タミアとクルネイユ ②
中天の刻が過ぎたら、この北港の漁業ギルド支部に立ち寄って、ハーナル行きの輸送船の手配を申し込むことになっている。
輸送なのに漁業ギルドが管理しているというのは、少し違和感を覚えるのだが、王都において「船」を用いる民間事業は、全て漁業ギルドが取り仕切っているということだった。
それはともかく、喉が渇いているし、お腹も減っている。
漁業ギルドで乗船チケットを買う前に、腹ごしらえをしておきたい。
運ばれてきた麦茶で喉を潤しつつ、メニュー表に目を通してみる。
この港町は、様々な人々が行き交う街。何の気なしに入った食事処であっても「字が読めます」と伝えれば、メニュー表を渡してくれる。
「私は、魚料理が良いかなぁ」
せっかく港町に来たのだから、魚が食べたいと思った。
王都の魚といえば鱒だ。ダナン湖で漁獲される鱒は、王都の晩春から夏にかけての風物詩といえる。〈学びの塔〉でもその季節には鱒料理が学食でふるまわれた。今年、コーリーはそれを食べ損ねたのだったが……。
思い返せば〈しまふくろう亭〉で鱒が供されたことはあんまり無かった。
なんでだろう。店主のマシェルさんが、魚の調理法に精通していなかったのか?
そんなことを考えつつ、メニュー表の「鱒のムニエル」に視線を移したコーリーは、その値段に驚いた。
パンとサラダが付いた定食で銅貨三〇枚。高い。高級料理だ。
「……鱒のムニエルって、こんなに値の張るものだったかな?」
「ん。今年は鱒の値が高騰してるみたい」
「あのあの、寮の食堂でも夏の初め頃までは、定番メニューだったんです」
「そーいや、いつの頃からか無くなってたです。飽き飽きしてたから良いですけど」
皆が口々に、好き勝手に鱒料理の値段に関して感想を述べる。
整理すると、夏の初め以降に鱒の値段が上がった。例年に比べて今年は漁獲量が少ない……ということだろう。
需要に対して供給量が少ないから、価格が高騰したのだ。
だから、下町の宿屋兼居酒屋である〈しまふくろう亭〉でも、あまり量を仕入れなかったのか……。
「でも、どうして不漁なの?」
「はっきりとは分からないけど……ん、アザラシが増えてるとか」
「あのあの……、アザラシ?」
「です?」
アトラファが口を挟んで来て、皆がそれに傾聴する。
曰く、ダナン湖に棲息するアザラシの数が増えると鱒が減るのだという。
特にアザラシの出生数が多い年、とりわけ、その翌年は鱒の漁獲量が激減することがままあるのだと。元々、アザラシの授乳期間はそれほど長くないが、前年に生まれた仔アザラシが自力で餌を取れるように育つと、ダナン湖の鱒は激減する。
「でも、王都でアザラシなんて見たこと無いよ」
「王都やベーンブルには滅多に来ない。北のハーナルとかスカヴィンズの湖岸に群れを成してる。アザラシの餌となる鱒は、遺伝子的にいくつかのグループに分かれて、ダナン湖を回遊してるから、アザラシの群れも鱒を追いかけて湖を移動してる……でも普通は南には来ない」
「なんで?」
「ダナン湖の南には淡水イルカが棲息している。餌を巡る競合があって、遊泳力でイルカに敵わないから、アザラシは湖の南では繁栄できない。反面、ダナン湖の淡水イルカは冷水への耐性が弱いから、北方に進出できない」
「そうなんだ……それと前にも聞いたけど『いでんし』って何?」
「遺伝子というのは……生物の設計図というか、ん……、乳が多く出る牛や、速く走れる馬をつくるために、血統をかけ合わせたりするでしょう……。そういうのが自然の中でも起きてるの。鱒にとっては生き残って子孫を繋ぐことが目標だから、目標に到達できない設計図は淘汰される」
迷いアザラシが一頭くらい姿をみせることは稀にあるが、群れが王都付近まで南下した観察例は無い、とアトラファは付け加えた。
アトラファは普段無口だが、知識を披露する時には饒舌になる時がある。
今回もそうだった。こんな時のアトラファの言葉はためになることもあるので、コーリーはなるべく耳を傾けることにしている。
クルネイユが口を挟む。
「北の方にいるアザラシが増えて、回遊する鱒を食べちまうから、王都に戻ってくる鱒が少なくなるってことです?」
