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雨を呼ぶ魔物 ①

 アトラファは〈しまふくろう亭〉の客室に運び込まれた。

 コーリーは、自分の替えの寝間着をアトラファに着せた。


 律儀なおばさんがしっかりとかまどの番をしてくれていたので、すぐに暖かい飲み物を用意することが出来た。

 飲み物といっても黒砂糖を溶かしただけのお湯だったが、おばさんもマシェルも「身体を冷やした時にはこれが良いんだ」と口を揃えた。


 ミオリは、納屋から客室用の火鉢を出して来てくれた。毛布を何枚も下ろして、アトラファの冷えた身体を幾重にも包んだ。


 コーリーは、震えてカップを持てないアトラファの手の代わりとなって、少しずつ砂糖を溶かした甘い湯をアトラファに飲ませた。

 やがてアトラファの震えが治まると、ベッドに寝かし付けた。

 夜に起きて喉が渇くといけないので、水差しとコップを枕元に置く。

 それから、コーリーは宿の一階に下りた。


「もう大丈夫みたいです。みなさん、ありがとうございます」


 本人に代わって、深々と頭を下げる。

 アトラファの救助に協力してくれた三人は、それぞれに応えた。


「アラ、いーいのよォ! こんな時はお互いさま!」

「おかみさんの言う通りよ、コーリーちゃん」

「とんだ厄介事だったぜ……」


 マシェルだけが心にもない悪態をつき、妹に窘められた。

 この後、おばさんは〈しまふくろう亭〉を出た。

 見慣れない子供であるコーリーやアトラファの事を聞きたそうにしていたが、今は世間話に興じている場合ではなかった。


 マシェルは東市街に手伝いに行く予定だったが、南市街で上流の堤が破れたので、南市街の住民ら十数人と共にそちらに向かった。

 周辺の家に人が残っていないか見て回り、余裕があれば土嚢を積み直すという。作業は難航したのか、この日の深夜まで戻らなかった。


 コーリーとミオリは、アトラファの看護をした。夜、アトラファがうっすらと寝汗をかき、顔色も良くなってきたのを見て、二人はほっと胸を撫で下ろした。


 アトラファは、生命を拾った。

 そして例の樽は、納屋の脇にひっそりと置かれることになった――。



     ◇◆◇



 降り出してから五日目。

 雨は、一時的に弱まることはあるものの、一向に止む気配を見せなかった。


 マシェルは普段通りのしかめ面で掃除をし、ミオリは「洗濯物を干せない」とぼやいていた。

 コーリーは「空室がたくさんあるのだからそこに干してはどうか」と提案しかけてやめた。客室を完璧に整えておくのは、ミオリのささやかな誇りだったからだ。


 天気が悪い日が続くと、人の気持ちは倦んでくる。

 コーリーには悩みの種が増えていた。アトラファの存在であった。


 すっかり体調を取り戻したまでは良かったが、家財をいっさい流され、行き場を失ったアトラファは、そのまま〈しまふくろう亭〉に宿泊していた。

 宿代については、冒険者ギルドの信用金庫にそれなりの額のお金を預けてあるため、問題ないという。さすがは〈縁あり銀〉のベテラン冒険者、蜂蜜瓶に貯金しているコーリーとは格が違うのであった。


 思い返せば、〈しまふくろう亭〉を紹介してくれたのはアトラファだった。

 見た目は古いけど、安くて美味しい……そんなことを言っていた覚えがある。

 そのことを兄妹に話してみたが、二人ともアトラファのことを知らないという。客として接した記憶も無いし、近所に住んでいたことさえ知らなかった。


 アトラファは、どこで「〈しまふくろう亭〉は安くて美味しい」ことを知ったのだろうか。仮に誰かから聞いたのだとしても、普通、自分が利用したこともない宿屋を、初対面の相手に薦めることができるものだろうか……。

 何よりも、先日パーティを組もうと申し出て、「やだ」と身も蓋もなく拒絶されたことが、コーリーの中で未だに尾を引いていた。


 熱に浮かされたようなアトラファへの憧れは、樽の中で震えていた醜態を見て消え去っていた。あの時はただ心配で、助けたいと願うばかりだったが、今はやはり、自分を嫌っているかも知れない人と一つ屋根の下で過ごすのが辛い。 

 コーリーはこの数日、できるだけアトラファを避けていた。


 幸いにもアトラファはほとんど部屋に引きこもっていた。早起きのコーリーとは対照的に、昼近くに起き出して朝食とも昼食とも付かない食事を摂り、新聞を読んで、夜にまた食事を摂る。それ以外は部屋に閉じこもっていた。


