あの日に還る魂 ②
「残念ながら王都守備隊は、まだ右往左往している段階だろう……ナザルスケトルの城壁に穴が空けられるなど、かつてない事態だからな……」
奴らが方針を定めてまとまってしまったら、我々に出し抜く術は無い。
練度も装備も、並みの冒険者より数段上だ。
各々の兵士が戦闘訓練を受けている。皆が馬にも乗れるし、戦闘のみならず逃亡者の追跡にも長けている。火器の扱いも……。
自助努力で自己を高めている冒険者たちとは話が違う。
しかし、奴らにも弱点がある。
「王都守備隊は、突発的な事態が発生すると、上部の命令無しに動けん。これは……イスカルデ女王が、私設の『極光騎士団』を重用していた弊害かも知れん」
走りながら、つらつらと説明してくれるフォコンドだが、彼は喋りながら疾走していても、全く息を切らしていない。
「………………そ、そうかもですねっ!」
息を切らせたコーリーは、その言葉の意味を吟味せず、短く応えた。
ティトには追い付ける。その確信があるが……追い付いた時、絶対に何か一悶着がある。
その時のために体力を残しておきたい。
ティトから魔物の杖を取り上げられるか?
いや、これは有無を言わせずそうする、と誓ってるけど。
フォコンドさんは、事件の詳細について、黙っていてくれるか?
たぶん……今の調子なら黙っていてくれるのでは。
色々な事を思いながら、コーリーは足跡を追う。
ティトは――悩んで、怖がっていたのだと思う。フォコンドが言った通り、行き当たりばったりで計画性が無い逃亡に思える。
黒い七竈の魔物が、コーリーが予想していたような能力を持っていたなら、ティトはもっと入念に準備をしていたはずだ。
〈使い魔〉を揃えて……安全に確実に城壁を突破できる算段を整えたはずだ……戦力を整えて。
ティトにはそのつもりは無かったと思われる。
けど、何処かで心変わりして、城壁を突破することを決めた……。
……いつ? それは、地下市街でコーリーと話した時だ。
あの時、ティトにどんな心境の変化があったのだろう……。
◆◇◆
その少女には、程なく追い付くことが出来た。
ぜーはー、と彼女は肩で息をしていた。やはり運動は不得意であるようだった。
「啖呵を切って逃げたのに、あっさり追い付かれちゃった……こんなことになるって分かってたら、馬の一頭でも〈使い魔〉にしとくべきだったかな……あたい、馬に乗ったこと無いけど」
息を切らすティトに、フォコンドが無言で歩み寄ろうとする。
ティトの言葉など聞いていない。ただ、王都に混迷をもたらす魔物を倒すために。
コーリーはそれを制止しなかった。
フォコンドなら、何よりも先に魔物の樹を破壊してくれると信じていたから。
ティトという、魔物の能力を利用して生きて来た少女を、糾弾するでも諌めるでもなく、フォコンドは魔物を倒すためだけに、その少女に歩み寄る。
これで事件は解決……城壁に穴が空けられるという傷が残ったが。
金の光を脈動させる七竈の杖に身体を預けながら、ティトが言う。
「素敵なオジサマだと思うけど、あたい、そういう営業はしてないのよ。近付かないで。あたいね……、昔、色々あって、特にオジサマみたいな、鷹のような目つきをした人が苦手なの」
「………………」
フォコンドは、ティトの戯言に構わずに近付く。
勝ったと思われた――ティト本人には戦闘力が無いので、屈強の冒険者フォコンドに対抗できない。頼りの〈使い魔エリィ〉はアトラファが抑え込んでいる。
もう、ティトには抵抗する術は――、
「――ねぇ、コーリー。おまえ、七竈の能力を探ってたね。どんなことが出来るか……『一度にどれだけの〈使い魔〉を操れるのか』、『〈使い魔〉を操っている時、本体である、あたいの意識はどうなってるのか』……手の内を明かしたくなかったから、はぐらかしてたけど、今教えてあげる」
急に話を振られて、コーリーはびくりとした。
にわかに、周囲でカサコソという、生き物が動く音がし始める。
フォコンドは足を止め、警戒して周囲を見回す。
「……何だ?」
「フォコンドさんっ! たぶん、これ全部〈使い魔〉ですっ!」
コーリーは慌ててフォコンドの側に駆け寄り、腕を掴んだ。
微かな音は今や、さざ波となって二人を取り囲んでいた。
何だこれ……野鼠……それに虫!?
それらが渦巻きながら、コーリーの脚から胴体にまで駆け上って来る。
生理的な嫌悪に肌が粟立つ。
「〈使い魔〉は同時に何千体でも動かせるっ! 操っている間、あたいが意識を失うことも無い! 距離も関係ない! ……分かった? あたいが無敵だってことが!」
ティトが勝ち誇って叫ぶ。
そして、コーリーたちを後にして駆け去ろうとする。
悔しいけど、めちゃくちゃに強い。果実を食べさせさえすれば、ティトが解除しない限り、永久に隷属させられる能力。
身体を駆け上って来る鼠たちが、黒い真珠のような何かを口に咥えているのを見る。
「フォコンドさん! こいつら、私たちに果実を食べさせようと……!」
「分かっている! 口を手で押さえろ! 食ったら操られるのだろう!」
たぶん、ティトが〈使い魔〉たちに下した命令は――『コーリーとフォコンドに、果実を食べさせろ』――コーリーたちを〈使い魔〉にするつもりだ。
なんという恐ろしい、魔物の能力。
ティトはどうやってそれを制御しているのだろう。
「行けっ!」
鼠や虫にたかられているフォコンドが、コーリーの背中を突き飛ばす。
コーリーは走った。ティトを追うために。
もしも、フォコンドまでもが〈使い魔〉にされてしまったら、状況はもっと悪くなる。
◆◇◆
鼠や虫にたかられているフォコンドを後に、ティトを追う。
すぐ追いつける。日頃、走り込みをはじめとした鍛錬をしているコーリーと比べて、ティトは鈍くさいから。
もう、その背中が見えている。
黒い七竈の杖を両手で抱えて、よたよた走っている。
疲れているのが目に見えて分かる。
コーリーはその後ろ姿を見ながら、始動鍵の詠唱を始めた。
「《賢き小さき速きもの、儚き花の守り手よ》!」
風の糸を伸ばす――ティトが持っている、七竈の杖を捕まえる。
〈使い魔〉はもう居ないようだ。
果実を食べさせさえすれば、距離も問題とせず、対象を操れる能力。
恐ろしい能力で、ティトは占いをするために〈使い魔〉を増やしていた。
「ティト、……悪いことしてないって言ってたけど……力は使い次第って言ってたけど……悪いことしてたでしょ! エリィを操って! アルネットを苦しませた!」
捕まえた風の糸に、意を走らせる。
風法術――探る術。大事に育ててと、アトラファが言ってくれた。
ティトが胸の前で構える、七竈の杖に、風の糸が絡まる。
気付いていない……ティトは〈土の民〉だから、精霊の動きを察知できない。
……そこに狙いを定める。ごめんね、ティト。
「――《爆ぜて刃の如くなれ》っ!」
「やめ……っ!」
杖を壊す。ティトが気付いて呻くが、関係ない。
七竈の杖に巻きついた風の糸の流れを急加速させる。
ティトには何が起こったのか分からないだろうが、もう終わった。
七竈の魔物は死んだ。
コーリーの術は、圧倒的な風の流れで、相手を断ち斬るもの……狙った物だけを。
七竈の樹の魔物を斬った。エリィも解放された……はず。でも……何だ。このおかしい鳴動は。