「その可能性が有るってだけ。実際にアザラシの生息数を調べてみないと何とも言えないし、すでに調査はされていて、漁業ギルドには経過報告がされていると思う」
何にしろ、わたしたちが気にしても仕様のないことだ、とアトラファはこの話題を締めくくった。
それから、アトラファは給仕をしている店員の女性を呼び止めると、鱒とは関係の無いお手頃で食べ応えのありそうなメニューを注文した。
「厚切りベーコンステーキと目玉焼きとサラダのセット」
「あたしも同じのです」
「あのあの、ウチも……」
「あ。私もそれで」
皆、もう鱒への執着を忘れた。全員で同じメニューを注文する。
最後にアトラファが言い添える。
「サラダ大盛りで。それから水のおかわり」
「あのう……当店は、サラダ大盛りというメニューやサービスは無いのですが……」
無表情に淡々と注文するアトラファに、店員は申し訳なさそうに言った。
料金設定されていない注文をされるのは、困るだろう。
押し黙り、注文を取り下げようとするアトラファを、後輩たちが援護する。
「じゃ、サラダ六人前です! ボウルで頼むです!」
「あのあの、取り皿を四つ……」
口々に、店のルールに則った範囲での注文をする。
店員はほっとしてオーダーを書き留め、厨房へと戻って行く。
アトラファは何事も無かったかのように、水を一口飲む。
うーん。仲良くなりつつあるのだろうか。
単にクルネイユがサラダを多めに食べたいだけで、タミアがそれに追従しているという可能性も……まぁ、険悪になっているのでもないのに、気を揉んでも仕方ない。
何より、厚切りベーコンステーキと目玉焼きは美味しいに決まってる。
◆◇◆
話が弾まないわけではなかったが、距離が縮まったとも言い難い食事を終えた四人は、予約してある乗船チケットを受け取りに、漁業ギルドへと向かう。
コーリーは先程の、ダナン湖で鱒が減少しているという話を思い出していた。
「鱒が減ってる……アザラシ。アザラシか……」
まさか、今度はアザラシの魔物がダナン湖に発生して、鱒を食い荒らしているとかいう真相だったら嫌だな、と考えていた。
冒険者になる以前は、これほど魔物の脅威を身近に感じることは無かった。
学生という身分だった時には、危険から隔離されていた。冒険者になったからこそ、そう感じるのだ……と短絡的に考えることも出来るが、コーリーはそうではないと思う。
確実に、魔物による被害が増してきていると感じる。〈学びの塔〉で過ごした数年、噂でも魔物の話など耳にすることは無かった。しかし……。
この春から、魔物が王都内部および、その周辺に入り込んで害をもたらす事態を、コーリーは三度、目の当たりにした。
王都の地下水路。人狼。七竈の杖。
もしかしたら、今までもずっと王都は危険に晒されていて、アトラファやフォコンド隊のような冒険者がそれを防いでいたのかも知れない。危険が表面化する前に叩き潰して抑え込んで来たのかも知れない。
アトラファが人知れず「雨を呼ぶ魔物」を倒したように。
けれど、抑えきれなくなってきたように思える。人狼や〈使い魔〉による災害は、周知となっている。魔物の数が増えているのか、魔物の能力が多様化したために対処が難しくなっているのか。あるいは、その両方が同時に起こっているのか……。
隣を歩いているタミアが、こちらの顔を覗き込むようにして話しかけてくる。
「どうしたんです、コーリー先輩。アザラシアザラシって……アザラシって、そんなに美味しくないですよ?」
「や、味を気にしてたわけじゃない……って、食べれる動物なの? アザラシ」
「ええまぁ……。ハーナル側の湖岸では良く見ますし、狩猟もされてるので、毛皮やお肉が出回ることはあります。毛皮は重宝されますけど、お肉の方は、お魚と比べるとあんまり味が……」
アザラシは食べれると聞いた瞬間、コーリーは俄然、興味が湧いた。
魚と比べて味が悪いのか。でも聞かずにはいられない。
「タミアは食べたことあるの? どんな味?」
「あのあの、鉄の味っていうか血の味っていうか……」
