タミアとクルネイユ ①
――ガタゴト、ガタゴト、ガタン。
馬車の車輪が石にでも乗り上げたのか、車体が大きく揺れ、その拍子にコーリーは目を覚ます。
「……ほぇっ?」
……眠ってたのか。こんなに揺れる馬車の中でも、眠れるものなんだな……揺れ対策として持ち込んでおいたクッションのおかげだ。
そんなことを考えつつ、傍らを見やると、相棒のアトラファがこちらの肩にもたれかかって寝息を立てていた。
もう腕は吊っていない。傷は塞がり化膿の心配もなくなったため、包帯も取れた。
左肩に、痛々しい傷痕は残ったままだったが……。
コーリーとアトラファは、ハーナル州で執り行われる飛空船完成を祝う式典へと向かう道中だった。アルネット王女の厚意に甘えさせてもらった形になる。
アトラファが怪我をしてから、冒険者ギルドの依頼も受けていないし……費用もアルネットが負担してくれるというし、何よりアトラファが乗り気だったので、たまには遠方へ旅行でもしてみようか、という話になった。
〈しまふくろう亭〉のミオリに「楽しんで来てね」と見送られ、コーリーたちは早朝、乗合馬車で旅立った。
王都北港で船に乗り継ぐつもりで、ついでに昼食も済ませておきたかったので、時間に余裕をもって早朝に発つことになったのだ。
眠気に抗えず、朝に弱いアトラファは早々に睡魔に屈服させられた。
その規則正しい寝息を聴いているうちに、コーリーも……。
「――お客さんたち、もうじき港に着くぜ!」
御者台から声が飛ぶ。アトラファが目を擦りながら身を起こす。
……眠りから覚めたようだ。
王都ナザルスケトルの北門から出立。
墓地を横目に街道へと抜け、ダナン湖畔に沿って馬車を走らせる。
やがて見えて来るのは、ナザルスケトルの北港。
ハーナル州都ノルザへ向かう道は、二種類ある。
馬車でひたすら街道を北へと進むルートと、港から船に乗り換え、ダナン湖を沿岸沿いに北上し、また馬車に乗り継いで州都へ向かうルート。
商人などの輸送コストを気にする者は前者を選ぶが、そうでない者は後者を選ぶ。馬車での移動より船旅の方がいくらか快適だからだ。船酔いする性質でなければ。
◆◇◆
コーリーたちは、アルネットの厚意に甘えて船旅を選んでいた。
怪我が治り切っていないアトラファにとっても、その方が良い。たぶん。
くあぁ、とアトラファが口を押さえもせずに大きな欠伸をする。
ぐりぐりと首を回し、うんと伸びをして、また大欠伸。
人目も憚らず、だらけきっているアトラファに、コーリーは呆れた。
「そんなに口開けてたら、虫が入っちゃうよ」
「んー……」
アトラファは目をしぱしぱさせて、まだ眠そうな様子だった。
うーん……もうちょっと、しゃきっとしていて欲しい。この乗合馬車のターミナルで、人と待ち合わせをしているのだ。〈学びの塔〉の後輩たちと。
かつて、レノラに宛てた手紙の中で、コーリーは「アトラファはとても勇敢で実力のある冒険者だ」というように紹介していた。先日、アルネット王女には「あなたたちのような冒険者が王都で活躍していることを誇りに思う」といった趣旨の感謝状まで貰った。
タミアとクルネイユが、その話を耳に入れて「アトラファ」なる人物に興味を抱いていてもおかしくはない。
後輩たちを落胆させたくはない……それ以上に、アトラファが見くびられたり、侮られたりするのが嫌だった。だからこそ、ちゃんとしていて欲しいのに。
そんなコーリーの思いを知る由もなく、アトラファは三度目の欠伸をする。
その時――、
「せんぱぁ――――いっ!」
通りの向こうから、栗色の髪の少女がぶんぶん手を振りながら駆けて来るのが見えた。
タミアだ。
〈学びの塔〉の後輩の中でも、コーリーが特に仲良くしていた二人のうちの一人。
退学になってしまった今になっても、あの頃と変わらず仔犬のように駆け寄って来てくれる後輩の姿に、コーリーは目頭が熱くなってしまう。
「タミア! 久しぶり!」
「本当に、おひさしぶりです! コーリー先輩!」
手に手を取り合って、再会を喜び合う。
少し見ない間に、タミアは背が伸びたようだった。春頃はコーリーより背が低かったのに、今は目線の高さが同じくらいになっている……。
子供は成長が早いからなぁ、などと思いかけて踏み止まった。
コーリー自身だって成長期だ。タミアと一歳しか変わらない。なのに、この成長速度の差は……もしかして、自分はもう、成長が止まっているのでは?