 ――いや、唯一アトラファが日課としていることがあった。

 お風呂である。アトラファは毎日必ず、たらいに一杯の湯を注文する。


 王都は水が豊富だが、燃料となる薪はそれ程ではない。汗で汚れる真夏は別として、毎日、しかもたっぷりの湯を使う人は極めて稀だった。せいぜい数日に一度、絞った布で身体を拭く程度だ。


 本来なら料理に使うべき厨房のかまどを、風呂の湯を沸かすために使うことに、店主のマシェルは難色を示した。しかしこの雨では屋外で火を焚くことはできない。更にアトラファは宿代に加え燃料代も支払ったので、ミオリによって要望が許可された。


 この日も空のたらいを抱えて厨房へ向かおうとするアトラファと、コーリーは階段を上がった所でばったりと出くわしてしまった。

 気まずい……でも、何か言わなくては。


「あ、えと、おはよう……こんにちは?」

「ん。こんにちは」

「あの、雨、止まないね。ミオリさんがね。洗濯物が干せないって……」

「うん。この雨は止まないよ」


 アトラファは、聞き捨てならないことを言った。

 この雨は「止まない」と。確かに言った。

 そのまま横を通り過ぎて階下に向かおうとするアトラファを、コーリーは引き留めた。


「まっ、待って! それどういう意味?」

「ん? うん、そのままの意味。この雨は絶対に止まない」

「……ちょっと来て」


 コーリーは、アトラファをずるずると引きずって自室に連れ込んだ。



     ◇◆◇



「――何で、雨が止まないって言えるの?」


 テーブルを挟んだ向かいの椅子をアトラファに勧め、コーリーは切り出した。

 飲み物が無い代わりに、テーブルの上に空のたらいが置かれていた。


「魔物が雨を降らしてるから。そいつが死ぬまでは絶対に止まない」


 アトラファはあっさりと言った。

 しかし、その発言の内容は荒唐無稽なものだった。

 当然、コーリーは信じなかった。


「魔物? いくら魔物っていっても、そんなこと出来るわけないじゃない」

「……コーリーは、どうやって雨が降るか知ってる?」


 質問を返され、コーリーは戸惑った。

 雨が降る仕組み――かつて〈学びの塔〉で習ったことを思い出す。


「えーと……、地上で暖められた水が蒸気になって……上空で冷やされて固まって落ちてくる……」

「うん」


 アトラファは、まるで生徒を前にした教師のように頷いた。

 嬉しくも何ともないどころか、見下されているようで、少しむっとする。

 雨が降る仕組みと、魔物に何の関係があるのか。

 アトラファは続けた。


「王都にまとまった雨が降るのは、北西から来る冷たい空気と、南から来る暖かい空気がダナン湖の上でぶつかるから」


 王都ナザルスケトルの遥か北西、境界山脈の向こうからやって来る冷たい気団と、南方ベーンブル州の南洋で生まれた暖かく湿った気団。

 夏、暖かい気団が発達して王都を包む。しかし、その前に北西から来る冷たい気団とぶつかり押し合いへし合いする。この時、冷たい気団が暖かい気団の下に入り込もうとするので、上昇気流が発生する。

 その際に、広大なダナン湖の湖水が水蒸気となって上空へ運ばれ、雨となって王都に降り注ぐのだという。これが「雨の降る季節」である。


 ここまでが、アトラファの説明だった。

 コーリーは、学校に通っていないアトラファが自分以上の知識を持っていたことに驚いたが、それでもまだ納得出来なかった。


「それと魔物に何の関係があるの?」

「前線は、まだ王都に来ていない」

「ぜんせん?」

「……暖かい空気と冷たい空気は、まだ王都でぶつかっていない。ここ数日の新聞によれば、南洋から風が吹き始めたのが最近。今ごろベーンブルで雨が降ってる。前線はまだ南のベーンブルにある」

