タミアとクルネイユ ⑤
「ふわぁー、めっちゃ狭いです!」
一〇一号室に入るなり、クルネイユが失礼な歓声を上げた。
しかしながら、部屋を見渡してみると確かに狭い。
部屋の両脇に寝台が一つずつ。その間の床にダイニングテーブルが置かれ、脚がネジで床に固定されている。船が大きく揺れても倒れないようにという配慮だろう。
椅子などは置かれておらず、部屋の奥には嵌め殺しの丸い窓があり、外の風景を眺めることが出来る。とはいえ、その窓は直径が一尺五寸くらいしか無いため、二人が同時に外を見ようと思ったら、ぎゅうぎゅうになってしまうくらい小さな小窓だった。
「船の客室はこれで上等な方ですよっ! 限られたスペースしかないんだから、空間を節約しつつ、乗客に満足を提供してるんですよっ」
アリエス医師が、皆から湧き出る不満の雰囲気をかき消すように言った。
コーリーははっとなった。それはそう。地上の高級宿屋とは違うのだから。
荷物を運んでくれる人が居ないとか、部屋が狭いとか言ってはならないのだ。
後輩たち二人も黙った。クルネイユは何か言おうとしていたが、タミアが口を塞いで黙らせた。クルネイユは上目遣いで不満を訴えもがいている。
アトラファは最後に入って来て、周囲を見回し――、
「お風呂は?」
それだけを問うた。
無いでしょうね、船の上だもの……と、コーリーは思った。
徐々に仄かに微々たる変化だが、悲しげになってゆくアトラファの表情。
しかし多少悲しげになったところで、どうにかなる精神の持ち主ではないでしょうが、あなたは、とコーリーは思った……お風呂が無いと分かれば、アトラファは何らかの手段でお風呂を作る……そんな習性がある。
アリエス医師が、絶妙な助け舟を出してくれる。
「ほらここっ! キャビネットの中に洗面器が有りましたよ……それに見てください、そこは仕切りのカーテンが有るんです。きっと、時間になったら乗務員さんがお湯を持って来てくれるんですよっ」
なるほど、ドアを開けた時は死角になっていたので見落としていた。ドアのすぐ脇にキャビネットが有り、天井にはカーテンレールが敷かれている。
アリエス医師の言った通り、キャビネットの中には洗面器が有り、陸上のようにシャワーは無いけれども、これで身体を清めようということなのだろう。
◆◇◆
続いて一〇二号室を見たところ、先に見た一〇一号質と全く同じ間取りだった。
部屋の両脇に寝台、奥に丸い小窓、キャビネット――洗面器が入っている。
――問題が生じた。
寝台が二つ。宿泊客は三人――コーリー、アトラファ、アリエス――なので、どっちかの寝台に、二人が同衾することになる。
……うむ。ここは何度もアトラファと二人で日を跨いでの採取依頼をしたり、冒険者として一緒の天幕で眠った機会が多い、自分がアトラファと同じ寝台になるべきであろう。
それに狭いところでアリエス医師を寝させては悪いし……。
そう思っていたコーリーだったが――、
「ワタクシがアトラファさんと添い寝しますねっ、ねっ」
「いや」
アリエス医師の発言に、間髪入れずアトラファが拒否を示した。
何故にこの人、会って間もないアトラファに執着するのだろう……王女であるアルネット付きの医師という権威ある立場で、命令で平民であるアトラファのために寄こされた今の状況は、本人にとって屈辱かも知れないのに。
アトラファの身に何か起きてはならないので、コーリーは提案する。
「寝台の真ん中に、もう一つ仮設の寝台を置いてもらおう……あるでしょそういうの……たぶん」
「そしたら、真ん中に寝るのはワタクシですねっ!」
「いいえ、真ん中は私です」
コーリーがきっぱり言うと、アリエス医師は「ふえぇ」と悲しげな顔をした。
何かこの人危ないな、本当にアルネットが派遣した医師なの? ……と全員が思いつつ、一〇一、一〇二号室の見分は終了した――。
◆◇◆
「――探検に行くです」
「は?」
一〇二号室で、手狭ながらに全員がくつろいでいたところ――やおらにすっくとクルネイユが立ち上がったので、寝台の縁に座るアリエス医師以外は、寝台で寝そべっていた皆がクルネイユを見上げた。
あぁ……クルネイユは飽きたのか。それはそうか。アトラファはあまり会話に混ざらない。会話は自然に〈学びの塔〉の話題になってしまうし。
レノラとパンテロはどうしてるだとか、アルネット王女とエリィのことだとか。
タミアが身体を起こして、声を掛ける。
「クルちゃん、探検って……」
「ちょっと船内を散歩するだけです」
後ろ手を振りつつ、あくまでも自由なクルネイユ。
客室のドアを開けて、一人で出て行ってしまう。
