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北の地にて ①

 ――ハーナル州都ノルザ近郊、ウィスカハバルの街。

 レノラはそこに居た。


 飛空船竣工記念式典を前に、祭りの喧騒に浮かれるノルザに比べれば、やや北西の山間に位置するこの街は、交通の要所というわけでもないため、静かなものだった。


 この街の主な産業は観光だ。

 冷涼な気候のため夏は過ごしやすく、温泉があるため冬も湯治客が絶えない。

 境界山脈の西端と接しているため、これ以上西に行っても何もない。よって観光客しかやってこない。針葉樹の森に囲まれ、生産量は多くないものの、杜松(ねず)の葉で独特の風味を付けた火酒が特産品。

 近年需要は減ったらしいが、熊の胆と毛皮も。


 ノルザとは距離的に近いので、食料や物資の補給には事欠かない。

 ハーナルの貴族や上流階級で、ウィスカハバルに別荘を構えている者も多くいる。レノラが今くつろいでいるこの場所も、友人のパンテロが「個人的に」所有する別荘だった。

 学生の身分で別荘を持つなど、羨ましい……けしからん。


 そう思わないでもなかったが、パンテロの所有する「別荘」は、周辺の貴族たちの荘厳かつ山間の景色に合った趣ある邸宅と比べると、丸太を組んだ山小屋みたいな別荘だった。温泉も引いていない。

「別荘」とはパンテロが勝手にそう呼んでいるだけで、その実態はパンテロのパンテロによる、パンテロのためだけの「趣味に没頭するためのアジト」であった。


 彼女の趣味は古物……とりわけ古い武器の蒐集(しゅうしゅう)である。

 何にそんなに魅力を感じ、憑りつかれているのは知らないが、パンテロはとにかく古い武器の類に目がない。現代において無用の長物となった刀剣やら古式銃やら、そういった実用性皆無の品々を、大枚をはたいて買い集める。

 貴族の端くれとはいえ、一介の学生のどこにそんな資金力があるのか、と興味本位で尋ねてみた。

 すると、パンテロはあっけらかんと答える。



     ◆◇◆



「何年か前に曾爺ちゃん死んでさ。アタシ可愛がられてたから、遺産をいっぱい貰ったんだ。それを切り崩して買ってる。あと、親父が頻繁に小遣いくれたり、装飾品やドレスをくれるから、そういうの全部売っぱらって現金に換えてる」


「……。それって怒られないんですの?」

「弟はすげぇ怒ってる。『姉貴に家は継がせられん、何があろうと家は俺が継ぐ』って」

「あら弟さんがいたんですの。その弟さん、すっごく応援したい気分ですわ」


 まぁ、もともとアタシは家継ぐとか考えてないけど、とパンテロは言った。

 友人だと思っているし、その人格を否定するつもりは毛頭ないが……控え目にいって、行き過ぎた趣味人は、家督を継承してはいけないと思う。


 その趣味人、パンテロが暖炉の前で何をしているのかというと――。

 冷涼なウィスカハバルの街とはいえ、まだ残暑も過ぎ去らぬこの季節に、暖炉に薪をくべているのだった。



     ◆◇◆



 暖炉には五徳が設置され、五徳の上に置かれた小さな鉄鍋が、何かをふつふつと煮立たせている。厚手のエプロンを身につけ、鍋と同じく鉄製の柄杓を手にしたパンテロは、しきりに鍋から何かを掬い取り、別の器に移している。

 一見すると料理をしているように思える。スープでも作っていて、柄杓で灰汁を掬っているかのように見える。


 しかし、パンテロが鍋で煮ているのはスープではない――(なまり)だ。

 鉄鍋でトロトロに煮溶かした鉛の表面に浮いてくる不純物を、せっせと取り除いている。


「何を作ってるんですの?」

「何って、見りゃ分かるだろ。タマだよタマ。弾丸」

「………………」


 見て分かる強者がいるとすれば、それはパンテロと同レベルの変態だろう。

 受け答えしながらも手を休めないパンテロは、椅子の背もたれから熊の毛皮を敷き、毛皮にたっぷりと水をかけて湿らせる。

 何をしているのかと思うと、今度は溶かした鉛を柄杓に一杯取り、それを濡らした熊皮にかけ回し始める。たちまち白い煙が立ち上り――。


「引火しますわよ!?」


 レノラは慌てたが、煮えたぎる鉛は、熊の毛皮を燃やすことなくその表面を滑り落ち、滴となり、冷やされて球形となって、ころころと床に散らばっていく。

 パンテロは熱さを確かめるように、散らばった鉛玉の一つにちょんと指先で触れた。

 手に取っても平気なことが分かると、パンテロは鉛玉をつまみ上げる。


「熊の毛皮は溶けた鉛くらいで燃えねえんだ、上出来だぜ。あとはヤスリ掛けして、形と大きさを整えれば……」

「……それ、弾丸の密造ですわよね」


 思わず率直な言葉が口を突いて出たが、パンテロは「心外な」とでも言いたげな眼差しをこちらに向けた。


「珍しい拳銃を手に入れたんだよ。すごいぞ。今使われてる銃とは全く違ってて……何とゼンマイ式なんだ。時計みたいにネジできりきりゼンマイを巻き上げて、それから火薬と弾を詰めて、引き金を引くんだ」

