タミアとクルネイユ ③
船便の手配も勧業している漁業ギルドで、乗船チケットを購入する。
購入するつもりだったが……。
「あの、ご予約はされていないのですか?」
「えっ、予約が要るんですか」
受付係の申し訳なさそうな言葉に、コーリーは思わず聞き返した。
予約、要るんだ……アルネットが手配してくれていると思っていた。
乗合馬車みたいに、発車時刻に取りあえず駈け込めば良い、という仕組みではないらしい。アルネット王女が最初から「予約が必要だ」と教えておいてくれれば……いや、あの子はあの子で世間知らずだから、こういう乗船手続きのことは知らなかったのだ。
考えてみれば、あらかじめ乗船券を購入しておくのか……それはそう。いきなり「一等船室を空けてくれ」とか要求されたら、どんな受付係だって困惑する。
事前に下調べをしておけば良かった……。
「あのですね、特に今年は……ハーナルの記念式典に向かう輸送便の予約が多くて」
受付係が付け加える。
別に責めるつもりはない。こっちが準備不足だったのだが……しかし。
コーリーは、背後の三人に振り返って意見を窺う。
「……どうする? 船、無いんだって」
次の馬車が来るまで北港に滞在するか、船のキャンセル待ちをするか。
馬車を待って陸路で進むのが一番確実だが、乗合馬車の振動は、アトラファの傷に障る気がする。だから出来れば船の方が良いな……という旅程を計画していたのだが、事前の調査不足のせいで、さっそく頓挫しそうな雰囲気だった。
陸路に切り替えるべきではないか、という空気が周囲を満たした時、クルネイユが口を開いた。
「キャンセル待ちにしませんですか? せっかくの夏季休暇ですし、馬車でガタゴト揺られるより、船に揺られた方がきっと楽しーです」
「うーん……」
そう言われてみれば、その通りだ。
飛空船の式典に間に合うには、幾分か日数に余裕がある。
だったら――お尻を痛くすることが分かり切ってる乗合馬車より、船の便の方が良い。
アトラファの左肩の傷も塞がったとはいえ、順調な回復を期するなら、馬車よりは船の方が身体に良いはず。
「……じゃ、何日かキャンセルを待とうか」
旅のリーダーを自認するコーリーは、船旅を選択することに決めた。
キャンセルが出れば良いが……。
◆◇◆
北港で宿泊を決めたその日の夕刻、宿泊を決めた宿屋に、漁業ギルドから「キャンセルが出た」という連絡が入った。
コーリーは喜んだ。二、三日は足止めを喰らう覚悟だったが、渡りに船とはまさに今のこの状況だった。
「やった、明日の朝には出港できるみたい!」
「ウチら、運が良かったですねえ!」
宿の食堂でテーブルを囲みながら、コーリーとタミアははしゃいだ。
四人で夕餉のテーブルを囲んでの時だった。
値は張ったが、今度こそ念願の鱒料理を注文した。
何日かの宿泊費を覚悟していたが、予想外に早く船便のキャンセルが出て、それを利用出来ることになったので、少しばかり贅沢しても構わないだろう、ということになった。
鱒のムニエルに、マリネに――骨やあらを煮出したスープというのもあるようだ。
……なのに、クルネイユは自身がキャンセル待ちを提案したくせに、首を捻っている。
同様に、アトラファも。
「早すぎないです? あたしらの他に、キャンセル待ちの人っていなかったです?」
「ん。そんなに船便が混んでるなら……どうして、この船は空くの。何か重大な問題があって、客はこの船を避けているのかも」
コーリーは反論する。
「……でも、次の空きを待ってたら式典に間に合わないかもよ。とりあえずチケットを買って、明日の朝にその船がどんな具合か見てから決めれば、」
「そしたら、こっちにキャンセル料がかかる」
「うっ」
アトラファの指摘に、コーリーは呻いた。
今度の旅費はアルネット王女の厚意だ。有難く受け取ったコーリーたちの懐は痛まない……痛まないのだが、さすがに……事前の情報収集をしなかったのに、そのツケまでアルネットに支払わせるというのは、ちょっと心が引ける。
それにギルドが紹介する船なのだから、アトラファが懸念するような重大な問題があるとは考えにくい。あったとしても例えば、サービスが他の船より良くないとか……食事が自前で持ち込み限定だとか、寝床がベッドじゃなくハンモックだとか。
そのくらいなら問題とはいえない。四人で乗船して無事に目的地まで航行できるのなら。
コーリーは決断を下した。
「……その船に決めようよ。どんなに悪くてもギルドの紹介だから、最低限の質はあるだろうし、何より式典に遅れたら元も子もないし」
「コーリーがそう言うなら」
アトラファは、あっさりと引き下がった。
たぶん本心では、船でも馬車でも、どっちでも良かったのだろうと思われる。
