴きに行ける。
それから客室から直接甲板に出れるタラップも設置されていて、気が向けばいつでも風を浴びながらドリンクを啜れる――。
「――それと、バスルームは完備」
「贅沢しすぎ」
コーリーは思わず、アトラファの妄想をたしなめた。
ただ、アトラファはこう見えて、旅行を楽しみにしていたのだな、とは思えた。
◆◇◆
……確かに言われてみれば、自分で気付けていない部分で変なことはあった。
それなのに、あまり危機感が無い。
その理由は分かる。この件の魔物が目の前に居ないせい。更にその術中に落ちるのが緩やかで「襲撃されている」という実感を持てないせいだった。