こないだ出会った、ティトというちょっと……かなり危ない子も、コーリーと同い年という自称だったが、身体の発育は比べものにならなかった。コーリーが圧倒的に負けていた。
思わず、タミアの胸元を凝視してしまうコーリーだったが……、
「良かった……」
「? 先輩、どうかしたんですか?」
「な、何でもないよ。ちょっと見ないうちに、タミアの背が伸びてたからびっくりしただけ!」
「そうなんですよ。このまま背が伸び続けたらどうしよう。クルちゃんに背丈を分けてあげたい……」
クルネイユが聞いたら怒りそうなことを、タミアは言った。
贅沢な悩みだ。細くて背が高いなら良いではないか。
そうは思っても当人が悩んでいるのなら、余計なことは言わないのが心配りというもの。
「あのあの、そっちの方が……?」
……来た。
アトラファの方から愛想良く自己紹介する展開は、元より想定していなかった。
何故か、アトラファは動物や初対面の人――とりわけ子供に警戒されるという性質を持つ。
人間相手、特に子供が顕著だが、大人でも初対面では彼女と距離を取ろうとする。今では慣れ親しんだミオリもマシェルも、最初はそうだった。
相手が動物だとその効果は更に激烈で、気の弱い馬が恐慌をきたすのをコーリーは見たことがある。
アトラファは馬車を利用するが、その際に決して馬の前に立たない。経験則で、自分の存在が馬を不安がらせるということを知っているからだ。
一方で、アトラファと長く接した者は、大抵は彼女に対して好意的な感情を持つ。
コーリーがそうだし、〈しまふくろう亭〉の兄妹もそうだし、アルネット王女もいつの間にか、アトラファに対して尊敬の念らしきものを抱いていた。
それは、アトラファと行動を共にしていれば自ずと理解できることだ。
不器用に、それでも懸命に、他者のために己が身を削って戦い続ける少女を、好きにならない人は居ないのではないかと、コーリーは思っている。
そんな周囲の好意が、アトラファに伝わっているのかは、甚だ疑問ではあるが。
「――うん、そう。レノラへの手紙に書いた『アトラファ』がこの子だよ。私のパートナー……って言っても、私の方が全然足手まといで、助けてもらってばっかりで――今は冒険者を辞めちゃって」
「ん、よろしく」
「あ、はい……タミアです」
必死に相棒を持ち上げようとするコーリーを他所に、二人はおざなりに挨拶を済ませ、その後は会話もなく事が進む。
クルネイユが昼食を摂るための食事処で席を取ってくれているというので、三人でそこに向かう。
道中、タミアは、コーリーにばかり話しかけてくる。
「先輩、本当に冒険者になったんですかっ?」
「うん、まぁ……これが冒険者登録票」
「わぁっ、見せてもらっていいですかっ?」
こんな会話をしているコーリーとタミアの後ろを、アトラファが無言でとぼとぼと付いてくる。居たたまれない。
タミアは別にアトラファを排除しようとしているのではないと思う。タミア自身が人見知りな性格なので、自分からは話し掛けられないのだ。
しかし、アトラファは「困ってる」と直接言われない限り、相手の心情を慮ることをしない。結果として場の空気を取り繕おうとするタミアと、知ったことじゃないアトラファとの間に、コーリーが挟まれることになる。
タミアは人見知りだが、空気を読んで気遣いは出来る子なので、必死に冒険者ギルドについての話題を振ってくる。コーリーが「初めて会ったアトラファさん」との接点を作ってくれることを期待しているからだ。
無論、それはコーリーの役目ではあるのだが……当時者の一人であるアトラファは、タミアに全く興味を示していない。思い返せば、アトラファが他人に積極的に関わろうとしたのは、アルネット王女の他には居ないのだった。
ついでに、アトラファは冒険者を辞めてしまっている。
(意外と……思ってた以上に、つらい……)