「でも、現に雨が降ってるし……」

「前線が来ていないのに雨が降り続くなら、別の原因を考えるべき」


 アトラファの言うことは、まぁ理解は出来た。

 でも、だからといって季節外れの長雨が魔物のせいとは。

 魔物とはそんなことまでするのか。

 それに、第一ここは王都だ。魔物が王都に入り込むわけが無い。


「魔物が街や村に発生したり、入り込んだ例はある。人目があるとすぐに見つかるから、強大化する前に駆除される。でも入り込むことはある」


 魔物化した動物は人間を恐れないので、例えば元は鼠などの小動物であっても敵うはずのない人間に襲い掛かる。

 よって、人間が密集している地域では簡単に見つかって駆除される。

 野生でも同様だが、そうした危機を免れ強大化を果たした魔物は、無敵の捕食者となる。

 それらが討伐を依頼されるような、いわゆる「魔物」と呼ばれる。


「天候を操る魔物は、双角女王の戦記に記述がある。境界山脈のふもとで吹雪を起こす魔物と戦ったって」

「でも、だからってこの雨を魔物が降らせてるなんて……」


 コーリーには、まだ信じられなかった。

 しかし、アトラファの奇抜な説を破ることは無理だった。

 それを成す論拠を、コーリーは持ち合わせていなかった。


 どんなに可能性が低くても、他の可能性が否定されて、なおかつ前例がある事柄ならば、それは検証されるべき事実となり得る事なのだ、とアトラファは言った。


「じゃあ、その魔物をやっつけるつもりなの……?」

「なんで?」

「えっ」


 きょとんと言い返され、コーリーは言葉を失った。

 いや、魔物との戦いは命懸けだ。アトラファがしなくてはいけないことではない。

 でも意外だった。アトラファなら立ち向かっていく気がしていた。

 好きでもないコーリーのために、黒い雌鹿と死闘を繰り広げたように。


「なら、冒険者ギルドに依頼を……」

「コーリー、依頼料を払えるの?」

「うっ」


 コーリーは呻いた。

 魔物討伐の報酬は押しなべて高額だ。難度も高く、銀貨一〇〇枚を下ることはまず無い。コーリーにはとても払えない金額だった。


 アトラファは……アトラファは、何故こんなにあっけらかんとしていられるのだろう。

 この雨が魔物の仕業と感付いているのはアトラファだけかも知れないのに、誰かにそれを伝えることも無く、何故いつも通りに暮らせるのだろう。


「だって、誰も困ってないし」

「困ってるよっ! みんな困ってる! ミオリさんだって『洗濯物が干せない』って困ってたの、さっき言ったでしょう!」

「そっか。なら、やっつけに行く」

「……えっ?」


 コーリーはまたしても言葉を失った。


 ちょっと散歩に行って来る、そんな調子で告げるとアトラファは席を立った。

 すたすたと歩いて部屋を出ようとするその背中に、コーリーは声を掛けた。

 引き留めなければ、永遠にアトラファを見失う。そんな予感がした。


「……待って! 私も行くから! 待っててね、絶対に一人で行かないでね!」

「ん」


 短く応えて、アトラファは部屋を出て行った。

 ドアが閉まると同時、コーリーは大慌てで装備を整え始めた。

 ギルドの依頼ではないが、これは冒険だ。

 前回のような準備不足で苦労するのはこりごりだった。ランプ、非常食、鍋、寝袋……。

 外套を纏った後、ぱんぱんに膨れたリュックを背負い、最後に腰に短刀を差した。


「よしっ」


 コーリーは、アトラファの部屋に向かった。

 ドアをノックすると、すぐにアトラファが出て来た。

 さすが腕利きの冒険者。準備も早い……と思いきや、アトラファはこの数日で新調したらしい濃紺のフード付きローブと、以前使っていた山刀の代わりのショートソード、それにオイルランプの他には何も持っていなかった。


「……荷物、それだけ?」

「うん」


 それだけ言って、アトラファは廊下を歩き階段を下って行く。

 何か釈然としない思いを抱きながら、コーリーはアトラファの後に着いて行った。

 一階に下りると、すぐにミオリに呼び止められた。


「コーリーちゃん、どこかに行くの?」

「えー、あー、はい、ちょっと」


 コーリーの出で立ちを見れば、何処かに行くつもりなのは一目瞭然だ。

 前回死にかけたこともあって、コーリーは言葉を濁した。

 魔物を倒しに行ってきます、とはとても言えない。


「……冒険者が、時に本当に危ないことをするのは、そういうこともあるのは分かってたつもりだけど……」


 ミオリは心配そうに眉を下げ、コーリーを見た。

 うぅっ、出て行き辛い。コーリーは俯いた。

 そんな二人に目をくれることも無く、アトラファは出入り口のドアに手を掛けていた。


 がちゃ。かららん。

 冷たく湿った空気と、石畳を叩く雨音が店内に入り込む。


「……アトラファ、ちゃん!」


 ミオリは、顔を上げてアトラファに呼び掛けた。

 アトラファは首だけ動かして、ミオリの方を見やった。


「コーリーちゃんのこと、守ってね。それから……アトラファちゃんも、気を付けて」

「……ん」


 アトラファは、×印の瞳をしぱしぱさせた後、短く応えた。

 行ってきます、そう告げてコーリーはアトラファに続き宿を出た。



     ◇◆◇



 天は灰色の空。雨粒が頭と肩を打ち、足元は黒く濡れた石畳。

 人通りも無い暗い街を、二人の少女が歩いて行く。


 ――誰も知らない、二人だけの魔物討伐へと。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 文章のイメージが、レベルのいい少女小説みたい。いやそれを意識して書かれてると思うけど。 [一言] 話的にはまだ始めなのでわからないけど。 20世紀の少女冒険小説を検索してここに来ました。
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