船内を散歩すること自体は、何ら非難される事案ではないのだが、クルネイユの場合は何かやらかす。やらかしかねない、ではなく、やらかす。
不運などではなく、本人がそっちに突っ走っているかのように。下手すると船内で行方不明にでもなりかねない。
「………………」
「………………」
コーリーとタミアは、無言で顔を見合わせた。
追いかけて迷子になってないか様子を見ようか、と二人で頷き合ったところで、不意にアトラファがごろんと寝台から転がり落ちた。
ぎょっとしたが、アトラファは器用にバランスを保って立ち上がる――彼女があまりに器用に日常の些事をこなすものだから忘れがちだったのだが、彼女は左腕を動かせないのだから、両腕で身体を起こすことが出来ない。
右腕だけでも起き上がれないことはないのだろうが、転がった方が速いのでそうしたのだろう。
可哀想に、タミアの目には奇行としか映っていないと思うが。
「わたしが一緒に付いてくから。クルネイユに」
アトラファがそう言った。
彼女が付き添うなら、自分やタミアよりずっと安心かも、とコーリーは思った。
ここで、黙って小娘たちのおしゃべりに耳を傾けていたアリエス医師が、腰掛けていた寝台から立ち上がる。
「アトラファさんが行くなら、ワタクシも行かなくてはっ」
「……いいけど」
二人が揃って客室を出て行く。
◆◇◆
後にはコーリーとタミアが残された。
一緒に行っとけば良かったかな。タミアと二人でごろごろしてても……話すことは〈学びの塔〉のこと以外に無いし。
いや、そういえば……二人で出来る遊びを最近覚えたのだった。
同じ初心者のアトラファには完封され、エリィには「コーリーは一生勝てないねぇ」と嘲笑されたあの遊び。パーが一番強いやつ。
最弱の汚名を雪ぐべく、何ならルールを知らないであろう後輩に最弱をなすり付けるべく、コーリーはころんと寝返りをうってタミアに向き直った。
「ねぇタミア! じゃんけんって知っ……て……る?」
「コーリー先輩。夏ですし、怖い話します?」
「ふぇ?」
間近にタミアの顔があったので、コーリーはちょっと怯んだ。
怖い話……夏に涼を取るためにそういう話をするのは知ってるけど……あまり興味が無かった。幽霊も占いも信じていない。少し前に占いを信じそうになったけど、あれは魔物の能力だった。
「私そういうの信じないからなぁ……」
「おばけの話じゃなくて、実際にあった本当に怖い話です――」
「――クルちゃんが、今の性格になったきっかけの話」
「え、何それ」
にわかに興味を引き立てられ、コーリーは身を起こした。
クルネイユはずっとあの性格なのだと思っていた。自由で自分勝手で、あまり後先考えない……他人をからかったりもするけど、何処か憎めない子。
悪ガキとでも言えばいいのか。そんなクルネイユが、以前は違う性格だったのか。
タミアは続ける。
「クルちゃんは小っちゃくて可愛いでしょう。口を開かずに黙って座ってれば……」
「う、うん。まぁ、クルネイユは可愛いよね」
「なので、〈学びの塔〉に入学する以前、小さい子が好きな変態に襲われて手籠めにされそうになった事件が有ったんです」
「!? ちょっと待って! 『怖い話』ってそういうの? 別の意味で怖いしクルネイユの居ないとこでそんな話しても良いの!?」
「コーリー先輩にだったら。……アトラファさんやアリエス先生が居るところだと話せないですけど……ウチにも関わりのある話なので」
機会が有ったらコーリー先輩には話しておきたかった、とタミアは言った。
◆◇◆
タミアとクルネイユは、ハーナル州出身の幼馴染み。二歳上のパンテロも同郷で、二人の姉貴分みたいな存在。三人はいつも一緒だった。
パンテロが〈学びの塔〉を受験する直前まで、三人はハーナルの貴族が集う学院で過ごしていた。
見た目だけなら儚げな美少女のパンテロ。小柄で愛らしい黒髪のクルネイユ。
そんな二人に混じっているタミアは、いつも複雑な気持ちだった。
気持ちは分かるなぁ、と思うコーリーだったが――次のタミアの言葉を聞いて、驚きのあまりに心臓が止まりそうになった……いや言い過ぎ、やや心拍数が上がった。
タミアは言った。
「クルちゃんは、清楚なお嬢さまだったんです」
「うそ!?」
「ほんとです。一年ちょっと前までクルちゃんは清楚なお嬢さまだったし……たぶん、ウチのこと、男の子だと思ってたんです」
下世話だが、かなり興味が湧いて来てしまった。
一年ちょっと前というと、タミアたちが入学してきた頃。その直前まで、クルネイユはお嬢さまで、タミアを男の子だと勘違いしていた……幼馴染なのに?
変態に襲われそうになった下りは気になるが、続きを聞きたいと思ってしまった。