無理に明るく振る舞うタミアと、眠そうに後ろから付いてくるアトラファに挟まれ、コーリーの心はくじけた……。
◆◇◆
「……うー、タミアにコーリーのあねご、おっせーです」
辿り着いた食事処で、ちびのクルネイユはテーブルに突っ伏して溶けていた。
タミアのように再会を喜んでくれるわけではなかったが、気負いなく言葉をかけてくれるのは、嬉しいといえば嬉しい。
しかし〈学びの塔〉在籍時から言いたかったことではあるが、名前の最後に「あねご」と付けて呼ぶのは止めて欲しい……。
「久しぶり、クルネイユ」
「んうー……、お久しぶりです。コーリーのあねご。それより早く何か飲み物を注文するです……」
「クルちゃんったら、外が暑いからって、先輩のお出迎えもせずに一人で店内に逃げ込んだんですよ! それでこのていたらくですっ!」
タミアがぷんすかと怒り、クルネイユが「タミア、うるせーです……」と力なく返している。記憶にある通りの、変わらない後輩たちだった。
四人掛けのテーブルに揃って腰を下ろす。タミアはクルネイユの隣に。コーリーとアトラファはその対面に。それまで溶けていたクルネイユが、きろっと目を輝かせた。その視線の先にいるのは――アトラファ。
クルネイユは、アトラファに胡乱気な眼差しを向けると、
「? なんで知らない人が、勝手に相席するです?」
「クルちゃんっ!!」
タミアが真っ青になって、椅子を蹴って立ち上がる。
(ほらっ、あの人だよ! レノラ先輩が話してた、コーリー先輩の冒険者仲間の……)
(……あー、あー。チャトランさんです?)
(ちがうっ! アトラファさんだよ!)
小声で話しているつもりなのだろうが、こっちの席まで丸聞こえだった。
コーリーはおそるおそる隣席を見やるも、アトラファは特に動揺した様子もなく、落ち着いていた。
初対面の人とは上手くいかない、という法則をここでもアトラファは発動していた。やっぱりこうなったか、と思うコーリーの横で、アトラファは意外な言葉を紡いだ。
アトラファは、後輩たち二人の顔を順に見やると、急にしゃきっとした。
「……改めて初めまして。わたし、アトラファです。冒険者としてコーリーの相棒をやってます。よろしく……間違えた。冒険者じゃなくなくなったんだった」
「えっ」
コーリーは思わず、その相棒の横顔をまじまじと見つめてしまった。
アトラファが初対面の人に対して、こんな対応をするなんて、どういうこと。
アルネットとエリィに対しては、いつも通りに変だった。
つい先程、タミアに対しては変ではないにしても、無愛想だった。
そして今――クルネイユに対して、アトラファは表情は乏しくとも、まともな自己紹介をした。
成長している、この短期間で――!
……と思いたいが、単にアトラファは思い出したのだろう。フォコンドさんたちとの「友達を作って来る」という約束を。
「……あのあの、改めまして、ウチはタミアです」
「あたし、クルネイユです」
「…………」
差し出された手と手を、アトラファはたっぷり十秒くらい見守っていた。
それから「ん? あぁそうか、握手か」と気付いたのか、適当にタミアとクルネイユの手を握ってから、アトラファは一仕事終えたかのように鼻から息を吐くと、すとんと椅子に腰を下ろした。
「あのあの?」
「なんなんです?」
タミアとクルネイユは顔を見合わせる。
テンポが合わない……変な人だ。
何となく気持ち悪い……二人がそんな風に思っているのが、手に取るように理解できる。
(でも、慣れたらアトラファは良い子だって、分かるから……たぶん)
私も、マシェルさんとミオリさんも、アルネットとエリィも、皆そんな風にアトラファと関わってきた。
ものすごく取っ付き難い子だけど、深く関われば良い子だと分かる……はず。
そうであって欲しい……そう願うコーリーだった。