合理性を重視するアトラファ。
仮に馬車での旅を選択したとして、その旅程で自身の怪我への負担は想定できる。一方で船旅には不確定な要素がある。アトラファなら馬車を選ぶ。
コーリーは、せっかくの旅に新しいことを体験してみたかった。今回は仕事ではなく休暇なのだから。愛用している短刀もこの旅行には持ってこなかった。
宿の従業員が、チケットの支払いを代行するサービスもありますよ、と申し出てくれたが、手数料が掛かるとのことだったので止めておいた。
明日の早朝、漁業ギルドに寄ってチケット代の支払いを済ませ、それから船着き場に向かえば良い……タミアとクルネイユは寮暮らしだから、早起きに慣れているだろうけど、いつも昼近くに起き出してくるアトラファのことが心配だ――。
◆◇◆
「――アトラファっ! 早く起きて! もう皆準備できてるんだからね!」
案の定、こうなった。
宿泊にあたり、コーリーとアトラファ、タミアとクルネイユのペアで二部屋を取っていた。明日は早いからね、と皆で確認した後、夜更かしをせず就寝。
今朝コーリーが起き出した時、隣の寝台で眠るアトラファはピクリとも動かず、薄手の毛布に包まれたかたまりが、静かに呼吸をしていた。
「朝だよ」と声を掛けると、アトラファは身を起こして明瞭な声色で「わかった。起きる」と言った。コーリーは安心して身支度を整え、いったん部屋を出たのだが……。
あまりに起床が遅いので、様子を見に戻ると、アトラファは二度寝を決め込んでいた。
睡眠への欲求に抗えなかったのか……。
「……顔を洗わないと」
薄ぼんやりとしながら、アトラファが言う。
コーリーは、宿に頼んで用意してもらった水で絞った手拭いを、アトラファの手に押し付ける。
「それで顔を拭いて!」
アトラファはのろのろした動きでお絞りを受け取り、ごしごしと顔を拭き始める。
ふと、気が付いたように頭の上に手をやり、
「あ、寝ぐせ……」
「いつものヘアブラシどこ!? 私がやったげるから!」
「朝食……は、いいや」
「食べときなさい! 宿の人にサンドイッチにしてもらったから!」
手紙に記したような格好いい凄腕冒険者のアトラファを、後輩たちに見せたい、と思っていた、あの頃のコーリーはもう居なかった。
すでに一日ロスしてしまっている。まだ日数に余裕はあるので式典に間に合わないという事態には至らないだろうが、出来るだけ早めにハーナルに着いて、レノラやパンテロと積もる話もしたい。寝坊で出港が遅れて、時間のロスが積み重なるのは避けたい。
慌ただしくもかいがいしく、アトラファの世話を焼くコーリーの姿を、後輩二人がへやの入口から見ていた。
「……ふわー。コーリー先輩、アトラファさんのお母さんみたいだね」
「アトラファさんって、もっと自立してる人だと思ってたです。コーリーのあねごの手紙によれば、すげー冒険者で魔物も一人で倒しちゃって……なんか想像と違うです」
さてはコーリーのあねご、盛りやがったですね? とクルネイユが言う。
後輩たちのアトラファに対する評価値が急速に下降していくのを、コーリーは背中で感じていたが……今回はアトラファが悪い!
どうして早起きすることを約束してたのに、二度寝をするんだ。
もそもそとサンドイッチを食べているアトラファの後頭部を、ヘアブラシで寝癖を直しつつ、コーリーはぺしぺしっと、二度ほど軽く叩いた。
「もう! 二度寝しちゃダメでしょ!」
「んー……」
◆◇◆
急いで漁業ギルドに駆け込み、乗船チケットを購入する。
記載されている予定出港時刻は――「明けより二刻」とある。
「あのあの、『明けより二刻』って、今くらいなんじゃ……」
タミアが不安そうに口にしたので、コーリーはギルドの受付けに「記載されている出港時刻に遅れたらどうなるのか」と尋ねてみた。
「それは……後に出港する船が控えてるので、出港時刻に間に合わなかった場合は、券の料金を払い戻したのち、次のハーナル行きの出港を待って貰うことになります」
「次のは!?」
「翌日以降に空きがあれば、そこにねじ込むしか……」
「わかりましたっ……みんな、走ろう!」
走って埠頭に辿り着けば、まだ間に合うかもしれない。間に合わなければ、また一日ロスしてしまう。
コーリーは、まだ覚醒しきっておらずウトウトしているアトラファの手を握って、駆け出した。その後ろをタミアとクルネイユが追いかける。
下調べがおろそかだったのは確かだが、最初からこんなに慌ただしくなるなんて。
コーリーは埠頭を目指す。
後ろには後輩たちの足音。左手には相棒の手。
右手に握るのは、輸送船の乗船チケット。
チケットに記載されている船名――『プティウルス号』――。