「ゼンマイで弾丸を飛ばすんですの?」

「違うに決まってるだろ。火薬は要るんだよ。点火するのにゼンマイを使うんだ」


 パンテロが目をきらきらさせながら話し始める。

 良くないスイッチに切り替えてしまった、レノラは己の言動を後悔した。


「――着火さえすれば不発は少ないけど、難点はあって、点火から発射までタイムラグがあったり、機構が複雑だから、故障も多くて整備も大変だったり、」


 それ故に値打ちもので、銃身や銃把に綺麗な装飾が施された物も多くて――。

 それに今は雷管式の銃しかないから、たとえ銃器所持の免状を持っていたとしても、こういう古い先込め式の弾薬包は出回ってない。

 パンテロは、ヤスリでこりこりと鉛玉を擦りながら、胡乱(うろん)な目つきで続ける。


「だから……試し撃ちしようとしたら……自作しないと」

「それを密造と呼ぶのではなくて? 詳しく知りませんけど、王都や各州の軍隊でも使われた弾薬は管理されてるし、猟を生業としている方だって、弾薬を買ったら『どの種類をいくつ買ったか』というのは記録されるのでは?」


「……。だって、新しいのを手に入れたら、試し斬りしたくなるし、撃ってみたくなるじゃん……」

「一応、止めましたわよ? 逮捕されても擁護しませんわよ?」


 危険意識の低い友人に対して予防線を張り、レノラは元の揺り椅子に腰掛ける。

 パンテロは信頼している友人で、コーリーの復学を企む共謀者の一人でもあるのだが、このように趣味に走ると、信頼が揺らぐ局面もある。

 こんな時レノラは、パンテロと同郷の後輩たちの提言を尊重することにしている。


 その銃は引き金を引いてから、発射まで二秒くらい掛かるだとか。

 まあ、ゼンマイ式だとしたらそれくらい時間が掛かるよね、だとか。

 どうしてそんな使えない物を、大枚叩いて買っちゃうの、だとか。


 パンテロは布で弾丸の表面の汚れを拭き取り、竹製のピンセットを使い、慎重に天秤に乗せる。反対側の皿に分銅を乗せ、ちょうど釣り合うのを見て「良し」と呟く。蜜蝋で固めた紙の筒に、適量の火薬、重さを量った弾丸を順番に押し込んでいく。


「出来た……っ!」

「貴女のそんな晴れ晴れしい顔、〈学びの塔〉で見たことありませんでしたわ」



      ◆◇◆



 呆れ果てたレノラは、部屋の隅に据えられた本棚に近付く。

 パンテロによる趣味の王国であるこの家にも、本棚くらいは設置されているのだな、と感心に思ったが……、


「ん?」


 棚に収められている本は、どれもこれも年季の入った古めかしい装丁のものだった。開いて眼を通しても、古めかしい文体で読みにくいものばかり。

 何故、このような本を……パンテロだって読めやしないのに。


「あぁ、それな。一時期、興味があって集めてたんだ。昔の本ってどんな風に綴じられてたんだろうって……装丁に何の革が使われてたとか、装飾とか」

「……中身は?」

「一冊もまともに読んだこと無えな……集めたら飽きちまった」

「著者に呪われるのではなくて?」


 レノラは唸るように言ったが、パンテロは「知ったことか」というように肩をすくめ、薬莢を制作する作業に戻った。

 レノラは溜め息を吐き、本棚から一冊を手に取る。


 集められている中では、比較的に新しい表紙。

 綴じられている紙も羊皮紙などではなく、植物の繊維を漉いた製紙だった。

 ただ、書かれてから十数年は経過しているのか、頁の端が黄色く変色している。

 ぱらぱらと頁をめくると、印刷ではなく手書きの本だということが分かる。


 ――写本に近い物。何かの原典を写し取って、著者の見解を注釈したものであろうか。


「パンテロ。ここに古語辞典ってあります?」

「あるわけないだろ。ここはアタシが遊ぶための家だってのに」

「そう言うと思いましたけれど……貴方、古い物が好きなんでしょう。()われには興味が無いんですの?」

「んー、有るけど。でも興味の対象が膨大にあるから、順番にやらないと……一生掛けても終わらないかもな」


 ふむ……と、レノラは己の頬を撫でる。

 いずれ機会があれば、街で辞典を買い求めるのも良いかもしれない。

 パンテロは良き友人だけれど、趣味を共有できないので、暇つぶしに彼女の蔵書の一冊を読み解いてみるのも一興。


 辞典の購入は後回しにするとしても、全く読めないはずはないと思い、適当な頁から目を通してみる。

 そこに書かれていたのは――、


「――最初の人……? いえ、『始まりの人たちは、第一の精霊、風精霊ベーンブルだけを従えて、この地にやって来た』」


 流体を司る精霊ベーンブルは、その能力でこの地に大気と海を満たした。

 始まりの人たちは、この地に生命を満たした。

 彼らの故郷から運んできた、幾多の種を放った。

 新しきこの地を、彼らの故郷と同じように作り変えようとした。


「『しかし、彼らが来るより遥か以前から、闇の精霊はそこに居た』……」


 始まりの人たちは気付かなかった。

 彼らの故郷である――? チキュー。そこでは多種多様な生命が混在していたのに……ここにはそれが無かった。


 ただ一種の……概念生命体とでも呼ぶべき物がそこに存在していた。

 それが闇精霊。

 ――始まりの人たちが永い年月を経て、新しきこの地に降り立つのと同じくらいの時間をかけて……彼らは闇精霊と戦うことになる。



     ◆◇◆



 ここで、レノラはぱたりと本を閉じた。

 この先をを読み進めるためには――古語辞典を買いに行かないと。


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