「牛や豚のレバーみたいな? それなら私、平気かも」
「うーん、それともまた違って……血の味に加えて、強烈に獣臭いんです。血抜きしても煮込んでも消えないし、元々お肉の色が血みたいに赤黒いんです。ウチとしては、アザラシは食用に適した動物じゃないです。お魚が取れなかった時の非常食です」
「そうなんだ……」
アザラシ肉はハーナル出身者の味覚からしても、不味いのか。
コーリーにとって野生動物が狩られているということ自体は、あまり感傷に触らなかった。実家が牧畜を営んでいるので、屠殺される羊を何度も見たし、骨折した馬に「止めをさす」瞬間を見届けたこともある。
これ以上、苦しまないように……と父から説明されたことも覚えている。
あの馬が亡くなって喜びの野に召されたのかは、知らない。
けれど、殺されて食べられて不味いと評価されるアザラシは、ちょっと可哀想だな、とコーリーには思えた。もしも、食材としてのアザラシに出会う機会があったら、美味しく食べる方法を研究してみようと思う……。
……きっと、アザラシ達からしたら――余計なお世話だ。頼むからそんな恐ろしいことは考えないでいてくれ――そう願わずにはいられない発想だったろうけど。
◆◇◆
数歩先を並んで歩いているアトラファとクルネイユ――というより、マイペースに先行しているアトラファと、それに追い縋っているクルネイユ――は、無言の攻防を繰り広げ始めていた。
アトラファの☓印の双眸に興味を示し、前方に回って監察しようとするクルネイユ。自身の容姿のことを気にしているので、そうはさせじと歩行速度を増すアトラファ。
二人の背中がどんどん遠くなっていく。
「先輩、走らなきゃ追い付けなくなるかも知れないです」
「あの二人、放っとくと早歩きで地平の果てまで行っちゃいそうだもんね……」
当面の目的地である、漁業ギルドも通り過ぎてしまいそう。
コーリーは、はぁーっと息を吐いた。
その内に、アトラファが鬱憤を溜めすぎて爆発しなければいいけど……今回は何だか、普段より無理をしているように見えるし。
それに、クルネイユはこれまでに――少なくともコーリーが把握している範囲では――アトラファが遭遇したことの無いタイプの人間だと思う。
歯に衣を着せず、思ったことをその場で言う子というのが、コーリーがクルネイユに抱いている評価だ。もちろん良い所もあるのだけれど。
アトラファにも同じことが言える。悪くいえば「他人の心を思いやらない性質がある二人」だ。似ている。そして正反対でもある。
アトラファは基本的に自分の中に引き籠って、ひたすら自分だけの世界で、自分だけの力で生きようとしている。そう思える。
クルネイユは口も態度も非常に悪いが、他人と関わろうとする。
その上で嫌いな人――例えば、かつてのアルネット王女――は攻撃するし、好きな人は庇護しようとする。タミアとか……和解後のアルネットやエリィとか。
性格を比較すると、アトラファとクルネイユ、二人の間で何か摩擦が起きた場合、二人は冷戦を繰り広げるのではないかという懸念を覚える……で、たぶん最終的にアトラファが我慢する。
好かれるにせよ嫌われるにせよ、アトラファに負担がかかりそうな気が……。
フォロー出来るだろうかと、一抹の……いや、多大な不安を禁じ得ない。
しかし、そんなコーリーの胸中とは裏腹に、タミアが言った。
「あの二人、仲良くなれそうですね!」
「……そうかな。タミアはアトラファを知らないから、そう言うんだろうけど」
「確かにウチはアトラファさんを知りませんけど、クルちゃんを知ってますから。えへ」
「うーん?」
◆◇◆
――この時には意味が分からなかった。
旅が終わる時、コーリーはクルネイユという後輩に対して評価を変えることになる。
アトラファはあの時、クルネイユをどう思っていたんだろう。
クルネイユはちょっと変わっているけど普通の子だと思っていた。でもあの子には、何が何処まで見えていたんだろう。何が聞こえて、何を感じていたんだろう。
目指すはハーナル州都、ノルザ。
北の都を目指す四人の少女の、ひと夏の冒険が始まる――。




